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 武田氏の系図の中で信玄の三男に「信之」という人が記載されているものがあります。
 10才で夭折したそうですが、どのような史料を根拠とされているのでしょうか?
 『山梨県史』資料編や、『尊卑分脈』などをざっと見たのですが、「西保三郎」という人物は出てきますが、「信之 夭折十才」は確認できませんでした。
 ご教授いただければすごくありがたいです。

A 回答 (3件)

 No .1です。

  坂本徳一著 「武田信玄 孫子の戦法」 新人物往来社発行 に記載がありました。    軍記ものは軽視して見落としました。 
 信之 夭折十歳 とあります。     参考文献は下記の通り。 
1. [武田資料集」 新人物往来社      2.「信濃資料」 信濃毎日新聞社      3. 「新編信濃史料叢書」 信濃史料刊行会編
 No .2さんの「甲陽日記」は普通「高白斎記」と呼ばれ、上記史料に転載されているそうです。 
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この回答へのお礼

 たびたび、ありがとうございます。
 自分の読み方が悪いために、なかなか史料に行き着きません。
 どうも坂本徳一氏作成の系図から「信之」が出てくるようなので、坂本氏の著作は大変参考になるかと思います。「信濃史料」等は確かにクサイですね。
 早速調べてみます。

お礼日時:2006/05/15 11:06

甲陽日記のようです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
早速読んでみます。

お礼日時:2006/05/12 23:51

 信玄は関心ある武将なので調べてみました。

   「戦国大名系譜人名辞典」記載の家系図では 西條三郎信之(早世)とあります。   他の本の家系図では夭折とあり、似たようなものです。    死因の手がかりを探しても、信玄の本で信之に触れたものは殆どありません。   ただ一つ 細島喜美著の歴史小説 「武田信玄」の中に次の一文がありました。
 晴信は4人の子女の父となっていた。 長男は信千代(のちの太郎義信)、長女が梅姫(のちの北条氏政夫人)、次男が竜千代で三男は寅千代だった。しかし、次男は生まれながらの盲目だったし、三男は病弱児で無事の成長はおぼつかない。
 何か資料を参考にしたのか、明記されていませんが、信之は病死でしょう。  
 10才で夭折を知るのは、過去帳を探すか、墓碑銘を調べるかしないと、出来なかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど「西條」ですか。
「西条」になっている資料も見たことがあります。
おおもとの史料が知りたいところです。
細島喜美さんの小説も読んで見ようと思います。

過去帳類ももう少しあたってみたいと思います。

お礼日時:2006/05/13 00:31

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