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この課題が今日の夕方までできないと、大学を卒業することができません!「環境論」という授業で出された“環境の曖昧さとは”という課題なのですが、それ以上のことがわかりません。でも文系なので、多分あたりさわりのないもので十分だと思います。どうかお願いします!

A 回答 (3件)

 わたしゃあなたの大学の授業を受けたわけじゃないから授業で出された課題に沿うのかどうか知らないけど、普通にいって二酸化炭素のミッシングシンクとか天気予報とか、環境法とか京都議定書、COP6,COP7とかなんじゃないのかな?


これら↑を授業で耳にした?

 あとはWEBでこれらを調べてみ。曖昧さが書いてあると思うよ。
つーかこういうことにGOOを利用しないように。
いいかげんな大学生だなと思われるし、答えられる人でも答えてくれないかもしれないよ。過去の履歴見ました。今日初めての登場なのかな?それとも毎回名前変えているのかな?  
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  環境の曖昧さというのは、授業を知らないと分からないのですが、一般的には次のようなものでしょう。
  
  三つぐらいに分かれると思います。第一に、自然存在者としての環境そのものが持つ曖昧さです。これは、例えば、「生態系の秩序」とか「法則」という時、確かに自然生態系には、秩序や法則があるのですが、それはニュートンの運動方程式が持つ精密さと比較できるような秩序や法則ではないということです。人間の観察能力の限界もありますが、それ以前に、生態系そのものがランダムや要因を持っており、それ故に、自然としての環境の曖昧さがあるということになります。
 
  また、二酸化炭素シンク(吸い込み・吸収)については、色々なモデルや見積もりがあり、それはまた色々政治的に利用されたりするのですが、海洋や湖沼や、森林や大地そのもののシンクとしての能力・容量が、客観的に決まっていない、複雑系ではありませんが、諸条件に応じて、ランダム性を持っている、つまり、「曖昧さ」があるというようなところです。
  
  二番目に、環境についての人間の抱く「概念」、環境やそれと関連する言葉などの概念内包の曖昧さがあります。例えば、「健全な自然環境」とは、一体どういうものなのか、人間のいあいだで主観的な把握の曖昧さがあります。あるいは、「原生林」とは、どういうものか、これも曖昧で、定義次第だということになります。どこまでが「環境の破壊」で、「環境との共生」とはどういうことか、これも、個人個人で考えや意見が食い違い、同じ人でも、話の文脈で違って来ます。これが概念での「環境の曖昧さ」というか、「環境問題の曖昧さ」でしょう。
 
  第三に、最初の自然存在としての環境そのものの曖昧さと、人間の概念の曖昧さが混ぜ合わさったような「曖昧さ」があります。意図的に「曖昧に」しようとする場合もあります。例えば、どれぐらいが、温室ガス放出制限の上限か、という問題は重要なことなのですが、これは第一の意味でも第二の意味でも曖昧です。大局的なモデルでは、こういうことが言えるという数字、つまり、定量的上限があるのですが、しかし、それは、何らか野モデルを前提にしており、そのモデルには、曖昧さがやはり付帯するのです。
 
  アメリカのこの問題に対する態度は、極論かも知れませんが、まず自国の経済条件や産業の繁栄、そして選挙民の支持などを前提に、この程度の数字なら納得できるという数字を出し、次にそれに合うような、環境や温室ガズの効果のモデルを造り、それを裏付ける資料やデータを集め、それと矛盾するデータには、理由を付けて、無効なデータだとか、それは「曖昧」であり、不確実であると言いつつ、「こういう基準が我が国は妥当と思う」というような数字を出してくるのだとも言えます。
 
  実際、温室ガスの効果については、曖昧なことが一杯ある訳で、大局的には、こういえるはずだという理論もモデルで、曖昧さを持っています。どのモデルを信頼するかは、モデルの現実的妥当性という基準以外に、宣伝効果がどのぐらいかというのも判断に入って来ます。アメリカは、海洋や湖沼や大地のシンク能力を高く見積もる訳で、そんなに二酸化炭素は、海中に溶けないという反論があっても、溶けないという全地球的証明はない、というような話や、或る実験結果では、これだけ溶けたとか、色々言えば、極端な話ですが、白が黒になったり、その逆になったりするのです。
 
  「環境」とは、人間が干渉しなくとも、元々曖昧なものなのです。その上で、人間の環境についての認識の曖昧さが載り、その相乗効果というか、二つを混ぜると、もっと曖昧になって、熱帯雨林はすでに絶滅したという見解もあれば、熱帯雨林はまだまだ大量に地球上に残っているとか、石油の埋蔵量は、現在の推定の千倍はあるはずだとか、天然ガスが、石油に完全に代替するエネルギーになるとか、それはおかしい、という意見があれば、反論根拠も示せ、曖昧の度合いを較べ合っているのか、とも傍観者には見えるような事態にもあなります。
 
  環境や環境問題は、本当に曖昧で、それについての課題の答えなど、もっと曖昧でしょう。環境については、フィールドワークやデータ採取が必要です。授業というフィールドワークをせず、データも取り損ねては、曖昧なままでしょう。
 
  (追記しますと、上で述べた「温室ガス排出」の規制基準を定めたのが、「京都議定書」で、アメリカは色々理由を述べつつ、これに加わらなかったのです)。
 
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私が習った環境という言葉についてですが。


環境とはその主体を何に持ってくるのかで変わってくる。人間にとっての環境とある生物にとっての環境は違いますよね?また何が客体(対象)となるかにもよって変わってきます。つまり、無限の組み合わせがあり、主観が入ってくるからまた視点も変わってくる、論点も・・・という具合です。一般的には自然環境についていうことが多いのでしょうが基本はそこから始まると習いました。
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