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家の敷地内に浅間様があります。
大きさは高さ3m、横5mくらいの小さな山です。
入り口には鳥居があり、頂上には小さな神社のようなものもあります。
山にも何合目と記した石や、富士山の石(といわれている)、先祖を祀った石碑(?)もあります。

浅間様については、
木花咲耶姫
富士山の代わり
ということは知っていますが、それ以上のことはわかりません(自分で調べました)。
ご存知の方いましたら教えてください。

また、江戸、明治、大正のころは家はとても裕福であったと言われていますが、本当なのでしょうか?

確かに、現在でも浅間様はありますし、敷地は他の家よりも広いです(近くの一番広いところよりも、何倍も広い)。
浅間様にある先祖の石碑には明治21年没のようなことが書いてありました。
蔵も二つありますし、敷地以外にも田畑もあります。

A 回答 (4件)

ご先祖様は浅間信仰をしていたのではないでしょうか?


幕末から明治の初め頃、富士山への信仰が盛んになり、富士講などが多く行われていたので、敷地内に浅間神社を奉ったのではないでしょうか。富士塚と呼ばれる富士山を模した山を築いたりします。
敷地内に神社を奉ってあるのでしたら、裕福です。

浅間様は山宮浅間神社から始まったとされています、御祭神は木花佐久夜毘賣と浅間大神で、神殿を持たず、富士山を直接祀るという奈良県の大神神社のような古代祭祀の形態を残しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
浅間様についての知識を深めることができました。

敷地に神社があれば裕福なのですね。
親戚の家にもあるので、そこそこ多くの家にあるのだと思いました。

お礼日時:2006/02/10 21:24

↓ごめんなさい。

スレを間違えたようです。m(__)m
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人間元をたどれば猿、アダムとイブ。


家系をたどれば、皆先祖は中大兄皇子。
と言っても分かんないだろな。
彼氏ともども頑張れ、としか言いようはありません。
穏便にね。ご成功お祈りします。
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立派なお屋敷でしょうね。


江戸時代に富士信仰が流行り皆こぞって富士登山をしました。
登山にいけない裕福な人は庭に富士の溶岩で小高い山を造り、
鳥居と神社で富士山にみたて信仰したそうです。
蔵もあることから庄屋さんだったのかな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
家の親は、昔は地主だったと言ってました。
武家だとも言ってましたが真相は不明です。

不明なことが多いですが、親はプライドが高くある程度の家柄の人とではないと結婚は許さないと言っていて困ってます。

お礼日時:2006/02/10 21:27

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