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昨日のニュース(ワイドショー)の中で救急搬送されたお子さんの死亡(割り箸がささって)検査義務?引継ぎ義務・・過失ありの無罪って放送していましたけど。医療に限らず、過失ありってどの位まで無罪なのでしょうね??逆に無罪なのはどの位までの過失はゆるされるのでしょう。過失ありなら幾分でも罪は有るのではないかとおもうのですが。

A 回答 (5件)

医師の意見を取り入れないどころか,本件では検察弁護側併せて14人の医師証人の証言があったのです.それで裁判が3年半もかかったのです.(医師以外の関係者証人も居た)しかも14人の医師のうち10人が教授の肩書きを持ち(医学部以外も含む)一人は元助教授,一人は専門誌編集者でもある小児耳鼻科専門医,残る二人も専門医です.分野としても耳鼻科・脳神経外科・救急科・口腔外科・法医学の多岐にわたります.


他の裁判資料を調べて比較したわけでは有りませんが,おそらく史上空前の規模の医療裁判だったと思います.
しかも死因については検察は日本脳神経外科学会会長を含む二人の教授:弁護側は日本神経外傷学会会長を含む二人の教授が意見を交わしています.前者は救命可能.後者は困難としており,学会の最高峰で意見が二分しているのです.これで判断するのは辛いものがあったと想像します.そして3人の裁判官は審議の際には資料を十二分に読み込んで,証言の途中や後で医師から見てもかなり踏み込んだ質問をしていました.(正直 理解が足らないと感じる部分もありましたが)理解する為の努力は相当しており,能力的にもかなり頭がいいなぁと感じました.本当に両者の議論をよくよく踏まえた上での判断です.(だから絶対に正しいとは申しません)

 「十中八九」を要するとは被告人の行為と結果の因果関係が有るかどうか,という意味と思います.
別のたとえ(法律の専門家ではないので適切でないかもしれません)でいうと,ある人が殺意を持って被害者の胸を刺した,しかし その時点でその被害者はすでに病死していたとします.行う行為は殺人と同じであっても,行為と結果に因果関係が無ければ殺人にはならない.(死体損壊にはなります)死体を殺す事はできないのです.これが現在の日本の刑法学のコンセンサスであるようです.

結果回避可能性とはそういう意味と同じかと思います.この点は法学の専門家の意見を聞きたいところです.
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございました。更に踏みこんだご教示お手数をおかけいたしました。そうですか。医学会をも震撼させた上での。→既に、容疑者は社会的制裁をとの前回答、納得いたしました。と刑法学の解説まで頂きありがとうございます。有罪、無罪の定義。今回、無罪とされた理由が納得いたしました。

お礼日時:2006/04/03 16:01

刑法の教科書などによると過失の構成要件(必要条件)は予見可能性(診断)と結果回避可能性(救命可能性)の二点です



判決では前者は成立し、後者は成立しなかったとしています。両方成立しないと過失とは言わないのではないかとも思いますが法律については素人なのでこの点自信なしです。

過失致死の救命可能性については最高裁判例で「十中八九」である事を要するとされています。それまでは「ほぼ確実」であることを要していたのでこれでも当時は画期的判決とされていたそうです。法律の専門家の間ではこれは議論の余地の無い了承事項であるようで、この条件については裁判官はおろか検察側も弁護側も一切異議を唱えていません。けっして本件担当裁判官の独自の判断ではなく、判例に従っているのです。

素人にはよくわからないのですが、刑法学の長い歴史の中では確定した認識である様です。これを変えるには法改正が必要でしょう。

なお、これは「刑事」の話です。民事でも過失の認定結果回避可能性は必要とされるのですが、もっと必要条件は緩い様です。また、もっとましな診療を受ける権利(期待権侵害)については結果回避可能性の認定は不要です。

また、行政処分(医師免許停止・取り消しなど)では医道審議会でしかるべき判断があるでしょう。ただし刑事の判決が確定してからになります。

そしてなにより、本件の被告人医師は十二分な社会的制裁を受けていると、異論もあるでしょうが私はそう認識しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。そうですか、判例に従っている。適正であるという事なのですね。(でも、他の医師からの見解はとりいれないのでしょうか?)ご回答のなかの「十中八九」と裁判官は法のプロでも医療行為に対してはど素人でしょうから、医師等「十中八九」を決める人が必要ではないかと思うのですが、であれば、誰が治療を施しても生存の可能性は限りなく0に近いと決定する人は一体、何物なのでしょうね。でも救急搬送されて来た患者の処置ってこんなものなのでしょうか?身内でなくとも納得出来ないものがありますね。例え民事で解決されたとしても。

お礼日時:2006/03/31 14:09

こんにちは


このニュースは私もちょっと引っかかりました。

どうやら
罪に問う部分がポイントであるようです
訴えでは
・医師は割り箸の存在に気付くべきであり、
 その存在を知った上で適切な処置が出来ていれば子どもは助かった
としているようですが
判決は
・医師に割り箸の存在に気付かなかったという過失はあったが、
 治療行為をしても子どもは助からなかった
という内容です

問うべき罪は「業務上過失致死」。
つまり過失によって死に至らしめたかどうかが問題となります
過失はあったが、その過失によって死に到ったのではなければ
この罪には問えないという事のようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。そうですか。刑法の厳格さ・・・過失は有るけど死は過失のせいではということなのですか。>医療行為をしても・・・。
他の医師が医療行為(治療)も助からなかったって事。(他の医師からみても助けられなかったろう)ですね。・・・でも更に疑問が。救急搬送されて来た方を大半の医師は同じような処置をするのかどうか?素人的にはもっと検査。検査の繰り返しのような気がするのですけど。でも今回の判例が(放送が真実なら、無作為なら死に到る訳がない??見殺しは罪に問われない??とも解釈出来るのは自分だけなのでしょうか?

お礼日時:2006/03/31 13:27

この裁判ですが、注意深い観察を行い、脳外科の専門医に診せるなどの注意義務に関しては過失ありとなっていますが、手を尽くしても救命できなかったということで、業務上過失致死には問わなかった、と言うことではないでしょうか。



根元医師の
>「どんな医学上の措置を取っても救命は不可能だった」

という主張が認められた訳です。

ただ親としては十分手を尽くして助からなければ運命だったと、懸命に治療にあたった医師に感謝こそすれ、恨むことは無かったと思いますが、不完全燃焼な気持ちはあったのでしょう。

どこまでが医療ミスでどこからが医療の限界かは恐らく線引きできない問題で、今度の事故でも多くの医師は割り箸の残りを持ってきてくれれば、折れた部分はどこへ行ったかと親に聞いて、おかしいと思えば検査技師をたたき起こしてCTを撮るが、まさか脳に刺さったとは考えもしないかも知れない、事故が起こって初めて可能性に気が付き、同種の事故では状況をよく尋ねるようにしているという医師も少なくありません。
極論すれば、商売の接客と同じで、亡くなったと言う結果は同じでも患者に真剣に向き合い、結果を真摯に受け止め、遺族に対して十分な説明をすればここまでこじれなかったのではないでしょうか。
杉野隼三ちゃんの事故があって、私も子供たちがアメリカンドッグなどを食べながら歩くのを見ると、注意するようになりました。
杉野隼三ちゃんには気の毒なことですが、世間に対する警鐘として、彼の死が無駄にならないことを祈ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。そうですね。身内におこった出来事でもなく経緯を知らず結果を聞いただけですからね。人対人なのでしょうね。医学の目からみれば手を尽くしても助からなかっただろうということなのでしょうから。ただ素人から考えると救急搬送されてきた怪我人(病人)をこれくらいの処置で終わらせてしまうものなのかと疑問は残ります(一方的な放送の解釈を受けたのみで)

お礼日時:2006/03/31 12:57

この医師は治療行為をしています。

(傷口の消毒など)
割り箸が残っていたことを気付かなかったことが過失とされていますが、専門医で無い以上何でも責任を取らせるのは行き過ぎだと思います。

ただし、カルテの改竄による証拠隠滅の責任を取るべきだと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。そうですか。>専門医でない以上・・・個人への責任は難しいのですか。でも救急指定になっていたのでしょうね。・・・で受け容れた??法人としてもおとがめなしだったのでしょうかね。(素人的には、救急指定なら今回の過失の要件はかなり重要と思うんだけどなぁ。)

お礼日時:2006/03/31 12:27

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