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蒼天航路を読んでいて思ったんですが、体の前でグーの右手を左手で包む(左右は逆かも?)ポーズにはどんなの意味があるんですか?
命令されたときに、「了解!」の意味で使っているときもあれば、気合を入れるために(?)のときもあるような…
臣下の礼にも見えるんですが、顔の高さで両手の指先を重ねたポーズを「臣下の礼」と言ってるシーンもあるから違うのかも
(長阪の時に劉備の後ろで孔明が手だけを前に出してこのポーズを取り、「顔を合わせないままの臣下の礼?」と書いてある)
このポーズは両方とも三国志の絵やマンガでよく見かけるのですが、いつ頃からいつ頃まで使われていたんでしょう?

他にも袖口を体の前で合わせた格好(中国人の絵でよくやっているポーズ)にも何か礼儀作法上の意味があるんでしょうか?

古代礼儀作法(ジェスチャー的なもの)で他に何かあったら教えて下さい。

A 回答 (4件)

拝揖、拝礼、拝拱、揖礼、揖譲、拱手、拱揖


など色々な言い方があるみたいです。どれも両手を胸の前で組み合わせ、
意味や動作がそれぞれ微妙に違っているらしいです。

『拝礼』
 両手を組んで頭をたれ、ついで両手を両脇に戻す。
 君主などの命令を拝受する際に使用される。

『揖礼』
 両手を組み頭を下げる。
 相手に敬意を表す際に使用される。

『拱手』
 吉事には男は左手、女は右手を上にして両手を組む敬礼。
 凶事には手が逆になる。

*間違ってるかも知れません。


両手を前に組む礼の作法は孟子や論語等、
いずれも春秋戦国の書物に書かれているため、
遅くともこの時代にはあったと思われます。
いつ頃までは使われたかは分かりません。


他に九拝という九種類の礼があります。
稽首、頓首、空首、吉拝、凶拝、奇拝、褒拝、粛拝、振動
と言うらしいですが、稽首と頓首が最も重い礼であるという以外は
詳しくは知りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
春秋のときには既にあったんですか。
確かに孔子の肖像画は袖を合わせた格好をしてましたねぇ…(凡ミス)
殷や周も礼はきちんとしていたそうですから、もしかしたらその原型をやっていたかも?
それが三国時代まで残ってたとしたら、すごく長い歴史があることになりますね。

これらの礼は儒教のものなのでしょうか?
だとしたら始皇帝のときに廃止されてそうな気が…
儀式のように仰々しくて金のかかるものではないから放置されてたんですかね?

お礼日時:2005/12/27 23:47

ご質問のポーズは「拱手(きょうしゅ)」と呼ばれる、相手に敬意を表す礼法ですが、関係ありそうな面白いページを見つけました。

2003年の人民日報の論説文で、西洋の握手と拱手を比較したものです。握手はあまり衛生的ではないので、もっと伝統的な拱手を使うべきと主張しています。

http://past.people.com.cn/BIG5/guandian/27/20030 …

これによると、やはり「這一禮節,不知起源于何時。」、いつから始まったのか定かでない、ということのようですね。礼記の例も参照されていて、孔子の時代には既に拱手が一般的に使われていて、当時でさえその意味を知る人はほとんどいなくなっていたことが伺えます。

このような論説が新聞に掲載されるのですから、現代中国では握手が一般的になってきたとはいえ、今でも拱手礼が使われている、ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
現在でも使われてるとは!驚きです。

握手が西洋のモノというのもはじめて知りました。
握手より拱手、ということですが、お辞儀はどう思われてるんでしょう?
お辞儀も相手に敬意を表すもの(握手とはすこし違うかもしれませんが)だと思うのですが…

中国語が読めればもっと色々調べられるんですけどねぇ(^^;

お礼日時:2005/12/30 22:06

再回答です。



>殷や周も礼はきちんとしていたそうですから、もしかしたらその原型をやっていたかも?
おそらくそうだと思います。
周王朝が衰退した春秋戦国時代に統一された礼儀作法が突然出来るとは考えにくいので
周より以前からあったんでしょうね。

>これらの礼は儒教のものなのでしょうか?
儒教が国教化されたのは漢の時代に入ってからなので
春秋戦国時代に儒教の礼儀作法は国政にあまり深くは関与してはいなかったと思います。
ただ、孔子が論語の中で『周王朝の礼が一番』と言っているように、
孔子が体系化した儒教には周のものが多分に含まれています。
そのため、拝礼や揖礼などが周の時代に作られたものであった場合は、
儒教の礼と一致しているのかもしれません。

>だとしたら始皇帝のときに廃止されてそうな気が…
仮にこれらの礼が儒教のものだったとして始皇帝が廃止していたとしても、
必要なものであれば復活すると思います。
実際、諡号という制度は始皇帝によって廃止されましたが、
漢王朝ができたときに復活しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、
周の制度←孔子が尊敬して真似=儒教の元←その後の中国の制度へ
というわけですか。
そうすると武王や周公旦(もしかすると湯王?)はものすごい人ってコトになりますね。
なんせ千年以上続く中国の礼の基礎を作ったことになりますから…

お礼日時:2005/12/29 19:20

いくつかの意味があると聞きます。


私の知っているのそのひとつで、右手をこぶしに、左手で包み込み平を合わせるものです。
これは「五胡四海」といって「われわれは家族である」というような意味だそうです。
また、右手のこぶしを手で覆うことで、「こちらからは手を出しません」という意味をもつとも聞いたことがあります。

ほかに、親指の合わせ方、掌の向きなどによって、さまざまな意味があるとも聞いたことがあります。

袖口を合わせる礼についても何か意味があるのだと思いますが、そちらは知りません。

いずれにしても「という話を聞いたことがある」程度です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
五胡四海…不思議な名前ですね。
他のにもちゃんとした名前があるのでしょうか?
何かちゃんとまとめた本やサイトがあればいいのですが…

お礼日時:2005/12/27 23:33

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