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アンケートかな?
一般の意見でも、国語的な意味でもなく、深いレベルで(哲学的?)「才能とはなにか?」と聞きたいのですが。

たまに、努力するのも”才能”と言いますが、努力が長続きするのは”才能”ではないと思うのですが。

ちょっと、壁にぶち当たってます。^^

A 回答 (10件)

僕はこう考えています。


「才能」とは過去の遺伝子の刷り込みで、蓄積されてきた、その時代、時代に、有効な資質だと考えています。
ですから、努力が上手な事も、遺伝子の刷り込みで、それは、才能です。
簡単に言えば、サラブレットとばんば馬の違いです。もちろんそれぞれに、他では補完できない才能があります。
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この回答へのお礼

みなさん、ありがとうございますねー。

お礼日時:2006/04/27 21:59

個人的意見ですが・・・


才能には大きく分けて2種類あると思います。
ひとつは今までの経験、性格からくる「才能」
たとえば子供のころに「運動に最適な体重移動」を会得したなら、その人はスポーツの才能を持っているわけです。 努力する才能も、「ひとつのことを続けられる」とゆー性格がもたらすものではないでしょうか?

二つ目は身体機能の違い(異常)がもたらす完全に違うものとしての「才能」です。
脳の異常等によって、本を一回見ただけで(覚えようとしなくても)覚えてしまう等
つまりまったく努力を必要としないものです。

世間一般で言われる才能は上 下のは天才や変人かもしれませんが・・・
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不完全な状態

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哲学的に考えるなら


「自分が生まれてきた理由や目的を自覚し、(自覚しなくても)
 その目的を達成する為の、他人より秀でた能力」でしょうか?

人は、何らかの使命をもって生まれてくると言います。
その使命を果たす為に他人とは違う特徴(個性)が現れるのでしょう。

「俺はこれをやる為に生まれてきたんだ!」と言える人は
何らかの才能に恵まれているのだと思います。
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No.5です。


ちょっと誤解を招いてしまったようなんで。

国語的意味を言いたかったのではなく、「よーするに都合のいいように解釈しちゃえ」ということです。

実体のないもの(ここでいう「才能」)があるかないか、頭を悩ますより、自分が生きていくのに都合のいいように解釈しちゃえ、ってことです。

「自信の根拠」にするもよし、「見切り判断基準」に使うもよし。

ということが言いたかったのですが、余計に哲学と離れてしまったかもしれませんね。
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この回答へのお礼

哲学の事は勉強した事がないので分からないのですが、哲学ってそういうのもあり?
人間関係の悩みやアンケートなら、私好みの回答なんですが。^^
目に見えないモノに踊らされるのもバカみたいですし。
私も、考えて、回答を参考にして、さらに考えて、煮詰まった結果、開きなおると思うのですが、それはもうちょっと先にしたいので。^^
ありがとうございますねー。

お礼日時:2006/04/24 23:30

「できること」と解釈しています。



「努力することが“できる”才能」
「努力を続けることが“できる”才能」
「壁にぶち当たっていることに気づくことが“できる”才能」

ちなみに私は、
「ヨメの愚痴を延々と聞くことが“できる”才能」を持ってます。

こうすれば、どんな些細なことだろうと、自分のことを「才能がある!」と思えるし、生きていく自信になるんじゃないでしょうか。

ま、なにかをあきらめるときに「“できない”ってことは才能がないんだろうなぁ」と踏ん切りをつける材料にしている面も否定できませんが。
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この回答へのお礼

しまった、哲学で個人的な事を書くと、質問者の事を考えてしまいますね。
哲学のカテゴリーでいいのかが分かりませんが、”才能”というモノの国語を超えた意味を知りたかったのですが。
あー、プチうつなんかも今は結構平気ですし、そこからは自分で考えますので。
また、書き方を失敗した質問です。^^
ありがとうございますねー。

お礼日時:2006/04/24 22:59

同じ努力をした場合により高い効果が出る資質を才能というように思います。


したがって、まったく努力しなければ才能も開花しないのでしょうね。
ただ、努力というのは苦しむことではないですから、何の苦労もなく、才能が開花する人もいるはずですね。
努力が続いたのは、やはり努力は評価されたとしても、才能とは違うと思います。
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この回答へのお礼

数学で言う係数みたいなものですかねー。
x=努力量
y=2x より y=3x の方が才能があると。
そうなると”才能は”生まれ持ったモノ限定ですかね?
でも、才能の効率をあげる努力はできるか。
ありがとうございますねー。

お礼日時:2006/04/24 22:54

その人に最も適した自己表現法です。


自己実現に必要なもので、誰でも何らかの才能があります。
才能が無いと嘆く方は、才能を見つけ出す以前に自らの個性に対して否定的見解を持っていると思います。

哲学的回答をお望みのようですが、何事もわざわざ判りにくくお話しするよりは、分かり易く簡潔なほうがベストです。
判りにくく遠まわしにしか説明できないのは本来、説明者自信が自分の答えに自信が無い証拠です。
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この回答へのお礼

まぁ、自信はないです。
その辺は、ぷちうつ(リアルな軽度のうつ)になる過去があるモノで。^^
だいぶ、よくはなりましたが、自信の柱のようなものは折れたままですねー。

とはいえ、質問するカテゴリーによって同じ質問でも、ニュアンスが違ってくると思ったので、アンケートや国語ではなく哲学にしたのですよー。

>才能が無いと嘆く方
はい、私も才能がないとは思っていません。
が、他に結果をだし、私よりも才能が仕事にあっている人がいると思うと少し悔しくて。
私も16連打する才能はあると思うのですが、今更役にたたねーし。
ありがとうございますねー。

お礼日時:2006/04/24 21:59

才能とは自らに備わった


他人より優れた力の事だと思います。

多くの人に認められるような成果が
残せたなら、その才能があったのでしょう。

努力し続けてもても、結果が出せなかったならば
その才能はなかったんだと思います。

結局、才能があるかないかなんて事は誰にも分からず
自分で才能がないと諦めるか、いつか認められると努力しつづけるかだと思いますよ。

この回答への補足

ふと、
>努力し続けてもても、結果が出せなかったならば
>その才能はなかったんだと思います。
パブロ・ピカソって生きている間は、1枚しかえが売れなかったと聞きました。
と、言う事は生きている間は才能がなかったと言う事なんでしょうか?
まぁ、当時私がピカソの絵を見ても、「こいつ絵の才能ねーな。」って思うから、言い得てはいるんですが。
という事は、才能は時間や周囲の反応でも、変わるって事なんですかねー。

自分から見る才能と、他者から見える才能は、必ずしも一致しない事があるって事も?

補足日時:2006/04/24 22:28
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この回答へのお礼

努力より結果って事ですかねー。
身体的に天才的なサッカー能力があっても、性格が悪く監督に嫌われたり、運がなく試合に出られなければ、その人は結果がだせないので才能はなかったと。

人は結果で判断しやすいので、結果=才能は一理ありますねー。
という事は、結果さえ出せれば才能があると。
それも一種の才能な気もしますが。

お礼の文末が単語の意味のパラドックスな気もしますが、ありがとうざいますねー。

お礼日時:2006/04/24 21:50

「才能」というのは、ある種の「傾向性」のことを言うのだと思います。



学問の領域では遺伝子レベルの話とかにすり替えられてしまうのでしょうが、宗教的な見地からは、「過去世で蓄積されて来た、ある方面に特化した傾向性」と言えるものではないかと思います。

「努力が長続きする」というのは、「努力を継続しようとする傾向性を持っている」ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

粘着気質って事ですかねー。努力が長続きは。
で、気質が才能か?というと一般では違うような気がして。
気が長い(気質の)才能とかは、あまり聞かないですし。

傾向性・方向性と考えるのなら、分かる気がします。
ありがとうございますねー。

お礼日時:2006/04/24 21:43

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