
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
武士は起床後先ず頭の手入れ、髪を結い直す習慣です。
家来がおればその助けを、妻女がおれば妻が手助けします。
専門の職人の出張を得ることもあったでしょう。
一般庶民は同様に手助けがいなければ、髪結い床という現在の床屋のような職業の所で手入れしました。
髪結い床は一種の社交場の役目も兼ね、時間待ちに碁、将棋、世間話に興ずる所でもあり、落語などによく登場します。
湯屋も風呂あがりに頭の手入れをする客があり、湯女や専門の髪結いが出勤することもあったようです。
以上は江戸の状態ですが、地方も大体このようなものだったようです。
ありがとうございます。
朝は妻女も大変だったのですね。
朝餉ももちろん無電化ですから忙しかったでしょうに。
町民はずぼらな人もきっといたんでしょうね。
私なんか毎朝の髭剃りが面倒でしょうがないです。
当時は頭が禿げてくる事は面倒が減ってうれしい事だったのかもしれませんね。(笑)
No.2
- 回答日時:
こんばんは
江戸時代の髪結床は、江戸初期は永楽銭一文で結ったため「一銭剃」「一銭職(いっせんじょく)」とも呼ばれたそうです。
のち、幕府から営業権を認められ、天保期の記録では48組946戸、とあるそうです。
髪結床の種類(江戸)
出床(でどこ) 町の境界、空き地などに間口6尺、奥行き9尺を標準とする(小規模)店を構える。
内床(うちどこ) 町内にやや大きな規模の店を構え、親方、下職、剃出(すりだし=弟子)と、職制があった。
回り髪結 鬢盥をもって得意先を回る(縄張りとして営業権を独占)
髪結賃 28文 回り髪結は月ぎめで、月15度結(2日おき)で400文、6度結で148文だったそうです。
身分の高い武士は、毎日剃ったでしょうが、中下級武士や庶民は出床、内床、回り髪結を利用したのではないでしょうか。
ちなみに、髪結床は営業権を保証される代わりに、駆付といって南北町奉行所出火の際には、鑑札をもって駆けつけ、御用書類の搬出する義務を負っていたそうです。
また、髪結床の店・帳場・株札(営業権)はセットで売買され、天保期で2~300両から1000両と、きわめて高額だったようです。(営業権は独占保障されわけですから、かなり儲かったんでしょうね。「髪結いの亭主」(発祥は明治とのこと)という言葉も生まれるくらいですから)
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