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いつも思うのですが、何故紫の上が野分の帖で夕顔に姿を見られても非難されないのですか?

これって彼女が聡明でいつもしっかりしているから責められてないけど、れっきとした過失ですよね?

コレに対し、源氏の正妻、女三宮が柏木に姿を見られて、不義の子を宿してしまったら、「それみたことか」と非難されています。かわいそすぎます。あんまりですよね?相手が悪くて結果(不義の子懐妊)が出ただけで、紫の上の過失も同じ事だと思います。実際源氏が「夕顔に顔を見られたのでは?」と懸念もしていますし。

夕霧が紫の上の姿を見て、恋焦がれたものの持ち前の真面目さと理性で、行動には出ずに済んだだけで、台風だったとはいえ、端近にいたのは女三宮と同じだと思うんです。あれだけ女房がいながら。。。

結局紫式部が紫の上を理想の女性として描いているから、誰も彼女を非難できないようになっている気がしますが、皆様どう思われますか?
私は欠点がなさすぎる紫の上が嫌いだからかもしれません。

A 回答 (4件)

女三宮と紫の上、同じように姿をさらしたのに、なぜ片方だけが非難されてしまうのか?との事ですが、これはやはり二人の人格設定が大きく関係しているのではないでしょうか。



想像するに、あるとき作者は夕霧に紫の上を垣間見させる、という状況を思いつきました。
しかし若紫のいたいけな頃ならともかく、今や六条院の女主人の地位についた聡明でたしなみ深い彼女が、やすやすと姿をあらわにするのはキャラクタのイメージダウンになりかねません。
そこで思案の末、季節は秋、近年稀に見る野分が襲来し、常日頃愛でている前栽の草花を心配するあまり、つい何時もより端近に出てしまった。
有能なはずの女房達も 吹き上げられる御簾の方に集中し、頼みの源氏はおびえる明石の姫君の方へ・・・といういわゆる非常事態を作り上げたのでしょう。
可能な限り悪条件をそろえておいて「このような日だったら、さすがの紫の上に隙が出来たとしても仕方が無い。それに花の様子を気遣われるとは、なんとまあ、お心の優しいことよ!」と夕霧に(そしておそらくは読者にも)思わせても違和感が無いように。
方や女三宮の場合ですが、どうやら身分の割にはあまり優れたお人柄ではないようだ、と感じていた夕霧は、垣間見の一件で更に幻滅する事になってしまいます。
夕暮れ時とはいえ、外部からはっきり見られる程の場所に立ち、蹴鞠見物にかまけて御簾が上がっても微動だにせず(御簾が上がった事に気づかないのではなく、本来は速やかに隠れるべき事に思い至らないという事ですね)夕霧の必死の合図でようやく奥に下がるという鈍さ・・・。

petite_mtlさんがおっしゃる通り、事実だけを見れば、確かにどちらも過失の類いに入るのだろうと、私も思います。
ではその過失にも関わらず、紫の上ばかりが非難の対象にならぬよう設定されたのか、と言えば、そこには<重要なのは、垣間見されぬ事よりも、いつ垣間見されても恥ずかしくないような嗜みを身につけておく事だ>という作者独自の価値観にあるのではないかと思うのです。
(話はそれますが『空蝉』の巻で、空蝉の君と軒端の荻の君が碁を打つのを源氏が覗くシーンがありますね。あまり美人ではないが慎み深い空蝉に好意を抱き、可愛らしい容姿にも関わらずだらしのない軒端荻に軽薄さを感じます。結局、その後肉体関係を結ぶのは軒端荻なのですが、不美人なはずの空蝉の方にずっと強く未練を残し、最終的には出家した彼女を引き取ってやるのです)
作者にとって紫の上が理想の女性、というよりも、<物語の典型的な女主人公>として紫の上のキャラクタ設定をしている、かと思いますので、<本来は過失であるはずの垣間見が問題にならないくらい、花を欺くばかりに美しく気品漂う女主人公>を読者に再確認させる事、そこに『野分』を書いた目的の一つでは、と想像します。
そしてその逆の意味を込めて書いたのが、『若菜上』の蹴鞠のシーンではないでしょうか。
源氏は密通がばれて、ひたすら子供のように縮こまる彼女を見て「女の頼りなく子供っぽい様子が、男の恋心に更に煽ってしまい、行き着く所に行ってしまうのだろう。その点、玉葛は自分に言い寄られても上手くあしらっていたし、髭黒とあんな形で結婚することになっても人から見て見苦しくないような態度をとっていたなあ」と嘆息しています。

人目に着かぬよう気をつけるのはマナーの基本だけれど、かといって一日中格子を降ろしている訳に行かないし、薄暗い母屋の中ばかりで過ごすのも味気ない。何よりも巡る季節の移ろいを肌で感じ心をふるわせる事も、歌を詠み琴をかき鳴らすといった自己表現の礎になるもの・・・花や月を愛でる為に端近に出る事も、時によっては必要でしょう、但し、あくまで気品のある振る舞いを身につけた上で。
垣間見されてもその際の態度によって、また最悪夜這されてしまったとしてもその後の対処の仕方によって、その女性の人間的価値が察せられるのだ、といった紫式部の心の声が聞こえてくる気がするのですが、極論でしょうか。

作者は藤壷との密通の因果応報として、紫の上と夕霧の密通を予定していたが、何らかの理由でそれを取りやめた、という見識もあるようです。
その場合、源氏の苦悩たるや女三宮と柏木のバージョンの比では無いでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございますm(__)m
やはり女三の宮、紫の上それぞれの人格によるものなのですね。だから紫の上の過失も、過失と取られない。
>そこには<重要なのは、垣間見されぬ事よりも、いつ垣間見されても恥ずかしくないような嗜みを身につけておく事だ>という作者独自の価値観にあるのではないかと思うのです。
なるほど。紫の上を通して、作者自身の価値観、教えを読者に伝えているんですね。そこまで考えが及びませんでした。後に書かれていることひとつひとつが納得のいく解説で、ただただ感心しております。

kasane様はものすごく深い観点で源氏物語を読んでいらっしゃるのですね。とても参考になりました。これからまた源氏物語で質問する事があれば教えてくださいね。よろしくおねがいします。

お礼日時:2006/04/01 17:48

私も以前、質問者さんと同じことを疑問に思いました。


で、私なりに考えると、やはり普段からだらしのない生活スタイルだった女三宮が案の定犯した過失というのに対して、
普段から万事卒なく完璧だった紫の上がふとしてしまった過失、
という違いが大きいんではないかと思いました。
女主人の性格というのはそのまま仕える女房にも反映されていて、
三の宮の方の女房は端近にまで出たりしてずいぶんだらしのない者が多かったのに対して、
紫の上の女房はやはり有能な人が多かったですし、
そういう違いがそのままこの過失の捉え方にも出てるんではないでしょうか。
 ちなみに女三宮と柏木の密通は一度だけでなくて、何度もあるんですよね。それも大きいと思います。
玉鬘にしろ空蝉にしろ、落ち葉宮にしろ、危ういとこまでいきながら気丈に男をかわしてますよね。
落ち葉宮なんか夕霧に袖だか裾まで捕まれながら、それでも逃げとおしましたし、受領の娘程の明石の上でさえ、最初は源氏を拒んで海に落ちた方がまし、という態度を示しましたよね。
それに比べたら、女三宮はあまりにあっけないし、流されるままにその後も密通を続けているんですから、やはり批難の対象でしょう。
仮に紫の上が夕霧に夜這いをかけられても、生活スタイルや性格を考えるとやはり気丈に拒んだと思いますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございますm(__)mお礼が遅くなり申し訳ございません。やはり普段の振る舞いがモノを言うんですね(^^;)
女三宮と柏木の密通が何度もあったということを忘れておりました。
仮に夕霧が一度忍んできたとしても、kurukuru様が仰るように、気丈に拒んだであろうことくらい容易に推測できるのは、やはり紫の上の人格のなせる業なのでしょうね。
私は彼女らのように高貴な人物ではありませんが、いつ心ならずとも過ちをおかしそうになった場合でも恥ずかしくないように、身の回りなどに気を配っておきたいものです。

お礼日時:2006/04/03 22:44

非難されないのは現代だからじゃないですか?つまり、現代では「結果さえ出なければOK」だからなのではないかと。



源氏物語が書かれた当時には、やはり非難の対象になったのではないかと思います。

>私は欠点がなさすぎる紫の上が嫌いだからかもしれません。

まさに質問者様が思ったことを紫式部も思ったのではないでしょうか。だからこそ、彼女を魅力的なヒロインにする為に、あえて「過失」を犯させたのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございますm(__)m
書かれた当時は非難の対象になったかもしれないですね。
それにしても当時どのくらいの人が読んだ(読めた)か気になりますね(^^)
>彼女を魅力的なヒロインにする為に、あえて「過失」を犯させたのでしょう。
なるほど、そういう見方も出来ますね。とある評論に、「子供がいて平凡な家庭ということを避けるために、彼女には子供ができないようにした」と読んだ事があります。なるほどなと思いました。

美しさ、教養、気品といった面で何かと明石の上と比較されている彼女ですが、身分や源氏の愛情においては明石の上に勝つけれど、明石の上に出来た子供が紫の上にはできなかったという屈辱は大きかったのではないかなと思います。明石の姫を愛情豊かに育てたことを思い出し、そういう点は殊勝だなあと思います。普通だったら自分が子供の出来ない体なのに夫の愛人の子を育てるなんて屈辱以外の何物でもないと思いますね。

お礼日時:2006/03/21 23:54

これは、私も過失だと思います。


まあ、嵐だったので、女三宮より過失の度合いは少ないかもしれませんが。

ただ、紫式部が紫の上を理想の女性として描いているかについてですが、私はちょっと違う気がします。
彼女は聡明がゆえに、光源氏が自分を通して何かを追い求めていることに気がついてしまいます。

それは、幼いうちに母を亡くした光源氏が、母への想いを藤壺に重ね、藤壺への想いを紫の上に重ねるところから来るのですが、女三宮の中にも見出そうとした所が最大の不幸であったわけです。

私は、紫の上が哀れで、源氏物語を読むと泣けてきます。この時代、貴族の女は男をひたすら待つしかできないわけで、光源氏に流されていくしかなかった紫の上は、紫式部の理想からは遠いのではないでしょうか。

紫式部の理想は空蝉、もしくは玉鬘あたりだと思っております。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございますm(__)m お礼が遅くなり申し訳ございません。
>聡明がゆえに、パートナーが自分を通して何かを追い求めている事に気がついてしまいます。
・・・とありますが、幼少の頃に見出され引き取られて、父のように兄のように慕っていたのに、年頃になって犯されたかたちで夫婦となったとあっては、よほどのバカじゃないかぎり大人になってから「本当は元から他に好きな人がいて報われないから、子供の頃からてなづけられたのでは?」と女性なら誰でも気づくのではないかと思ってしまうのですが・・・。
>紫式部の理想は空蝉、もしくは玉鬘あたりだと思っております。
源氏物語論はあまたありますが、空蝉に自分を重ねているという考えはよくありますね。私もそう思います。そうすれば、容姿は大したことないが頭が良くて芯が強い、こんな自画像をもって世の寵児である源氏を振るという痛快な話という見方もできますね。玉鬘もみごとな女性ですね。
紫式部も本当は源氏が嫌いなのかもしれませんね(^m^)

お礼日時:2006/03/21 22:32

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こんばんは。
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三十四帖の「若菜」では、源氏が女三宮に宛てた柏木の手紙を見つけて、女三宮の懐妊が実は柏木の子だと気付いたときに
「父、桐壺帝は藤壺の宮とのことを何もかも承知で、知らぬふりをしていたのではないか。自分は何と罪深いことをしたのか」と書かれています。

桐壺帝は藤壺が子を生んだ時に、「源氏に似ている。兄弟とはこうも似るものか」という感想を持ったにとどまっていたと思います。
また、この言葉は疑心のない素直な言葉だったと記憶しております。
(私も、桐壺帝は真実を知っていたのかと、質問者様と同じ疑問を持ちながら読んだ事があったので・・)

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違っていたら、ごめんなさい。。

こんばんは。
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