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全てには理由があり必然…という考えを追っているうちに
「他の動物達とかはどうなんだろう、偶然だぁなんて思ったりするのかな?」という疑問が出てきました。
人間よりも事象について「自然」と受け止めそうな気がしますが…?
となるなら「偶然」とは人間の為の人間解釈ではないでしょうか?
ゆえに人間が発見・発明した?と思ってしまったのですが。
皆さんの意見を聞かせていただけませんか?
宜しくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

非常に面白い、素晴らしい観点からのご質問だと思います。


実は私も色々な分野を通して「偶然」と「必然」について学びました。
そして結論は「偶然は存在しない」でした。

この世の中(宇宙全体)は、おそらく共通の「自然の法則」によって営まれているのだと思います。
共通の法則が存在するので上手くお互いが生かされ生かしあって動いていけるのだと思います。

これは人間だけでなく、動物にも、植物にも、四季にも、潮の干潮にも、果ては宇宙の惑星にも、恒星にも、全て共通の自然法則が働いているのだと思います。
だから極小から極大まで途切れる事無く自然がつながっているのだと思います。

法則が働くということは、常に何かが起こるためにはそれなりの原因があるということです。
そうでなければ、自然の中のある部分に他と関われない断絶が起こることになります。

「偶然」ということはありえないのです。
もし、「偶然」という法則からはみ出たことが起こるとするならば、法則全体が崩れてしまい、この宇宙全体が支離滅裂の全く予測のつかない狂った世界になってしまうでしょう。

すべての物事には原因がある・・・これを仏教では「因果応報」といっていますよね。

そうすると「偶然」という言葉は「必然」の原因が理解できない時に人が作り出した言葉でしょうね。

質問者様のおっしゃるように自然の摂理にそって生きている動物たちは「偶然」も「必然」も意識しない「自然の摂理」の中で生きているのだと思います。

確かに自然の摂理にそって生きていくことから離れてしまった人間が必然によって作り出した言葉が「偶然」だと思います。
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この回答へのお礼

複雑な模様が実は、一本のひもだった…なんて時に似てますか?
一筆書きだったことに気付くのも面白ければ
「~~みたい」と想像を膨らますのも面白く
どちらも人間らしいと思います。
「偶然」って遊び心が生んだのではと私は思ってます。

お礼日時:2006/03/15 09:43

>「偶然」とは人間の為の人間解釈ではないでしょうか?ゆえに人間が発見・発明した?と思ってしまったのですが。



他に発見したり発明したりする生き物はいません。当たり前ですよ。

質問者さんが聞きたいのは『不確定性原理』についてでしょうか。でしたら観測者の立場が人間だから不思議なのであって、偶然も必然も自然も人間の解釈の違いがあるだけです。

この回答への補足

でもイルカは?
カラスは?
教えて下さい。
カオスというか心について聞きたかったですが、あなたのシンプルな解釈にも興味があります。

補足日時:2006/03/15 09:36
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「偶然」にしろ、「奇跡」にしろ起こるべくして起こる単なる事象にすぎないでしょう。



ただ、人間は何事につけ一定の法則を確立することによって安心しようとします。
容易に対処できるようにするためでしょうが、「猿知恵」ならぬ「人知恵? 」には限界があり、予測しきれなかったことに対して冠せられるのが「偶然」などという言葉でしょう。
つまり、自らの生命の仕組みが何によってもたらされたのかもわからないというのに、まるで宇宙の摂理を全て把握できているかのような錯覚が根底にあって、事象がその錯覚の範囲に収まっていれば「必然」と言い、そうでないものは「偶然」と呼んで差別? しているわけでしょう。

あらゆるものと共存しているにすぎないという単純な事実を否定し、あらゆるものを支配しなければ気が済まない『自我』あるいは『(人間の)業』が発明した言葉であるという意味で、namazu_kunさんのお考えに同意するものです。

動物などは「あれ? 」などと感じることはあるでしょうが、「あったのだから、ありえたことで、ただそれだけ」と素直に納得しているような気がします。
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この回答へのお礼

私はよく友達や家族とふざけて
わざわざ仕組んでおいて「偶然だなあ?」なんてやります。
人知恵を応用したりして遊んでるんです。

お礼日時:2006/03/15 09:34

他の動物と人間様?の違いは「自然は悩めない」ことで、だから人間は自然になれない、不自然だ。



肉体は死んだらやっと自然に帰依して自然と一体になれるけれど。死んでも悩むとしたらごっつい不自然だよ。霊魂は不自然だ。

生きて悩んで良い結果を生むのは、素敵だと感じる人、頑張って生きているその人の為に心を尽くすため以外にないと思う。結果より早く幸せを今感じられる確かなもの。

どうでもいい嫉妬や事象に悩んで得になる保証なんてあるのかどうか?まだ私も未熟者で知らない、解らないけれど。

偶然は偏執狂者の発見か?無責任ではなく自己中でしょう。でもそれも、とってもとっても人間味なのですよねぇ。
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この回答へのお礼

私は悩むことは楽しいこととは言えないかもしれないけど
面白いことだと思っています。
でも悩む対象によりますよね。

お礼日時:2006/03/15 09:30

有名な心理学者のユングは、シンクロニシティ(共時性)という概念を提唱しました。


「偶然」の一致は、単なる偶然ではなく、シンクロニシティによる作用として起きる、ということのようです。
観測者独自の経験がシンクロニシティによる出来事に意味を与える以上、観測者から独立しておらず、「偶然」である以上、再現性がなく、定量化もされない。したがって、これを科学的に立証できない、というのが常識的な考えです。
しかし、偶然の一致に「不思議」を感じるのはどの人にもあるのではないか、と素朴には思います。
ご質問の趣旨とは離れてしまったようですが、一つの考え方としてこういうこともある、ということで。お暇なときにご研究ください。
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この回答へのお礼

ものとものは引かれ合うという性質があるそうですね。
質量があるゆえですが「心」はそれを「不思議」と感じるんですよね。
趣旨と離れていませんよ。
人の心の面白さを質問したので。

お礼日時:2006/03/15 09:27

「偶然」は2種類あると思います(もっとあるかもしれませんが)。

人が「偶然」と感じるのは、ひとつは、予想している因果関係が崩れた場合、もうひとつは、原因が複雑すぎて、あるいは、条件に対して敏感すぎるために、本質的に偶然となる場合です。前者は、「たまたま」起こった偶然で、後者はサイコロを振るような偶然ではないかと思います。前者は個人が認識として習得的に発見した!偶然であり、後者は長い歴史の中で人類が発見した!、法則性のある偶然(確率論や統計力学的な偶然です)とともいえるでしょうか。

後者は、自然法則なので、行動として本能に刷り込まれていたり学習したりしても動物が意識することは少ないと思います。ライオンが骨の周囲についた肉をはぐために骨前足で転がして、「偶然」肉のついた面が現れるからといって、受験生が鉛筆を転がして回答するときのように、「偶然」を活用しているという意識はないでしょう。

ところが、前者の「たまたま」の偶然感覚は動物にもあるように思います。よく知られているのは、犬が飼い主(=自分のボス)を誤って吠えてしまった場合に、すっとぼけて違う方を向いて吠え続けてみたりします(そっちには何もないのに)。これは犬にとっては、ご主人さまがたまたま怪しい雰囲気ぷんぷんで近づいてきたので思わず吠えてしまって、それをとぼけているので、微妙ですが「たまたま」感を感じているのではないでしょうか?これはなぜかというと、因果関係の中で物事を認識している事柄に、「たまたま」感のある例外が付随しているためではないでしょうか?そして、犬に限らず学習する(オペラント条件付けのようなものですかね)動物は多かれ少なかれこのような感覚を持っている可能性があるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

単純な私は、前者は「勘違い」、後者は「カオス」と受け取ってしまいましたが勘違いしてるでしょうか?

お礼日時:2006/03/15 09:23

なるほど。

面白い考え方ですね。
私が思うには、偶然というのは、必然がないと出てこなかった言葉だと思います。
人間というのは、自分で作った世界観の中で生きていますから、それと常に実際にある世界を照らし合わせているんですね。そしてたいていは自分の作った世界観に一致するので、「必然」だと思って世の中を生きているわけです。
その時に、自分の覚えておいた法則に当てはまらない事象が現れた時、「必然ではないもの」が出て来るんだと思います。それが偶然です。
従って人間が作った言葉というのは、あながち間違いではないと思います。
ただ、人間に近い動物であるほどこの感覚に近いものはやはりあると思います。猫が鏡を見て後に回り込んだりする出来事を良く見ますので、「あれ?おかしいな」と思うのは確かでしょう。これはかなり偶然を感じている時に近いと思います。
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この回答へのお礼

偶然って、人の操作出来ない要因で起こった愉快なことかもしれませんね。
いい意味でいつでもビックリさせて欲しい、だから「偶然」と言って楽しみたいのかなって思いました。

お礼日時:2006/03/15 09:19

私は、色々な人の考え方を聞いたり、読んだりすると、つい納得してしまいます。



偶然は必然で 必然なくして偶然はない

って 言われて見ると そう思います。

しかし、これを実生活で実行するとなるとかなり難しい。のです。

例えば、先日、車を運転していたら、まるで発砲されたような音がして、とにかくビックリして車を止めました。 歩道には5人の少年が振り向きながら自転車を走らせていました。何が起こったの?だろう...

 生卵をぶつけられていました。

海馬は非常事態発生で、情報収集のため、煙を吐きながら走り回ります。
何故?生卵を? 悩みました。

この<偶然>として片づけて置けば<気が楽な被害者>で済む出来事に、必然性を覚えなくてはならない。。。のです。。。

namazu kunの問いは、活字で理解できても、実生活でなかなか理解できない事の一つですよね。
ゼロの存在 に にているよ~な....
私の「一生の課題の一つ」です。

眠れなくなりそう です
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この回答へのお礼

余計なお世話だとは思いますが、自分の損得から切り離して物事を考えると傷付く理由がないので落ち着いて思考できますよ。
生卵事件は偶然ではなく確率の問題ではないでしょうか。
少年達もあなたも私も同じ時代に生きていて影響し合っています。
悪いことばかりじゃないです。
悪い時は私、飲んで寝ちゃいます。

お礼日時:2006/03/15 09:13

動物は「偶然だぁ」なんてことは思わないでしょう。

言葉はない(でしょう)し。でも。

ある場所に動物の食べ物がが大量にあったとします。最初「偶然」通りかかった動物はその場所を覚えて次も食べ物を探しに来るでしょう。次回にも食べ物に出くわし、次次回も出くわし、そのうちその動物にとってその場所で食べものを得ること「必然」になります。

もしそれを見つけたのが本当に「偶然」だったとしたら。つまり食べ物はあまりなかったのにたまたま見つけたとしたら。次に来ても食べ物にありつける確率は低く、結局、その動物はその場所を忘れてしまうでしょう。

生存に関わることだと思うので、言葉は(多分)なくとも「偶然」と「必然」の差は理解していると思います。

哲学でしたね。ずいぶんはずしてそうです。(笑)
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この回答へのお礼

私がその動物だったら、大量の食べ物を見付けたのは自分が移動したからで、次回も次次回も食べ物があったら「偶然またもあった!」と、いちいち思いそうです^^

お礼日時:2006/03/15 17:30

#6です。


そうですね、説明がわるいですね。前者は勘違いになってしまいますね。これではいいたかったことと違うので、もうちょっと違う言い方をします。
偶然の反対の必然の感覚というのは、習得的に得られ因果関係どおりにことが運んでいるときに、感じるものであるとすると、それが裏切られたときに偶然を感じるのではないかと考えたわけです。そこで、因果関係を習得する動物の場合は、その因果関係を破る事象が発生したなら、偶然だな、と感じる部分があるんじゃないかな?ということです。

ちなみに、後者は蓋然性のある複数の事象のうちから、特定のひとつが因果関係無く発生することは、やはり偶然と呼ぶと思います。たとえば「AさんとBさんの誕生日は偶然一致した」というような使い方です(1/365の確率です)。カオスというのは、一般に、簡単な発展規則にもとづきながらも、初期条件に対する鋭敏性があり、規則性とランダムの間にあるような状態のことをいうと思います。私のいったのは、サイコロを例に挙げているように、カオスというよりはランダムのほうですね。
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この回答へのお礼

人間って期待が多いから偶然と思う事態が出てくるのですね?
それはランダムの場合により強く感じるのでしょうね。
偶然とは人間ゆえの必然的感覚と言っていいですか?

お礼日時:2006/03/16 19:07

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