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全国には八坂神社が多く見られますが、
なぜ八坂神社の名前がついたのかが気に
なりましたので、ご存知の方がいらっしゃい
ましたら教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

八坂神社の公式HPに



八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。

とありますね。
このあたりに八坂造と称した高句麗からの渡来人が住んでいたので「八坂」という地名となり、そこで明治になって「八坂神社」としたのでしょうね。
「八坂」という名についてはそのとおりだと思います。
公式HPには出ていませんが、実は兵庫県姫路市の広峰神社と「本社争い」をしています。

神戸市の祇園神社のHPには、

平安時代の末期、第56代清和天皇の御世、京都では疫病が流行って多くの人々が死んだり、雷が落ちたりする災害がよく起こりました。
これらの原因は、災害で被害にあったり政治などで失脚した人々の祟りであり、その御霊を鎮める事によってその力を頂くと言う御霊(ごりょう)信仰がはやっていました。
そこで占いをし、姫路の広峰神社にまつられている素盞嗚尊(すさのおのみこと)がこれらの祟りを治めるのに力があるという事がわかりました。
今の京都・八坂神社の前身、京都北白川の東光寺(後に今の八坂の地に移り『祇園感神院』と称した)に素盞嗚尊をおまつりするため、貞観11年(869)のある日、姫路から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が出発しました。(以下略)
http://www.kobe-gionjinjya.com/index_g1.html

このように広峰神社が「本社」になるようですね。
参考URLをご覧下さい。

参考URL:http://www.kamnavi.net/it/kinki/hiromine.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました。本社争いのことも勉強になりました。

お礼日時:2006/05/25 13:19

一説では大和時代、高麗の調使であった伊利之(いしり)の後裔・八坂氏が朝鮮の牛頭(ごず)山に祀る牛頭天王を移したことに始まるともいわれています。

また帰化した八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神だった感神院が起源ともいわれているそうです。

八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神というのがポイントかと。

参考URL:http://www.digimake.co.jp/webtown/higashiyama/ya …
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
八坂造一族の説が濃そうですね。

お礼日時:2006/05/24 07:48

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