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武士の発祥建前は天皇の親衛隊ですが
実際は地方武装集団がおおかたであるとおもいます。
この意味で実際に古くから天皇家につかえる家柄であるといえる大名家はどのくらいあるのでしょうか?

A 回答 (7件)

鎌倉以来の家系で、比較的有名な大名は


1. 薩摩の島津家
 初代は島津忠久(1179-1227)、源頼朝の庶子と称しているが、本当は近衛家の家司とも言われる。 いずれにせよ、幕府より島津荘総地頭、薩摩・大隅・日向守護職を任じられているので、古い家柄は間違いない。

2. 喜連川家
 徳川幕府から、石高は5千石ながら、10万石の待遇を受けたので、一応大名の仲間として数えると、室町幕府を開いた足利将軍家の末裔。 足利家は八幡太郎義家の3男源義国を祖とする家柄です。 因みに足利尊氏のライバルの新田義貞は義家の次男義親を祖とし、徳川氏に系図を貸した家柄ながら、子孫の岩松氏は家康の怒りを買い、20石(後に120石)の微禄の旗本に留められてますから、回答からは除外。

3. 南部氏
 東北の大名だが、武田信玄と同じく新羅三郎義光を祖先とする。 鎌倉幕府の御家人であった。

4. 細川家
 源満仲の三男の源頼信を祖とする河内源氏の子孫、室町幕府の有力大名として勢力があったが、衰え、織田信長に仕えた傍流の細川藤孝により、家運を盛り返した。

5. 上杉家
 藤原氏の庶流で公家の家柄だが、宮将軍宗尊親王に従って鎌倉に行き、足利氏と姻戚関係を結んで守護大名となった。 有名な上杉謙信は上杉家の憲政の養子になって、上杉家を継いだ。

ご質問者の由緒正しき大名というのは、鎌倉時代から氏素性がはっきりしている大名ということになりますが、系図が書き換えられることも多く、諸大名は数多くいますが、当てはまる大名はなかなかいません。
将軍家の徳川氏も新田家の子孫と称していますが、怪しいもので織田信長も平氏と言っていても、これもはっきりしません。
下克上を生き抜いた大名は少ないようです。
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大名として数家に分かれた京極氏、及び同じ近江佐々木氏の系統に属する朽木氏は、鎌倉以来の由緒ある家柄です。



奥羽の伊達氏、江戸初期に取り潰された最上氏も、鎌倉以来の家柄と言って良いでしょう。

大名ではないですが、鎌倉時代の初期に栄えた三浦氏は、相模国の豪族として長らく存続し、江戸時代には紀伊家の重臣になっていたようです。

江戸時代では、名門であるが故に禄を得ていた高家を除くと、「由緒ある大名家」としては、

* 鎌倉以来の家柄である薩摩島津家
* 関東管領の家柄である米沢上杉家

が代表格だったようです。上杉家は、石高は15万石でしかありませんが、数十万石の大名と同じ格式を保っていました。

熊本の細川家は、管領の細川氏の流れとはいってもかなりの傍系であり、特に名門扱いはされていなかったように思えます。
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ほかには、足利出の今川、斯波などがありますね。

さらに斯波から分かれた最上など、やはり戦国期には将軍家である足利の流れを汲む源氏が増えている傾向があると思います。

戦国といっても、無秩序な戦が行われていたわけではなくて、大義名分が必要でした。長尾上杉家の関東管領就任、伊勢家の北条名乗り、今川、織田など多くの大名が使った「将軍家のために上洛」などなど・・・
その大義名分の一つに「自分は~の出自である。よって先祖が納めていた~を奪い返すため」というのが良くあります・・・
劉備が漢王朝の劉氏の子孫であると言っていたのは非常に有名ですが(本当かどうかはさておくとして)、戦国というのはそういった「小劉備」とでも言うような家が結構現れた世界だったのです。
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#4さんが紹介された毛利氏は、鎌倉幕府の別当を務めた、大江広元(おおえのひろもと)の4男毛利季光を祖としてますから、確かに由緒はありますね。


大江広元の大江は苗字ではなく姓(かばね)ですから、「おおえ の ひろもと」と「の」が入ります。
大江氏は宝治合戦で、この毛利季光が妻の縁に連なる三浦氏に協力したため滅ぼされ、季光の4男経光の家系だけが生き延び、子孫に毛利元就を出すことになります。
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どの辺からを古いとするかによりますが、例えば毛利家などは鎌倉から続く家柄ですね。

他の大名は家系図を買ったり(藤原惺窩あたりが作ってあげたりしたというのを読んだ気がしますが、違ったかな)してでっち上げましたが、毛利家は確かな家系です。
戦国の下克上で古くからの家は生き残れなかったところが多いですけどね。
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 質問者さんが意図するような武家は、桓武平氏や清和源氏、藤原氏の流れを組む家柄を指すかと思います。

鎌倉時代以降に取り立てられた武士などは、含まないでしょう。
 とはいえ、昔はそれほど正確な家系図があったわけではないので、本当のところは判りません。あの徳川家だって、源氏の家系を「買い取った」とされています。
 実際、源氏や藤原氏の系統はかなり多いようですが、そのすべてが正しいかどうかは判りません。田村家のように藤原の流れといいつつ、平家を名乗ったりする処もありましたからね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
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どれくらいかとはっきりはいえませんが、かなりの数があると思います。



実は、武家で一番多いのは地方武装集団ではなく、平安~鎌倉あたりで日本中に広まった守護などがどんどん分家を作って増えたものです。
そのため、実質的にいわゆる「成り上がり」の武家は相当少なく、戦国期にあらわれた新興勢力以外は、家系を上っていくと相当数が由緒ある家柄にたどり着きます(本当かどうか少々怪しい家もありますが)。

まず、多いのは源氏にたどることができる家ですね。武田、足利、佐々、佐々木、六角などなど・・・結構な数が源氏の流れを汲んでいます。
次に多いのが藤原氏です。こちらはそれほど高位の家が少ないのが特徴ですが、こちらも結構な数があります。この藤原氏は平安の藤原摂関家の流れを汲んでいます。
そして平家ですね。これは熊谷といった、鎌倉時代の御家人の流れを汲む家柄が、多くここから出ています。
ほかには公家から入った大江氏などもあります。

実際のところ新興勢力であっても家をたどると上記の家にもどる場合が多く、有名な物だと出自がいまひとつはっきりしない後北条家など、本当にわずかです。
また、出自がいま一つ不明な家でも家紋が藤原氏に似ている場合が多分に多いという特徴もあります。
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