
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」と呼ばれた国です。
その後に、普通は「一つの国家」と続くのですが、俗に「そして一人のチトー」と言います。ユーゴスラビアという国(今や過去の国ですが)は、そもそも一つの国になることが不思議な、偶然の産物でした。オスマン=トルコ帝国が後退した地域がまず独立し、第一次世界大戦でオーストリアが敗北し、オーストリア=ハンガリー帝国が解体したため、ぽっかり空いた地域が一つの国になったわけです。
このため、民族も言語も宗教もばらばらな状態なのに、一つの国になったのですから。
このばらばらな国家を一つにまとめていたという点で、確かにチトーという人物は大したものです。しかも、ソ連と堂々と喧嘩をしたのですから。共産主義者であったという限界はありますが。
1980年にチトーが亡くなると、暫くは集団指導制で国家は維持されましたが、冷戦の終結により、民族問題が一気に噴出することになります。元々、一つの国になることが無理な地域でしたし、「欧州の火薬庫」と言われ続けた地域でしたので、有り得ることなのですね。
ミロシェヴィッチは、チトーを裏切った人物と言えるでしょう。コソヴォは、確かにかつてのセルビア人の中心地でしたが、今やアルバニア人を中心とする地域です。
昔のユーゴスラビアは平和で良かったんやけどなあ。ヌーディスト・ビーチもあったしねえ。
この回答へのお礼
お礼日時:2006/04/02 11:34
ご回答有り難うございます。
確かに纏まる筈もない地域に統一国家を作ったのですから政治家として一流の人物ですね。
彼の死後そのような信念を持った人物が生まれなかったのは、人々にとって悲劇以上でした。
それにしても宗教的対立までも超越できたチトーは偉大な思想家ともいえるのでは・・・

No.2
- 回答日時:
私もかなり評価は高いです。
その後の
ロシア連邦の自治国家の独立運動は、
ここから力を得ていると思います。
独立運動でロシアから石油の供給を止められ、
1滴も無くなっても頑強に抵抗出来たのは、
信念だけは決してまげてなかった、チトーがいたからだと思います。
No.1
- 回答日時:
じゃ、私見で。
まがりなりにも、「あの」ユーゴスラビアをまとめていたんだから、大したものだと思うよ。
現に、歴史的評価も大きいはず。
ソ連の軍事的圧力の下に悪政を敷いていた連中が「再評価」されるのはしょうがないし、そのときのイデオロギーに染まりすぎて暴走する韓国は言わずもがなだけど、ことチトーさんについては悪い評判は聞かないなぁ。
現に、あの人がいなくなってから、おかしくなっちゃったし。
一種のカリスマだったんだと思う。
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