
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
う~ん・・・ 私はかぶっているような気がしますねぇ。
至上の喜びだと和英の辞書に出てきましたが、
至福の喜びでは出てきませんでした。
(広辞苑の電子辞書には両方とも出てきませんでした。)
至福のばか、とか、至福の園、とかは和英の辞書に出てきました。
「至福」を広辞苑で引くと「この上ない幸福」です。形容詞ではなくて名詞ですよね。「この上ない幸福」の「喜び」というのはつながり方が変だという気がします。
「この上なく幸福な喜び」としても、やっぱり日本語的には変ですよね。幸福な喜びという日本語は存在しないと思います。
ということで、私は「至福の喜び」はやっぱりかぶっている気がします。「至上の喜び」というのが正しいのでは?
(しかし、自分が今までに「至福の喜び」という言葉を使っていなかったかと問いかけてみると、自信がありません。間違って使っていた可能性は大です。)
どうもありがとうございます。そうなんですよね、言葉としては何気なく使っていたと思います。でも文章にしたときには何だか気になってしまうのです。中学・高校のころなら国語の勉強をしていたのでもっときちんと考えられたと思うのですが、今ではどんなに調べてもそうではないかな?とあいまいな答えしかでなかったので質問してみました。
たぶん気にしなければいいことなのかもしれないのですが、回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
「至福」という言葉は、元々日本語にあったものか、または漢語でもあったものかも知れませんが、個人的な経験というか、言葉についての感じでは、これはキリスト教に非常に関連した言葉だと思えます。特に「至福の喜び」というようなのは、これはキリスト教的な文脈・考えのなかで出てきている表現で、それが一般化したのではないかとも思います。
至福とは、「最高の幸福」のことですが、カトリックの中世の偉大な神学者で、カトリックの聖人である、聖トマス・アクィナスは、人間としての最終的な幸福、最高の理想状態は、神との完全な和解(神に許され受け入れられること)で、この時、人間の魂は、神と直接、顔と顔を合わせて対面し、神の聖なる無限の御心を知り、神と完全な霊的交わりを行うとされます。この状態を「至福直観」とカトリックの用語で呼びます(日本語訳ですが。原語はラテン語です)。神をこのように前にする(直接に観じる)ことが、至福であるからです。
あるいは、Millenium というのは、「千年期」という意味ですが、辞書を引かれると分かるように、これは「至福千年」という訳語もあり、この場合、キリスト教用語です。これは、最後の審判の前に、キリストが地上に再臨して、千年のあいだ地上を直接統治し、至福の時代が訪れるので、この千年間のことを、ミレニアム(至福千年)と呼ぶのです。
「至福」というのは、最高の幸福とか、至上の幸福という意味だけでなく、キリスト教における、神との完全な和解=救済、永遠の楽園の回復の意味が実はあり、「完全な救済の喜び」「永遠の楽園の喜び」というような意味が、内含されいるのだと思います。
普通の日本語と考えると、「幸福の喜び」は、何か「馬から落ちて落馬」のような同義反復の印象を与えますが、「至福」には、単なる「最高の喜び」以外に、霊的/宗教的な救済・永遠の楽園・死や悩みの克服など、キリスト教で初めて了解できるような、独特の「幸福」の意味があると知ると、何故、「至福の喜び」というような表現があるのかも了解できるのではないでしょう。
細かい説明どうもありがとうございました。単純に言葉としてだけではなく、意味まで考えればおかしくないわけですね。どういう意味合いで使用するかによって使い分けないといけないですね。ボクが使うときはそこまでの気持ちではないのでなるべく使うのを控えようと思います。
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