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哲学カテに初投稿です。よろしくお願いします。

デカルトはどこまでも疑って、ついに疑いえない真実
「我思う、ゆえに我あり」
を見出したそうです。

世の中の政治問題、または人間同士のトラブルや意見の相違などを聞いて、双方の意見を聞いていると、まっこうから対立する場合が多く、絶対に正しい意見、誰もが絶対に反論できない意見はなさそうに思います。

そこで、絶対に正しいと思われそうな意見にも、反論できることは可能ですか?

たとえば、「人を殺してはいけない」は、絶対に正しいと思われそうな意見ですが、死刑制度では、「人によっては殺してもいい」と言っていることだと思います。
たとえ、「罪の無い人を殺してはいけない」だったとしても、「現代人のために地球環境悪化してしまったから、人口削減のために罪の無い人を殺すこと」、は100年後の人間にとってはいいことかもしれません。

A 回答 (17件中11~17件)

>もし、どんな意見に反論することも可能だとしたらので、矛盾してしまう。


そうすると何度でも反論可能になってしまいます。
「どんな意見に反論することも可能」
これを前提や仮定と考えるしかありません。
または「どんな意見にも反論できる」という意見にも反論できるということは「どんな意見にも反論できる」という意見にとってもプラスの気がします。事例が1つ増えるのですから。そして前述のとおりやろうと思えば無限に反論を継続できます。このことこそ
「どんな意見にも反論できる」
証明になるんじゃないでしょうか。(途中でやめない限り)
これまでが無意味になってしまいますがあなたは「世の中に疑う余地の無い事実」の存在を認めているようです。これをあなたが反論不可能とすれば
「反論できない意見もある」が成立してしまいます。
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手段としての良し悪しと、目的としての善悪を考えるのはどうだろう。


殺人は善くないというのは、目的としての善悪に照らしあわされた倫理であり、殺人を法的に行使することができると言うのは、社会秩序を守るための手段として、採用されていることである。と見るのはどうでしょうか。
 善のために悪をなすことや、善は手段を必要とするか、ということを考えたらいいと思います。
そして、 
地球環境が良かろうが悪かろうが、善は普遍的だと思われること。
時代が変わっても、善は変わらないだろうと思われること。
を挙げておきます。
善の性質がどのようなものか、考える契機になればいいと思います。 
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はい、できます。



 林檎が木から落ちるのも見方を変えれば林檎に地球が(林檎以外が)吸い寄せられているのだと反論します(^_^)v
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この回答へのお礼

ありがとうございます、でも「リンゴと地球の距離が小さくなった」という表現なら、反論は出来ないと思います。

意見であったり、物理的現象であったり、数学的な命題であったり、教訓であったり、「論」には種類があるかもしれないですね。

特に健康に関する「論」は、コロコロ変わると思います。
「太陽を浴びるのは健康だ」→「皮膚がんになるのでやめたほうがいい」
「うさぎとびで体を鍛えろ」→「体を痛めてしまう」
「うがいしなさい」→「多少は不潔にして、免疫をつけたほうがいい場合もある」

お礼日時:2006/04/27 16:44

こんばんは♪



ちょっと質問が難しいです。
デカルトの「コギト・・・」を
例に出された部分とこの質問がどのように
つながるのちとわかりません。(T∇T) ウウウ

<どんなに正しそうな意見にも反論することはできますか?

No1さんの回答同様に、
反論(反対の事を論じる)することはできるでしょう。

A 人を殺してははいけない。

B 俺の神が殺してよいと言っているから良い。
C 俺は殺されるのはいやだが、他人が殺されるのは良い

自分の神や自己中心的な意識を持った反論なら
なんでも反論できますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
僕は議論といったものが好きで、テレビの討論番組などをよく見ます。
たとえば自分ひとりだけの意見が多数意見の人を論破とか説得できるとおもしろいです。
たんなる言葉遊びの次元かも知れませんが、世の中に疑う余地の無い事実は、「我思う・・」だけのようなので、人がもっともらしく言う意見になんでも反論してみたいと思ったのです。

もし、どんな意見に反論することも可能だとしたら、「どんな意見に反論できる」という意見にも反論できるので、矛盾してしまう。
そこらへんどう考えたらいいのやら。。。

僕は、議論というものは、勝ち負けが無いのでむなしいものと思っています。
それよりも、たんなる、意見いいあいゲームみたいに思っています。
なので僕は、あえて反論をいう場合があります。

たとえば、この「回答」でお返事いただいたすべての人に対しても、反論できる、かもしれません。
「反論できる」といっていただいた貴殿に、「では、貴殿の意見に反論してみましょう」ともいえます。
ああ、わからなくなってきました。

お礼日時:2006/04/27 14:55

たとえば、「人を殺してはいけない」は、反論できません。

なぜなら、自分は殺されてもかまわないのなら、「殺人もよい」というような反論はできますが、そのように反論したとたん、私が、隠し持っていたピストルをぶち込むので、あなたは死んでしまいます。本人が死んでしまうと、殺されてみて、どう思うかについて語れないので、一種のパラドクスになるのです。
パラドクスについては、反論することが自己矛盾になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
僕は議論といったものが好きで、テレビの討論番組などをよく見ます。
たとえば自分ひとりだけの意見が多数意見の人を論破とか説得できるとおもしろいです。
たんなる言葉遊びの次元かも知れませんが、世の中に疑う余地の無い事実は、「我思う・・」だけのようなので、人がもっともらしく言う意見になんでも反論してみたいと思ったのです。
ただおっしゃいますように、自己矛盾があるかもしれないですね。

もし、どんな意見に反論することも可能だとしたら、「どんな意見に反論できる」という意見にも反論できるので、矛盾してしまう。
そこらへんどう考えたらいいのやら。。。

お礼日時:2006/04/27 14:48

できるのではないでしょうか?


この世に絶対というものはないでしょうから、どんなに正しそうでもそれは人間が勝手に作り出した真理に過ぎないと思います。
時代が変われば、人間の考え方も変わる。
今正しいと思われていることは数年後には間違っているのかもしれない。
所詮は世の中全体の多数決に過ぎないのでは?
例えば「戦争万歳!」と誰もが言っていた時代は戦争は正しいことだったし、「戦争反対!」といい始めた現代では戦争は間違っている。
今、戦争賛成なんて日本人がいったらかなりのバッシングを受けますよね。
しかし、戦争によって潤う市場があるのはひとつの真実で、「道徳的」に間違っているけれど「ある国の経済」にとっては有益になりえるのかもしれない。
見方によって善悪は簡単に逆転するのではないでしょうか。
まあ、この「絶対はない」という意見にすら、反論の余地があるのかもしれないですが。(笑)

あ、ちなみに私は戦争反対派ですので…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
僕は議論といったものが好きで、テレビの討論番組などをよく見ます。
たとえば自分ひとりだけの意見が多数意見の人を論破とか説得できるとおもしろいです。
たんなる言葉遊びの次元かも知れませんが、世の中に疑う余地の無い事実は、「我思う・・」だけのようなので、人がもっともらしく言う意見になんでも反論してみたいと思ったのです。
ただおっしゃいますように、どんな意見に反論することも可能だとしたら、「どんな意見に反論できる」という意見にも反論できるので、矛盾してしまう。
そこらへんどう考えたらいいのやら。。。

ちなみに、僕は大学では数学を専攻していまして、数学の理論は誰もが異論を唱えられないように作られていそうですが、それはある仮定(公理)の上に組み立てられているだけですが、それでも「選択公理」というのを認めるか認めないかで、数学者の中でも意見が分かれるようです。

お礼日時:2006/04/27 14:46

こんばんは。



 「意見」である限り、それは人の頭で考えたことですから、反論することは可能だと思います。ただ、反論できたとして、その反論が万人から支持されるかどうかは別問題だとも思いますが・・・

 議論の方法のある種の「禁じ手」として、自らは一切の主義主張を表明せず、ただひたすら相手の主張の矛盾を突いていき論破するという「帰謬論法」という方法があります。
 自分にはとても、そこまでするエネルギーはありませんが、頭の回転の速い聡明で弁舌に長けた人物が帰謬論法を使うと、おそらく無敵でしょう。

 個人的な心証で、自信ないですが。では。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
僕は議論といったものが好きで、テレビの討論番組などをよく見ます。
たとえば自分ひとりだけの意見が多数意見の人を論破とか説得できるとおもしろいです。
たんなる言葉遊びの次元かも知れませんが、世の中に疑う余地の無い事実は、「我思う・・」だけのようなので、人がもっともらしく言う意見になんでも反論してみたいと思ったのです。
ただ、どんな意見に反論することも可能だとしたら、「どんな意見に反論できる」という意見にも反論できるので、矛盾してしまう。
そこらへんどう考えたらいいのやら。。。

お礼日時:2006/04/27 14:43

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