出産前後の痔にはご注意!

もう一度言います。幻とは、全てが幻という事です。現実はありません。錯覚です。目を覚ませばそのことがわかります。『今、自分は幻夢の中にあり、幻想を現実と勘違いしているのだ』と決めてください。「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」と決めてください。そうすればあなたの現実は本当に変わり始めます。あなたが信じていた現実は、ガラガラと音をたてて崩れ始めることでしょう。今がその時です。あなたが変わることによって地球は変わり始めます。輝く地球へと変わり始めます。あなたの地球にはあなた一人しか存在しないのですから・・・。
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/24tanin.htm

→ この世=現実=他人は、全て幻なのですか?
現実は、幻だと思うのですが。

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A 回答 (14件中1~10件)

一言で片付ける必要もないと思います。

現実は現実、幻は幻、この世はこの世、あの世はあの世、他人は他人、自分は自分ですが、それぞれ何らかの関わりを持つなどしています。
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はて、それが解れば、生きる意味はなんとする?


判らぬから活動し、生活するのではないのかしら?
風流ではないかね? 分からぬということは。
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9044257.html
一日前に同じ質問を別カテに出されていますね・・・

まぁ、いいです。こちらでは、少し変えて回答しておきます。

引用元の記述が正しければ、
「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」
なので、貴方自身も幻です。(ここまでは、多くの方が仰っています)

で、貴方自身が幻でなく、引用元の記述を信じるのなら
「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」
なので、引用元の記事は幻になります。
したがって、信じる対象にはなりえません。

引用元の記事が正しく、かつ、貴方自身が幻で無いと信じておられるのなら、自分自身を信じる人が少なくとも2人いることになります。

すなわち、自分自身を信じる人がどんどん増えていく理屈になり、引用元の記事は自己矛盾していることになります。

自分自身を信じることができるなら、自分自身を信じることのできる他者がいると信じるなら、
「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」という考えは「ガラガラと音を立てて崩れていく」ことでしょう。
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無常です。

仮の宿です。
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夢か現(うつつ)かではなくて、幻(まぼろし)か現かですね。



自分の五感で感じることも頭で考えることも、すべては脳が働き判断することによりますから、外界(自分以外の世界)がどうあろうと脳がそう思えば、それが幻であろうと現であろうとバーチャルな現実になっちゃいますよね。

そう考えると、現はすべて現実で真実であるかどうかは誰にも検証できません。目、耳、手足などすべてを取り払い脳だけを生きるようにしても、脳がそのように知覚すればこの世にあなた一人しかいない、という現実もあるかも知れません。もっとも人間は社会生活を営み科学を発達させて、その恩恵を相互に受けながら発達してきましたから、外界と遮断し脳の活動だけでは説明がつかなくなります。

まあそんな極論はともかく、苦も楽も脳の判断次第ですから、嫌なことでも快楽と脳が思えば、この世はバラ色です。言い換えるとポジティブ思考に変われば、この世も輝くように変わるってことです。
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幻なら、殴られても痛くはないですね



幻なら、成功も失敗も幻なんですね

幻なら、あなたの大切な人が目の前で殺されても幻なんですね

幻なら、あなたの内にある感情も幻なんですね

あなたには、他人がいるから
自分という存在が成り立つという事を知らないといけないです

かなり偏った、自己中そのものですよ

幻なら、あなたの心に何が存在するのですか?
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サルトルの「存在と無」でも読んで、お勉強してください。



それを、世の中では、「観念論」と言うみたいですよ。

もう少しで、大人になれると思いますよ。多分。
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だから、既知外にかまうなと・・・

「この世=現実=他人は、全て幻なのですか?」の回答画像7
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実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対


によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの
収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的
に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の
補完としての時空仮説=宇宙を認識する、という訳です。
無=不確定性無限の潜在としての認識可能性(感受表面での
量子相互作用=光速=現在)からの、自我仮説(時間の流れ=
記憶=過去=超光速)と空間仮説(空間の広がり=予測=未来
=光速下)の対発生。

相対性理論の4次元ミンコフスキー空間時空において、時・空
軸は虚数関係にあり、空間軸と時間軸の等距離点で相殺され、
“ゼロの面”が生じます。
それが「ライトコーン」、即ち光量子子の形成する面であり、
光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面
原点なのです。
そこにおいて、存在の階層現象性において本質的に超弦(量子
定常波=光速)に還元される時、存在の依存する時空的広がり
=非光速性は、物事を階層現象表面的に(=いい加減に)捉え
る事で二次的に派生している幻想だと言えます。

即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の
相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」
という無の射影として、量子=存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
「この世=現実=他人は、全て幻なのですか?」の回答画像6
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これも幻なのですね?だとしたら、質問が成り立ちませんが。

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Qこの世界はすべて自分の脳が作り出した 世界?

私が神ですか?創造主ですか?この私にとっての、現実。自分だけの現実?

それならば、「空を飛んだり」「スレイヤーズの魔法」を使ったりできますか?

私が女性になったり、何でもかんでも叶う世界になるのですか?

ただ、今は、最適な現実が、今の現実なので、そうなっているようです。

そもそも、人間の姿・形が・・・・・非常によくできてないでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
気が付きましたか

そう、、、この世界はすべて自分の脳が作り出した
世界<プログラム>に過ぎないのです。

人に会っているとき、あなたは話す事ができるでしょう。
しかし、他人が曲がり角を過ぎて見えなくなった時、
存在はしていないのです。

その人に連絡をしてみますか?
あなたは確認できるでしょう。
しかし、それは連絡自体を確認しているのであって
存在はしているのでしょうか?

街も物理法則も時間や運命さえも
脳が作った世界なのです。

全部たいや公園が作った世界なのです。
http://taiyap.hatenablog.com/entry/2013/10/24/184923

私が神ですか?創造主ですか?この私にとっての、現実。自分だけの現実?

それならば、「空を飛んだり」「スレイヤーズの魔法」を使ったりできますか?

私が女性になったり、何でもかんでも叶う世界になるのですか?

ただ、今は、最適な現実が、今の現実なので、そうなっているようです。

そもそも、人間の姿・形が・・・・・非常によくできてないでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
気が付きましたか

そう、、、この世界はすべて自分の脳が作り出した
世界<...続きを読む

Aベストアンサー

作り出した世界というわけではなく、自分が
感じ取った感覚的データを基に、再構築された
仮想空間です。しかし、データの半分程度しか
再構築できないので、低いピクセル数のデータを
拡大して見るようなもので、脆弱な世界です。
もともとある世界からデータをとり、半分程度
を再構築して、もともとある世界に重ね合わせ
ているのだから、私たちは半分しか知らないこ
とになります。

だから、すべてを自分が作り出したと考える
ことは、半分しか知らない人(無明)の、
たわごとです。
より深い真実を知りたければ、
脳が認識できないものを、身体で感じられる
ように鍛えることが必要です。
何事も、経験がものをいう、とはまさにそれ。

>何でもかんでも叶う世界になるのですか?
◆この世界はもともと何でも叶う世界です。
しかし、半分しか知らないので、叶いません。

突然ですが、ここで祝電を披露します。
「汝と隣人の間に、私は介在する。」(神より)
「求めよ、されば与えられん。」(使徒より)
「そうか、パイロットじゃない僕だってありえるんだ」
(?より)

Q自分以外の人間は、存在するのでしょうか?

 幼いころからこの疑問を常に抱いています。
 
言葉で表現するのは、難しいですが自分の顔は、自分で見ることができません。このことから自分の目は、自分のものであり内側から見ているイコール自分は、存在すると認識できるのですが、自分以外の人は、本当に存在するのでしょうか?
 
 たとえば、それは青いというのは自分の脳が青色に見せているものだと聞いたことがあります。実際に、自分以外の他人は、人間のようにみえるように脳が映し出しているのかとも思います。また、こうして質問を書き込んでいる最中に後ろを見ることはできません。自分の後ろには、本当に世界は存在しているのでしょうか?
 
 このことに対する答えは、ないと思います。ですが、少しでも私が楽に考えることができるヒントを教えてくださるかたがいらしましたら教えてください。

Aベストアンサー

他者が存在するかどうかということは、(1)自分以外に存在一般は成り立つのか、(2)自分以外に精神は存在しえるのかという二つの問いに分けてアプローチできます。これに関して何がしか示唆できるかもしれないことを他の質問に関して書きましたので、ここにほぼそのまま写し、私の提案する一つの可能性とさせていただきます。

 「ものそれ自体」というのは存在するのかというのは、哲学史上何度も論じられてきた古い問題ですが、私はこれに、「証明は不可能」とやや折衷的に回答します。
 存在について語るには存在をいかに認識するかという問題を避けるわけにはいきません。そこで考えてみたところ、私たちは五感をなしにものの存在は認識できません。仮に私が神経が極度に衰退する病気になり、五感すべてを失ったとします。このとき自分の外に存在を認識できるかというと、恐らく不可能でしょう。ゆえに存在の認識には五感が不可欠だと考えられます。
 次に五感によっていかに存在を把握するかですが、直接的に最初の経験で把握することは出来ないと思われます。私の目に映る風景は、それ自体で考えるなら、無数の色が散りばめられた一つの絵に過ぎません。ゆえに視覚による経験はリアルタイムに変更はなされていくものの、その一瞬においては単一な経験だと捉えられます。この事情は他の感覚においても同様であることは、日常の経験を反省してみても確かめられると思います。
 ではいかにそこに個物としての存在を認めているかといえば、差異を頼りにした分化によると思われます。例えば色がまったく同一か、いかなる飛躍もなく連続的に変化している面は、私たちには一つの面だと思われる、ということを考えるとわかりやすいかと思われます。そしてそのような差異の分布から、私たちは各々の感覚による地図のようなものを組み立てます。私とどのような位置関係にどのような差異があるかを把握するわけです。差異は一つでも存在を推定する根拠たりえますが、経験上結びつきえるいくつかの感覚による差異が同一の場所に現れたとき(このような地図の重なり合ったもの、あるいは総体的な地図群を私はその主体にとっての世界と呼びます)、その存在可能性はいっそう高まります。けれども最終的には存在していて欲しいという私たちの願いが、私たちにとって存在を存在たらしめます。
 このように考えれば、ものそれ自体があるから私たちはそれを見たりするというより、むしろ逆の順に存在の認識はなされているものと考えられ、最も高いレベルの存在の明証性は私たちの信仰にのみ存すると考えられます。
 こうした立場からすると、自分が持っている「心」以外の「心」を想定することは困難に思われます。それは感知し得ないからです。けれど、「心」の定義を少し変更したのなら、それは上の信仰を持つ者にとっては明確に存在する原理になります。
 単に存在の認識を考えただけでは、認識されたものがなぜそのように認識されたのかがわからず、そうであったからそうなのだとしか言えません。けれど存在を信仰する立場からは、ある存在がそのようであり、そのように差異を統合し、私の世界に差異を作り、変更していく原理は、その存在そのものに求められます。それを私は「心」と呼びます。
 一般的な「心」も「目は口ほどにものを言う」などといわれてるほど、他者に語りかけるものであったことを考えると、私の「心」もさほど食い違う考えではありませんが、私は私が私の姿を今こうであるように他者に認識させている働きも「心」に含める、という意味で、いくらかその範囲を拡大しています。
 上記のような考え方に立てば、心も物質も、私の言う信仰によるという留保はありながら、同程度に存在し、同程度に確実であると思われます。ここから、私の信仰によるならば、他者は存在します。
 折衷的な考えで、何の答えにもなっていないかもしれませんが。

他者が存在するかどうかということは、(1)自分以外に存在一般は成り立つのか、(2)自分以外に精神は存在しえるのかという二つの問いに分けてアプローチできます。これに関して何がしか示唆できるかもしれないことを他の質問に関して書きましたので、ここにほぼそのまま写し、私の提案する一つの可能性とさせていただきます。

 「ものそれ自体」というのは存在するのかというのは、哲学史上何度も論じられてきた古い問題ですが、私はこれに、「証明は不可能」とやや折衷的に回答します。
 存在について語るに...続きを読む

Qこの世は幻想であり私がこの世を創造しているのでは?

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22040897?via=thumb_watch

この世は幻想であり私がこの世を創造しているのでは?
上記動画、30秒後・・・女子アナ?が、発言していますが、変です。明らかに。
バグっているとしか、思えません。

つまり、この世は幻想であり、しかも、1人1人がそれぞれの現実を創造しているか、

私1人だけが神であり、創造している、この現実を、、、だということではないでしょうか?

過去、11日間だけ、携帯電話にニュースが流れていたこともありました。
他のも色々と幻覚体験?のような、謎体験多かった。
一番すごかったのは、建物幻覚。

夜・・・、存在しないはずの、マンション2棟が、赤く点滅して存在していたのです!!!
他にも、幻覚の建物の中で、熱いシャワーを浴びるとか。変ですよね?
幻覚=ただの幻のはずなのに、熱いシャワーを浴びれるなんて。
デジカメがあれば、写真が撮れたでしょうし、何か幻覚の建物から証拠品を持ってくれば良かったです。

Aベストアンサー

この世が幻想で、ひとりひとりが自分の世界を創造している。

その通りだよ。

みんな自分のフィルターを通して、物事を見ている。

好きなものしか見えない。

「赤いものを見つけて」って言うと、急に赤いものが目に入るっていう
有名な実験があるけど。

ひとは自分の見たいように見て、考えたいように考えてる。

現実が幻想ってのもさ。

あなたが認識しているっことは、しょせん脳の電気信号なわけ。

ありのままの現実じゃない。

そもそも、ありのままの現実なんてあるのか知らないけど。

昔から普通に言われたことじゃないか。

悟りや空の話だろ。

もちろん、昔から言われたから、正しいというつもりはないよ。

ただ、今みたいにカンタンに説明できる。

驚くに値しない論理だね。

まっ、実感するのは、かなり難しいが。(笑)

後半のやつはよくわからんが。

催眠術の類だろうね。

Q他人はいない?他人に意識はない?私が神?

http://www1.ttcn.ne.jp/turu/24tanin.htm
他人はいない?
上記HP、本当でしょうか?
私以外の他人に意識はないのでしょうか?
つまり、生きているのは私だけで、他人はロボット人間なのでしょうか?

Aベストアンサー

拝見しました。

言いたいことは分かるのですが、残念ながらこれでは全くの説明不足です。

ちゃんと順序立てて説明しなければ、この内容の真意は、おそらく誰にも理解できません。

このサイトを最後まで読めば、分かりますよ。
http://space.geocities.jp/gjdtk960/human/002.html

Q他人に意識があり、他人が生きている証拠

他人に意識があり、他人が生きている証拠は、ありますか?

また、独我論は否定できないというのも、よくわかりません。



例えば、私に5感がある。寒い・熱い、触る、音を聞く、見る。

そして、他人にも、「5感があるように思える」。

他人は、笑い、悲しむ表情があり、、、、「完全に生きているように見える」。

わけですよね?




そして、全世界の99.999999999999999%ぐらいの人達は、

「他人は自分と同じような存在であり、自分が生きているから、他人も同じように生きている。他人に感情や、意識はある。それは、確かだ。」

っと、思っています。私も、基本的にそのスタンスです。


他人に意識・感情があると思うのですが、合っていますよね?

しかし、オカルトサイトでは、「他人はいない」とか、書かれています。大本は一体どこなのか?

「他人は自分の鏡」という話もありますが。


でも、他人に意識や、感情がなく、他人がただの人形だとしたら、非常に不気味な世界だな、と思えます。

それに何より、この世界で生きているのが、「自分1人ぽっち」だということになってしまいます。


例えで、映画を自分が見ているのが、現実だ、という話もあります。

自分の内側が投影されて、外の世界が映し出されているだけだと。



それに、自分が全てを創造しているとしても、自分の思い通りになっていない世界なんて、
存在価値があるのか?と思えるし、馬鹿らしいと思えます。

しかし、自分の思い通りにならない世界は、自分と違う考えの世界であり、
自分と、他人は異なる考えを持つように見えます。=自分と他人は別々に存在する。

それはまさに、「現実そのもの」に思えます。


例えば、今日なんか、デパートへ行きましたが、他人は、笑ったり、話したりしています。

明らかに、「他人に意識があり、他人は自分同様に生きている」と、思えます。

そして、これは世界の常識となっていて、疑う必要なんて、あるのか?
独我論なんて、考えすぎの嘘の論じゃないか?と、思えます。


それは、確固たる現実として、目の前に開かれています。

ただし、ネット上の書き込みは、他人に意識がないように見えてしまいます。

つまり、目=視覚の現実のウェイトが大きいことを意味します。


ドラマや、映画などの、「演技」ってのもありますが、
現実の他人の容姿は、まさに、「演技じゃなく、真実」に見えます。

よって、独我論は嘘であり、他人にも意識があり、考えがあり、生きている、
自分と同じような存在だと思えるのですが、どうでしょうか?


別の話として、1人1人が宇宙を創造しているという話もありますが、これもよくわかってません。
それは別に、他人も自分同様に、生きているだけ、と思える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、、、逆に考えます。
他人がいない、世界に1人ぼっちだけ、だとする。自分1人だけ、と。
そんな虚しい世界に、存在価値はあるのでしょうか?
全て、自作自演です。
自分が他人をも創造して、自作自演していると。
ネット上のカキコすらも、自分のただの創造だと。

そんな自作自演劇に、意味はあるのでしょうか?

他人に意識があり、他人が生きている証拠は、ありますか?

また、独我論は否定できないというのも、よくわかりません。



例えば、私に5感がある。寒い・熱い、触る、音を聞く、見る。

そして、他人にも、「5感があるように思える」。

他人は、笑い、悲しむ表情があり、、、、「完全に生きているように見える」。

わけですよね?




そして、全世界の99.999999999999999%ぐらいの人達は、

「他人は自分と同じような存在であり、自分が生きているから、他人も同じように生きている。他人...続きを読む

Aベストアンサー

自作自演であっても、意味は在りますよ。
みかんを食べておいしいと感じたことには、世界が自作自演であるかないかは、関係ないです。
世界が自作自演であってもなくても、みかんを食べるとおいしいと感じるでしょう。


後は、前にvanticeさんがした「自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・」という質問に俺がNo.5でした回答を引用します。

「幻覚がなくても、他者っていうのは、完全には確かめられない存在であって、結局は、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じているだけだと思います。自分が感じているそれらだけが、自分にとっての現実です。
また、気付きにくいですけど、自分についても、そうです。つまり、自分が自分に生命感や現実感などを感じてもいます。
結局は、そのように感じたり判断したりする機能が在るだけであるとも考えられます。

vanticeさんの例で大切なことは、やはり、現実との様々な整合性を積極的に確かめていくことだと思います。そうしないと、どうとも結論できないままだと思います。

もちろん、そんなvanticeさんもが、誰かに創造された存在であるとも考えられますけど、結局、vanticeさんにとっては、vanticeさんという基点や材料から創造された物事や現実をvanticeさんが満足に制御できることが大切ですからね。」


後、確かめたいんですけど、vanticeさんは同じことを何回も質問していますけど、過去の記憶を忘れて、1人エンドレスエイト状態なのでしょうか?(もしそうなら、8回目は何か特別なことをお願いします。w)
また、出来れば、お礼を書いたらすぐに質問を締め切るのでなくて、みなさんの回答の分からない部分をお礼欄や補足欄でさらに質問したりすると、より良いと思いますけど、どうでしょうか?

自作自演であっても、意味は在りますよ。
みかんを食べておいしいと感じたことには、世界が自作自演であるかないかは、関係ないです。
世界が自作自演であってもなくても、みかんを食べるとおいしいと感じるでしょう。


後は、前にvanticeさんがした「自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・」という質問に俺がNo.5でした回答を引用します。

「幻覚がなくても、他者っていうのは、完全には確かめられない存在であって、結局は、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じているだけ...続きを読む

Q自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・

http://ameblo.jp/sennsaiisiki/entry-10293747759.html

さて・・・・
<この記事を投稿した、自分=私>が、宇宙を創造している。(とします。本当かなぁ?・・・・。。。)

その場合、宇宙は地球があり、人間がそこに住んでいて、<私にとっての、他人>がいます。

その場合、「他人=私の、創造物」になります。

これらのケースでは・・・・・
<この記事に返信している、<あなた>や、2chやこの教えてGOO等などの、ネット上の<他人>>も、「私=この記事を投稿した自分の、創造」なのでしょうか?

とても、質問が色んな意味で、しにくいです。。。

タイトルの、「自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・」ってことになります。
しかし、ネット上の、<あなた>は、<私の創造物>だということになります。(例えばで。)

それで、返信してもらうとします。その場合、私=他人のような感じになりますから、
<ネット上の他人の意見>=裏の潜在意識の?、自分の意見、だということにならないでしょうか?
つまり、自問自答する、ということになりませんか?

そうなると、「本物は自分だけ」だという考えになってしまいます。
その場合、「人間1人1人が神であり、他人もそれぞれの現実を持っている」という、意見が、
ネット上にあったとしても?・・・・

上記、ネット上の他人の意見=自分の意見だということになってしまいませんか?・・・・・

つまり、我思う故に我あり?・・・・・
信じられるのは、<自分の意識>だけ、だということにならないでしょうか?

根本的には、以下のような疑問になります。
「この世の仕組みは何か?一般論では、宇宙はビッグバン→地球誕生→猿誕生→人間誕生→産業革命→<自分>の誕生→2012年9月1日という今というこの瞬間」というように続きます。
これが、「常識」になっています。

一方、オカルトでは、「神は人間1人1人が持っていて、それぞれが神であり、それぞれの人がそれぞれの現実を創造している」byバシャールなど、となっています。

この、「オカルトの考え、意見」ですら、「自分の創造物」だったら?・・・・・
ここからが、説明しにくいです。

小さい○+大きい○=◎、とします。外側の○=自分で、内側の○=他人、とします。
この場合、内側の円=他人ですから、いくら、「ビッグバンで宇宙が誕生した!人間は進化論が正しく、一番大本は、ビッグバンの特異点だ!これは常識だ!これを否定する=馬鹿だ!」
とか、
「神は存在する。」(3大宗教)とか、
オカルトの、「人間1人1人が神であり、創造神だ。だから、それぞれの人がパラレルワールドを持っていて、ほとんど幻であり、<自分が本物>なのだ。」
と、いくら、言っても・・・・?

◎=外の円の自分+内の円の他人、ですから、いくら、自分の内側の人達(この記事を書いている<私>の分身、創造物)が、~~~~が正しい、と言っても・・・・・・
「え?その意見って、所詮、自分の内側の心、意見でしょ?」ってなってしまいます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんというか、「神=創造神=創造する人間が、地球人口の60億人分の現実が存在する」という考えに、矛盾があるように思えるのです。(これが質問でもいいかも)

でも、これを読んでいる<あなた>が、「え?確かに私は意識があるし、自分の考えで動いているぞ?」と思えば、私の意見は否定されるかもしれません。

今思いついたイメージは、、、◎=<外側の自分>+<内側の他人>と簡潔化できる点です。

もしも、この世で唯一、<私>だけが本物で、創造神?wというか、創造する人、存在だとすれば、(この時点で考えは異常なものにもなりますが)
この世に存在するのは、◎、だけ、になります。唯一の私と、その他の存在、人、自然など。

しかし、この世に存在するのが、「人それぞれが創造神で、パラレルワールド」ならば、
◎◎◎◎◎◎・・・・・60億個の、◎、が存在することになります。
これが、正しいのでしょうか?(質問)


んーーーーーー・・・・・・・今他の考えとして、思いついたのは、
◎◎・・・・と多くあるとして、人間分の現実世界が存在するとして。
要は・・・・・・・・今頃気づきましたが・・・・「自分と他人との、接点」ですよね。
自分と他人との、それぞれの現実世界の接点。3次元世界の、会話でもあり、2次元世界でのこのBBSなどの書き込みでも。(丁度、今夜オバマ大統領がBBSで質疑30分あったそうです。)

宇宙の特異点=自分や、他人があり、それぞれの人間が、<創造物ではなく、創造神>ならば、解決できるのかも?・・・。
Aという人の現実世界の◎と、Bという現実世界の◎。
それぞれの世界・・・。

・・・やっぱり、どう考えても、◎は1個しかないように思えます。
<自分>以外の人は、<自分の創造物>ではない、、、とすれば、解決できるのかなぁ?・・・。

ただ、人の肉体、は、全員、素粒子で?出来ているわけだから、<私も私の創造物>とも言えますが。
というよりも、宇宙は、人間が観測しないと存在できないのなら、宇宙と人間が同時に生まれた?という謎もありますが。。。
<私>が生まれた年月日=宇宙が誕生した瞬間、誕生日なのかもしれませんが。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それにしても、私が何故、こういった疑問を持つのかというと、幻覚体験が多かったからです。
アニメ観ないと思われる女性が、映画館で見かけたり。(上映前と上映後にいたが、幻覚のようだ。ちなみに幻覚=本物の現実と完全一致します。)
また、幻覚=幻視+幻聴などに分けられますが、殆どの人は幻聴体験です。
(以下は読まなくてもいいです)

1,ミルクティー廊下にこぼしてなかったのに、廊下にこぼれていた、とか。(親が発見したので、幻覚とは言い難い。幻覚=人間1人の現実変化。)
  これなんか、完全に、物理法則無視しています。
 あるのは・・・・・「過去の記憶を、今、に移動させた」ようです。まぁ、幻覚みたいな感じですが・・・。
当時2010年時点からの2-3年前に、廊下に現実に私はこぼしてしまったのでした。左手にカップ持っていたので、位置確認したところ、完全一致しました。このことから、過去の現実を、今の現実にコピー・ペーストしたものと思われます。
これは、こぼれたミルクティー=モノ、です。

2、上記さっき書いたが、映画館の女性。知っていた女性。これまた、私がその女性をその2010年の1-2年前に会っていたので、その過去の私の現実を、今の現実世界に、写したものでした。
こっちの場合は、女性=人間の女性であり、生きていた、わけです。モノじゃないです。

3,ネット上の記事が明らかに私と関係あった内容。=ネット上の内容そのものが、私の創造物である証拠?

4,私のPCの中の動画の変化(動画内容そのものが別の動画に変化した。見たこともないモノもあった・・・)、C/Dドライブの表示が、「大きいもの」「小さいもの」になっていたこと。=私の潜在意識の考え?・・・。これまた、変化ですが、動画などは、幻覚のようなのに、そのまま残ります。幻覚体験はすぐに治るのに、こっちは治りません。

5,今もHDDにありますが、動画再生時間が、1分丁度としても、5分ぐらい流れるようなもの。(シークバーがLASTまで移動しても動画再生される)

6,笑っていいともに、(TV)、アニメの超電磁砲の、佐天涙子、が出ていたこと。完全にそっくりで、2次元を、3次元に具現化したようなもの。同様に電車からゲーム内の敵の石像も一瞬見えたり。

7,幻覚の建物があったこと。A(本物)→B(幻覚の建物)→A(本物)と変化した。
  幻覚とは?触れないものだ。しかし、私は、Bの取っ手を回して入り、階段を登り、暖かいシャワーを浴びることができた。しかし、中に男性が5人以上も寝ていたが、ずっと起きなかった。(私が操作、創造しているようであった。)古い赤い携帯電話もあった。クリスマスツリーもあった。写真もあった。小さいゴミ箱もあった。何故かまつぼっくりが数個あった。行ったのは、2010年3月10日頃だから、12月にクリスマスツリーを買ったのだろうか?・・・。カプセルホテルとしては、今よりボロいようだ。(男性を上から見れた)
また、シャワーを浴びてから、外へ出たが、頭はすっきりしたままだった。幻覚のシャワーならば、時間経過と共に、元に戻る=頭が油っぽくなるはず、だが、そうはならなかった。これは現実感があった。
ファミリーマートの幻覚の建物もあった。入ってすぐ右に謎の機械があった。ATMでもない。10 100 1000 10000の表示。幻覚にしては・・・異常過ぎる。店員3人ぐらいに、多くの客もいた。新聞の日にちは合っていた。雑誌もあった。当然、食料もあった。完全に本物だった。

8,手をゴニョゴニョさせていた人々がいた。これは私の脳の異常のようでもあるが、私が操作しているようでもあり、私が創造していたようでもあった。

などなど・・・。これらのことからも、「ただの幻覚ではなく、世界で唯一の幻覚体験」と思われるし、マリファナなどでもないし、
◎=自分が唯一の創造する人で、他の人は私の創造した存在、と、思ってしまいます。。。
質問はタイトルや、◎についてです。
結局、<私が存在する>のはわかりますが、<他人が存在する>のか?と。

http://ameblo.jp/sennsaiisiki/entry-10293747759.html

さて・・・・
<この記事を投稿した、自分=私>が、宇宙を創造している。(とします。本当かなぁ?・・・・。。。)

その場合、宇宙は地球があり、人間がそこに住んでいて、<私にとっての、他人>がいます。

その場合、「他人=私の、創造物」になります。

これらのケースでは・・・・・
<この記事に返信している、<あなた>や、2chやこの教えてGOO等などの、ネット上の<他人>>も、「私=この記事を投稿した自分の、創造」なのでしょうか?

と...続きを読む

Aベストアンサー

これが、正しいのでしょうか?(質問)

少なくとも60億の60億乗個の◎が存在はするはず・・・ということでしょう。

あなた次第、あなたの自由と言うことなんです。

あらゆるあなたの変化に60億のすべてが追随しています。
しかし、あなたは、その一つしか現実にすることができません。しかも今だけです。
過去も、未来も一切ありません。
完全なまでに自由なのですが不自由を楽しんでいるのがあなたということになるんです。

Qこの世、この宇宙にいるのは、<私>だけではないか?

何から書いたら良いのやら。根本的考えは、「自分が宇宙と他人の全てを創造している」です。。(私しか意識ある人が宇宙にいない?・・・)

言えそう・・・なのは・・・

「私が生まれてきた理由は、宇宙や人類の学習のため」
だということでしょうか。。。・・・・・(意味不明ですが。)

エヴァンゲリオン26話でも、「世界にはあなたしかいないのよ」と、ミサトが言います。
あの辺は、独我論だと思いますが・・・。エヴァは独我論の話で、碇シンジの妄想みたいなものだと思う。

http://baco-crispy.cocolog-nifty.com/bacoblog/2011/12/post-8e6d.html
参考。宇宙には1人しかいない。これは、宇宙1つが、人1人に与えられていて、部分的に世界同士が接触している?というものです。

でも、違うと思います。と言うのも・・・「幻覚 建物」でGoogle検索しても、私の体験と同じものが出なかったのもあるし、、、幻覚とは何か・・・違うように思えるからです。
幻覚=現実とそっくり。

こんなこともありました。
1,ミルクティーを机の部屋へ持ってくる。
2,扉を閉める。
3,家族の1人が「廊下にこぼれている。こぼしたな?」と扉を開けて言ってくる。
4,1-2年前にこぼした場所と同じ場所に、何故かこぼれていた。しかし、こぼした記憶は無いし、その後の「机のカップの中身」は減っていなかった。=中身が移動したわけではない。

これについて、ここで質問したこともありましたが、答え出ず。
そして、「過去の現象が、今に映ってきたのだろう。」と思ってましたが・・・どうも・・・違うくさい。
昨日辺りに気づきました。
「これは、扉の向こう側は、自分から見えず、観測されていない。だから、ミルクティー事件も、揺らぎの状態が変わったからだろう。」と思いました。
この辺はブログに、「遠い駅は存在しない」というような意見があったので、最近考えています。
事実、自分の身の回り、見える範囲だけ、存在すれば良いわけであって、TVの中などもその範囲だけ存在すれば、「現実そっくり」になります。宇宙全体からすれば、その方が効率は良いでしょうし。

上記のポイントとしては、「見えない場所にこぼれていた」というのがあると思います。
扉は閉まってて、、、向こう側は見えなかった。これは、事実です。
そして、何故か、「こぼれた状態」が廊下に現れた。見えない扉の向こうで。瞬間的に。
そして、タイミング良く、家族の1人がそれを発見した。(これまた偶然にしては・・。私が無意識に動かしたようでもある。)

この謎の現象は、自分でもよくわかりませんが・・・・。
<私>が、<宇宙>及び<身の回りの現実>を、自分の脳?だと・・・・わかりませんね・・・。
ともかく、自分のどこかに記憶していて、それはどこか、本当にわかりません。単純には、脳ですが。

しかし、宇宙全体を、自分の脳だけで、記憶し、そして、創造していくことが、可能なのでしょうかね?(疑問)容量不足かな?・・・。

ともかく、、、私がカップのミルクティーを運んできました。机に。
その、「過程」でしょうか。その、「記憶」を「書き換えた」のかもしれません。現実って、自分の脳の記憶だけで出来ているのでしょうか?
その場合というか、そういうのを、幻覚とも言いそうですが、しかし、それでは、「家族の1人が幻覚のミルクティーを発見した。」という事実を覆せません。しかし、全てを私が創造している、とすると、私の幻覚体験?は全て説明がついてしまいます。

~~~~~~~~~~~
そう・・・・ネット上の書き込みでも、3次元世界の現実の、外の世界も、外を歩く他人も、全ては自分の創造による存在、、、と考えても矛盾が出て来ません。(勿論異常な考えですが。)
そして、このことは、異端者となり、そして、3次元世界の現実世界は、
「どうあがいても、お前が世界や宇宙を創造していることは、教えないぞ。」と、言ってきているようでもあります。

それは、自分自身が他人が人形のようで、機械のようで、意識が無く、生きていない、生まれても死んでもいない、そして、「世界、宇宙で意識があるのは、自分だけ。自分1人ぼっちの世界。」であることが怖いから、だとも言えそうです。

「完全にロックされている現実世界」のようでもあります。外を歩いていても、他人は自分のことが変わっていると、気づかないし、家族は当然、自分を一般人の1人として話してきます。
これらは作り物かもしれませんが(哲学的ゾンビ)、否、創りモノかもしれませんが、
「本物そっくりの、完全にロックされた3次元体験世界」として、本物そのままに、現れています。

宇宙に自分1人しかいなくて、宇宙は人1人ずつでなく、宇宙がたったの1つしか存在しないとしたら?
「もしも、自分が生まれた瞬間に、宇宙が瞬間的に創造されたとしたら?」
「もしも、自分が自殺したり、事故で無くなってしまったら?宇宙は消えてしまうのだろうか?また、自分の意識は無くなってしまうのか?」
と、疑問に思えます。死後の世界は誰もが疑問に思いますが。
~~~~

話をミルクティーに戻すと・・・「ミルクティーを机まで運んできた」「記憶」が、書き換えられてしまい、「現実が変化してしまった」ということだと思います。
まず・・・分子的に考えると?・・・・・モノとして。ミルクティー+こぼれたミルクティーとなります。
机のミルクティーは、いっぱいでした。だから、こぼれた分を足すと、こぼれたでしょう。
つまり、「持ってきた量が増えていた」ことになります。変です。

「新規に廊下上で、ミルクティーが出現した」とすれば、辻褄が合います。
いや・・・・「記憶」でしょうか。記憶=情報?・・・。
「廊下でこぼさずに持ってきた」情報と、「廊下でこぼしてしまった」情報が、入れ替わってしまったのです。
ちょっと、量子論の揺らぎの宇宙・・・?というのもわかりませんが、AとBの2種類が存在に与えられているのでしょうか?それとも、無限又は多くの種類が存在するのでしょうか?観測で。

何はともあれ、今の宇宙は不安定だと思います。私の脳が不安定なだけ。。。という可能性もありますが。

幻覚体験?は書ききれません。
ともかく、変、です。FEZというネットゲーム(50人vs50人対戦)で、アップデートが変でした。
半年間、ダガー島という1つのマップが、「違っていた」のです。マップの形が。
しかし、この現実を、他人は一切騒ぎません。そう、「私だけの現実」なのです。。。・・・

この場合、疑問が出ます。シュタインズゲートの時間線とか、パラレルワールドがわかりやすいと思うのですが。

1,ダガー島のアップデートの無かった世界(偽世界?)
2,ダガー島のアップデートがあった世界(真世界?)
の2種類が存在したことです。私は、いきなりマップが変わっていたので、調べたら、半年前にアップデート情報が載っていました。

この、1と2がありますが、両方とも、「他人がゲームプレイしていた」わけです。そのマップで。
しかし、「1の世界でプレイしていた人々は、どこへ行ってしまった?」という疑問が沸きますが、
今思いつきましたが、「1の世界は2の世界の記憶に上書きされた」が正しそうです。
今思えば、私が世界を変えてしまった、、、。。。ようでもある。

また、FEZゲームで、攻めと守りが切り替わるのですが、そのタイミングで、「私のゲーム画面が5-10秒止まっていた」のです。そういう日がありました。ネット回線切断された様子と同じ。
これって、、、、他人も同じ状況になれば、チャットで騒ぐはずです。しかし、それはありませんでした。
そう、これは・・・・「まるで、他人=ネット内のキャラがプログラムのロボットのようだ。」と、思えます。
ネトゲなのですが、1人のソロゲーだという。。。
FEZは、仮想戦場で攻めと守りを繰り返します。しかし、その切替タイミングで、止まる、という現象が起こるというのは・・・・実は、他人=ロボット人間じゃないか?と疑ってしまいます。
要は、3次元現実世界がプログラムで出来ていて、自分の周りの現実もプログラムのようなもので出来ている、という可能性です。
「止まる」という現象が5秒ほど起きていたのは・・・・「処理落ち。思考中。」だったからだと考えられます。
PCでも、ゲームでも、よくありますよね?処理落ち。昔のFC、SFCならよくありました。
しかし、正常なFEZでは、その攻守切替がスムーズに行われているように、「見せられている」という。

だから、その日は簡単なゲームでした。だって、相手が攻守切り替えが起きるまでは、相手全員がずっと逃げていくんですから。それまで、自分は攻めてれば良いだけと。FEZは6年ぐらいやってます。

もう文字数が・・。携帯電話が11日間だけニュースが流れていたのも、携帯そのものが書き換えられたからでしょう。新機能・・。

あと、他人の怪我した方の足で階段を上っていたり・・。(左右逆)

幻覚?で、コンビニ店員が手を変に動かしてたり。
J.C.STAFFというアニメ会社の看板の酒場が何故かあったり。
幻覚のファミリーマートが出現したり、デパートの1Fがジュース売り場に書き換えられてたり。
幻覚の建物の3Fで、熱いシャワーを自分が浴びることが可能だったり。(現実は全く違う建物だが、扉・階段にぶつからない。変。)

だから、幻覚でなく、現実だと。
言いたいのはこれらが本当だとしたら一体いつまで世界中で茶番劇してるの?と

何から書いたら良いのやら。根本的考えは、「自分が宇宙と他人の全てを創造している」です。。(私しか意識ある人が宇宙にいない?・・・)

言えそう・・・なのは・・・

「私が生まれてきた理由は、宇宙や人類の学習のため」
だということでしょうか。。。・・・・・(意味不明ですが。)

エヴァンゲリオン26話でも、「世界にはあなたしかいないのよ」と、ミサトが言います。
あの辺は、独我論だと思いますが・・・。エヴァは独我論の話で、碇シンジの妄想みたいなものだと思う。

http://baco-crispy.cocolog-...続きを読む

Aベストアンサー

>世界中で茶番劇してるの?

 そろそろ人間の固有特性から離脱したらどうですか。
 世界も宇宙もあなたが作り出したものものですから、さっさと離脱するということです。

 茶番劇はもういい加減うんざりでしょう。沢山の人がもう気づいています。

 それこそ、ご自由に・・・

Qこの世=現実=他人は、全て幻なのですか?

もう一度言います。幻とは、全てが幻という事です。現実はありません。錯覚です。目を覚ませばそのことがわかります。『今、自分は幻夢の中にあり、幻想を現実と勘違いしているのだ』と決めてください。「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」と決めてください。そうすればあなたの現実は本当に変わり始めます。あなたが信じていた現実は、ガラガラと音をたてて崩れ始めることでしょう。今がその時です。あなたが変わることによって地球は変わり始めます。輝く地球へと変わり始めます。あなたの地球にはあなた一人しか存在しないのですから・・・。
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/24tanin.htm

→ この世=現実=他人は、全て幻なのですか?

Aベストアンサー

まあ、そうです。

現実に、一台の自動車があったとすると、10人いれば、10人感じ方が違うでしょう。たとえば、車に興味ないひとは、自動車の色くらいしか認識しない。カーマニアなら、どのくらいの価値があり、どういう難点があるかすぐに判断できる。

これが自動車ではなく人間ならば、さらに多くの違った認識が各個人の中に引き起こされます。よって、この世=現実=他人は、各個人にとって統一性のない認識状態であると考えられ、それは幻と表現されることもあるでしょう。

Q優しい人のほうが損?美輪さんの教え?

周りの人間関係をみていて
ふと思ったのですが、
優しくて人格者で性格の良い人は
損をする事が多いように思います。

他人が嫌な思いをしていないか、
気づかってめんどう役も引き受けたり、
相手に親切にして、逆になめられたり。。。

そして、反対に
他人をばかにし自分が優位に立ちたいと
いつも思っている、
あまり優しくない人達のほうは
他人の感情等気にせず
自己中心的な考えで、自分の意見をまかり通してしまう。。。

私は、美輪明宏さんや、江原さんの本が大好きで
いつも読み返すたびに
「やっぱり他人に優しくて愛情豊かな人間のほうが
上質なんだな~」と思い返してますが、
それにしてもやはり
現在社会では
ある程度、自己中心的で図々しいひとのほうが
社会を要領良く飛び回っているように思うのです。

やっぱり優しくて
他人に気遣いする人間の方が損でしょうか?
皆さんはどう思われますでしょうか??

Aベストアンサー

こんにちは☆

私も美輪明宏さんや江原さんが大好きで、たくさん本を読んでいます。

あなたがおっしゃっている優しい人格者とは、人の気を汲みすぎてしまい、自分よりも相手を優先してしまう人、のように感じました。そういう人をあなたははたからみていて、その人が我慢して自分の思い通りにできずに、損しているんじゃないかなと思っていらっしゃっるのでは?
私が思うに、優しい人格者の方は、自分が相手を優先したり譲ったりするという選択をしたならば、その選択について後悔したり損したとは感じないと思います。「ああ、できてよかったなぁ!」って自分の選択に満足できます。
それと、自分を押し殺して人を優先することとは優しさとは違うと思います。人格者であっても、これはこの人のためにはならないと思うことははっきり断ると思いますし、自分の思いや気持ちを押し殺し相手の言うがままにするのは優しさとは違うように思います。

優しさとは行為にその人に対しての愛があるかないかだと私は思っています。
結局、人にした愛は自分の方に必ず返ってくるし、そういうふうにできる人はみんなから愛され幸せになれますよ♪
お互いそういう人になりたいですね♪♪

こんにちは☆

私も美輪明宏さんや江原さんが大好きで、たくさん本を読んでいます。

あなたがおっしゃっている優しい人格者とは、人の気を汲みすぎてしまい、自分よりも相手を優先してしまう人、のように感じました。そういう人をあなたははたからみていて、その人が我慢して自分の思い通りにできずに、損しているんじゃないかなと思っていらっしゃっるのでは?
私が思うに、優しい人格者の方は、自分が相手を優先したり譲ったりするという選択をしたならば、その選択について後悔したり損したとは感じないと...続きを読む

Q子供を産んだことのない女性の特徴

子供を生んだことのある女性と、そうでない女性とは、肉体的精神的に、どのように違うのでしょう

か?というのは、うちの会社には、女性の管理職が二人いるのですが、

二人共、40歳を越えて独身。もちろん、子供はいません。

私の妻は、私との間に、3人子供がいて、年齢も、その二人と同じくらいです。

妻と彼女たちを比べると、言葉では言い表せにくいのですが、肉体的にも精神的に

も、妻の方が丸みや優しさがあるような感じがします。それに比べて、件の二人は、ちょっと何か殺

伐とした乾いた感じと言いましょうか、冷たいような、そんな印象を受けます。

もともと、女性の体というのは、子供を生み、育てるような、機能になっているわけで、そのような

機能を、40歳過ぎてまで利用しないということは、やはり何か精神的、肉体的に、影響を

及ぼすのではないか、と考えるのですが。皆様はいかがお考えでしょうか?

Aベストアンサー

結婚はしていましたが、子どもに恵まれなかった叔母がいました。(過去形なのは、60代で亡くなったからです。)
肉体的には、出産した人よりも卵巣がんにかかりやすいと聞きます。実際、叔母は卵巣がんで他界しました。

わたしにとっては尊敬できる叔母でしたが、子どもがいる人と比べると、「何か違うな」という気持ちはありました。
以下、「何か違う」という部分について言います。

子どもがいる人は、精神的にも、肉体的にも、常に子ども中心の生活になります。
妊娠、出産してから、少なくても成人するまでの間、責任が伴う生活を強いられることになります。
その間20年です。自分のことならまだしも、自分以外のひとつの人格を持った人間として、毎日毎日接していかなければなりません。その覚悟が必要になってきます。

当然、精神的に鍛えられます。精神的に強くならざるを得ない状況になります。
それと同時に、母親としての温かさ、やさしさを併せ持たなくてはいけません。
子どもに対しての強さと温かさ、これが同時に必要になってくるのだと思います。
これが母性と言われるものではないでしょうか。

子どもを持たない人は、ひとりの人間を育てる仕事ではありません。
専門的な仕事を持ったとしても、自己責任で向き合えばいいだけです。
子どもに対しての責任、自分のことだけを考えればいい責任、その大きさや覚悟には大きな違いがあるはずです。

子どものいない人は、良くも悪しくも自分の生活中心です。
衣食住、すべてにおいて、自分が欲しい物を好きなだけ買えます。
子どもがいると、そういうわけにはいきません。
まずは、子どものこと(もの)、その次に自分のこと、です。
自分以外の人間のことを優先に考える習慣、これが知らず知らずのうちに身についてしまうのかもしれません。

「子をもって知る親の恩」という言葉がありますが、「親の気持ちはこうなんだ」、「親は、こんなふうに自分を育ててくれたんだ」と理解できるのは、子どもを持ってこそ、本当に理解できるものです。
子どもを産んだことのない人は、その言葉を本当の意味で理解できていないように思います。
親の気持ちや、その有り難さは、実際に自分が親になって経験したからこそ、理解できることではないでしょうか。

結婚はしていましたが、子どもに恵まれなかった叔母がいました。(過去形なのは、60代で亡くなったからです。)
肉体的には、出産した人よりも卵巣がんにかかりやすいと聞きます。実際、叔母は卵巣がんで他界しました。

わたしにとっては尊敬できる叔母でしたが、子どもがいる人と比べると、「何か違うな」という気持ちはありました。
以下、「何か違う」という部分について言います。

子どもがいる人は、精神的にも、肉体的にも、常に子ども中心の生活になります。
妊娠、出産してから、少なくても成人するまでの...続きを読む


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