斑鳩(いかるが)という地名、なんだが
とてもいい響きですが、この地名の由来を
ご存知の方がおられたら教えてください。

なんらかの鳥の名前から来たのかなあ…?
でも、「いかるが」なんていう鳥は知らないし、
なぜそれが地名になったのだろう…?

なんて気になっています。

A 回答 (2件)

ここにありました。



参考URL:http://www.town.ikaruga.nara.jp/syo/11_syo_a_03. …
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この回答へのお礼

あう…

即決でしたねえ…。

すみません。斑鳩なんて鳥はいないという
先入観で、よく調べず質問してしまいました。

お手数を取り、申し訳ありません。

お礼日時:2006/05/16 12:34

鵤(いかる)(斑鳩とも書く)という鳥がいます



参考URL
goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%F3%A3 …

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%F3%A3 …
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この回答へのお礼

すみません、もうすこし調べて質問
すればよかったですね。

ご丁寧な回答、ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/16 12:34

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『角川日本地名大辞典』(角川書店発行)で調べてみました。
桜田門橋(さくらだもんばし)
内堀(桜田掘・凱旋掘)を渡る土橋の旧郭門橋。千代田区霞ヶ関二丁目から皇居外苑へ渡す。桜田門は通称で、正しくは外桜田門。本丸に近い内桜田門に対していう。門名・橋名は、古くこの辺を桜田郷と呼んで いたことからちなむ。この門は小田原街道の起点であり、徳川家康関東入国以前はここに関所の木戸門を設け、小田原門と呼んでいたという。

桜田郷(さくらだのごう)
平安京期に見える郷名。荏原(えばら)郡のうち。「和名抄」に見え、訓を「佐久良太」とする。

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Aベストアンサー

昔の塔であれば、いちおう、仏舎利を塔の下に収めていますよ。ただし、本物のお釈迦様の舎利ではないでしょうけれど。
今、いくつかの寺院などに仏舎利が伝わっていて、それは中国から請来されたものだと思われますが、たいていが水晶など宝石の類、もしくは玉の類だったみたいです。仏さまの本当のお骨ではありませんが、当時としては高価なもので、それを仏さまのお骨に見立てたわけです。
そういうものが実際に塔の下に収めてあるはずです。発掘調査などで出てくることもよくあります。

まあ、勢力を誇示するためといわればそれまでですが、私見では、勢力を誇示するというよりは、「ここに仏さまのお骨が収まっていますよ。ここへ来て仏さまに手を合わせましょう」というような、布教活動の一環といった方がいいように思います。それによって信者を集めてお金を集めて……などという見方もできるかもしれませんが、日本に仏教が伝わったころの寺院はそういうことよりも、とにかく仏教を広めたいという方向だったと思います。

また、「仏教に関わる知識人は、それまでの日本にない技術を持ち合わせている」=「それだけ仏教が教学的にも技術的にも文化的にも進んでいる」ということを示しているとも言えると思いますが、やはりそれも仏教を広めるためのものだったと思います。

実際に本物の仏舎利が収まっていないのだから塔には意味がない、というのではなく、「仏舎利とはきっとこういうものなんだろうなぁ」とイメージできるような代用品を収めることによって、人々に仏という存在に思いを致すように導くための重要な建物だと、私は思っています。

もう随分前の学生時代に習ったことなので記憶は薄いのですが、法隆寺など奈良仏教の寺においては、塔が一番重要な建物と位置づけられていたはずです。

昔の塔であれば、いちおう、仏舎利を塔の下に収めていますよ。ただし、本物のお釈迦様の舎利ではないでしょうけれど。
今、いくつかの寺院などに仏舎利が伝わっていて、それは中国から請来されたものだと思われますが、たいていが水晶など宝石の類、もしくは玉の類だったみたいです。仏さまの本当のお骨ではありませんが、当時としては高価なもので、それを仏さまのお骨に見立てたわけです。
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>地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?

そうですね。明確な文献等の出典を辿れない場合や物証が無い場合は、史実として確認できないので、伝説扱いになるのかと思います。

Webで調べたところでは、下記のサイトが一番詳しかったです。
これによると、「お花茶屋」と言う名称は、京成電鉄が開通した1931年に同地に誕生した駅名がもとになっており、それが地名(町名)となったのは1964年のことだそうです。
この地に「お花茶屋」にまつわる伝説があったことは確かなようですが、将軍は家光説と吉宗説の2つがあるようです。家光説の方は、茶屋の子孫である石井家に物証(由緒書等)があったようですが、今は紛失しているとの話が残っています。もしこれらの物証が残っていたら、史実とみなされる可能性もあったかもしれませんが、そのような珍しい遺品をもとにして物語が創作されることもままあるので、なかなかこの手の話が真実であったかどうかを見定めるのは難しい。

http://books.google.co.jp/books?id=VISxQwKe6MwC&pg=PA163&lpg=PA163&dq=%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%8C%B6%E5%B1%8B+%E5%AE%B6%E5%85%89&source=bl&ots=u-fnVhZRF8&sig=kzquFG8am-Q1WA8crtmruSQN3G4&hl=ja&ei=AsgITZOEA4WKvQPatL3hDw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=6&ved=0CDcQ6AEwBTgU#v=onepage&q=%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%8C%B6%E5%B1%8B%20%E5%AE%B6%E5%85%89&f=false

なお、「将軍が鷹狩していたら腹痛を起こして~」と言うシチュエーションの伝説は他にもあり、例えば向島の長命寺には、「徳川三代将軍家光が鷹狩に来たおり腹痛をおこし、そこに住職が加持した、庭の井戸の水で薬を飲んだところ、腹痛が治り、そこで井戸の水を長命水となずけ、長命寺の寺号を与えられた」と言う伝説が残っています。

だいたい家光は鷹狩の際に命名することがよほど好きだったようで、下記のサイトを見ると、長命寺も含め、いろいろな命名の来歴が残っています。これらのうちのいくつかは真実であったのだと思いますが、家光の命名癖がある程度有名になってくると、西行の桜と同じで、「家光公御命名のなんちゃら」と言うのが後世の流行りになって各地で物語が創作されたと言うこともありそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/index1/iemitu.html

余談ですが、この伝説をもとに杉本苑子が短編小説「菜摘ます児」を書いており、そこでは将軍は家治になっていますが、これは他に例が無いので、家治としたのは杉本さんの創作であると思われます。

>地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?

そうですね。明確な文献等の出典を辿れない場合や物証が無い場合は、史実として確認できないので、伝説扱いになるのかと思います。

Webで調べたところでは、下記のサイトが一番詳しかったです。
これによると、「お花茶屋」と言う名称は、京成電鉄が開通した1931年に同地に誕生した駅名がもとになっており、それが地名(町名)となったのは1964年のことだそうです。
この地に「お花茶屋」にまつわる伝説があったことは...続きを読む

Q五重塔に住めますか。

先日世界最古の企業「金剛組」が五重塔を建てている映像が流れました。578年(聖徳太子の時代)に出来た会社だそうです。
そこで自分の土地にこの五重塔を建てることは法的に可能でしょうか。またそれに住む事はできるのでしょうか。
お城を建てて住んでいる人がいるので、大丈夫なような気もするのですが、木造で5階建てになるんですよね。
ピラミッドを作って住むなんてことも出来ますか。
実際に作るつもりはありませんが、ちょっと疑問に感じましたので。

Aベストアンサー

現行法では難しいかもしれません。
土地にはさまざまな規制がありますので、
それをクリアすることはたいへんでしょう。
市街地ですと防火、準防火、22条地域などがほとんどですので、
広い土地がいるでしょうし。
かといって規制のない無指定の土地(山間部など)だとライフラインもありません。
軒高9m、高さ13mをこえる建築物は、防火性能を求められるため、
木造の場合は燃え代や耐火被覆が必要となります。
(今のところ、軸組や伝統工法ですと3階建てまで、それ以上は枠組工法でしか建たない)
文化財は、現行法が除外されていますから、改修もできるのですけどね。

モニュメントとしての、工作物であれば、逃げ道もありそうですが、
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Aベストアンサー

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こんばんは

西岡先生(神様ですな)は、すでに
天に召されてらっしゃいますので

著書をお読みくださいませ
http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/icenter/i1060.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/249-0101298-3141104?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E8%A5%BF%E5%B2%A1%20%E5%B8%B8%E4%B8%80

そして各地に散らばる
神の弟子の方々
http://www.tonotv.com/members/shajiiwt/index.html

http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/ogawa.html

特徴かぁ
基本的にヒノキ作りであること

特徴といっても
建立された時代によっても違うでしょう
宗派によっても違いますし

こんばんは

西岡先生(神様ですな)は、すでに
天に召されてらっしゃいますので

著書をお読みくださいませ
http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/icenter/i1060.html

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そして各地に散らばる
神の弟子の方々
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参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ka8001/fushimi.html

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