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忠臣蔵といえば映画にもなっているし、いろいろな言い伝えなどもあると思うんですが、どっちかといと吉良の方を悪く?書いているほうが多いですよね。それ前提として思うのですが、赤穂浪士の土地兵庫県赤穂市の方と吉良の土地愛知県吉良町の方は仲とかは悪いのでしょうか?もう昔の事だろうし大げさかもしれないですが、少しは現代にも何かしら尾を引いているのいでしょうか?また、やはり赤穂市と吉良町では忠臣蔵の伝わり方(内容)などは違うのでしょうか?

A 回答 (5件)

事件の真相は一先ずおいといて・・・



最近は確かに交流の行事はありますが、赤穂ではやはり吉良への反感は根強く、吉良のことを良く言う方はほとんどいません。
吉良は強欲爺、浅野さんは可愛そうな殿様という昔ながらのイメージが今も息づいています。赤穂義士は当然、郷土の誇りであり英雄です。

以前、赤穂城のすぐ近くに「四十七人の刺客」という映画で使われた吉良邸の表門のロケセットを持ってきて公開していたのですが、その時も市民から大変な反対がありました。映画のロケセットとはいえ、赤穂に吉良の屋敷など気が悪い!けしからん!!と。
しばらく観光客で賑わったようですが、結局そのセットはいつの間にか撤去されていました。

ちなみに討ち入りに参加せずに逐電したことで評判の悪い家老、大野九郎兵衛は悪役として千種川の土手の改修に関する民話にも登場してきます。(大野があまりに酷使するので人夫がみんな厠に行ってしまい、ゆっくりタバコを吸っていたので奉行が交代させられた・・・というような話だったように記憶しています)
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刃傷の原因について


 21年前に内匠頭の母の弟の内藤和泉守忠勝は、増上寺で前将軍家綱の法要で、逆上してともに法要奉行をしていた永井信濃守尚長を脇差で刺し殺し、翌日切腹、領地没収されています。   癇症といわれこれが甥の内匠頭にも伝わっていると云われています。    ちょっとした事で逆上したのでしょう。
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この回答へのお礼

皆さんご意見ありがとうございました。昔々の出来事で真相も明らかになっていない以上どちらが悪いとは言い切れませんね。時代時代によって人の思想もかわりますから、もしかしたら思想によって言い伝え?も少しづつ変わっていってるのかもしれませんね。

お礼日時:2006/05/14 21:55

またきました。

m(__)m
お尋ねでしょうか。

浅野内匠頭さんが、癲癇を持っていて時々、発作を起こしてた事、その為に、毎朝(だったと記憶)薬を飲んでた事は記録が残っています。
ついでに、その朝は飲み忘れたという記録も残ってます。

これだけで発作発生は証明できませんが、癲癇の発作というのは、ちょっとした刺激で起こりやすい種類のものがある事は知られており、それは時としてちょっとした言葉だったりする事も珍しくありません。

さらに松の廊下はきっとピカピカに磨かれていたでしょうし、ふすまの絵の前を歩くと、地の色と松の絵が並んで、その前をあるくと明暗の繰り返しになってたとすれば(あるいはそれが廊下に映ってたかも)、先日、テレビアニメで光の点滅で子供が沢山泡吹いてひっくり返った(小児癲癇誘発)と同じ事が十分起こりえます。

そして、決定的に言われているのは、吉良様への斬り付け方があまりにおかしいのです。
浅野さんは武門の家柄、当然剣術をサボったりはしてなかったでしょう。
脇差の小刀で真っ向上段から切りつけるという方法を取る事自体が無茶苦茶なのです。
小刀で相手を殺すためには刺すか首筋に切りつけるぐらいしかありません。
城内での刃傷事件はこの件以外にも結構ありまして、そのいずれもが短刀で刺して相手を仕留めてるんです。
武門で知られた浅野さんが本気で相手を殺したかったら斬り付けるわけがない、当然その時はまともな精神状態ではなかっただろう・・・というわけのようです。

こちらには、考察は違いますが、刃傷一覧がまとめてあります。↓(癲癇ではなく、キレたのだと考察してあるようです)
http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai17-Akouj …
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赤穂市と吉良町では文化交流を深めており



吉良町
http://www2.cnc.ne.jp/~kenbunren/kira.htm

赤穂市
http://www.city.ako.hyogo.jp/newsreport/200509in …

交流行事があります。
忠臣蔵は町おこしの目玉になりますから、両自治体にとっては大切な観光資源です。
吉良町はよく遊びにいきますが、「吉良の赤馬」という民芸品やお菓子、酒などが売られていますけど、これは吉良上野介義央が赤馬に乗って領内を視察したと言う故事に因んだ名前で、地元では名君で知られています。
あの事件は、吉良にとっては災難のような事件で、勅使饗応は吉良が総責任者ですから、浅野が失敗すれば、咎は師匠であるわが身に降りかかりますから、嫌味くらいは言ったかも知れませんが、ワザと失敗するように仕向けるようなことはしておりません。
また浅野家は2度目のお役目で、吉良にいちいち伺いを立てなくても大体の流れは分かっていますから、お芝居のようなことは考えられません。
いろいろ不運なこともあり、吉良は京都に出張して体調を崩し、打ち合わせに十分な時間を取れませんでしたし、浅野は神経質な性格ですから、イライラが高じたとかあったようです。
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こんにちは。


吉良様の地元で吉良様の悪口言ったら石投げられますよ。(笑)
忠臣蔵で悪役にされちゃったけど、結構な名君だったようです。

確か、何年か前、赤穂と吉良の市長かなんかが「和解」したような催しをやったと聞きます。

浅野内匠頭さんが刃傷に及んだ本当の原因もどうやらほぼ解明されてるらしいですし。
元々、癲癇という病気を持っていて、当日も、朝、薬を飲み忘れて、松の廊下のふすま絵や廊下の艶などの反射光で発作を誘発したらしい、というのが大体間違えなさそうな所のようです。
ちなみに、たまたま、その時、吉良様は世間話をしていたようです。「近頃の若いものは・・・」と言ったとか言わないとか・・・。

むしろ、最大の失態は浅野家の江戸家老でしょうね。
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この回答へのお礼

gooの質問にこのような質問が多々ありましたね。でも吉良をよく言う人が多く赤穂浪士をあまりよく言わない答えが多いのはどうしてかなぁと。やはり映画やドラマなどで吉良が悪いのが多いから不満なのでしょうかね?
刀傷に及んだ本当の原因の解明はどうやってされたのでしょう?

お礼日時:2006/05/12 13:20

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