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質問はタイトルのまんまです。
世界史の教科書を読んでいると、キリスト教は戦争ばかりしていませんか?
相手は異教徒だったり、考え方は違えど同じキリスト教徒だったり、ヨーロッパ史の戦争はキリスト教関係ばかりです。

私は幼稚園がキリスト教でした。
小学生の頃は日曜学校にも行っていて、ページェントもやりました。
そこで習ったことはなんとなくですが今でも覚えています。
「右頬を殴られたら左頬を差し出せ」
「たとえ気に入らなくても一生懸命あなたの隣人を愛しなさい」
「求める者には惜しみなく与えよ」
たしかこんなことだったと思います。
先生からはこれらの言葉やイエス・キリストの最期を通して、嫌な相手を憎むのではなく愛して許すことや人を傷つけてはならないということを教えられました。
子供ながらに「イエス様って優しいなぁすごいなぁ」と思ったものです。
神様(いわゆる天の上にいて私達を見守っているもの)はいないと思っている今でも、イエス・キリストのそんな考え方は尊敬しているし、実践できたらいいなと思います。(そんなに心が広くはないのでまだ出来てませんが。)

熱心な信者でもない私がそう思うのに、何故信者の彼らが「隣人を愛する」ことができなかったのでしょう。
「右頬を殴られ」たかどうかは知りませんが、彼らは「左頬を差し出す」どころか虐殺までしてますよね。
信者なら他人を傷つけるのを善しとしないキリストの教えを知らないわけないでしょうに…

どなたか、なるべく分かりやすく回答お願いします。
キリスト教に関してほぼ無知な上にあんまり頭良くないので…

A 回答 (26件中1~10件)

私は、論理的に説明することは出来ないかもしれませんが、同じ質問をしたことがありました。


参考になったのは、金持ちが 神の王国に入るのは、らくだが 針の穴を通るより難しい。という言葉と、種まき人の寓話です。これは、かごから飛び散った種が、どういう風になったかという話ですが、もし読まれることがあったら読んで見てください。簡単に言うと人によっての環境で すべてのひとがよくなるわけではないということを教えています。つまり、欲を持つ人は、天国にいくのは難しいということです。また、すべての信者が、教えの通り生きていくわけではないということ。また、あなたのように心に感じる人がいるように キリストの声は、信者以外にも聞こえるということ。(囲いの中の羊と外の羊についてのキリストの教えは、あなたのような人のことを教えています)つまり、その心=種がよく育つには、よい土が必要だということです。それは、あなたの周りの環境や、あなた自身の強さのことだと思います。そして我々は、知識の木を食べてしまった、アダムとイブの子孫です。だから、物事を難しくすることに情熱と生きがいを感じます。キリストの教えでも、心仰心とは、子供のように純粋に考えることなのです。だから、神のそばにいる天使は、こどもなのです。純粋な心に勝てるものは、ありません。そうなりたいものですね。キリストは、敵を愛することが 好きな人を愛するように出来なければ そこになにの報いがあるのかといいました。神は、悪人でも自分の子である以上、救おうとされているのだから。それができれば、争いはなくなるのでしょうけど。
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No.24 へのお礼:


> 今まで全てのことにはそうなるだけの理由があると思ってきました
> し、理解できないことが嫌いな性質(理系人間とよく言われます)
> だったのでいろいろびっくりしました。

 「理由はありますよ。人間が理解できないだけで」
 というのが、予定説です。

No.24 への補足:
> ただ、キリスト教関係の話(幼稚園のときもそうでしたが)では、
(中略)
> これでは、神とイエスは別物ですよね。

 おっしゃるとおり、イエスと神が別人になってしまうので、三位一
体説に反します。
 これを語った人は、プロテスタントか、もしくはよく分かっていない人なのでしょう。カソリックであれば三位一体説ですから。

> そして、イエスの生まれる前にマリアのもとへ天使がお告げをしに来
> たという話もありますけど、この天使は何者なんですか?

 天使の位置づけは極めて複雑で簡単に解説できません。
 大まかに言えば、聖人というけっこうややこしい概念のグループに属する存在なのですが、文字通り「神の使い」です。第2回バチカン公会議での教会憲章にも神が天使を従えるというマタイ伝の文章が明示的に引用されていることからも、これは確認できます。

> イエス=神ならば、イエスの生まれる前の「天使」は誰の使いでやっ
> てきたんでしょうか。

 神です。神=イエスがマリアにメッセージを伝えることが、なぜ不思議なのですか?

> それと、この予定説はプロテスタントなんですか?

 旧約聖書、新約聖書を聖典とする人々にとっては、予定説は論理的帰結です。
 が、論理的帰結が公会議の結論になるかどうかは別問題ですから、カソリックの予定説は中途半端です。つまり、プロテスタントの一部が予定説派ということです。なぜこう歯切れが悪いかというと、プロテスタントは、ひと括りにできないからです。

 カソリックとプロテスタントの違いは、ローマ法王の解釈権を認めるか認めないかの違いです。
 聖書は、所詮本ですから、読み手の能力やバックグラウンドや信仰心などによって受け取る意味が変わりますが、その解釈をローマ法王に委ねる(公会議の結論に従うということです)のがカソリックです。最初から法王が居たわけではありませんから、法王というより最高指導者と呼ぶべきかもしれませんがいずれにせよ簡単に言えばその意味でキリスト教にはもともとはカソリックしかありませんでした。その後、宗教改革でルターやカルヴァンが法王の解釈にプロテスト(抵抗)したので、彼らはプロテスタントと呼ばれました。
 ちなみにグーテンベルク以前は、解釈以前に部外者は聖書をなかなか読めませんでしたし、ルターやカルヴァンたちが成功するまでは、カソリック内部で意見の対立があったときには公会議などで白黒が付けられ、敗れた方は破門されたり殺されたりしました。
 例えば、昔々聖徳太子の頃にシナに来ていた景教は、ネストリウス派という、公会議で異端とされたキリスト教一派です。教会から逃れるためにそこまで来ていたわけですね。

 で、ルターやカルヴァンの宗教改革以後、プロテストする人々を潰しきれなくなったとは言え、カソリックは教会という確固たる組織を持っていました。ですから、未だに組織を維持し続けています。
 他方、プロテスタントは法王による唯一の解釈権を認めない人々ですから、当然カルヴァンのような指導者から末端に至るまで、誰でも「オレはこう解釈する」と叫べば一派ができてしまいます。その結果、最初はリーダーに率いられていた集団も、四分五裂していきます。今この瞬間にもプロテスタントは新たな流派を生んでいると思って間違いありません。自分をプロテスタントと思わないプロテスタントもいるくらいです。なので、カソリックは公会議の内容を見ることで政策や方針を把握することができますが、プロテスタントをひと括りに把握することは不可能なのです。
 この辺の事情は、仏教における根本分裂と似ていて、要するに開祖の教えに対する解釈の問題で必ず後継者はもめるということですね。

 なので、ある意味私の解説も、一派のプロテスタントという形で理解することができます。私は信者ではないので、正確には違いますが。

> カルヴァンって革命の中心だったプロテスタントのカルバンのこ
> とですよね。(確か免罪符の発行にキレて革命したんでしたっけ)
> 予定説と「稼ぐのは良いこと」の方針はぜんぜん結びつかないん
> ですが(汗)

 天職という概念が、両者を結ぶのです。
 どうすれば救われるのかを人が知ることはできませんが、救われる人がどういう人であるかは、想像できます。恐らく熱心なキリスト教徒でしょう。つまり、救われために信仰するという方法論的信心ではなく、盲目的に信じることで「自分は救われるグループにきっと属するのだろう」という気持ちになれるということです。
 私には不可能な境地ですが、メカニズムは理解できます。

 この考えは、信仰だけでなく職業にも敷衍されます。「自分の信仰がキリスト教なのは、神の予定によるものである。自分が(例えば)大工なのも、神の予定である」と思えば、大工の仕事をおろそかにはできません。熱心に働くようになります。
 ちなみに、宗教改革以前の社会では、エデンの園からの追放時に「額に汗して働け」と言われたくらいで、働くことは懲罰的なことでした。熱心に働くという動機が、そもそも存在しなかったのです。予定説によって「熱心に働く」という動機が生じたということです。
 働くことの結果評価が収入ですから、「稼ぐのは良いこと」となります。
 実の所、もうちょっと複雑なのですが、詳細は参考文献を当たってください。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003420 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。遅れてしまって本当に申し訳ありませんでした。
ちょっと(かなり?)本来の質問からズレてしまいましたが答えて頂いてありがとうございました。

予定説や新約・旧約聖書やユダヤ教などに関しても勉強しなければこの質問(なぜキリスト教徒が戦争をしたのか)の答えは出せないようですね。
皆様に教えて頂いた本も読んだ上で、もう一度よく考えてみます。
ありがとうポイントは参考文献を読んだ上で決めたいと思いますので、まだ質問の締め切りはできませんが、一応ここで終わりということにしたいと思います。(私自身忙しくなるので、またお礼が遅くなってしまうと思いますし)
皆様本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/04/03 05:07

> 予定説のおおまかなことはなんとなく分かりましたが、それなら


> イエスが「他人を愛せ」と説いたのは何故なのでしょうか。

 これに答えるには、2つの方向性があります。

 一つは予定説および三位一体説に基づいて、「そう説くのが神の意思だから」です。三位一体説においては神=イエスなので、イエスの言葉は神の言葉です。何か考えがあってのことでしょうが、人間には理解不能と思いましょう。あなたは「それなら」と接続していますが、これは「命令は守られるべきだ」という前提を置いていることを意味します。が、そんな人間のロジックのルールを神が守るかどうかは、まさに神のみぞ知る。何故かを理解することなど、できると思う方が間違っています。
 信者にできることは、言われた通り命令を守ることだけです。それが「信じる」という行為なのですから。

 もう一つは、聖書編纂の経緯から見た編集者の意図に基づいて、イエスがそう説いたとすることが、信者の獲得維持、ひいては教会の権威の獲得維持に有効だという考え方です。
 先の参考文献にもある話ですが、4世紀末の公会議で認められた聖書セットで、ほぼ今のものと同じ形ができています。そして、その選から漏れた福音書などは、ほぼ全て燃やされました。死海文書のような形で隠匿されたものはあったでしょうが。
 そして、焚書をするような連中が、選に残った文書を改竄することを躊躇すると考えるのは、ナイーブに過ぎると言えますね。
 ただ、例えば創世記などを読むと、創世記の中だけで自己矛盾しているヘンな文書ですから、編集作業がそうとう混乱していて検討も不十分な代物だったと考えるべきでしょう。そんなものでも公会議で「コレだ!」なんて通しちゃったものだから、おおっぴらには修正もできなくなってしまったわけです。こっそり修正されてはいますが。

 要するに、聖書を神の言葉と考えるなら、理解しようとすることが誤りとなりますし、人の作った本だと考えるなら、そうとうろくでもない出来の悪いアンソロジーだとなります。
 特に、後者の立場に立てば、そんなものが2千年残っていることから、初期の教会の権威権力の凄まじさと、そんな伝統でも続いてしまえば勝ち、という教訓が読み取れます。
 以下は、煩雑になりますから、あなたの疑問に対しては予定説の立場からの説明を簡単に述べることにします。

> 人の努力が無駄(嫌な言い方ですが)ならば、他人を愛すよう努
> 力する意味もないんじゃないですか?

 「努力する」のは人が自由意志で行なうのではありません。その前提を置いているようですが、そこが誤りです。人の意思は、余裕で神の予定表に載っています。
 なお、「意味」は、人の範疇で考えても無駄です。神の思考を人が理解することはできません。

> 隣人がもともと他人に嫌われる運命ならば、愛する努力も無駄にな
> り、結局「隣人を愛して許す」ことができない…という矛盾が起き
> てしまう気がするのですが。「愛して許せ」の教えより「神の運命」
> の方が強いからそれは仕方ない、ということなのでしょうか。

 あなたは最終目的に「誰かが隣人を愛して許す」ことを置いていますが、これは視野を地上にしか置いていない考え方です。キリスト教の視野では、人間同士が何を考えようが思おうが許そうが許すまいがそれはどうでも良くて、最後の審判を受けて救済されるか地獄行きになるかが本当に重要な人間の最終状態です。
 そして、その途中の人生において、何がどうあるかということが、最後の審判にどう影響するかを、人は知ることができません。
 誤解してはならない点として「イエスの言う通りにしたから救済される」ということは、全く無いという点があります。「言う通りにする」という人間の行動が神の判断を動かせると思うのは、既に述べた通りとんでもない冒涜です。

 要するに、ここでのあなたの論点は、キリスト教としてはどうでもいいとしている所だということです。言い換えれば、部分的にしか見ていないので、矛盾するように見えても、それはそんな見方をする方が悪いということになるのです。

> それにイエスの最期は自らの十字架をもって人々の罪を贖おうとす
> るものでしたが、人々が「救われない運命」だったら…無駄死にじゃ
> ないですか。

 「人々」とは、誰のことですか? 人類全員ですか?
 つまり、「だったら」が成立せず、この疑問文の中に自己矛盾がありますから、答える以前です。
 なお、「罪を贖う」って、何をすることでしょう? なぜ人の罪をイエスが贖えるのですか? 子供が割った花瓶の代金を代わりに親が弁償するという話とはわけが違います。イエスの死が何なのか、やはり人は理解できないのです。

> 神の考えは人には分からないなら、イエスにも分かってなかったハ
> ズ。
(中略)
> イエスは
(中略)
>「自分の努力で救おうとする」という冒涜だとは思わなかっ
> たのでしょうか。

 三位一体説によれば、イエス=神です。
 従って、イエスに対する「何故」に理解可能な回答を求めることが、間違っています。

> 今までの私にはなかった考えなので的外れなことを聞いてるかもし
> れません。

 上記の通り、けっこうそういう問いになっていますね。
 別にあなたが特に理解が足りないというわけではなく、予定説とはそれほど分かりにくいし理解しにくい説だということです。仏教的因果関係の方が根付いている日本人には特に。

> 冒涜だと思ったらごめんなさい。

 もしかしたら私をキリスト教徒と思っているのかもしれませんが、それは違います。
 私が「冒涜」という言葉を使うのは、キリスト教徒本来の立場からしたら、そういう評価になる、というだけの話で、それ以上の意味はありません。

この回答への補足

イエスの死により人々を救う…のところですが、私も良く分かってません。
ただ、キリスト教関係の話(幼稚園のときもそうでしたが)では、イエスは甘んじて死を受け入れて、処刑に賛成したりイエスを陥れようとした人達を許し、そして自分が苦しむことでその人達の罪が少しでも軽くなるようにと神に頼んだ(?)ということだったと思います。これでは、神とイエスは別物ですよね。
そして、イエスの生まれる前にマリアのもとへ天使がお告げをしに来たという話もありますけど、この天使は何者なんですか?
イエス=神ならば、イエスの生まれる前の「天使」は誰の使いでやってきたんでしょうか。
それと、この予定説はプロテスタントなんですか?
カルヴァンって革命の中心だったプロテスタントのカルバンのことですよね。(確か免罪符の発行にキレて革命したんでしたっけ)
予定説と「稼ぐのは良いこと」の方針はぜんぜん結びつかないんですが(汗)

補足日時:2006/02/23 22:06
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。やっぱむつかしいですね…予定説。
予定説に理由を求めること自体ナンセンスみたいに思えてきました。(実際そうなのかもしれませんが)
今まで全てのことにはそうなるだけの理由があると思ってきましたし、理解できないことが嫌いな性質(理系人間とよく言われます)だったのでいろいろびっくりしました。

お礼日時:2006/02/23 22:03

> つまり「愛」も宿命に依存するもので、「愛」と「宿命」では


> 後者の方が優位にある、と捉えることができます。

 有意も劣位もありません。ヒトが何を思おうと考えようと、それは神の予定の内だというのが予定説です。従って、この「捉え」は、誤りです。

> でも、愛を持って行動するというのは主観的というか、内力
> 的なものですよね。そこにギャップが生まれていませんか?

 主観だろうが何だろうがそれも神の予定の内なのですから、ギャップなどありません。

 実の所、この程度の反論はかつていくらも出てきており、それだけ予定説というものは勘違いされやすい上にたいていの人には理解しづらい代物なわけです。
 かように勝手に誤った解釈に走っていしまいがちなものですから、カルヴァンのような天才的な指導者がいないと、予定説を支持する人が減ってしまうわけです。

> この文章はもう、無視してくださって全然構いませんので。

 本当にそう思っているのなら、最初から何も書くわけはありませんね。嘘は止めましょう。
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戦争とキリスト教については2001年以降よく考えます。

妻はカトリック信者で日本ではカトリック教会、海外では日本人プロテスタントの教会に通っていました。アメリカ大統領ブッシュは自らクリスチャンと名乗っています。プロテスタントでは信者といわずクリスチャンと名乗っています。この意味は「小さなキリスト」であるというと牧師が言っていました。ブッシュの行動は小さなキリストとはほど遠い罪を犯し続けています。右のほほを殴られそうになったら(イラクが核を持つ可能性があるから)、左のほほを先に殴る(先制攻撃は正当である。)という理論です。カトリックでは明確に戦争は罪であるといっています。プロテスタント風にいえば旧約聖書では戦争が正当化されているのですべての戦争は罪ではないとのことです。イエスの教えは信ずるに値するものですが、クリスチャンと名乗っている人たちや牧師は無視していいのではないでしょうか。牧師といっても妻や子供もいて家や車も持っています。信者を増やして自分の収入も増やすことがほとんどの牧師の夢であることを見透かしてしました。献金もプロテスタントでは聖書に基づいて収入の1割といっていますが、実際に1割もしている「小さなキリスト」をまだみたことがありません。カトリック教会では1000円程度と書いてありましたので、こちらの方が現実に即しているような気がしました。現在は海外にいるため日本人のカトリック教会がないためどの教会への行っていませんが、「小さなキリスト」や牧師の教えは所詮「小さな人間」にすぎないので視野に入れないようにして祈っています。キリストはお互いを愛するように述べ、あらそうなと明確にいっています。聖書に忠実であるはずの「小さなキリスト」たちはなぜことことを無視するのは未だに理解できません。
しかし、キリストの教えはこの「小さな人間」に時に大きな力を与え、奇跡といわれる偉業をなさせてくれます。このことだけでも信じてもいいのではないでしょうか。回答にはなっていないかもしれませんが、「小さな人間」をみないで、「偉大なるキリスト」の言葉をみることが重要だと思います。

この回答への補足

確かプロテスタントは「働き稼ぐことも神に認められているんだ」ということで商人たちの支持を集めて強大化して、その商人たちのおかげで国が栄えていった…と習った気がします。
プロテスタント風に言うと戦争が正当化されている、ということは、「戦争」が「働き稼ぐこと」の延長とみなされているということなんでしょうか?
それとプロテスタントとカトリックについて疑問があります。
「稼ぐことはいいこと」と言ってプロテスタントが支持を集めたってことは、それまでのカトリックは「稼ぐことは悪いこと」と言ってたということですよね。
どちらもキリスト教徒なら、聖書やイエスの言葉こそが信じるべきことのはず。なぜ両者の意見に矛盾が生じたんですか?
聖書に書いてないことを教えても、いずれはバレて怒られる(というか殺される)だろうからそんな嘘を教える人はいないと思うのですが…。
これも政治や権力が絡んで捻じ曲げられたとかなんですか?

補足日時:2006/02/23 21:25
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼遅れて申し訳ありません。
プロテスタントとカトリックって色々違うんですね…
世界史で一回やったようなやってないような(汗

お礼日時:2006/02/20 22:20

全然回答になりませんが…。


私の行ってる教会の外国人の牧師さんは、キリスト関連の争いは本当にイエス様を信仰してるのではなく、人間が勝手に作り出した宗教的な考えであって、本当の神様は、そんな争いを望んでいない…と言っていました。

神様を信じる気持ちが間違ったほうにいってしまっているんだと思います。宗教が国に利用されて操られてるのかも…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼遅くなって申し訳ありません。
その牧師さんみたいな人ばかりで権力者が圧力をかけたりしてなかったら、ヨーロッパ史ももっと覚えやすいと思うのですが(笑

お礼日時:2006/02/20 20:58

回答ではありませんが、論争を起こそうとしている訳でもありませんので、少しだけ僕の意見を挟ませてもらって良いでしょうか。


#19さんによると、{キリスト教が求めるものは一般に「愛」だと受け止められているが、その本質は「客観的・外力的な、いわゆる宿命論」にある、と捕らえるべきである。}ということですよね。その客観的・外力的は人間にはどうする事もできず、それを定めた存在そのものを「神」としよう、ということだと。つまり「愛」も宿命に依存するもので、「愛」と「宿命」では後者の方が優位にある、と捉えることができます。でも、愛を持って行動するというのは主観的というか、内力的なものですよね。そこにギャップが生まれていませんか?それと、質問者様の「戦争は人を傷つけることなのにどうして何度も行ったのか」という問いですが、僕も質問者様と同意見です。そもそも「戦争」とは「目的」なしには生まれないものだし、その「目的」は「力主義」なしには生まれ得ません。従って、「戦争を行う」という行為は、本来「博愛主義」の中には存在しないもので、たとえ人間が完璧な「愛」のみを持ち得なくとも、「力主義」の誘惑に負けて一瞬でも信条を曲げた事に変わりはないのだと言えますよね。「外力的なものが神」というのは、見方を変えればそれらの言い訳とも取ることができるのではないでしょうか。何だか、#19さんを批判するような文章になってしまってすみません。この文章はもう、無視してくださって全然構いませんので。
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> そりゃ聖書と違うことを教えられれば宗教改革も起きますね。



 非常にシンプルに書いてしまったので、誤解を生じたようです。

> イエスの本当の言葉を知らないまま戦争に加担してしまった信者
> が可哀想です。

 ここで誤解と分かるのですが、イエスの本当の言葉とは、「嫌な相手を憎むのではなく愛して許すことや人を傷つけてはならない」ということではありません。そういう側面はあるにしろ、ある意味余禄です。
 「人の運命がどうなるかは神が既に決めていて、そこに人の努力の余地は無い。どういう基準で決めたのか、人には理解できない。そもそも基準だけでなく、神が何を考えているのかなど、人には理解できない」というものが、イエスのメッセージの本質です。
 これを予定説と呼びます。
 人間が努力したら救われる、と考えることは、人間の行動で神の決定を覆せると考えることですから、とんでもない冒涜です。喩えて言えば、良い子にしていることで親から御褒美を貰う小ざかしい子供のようなものです。この親は子供に操られているわけですが、努力云々と考える人は、人が神をそのように操れると思っているわけで、自分を神より上位に置いているということなので、冒涜なのです。

 だから、聖書を読み倒したカルヴァンやそのグループの思想は、予定説に傾倒しています。

 もっとも、聖書をちゃんと読まないとか読んでもちゃんと考えない人々は、たとえ信者でも「自分の感覚にあわない」などの理由でこれを無視するので、今ではあまり主流派とは言えません。とは言え、聖書自体は変わっていないので、聖書の本質が予定説であることは変わりません。
 実の所、「自分の感覚」で聖書の内容を取捨選択するのは、これまた自分の感性を神より上位に置いているわけで、やはりとんでもない冒涜なのですが、それに気づけない信者も大勢います。嘘を吹き込まれないように、気をつけましょう。

この回答への補足

お礼に書いた通り、予定説や聖書のことに関しては全くの無知です。
本来はちゃんと勉強してから質問すべきかもしれませんが、時間がないので再度質問させて頂きます。
予定説のおおまかなことはなんとなく分かりましたが、それならイエスが「他人を愛せ」と説いたのは何故なのでしょうか。
人の努力が無駄(嫌な言い方ですが)ならば、他人を愛すよう努力する意味もないんじゃないですか?
隣人がもともと他人に嫌われる運命ならば、愛する努力も無駄になり、結局「隣人を愛して許す」ことができない…という矛盾が起きてしまう気がするのですが。
「愛して許せ」の教えより「神の運命」の方が強いからそれは仕方ない、ということなのでしょうか。
それにイエスの最期は自らの十字架をもって人々の罪を贖おうとするものでしたが、人々が「救われない運命」だったら…無駄死にじゃないですか。
神の考えは人には分からないなら、イエスにも分かってなかったハズ。なら何故イエスは甘んじて死を受け入れたんでしょう。もしかしたら自分の死など意味がないかもしれないのに。
いや、そもそも自分がこうして人々に教えを説くこと自体が無意味かもしれない…とイエスは考えなかったのでしょうか。自分が教えを広めることで人々が考えを改め、善い方向へ進めばいい…ということも「自分の努力で救おうとする」という冒涜だとは思わなかったのでしょうか。
予定説自体初めて聞いた言葉でしたし、今までの私にはなかった考えなので的外れなことを聞いてるかもしれません。冒涜だと思ったらごめんなさい。

補足日時:2006/02/20 20:48
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この回答へのお礼

あわわ…誤解してたとわ!!指摘ありがとうございます。
予定説って言葉自体初めて聞きました。そんな考え方があるんですね。
聖書は幼稚園の頃にわかりやすく話してもらった程度なので…ホント私が知ってるのは質問の所に書いたこと位なんですよ(恥

お礼日時:2006/02/20 20:30

A No.10です。


キリスト教を理解するためには、その元にあるユダヤ教と、そしてキリスト教やユダヤ教と同一の神をもつイスラム教の3つを同時に理解することが必要だと思います。そしてそれには小室直樹著の「日本人のためのイスラム原論」をお読みになるのが隅々まで理解できる最善最速の方法だと思います。これは私自身が実際に経験した(この本を読んで、今まで不思議であったりよく分からなかったことが本当によく理解できたと思った)ことですので、繰り返しになりますが、もう一度お伝えしたくて書きました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼遅くなって申し訳ありません。
…まだ買ってません小遣い少なくて(TmT)
なるべく早く買うようにします…

お礼日時:2006/02/20 20:25

キリストの教えはあなたの言う通りなんですがなかなか教え通り行えません。



十字軍の事に関してはキングオブヘブンを見て頂くと理解できると思います

参考URL:http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/KINGD …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼遅れて申し訳ありません。
歴史モノの映画ですね。(昔キング・アーサーは見ました。)
今度探してみます。

お礼日時:2006/02/14 06:40

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