ジメジメする梅雨のお悩み、一挙解決! >>

こんばんは。18歳♀です。
私はいつからか「生きるとは何か」「愛とは何か」
ということを考えるようになっていました。
答えを知りたくて、自分を納得させたくて
自分の中で哲学をするようになっていたのです。
それを機に、大学も哲学科へ進もうと思っているのですが
正直、哲学者や哲学史についての知識がありません。
歴史上のどのような人物がどのような哲学をしたのか・・・。
おおまかにでも知るために、図書館で本は借りてきました。

哲学といっても、対象はいろいろあると思うのですが
私が一番したいのは「生」とか「愛」とかです。
中でも「愛」について、哲学をしたいのですが
そんなカテゴリーは存在するのでしょうか。
無償の愛とか、ヒトのもつ愛の正体を知りたく、
愛について哲学をしている歴代の哲学者を教えてほしいです。
自分にとって興味深い哲学者を見つけたいです。

知識が浅く、また抽象的な質問であり
申し訳ないですが、よろしくお願いしますm(_ _)m

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A 回答 (15件中1~10件)

哲学では、古来より愛に三つの姿があるとされていました。

エロス、フィリア、アガペで「愛の三形態」などともよばれます。このアガペというのが質問者さんのおっしゃっている「無償の愛」ですね。

これについては、このサイトに良い回答がありました。
取りあえず読んでみてくださいませ。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=460063
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1536239

基本的には、プラトン、アリストテレス→キリスト教(聖書)、スコラ哲学(アウグスティヌス、トマス=秋茄子(アクィナス))などをまず押さえる必要があると思います。これに、質問者さんの関心の広がりによっては仏教の「慈悲」なども含まれてくるしょう。

ただし、わたしは哲学を第一の専門とされるのはあまりオススメしませんね。今の学問は哲学から枝分かれしたといってもよいと思われますが、逆にいえば、それは哲学が専門学問ではないということです。

大学の哲学科は、「哲学する」所ではなく「哲学を学問する」所だと思います。本当に「哲学する」には、他に一つか二つの専門を持って、そこから哲学するのがいいと思います。個人的には、いまどき、他に専門を持たない哲学はありえない、という気がしています。

そういう意味では、私も#5さんの言われるように、生物学(社会生物学、行動生物学、医学(大脳学))などが良いように感じます。これは、心=脳という観点です。文系では、社会学の比較文化や文化人類学などもいいかもしれません。これは、心は行動で示されるという観点です。いずれにしても、哲学が必須教養であることはまちがないところなんですが…。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答、ありがとうございます!
luune21さんのお話で、少し考えました・・・
実際、大学で哲学科を選ぶことに迷いを感じ始めました。
哲学したい気持ちは確かなのですが
仰るように「哲学を学問するところ」、
哲学史などを学ぶところのような気がするので。。
他に専門を持つことを、しばらくじっくり考えてみようと思います!
私も必須教養だと思います、でも哲学科以外の視野で考えてみますね。
助言をありがとうございました。
プラトン、スコラ哲学、知っていこうと思います。

お礼日時:2006/07/02 13:39

無限の愛を常にもつことは難しいですね



うん、永遠に神様に愛されていると言うことから
始まる。お互いに神様を愛し、そして愛し合うという事

そして愛するというのは自分の力では無理でしょう
なぜなら人は罪の性質を持っていますからね
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愛というのは喜びというものが存在しますよね?


喜びがない愛というものはあるでしょうか?

たとえば許せない!という言葉は愛しているといえるでしょうか?

答えは否やでしょうね。
まず愛するには自分が喜びの中になければ他人を愛することはできないと思います。
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愛というのは喜びというものが存在しますよね?


喜びがない愛というものはあるでしょうか?

たとえば許せない!という言葉は愛しているといえるでしょうか?

答えは否やでしょうね。
まず愛するには自分が喜びの中になければ他人を愛することはできないと思います。
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愛というのは喜びというものが存在しますよね?


喜びがない愛というものはあるでしょうか?

たとえば許せない!という言葉は愛しているといえるでしょうか?

答えは否やでしょうね。
まず愛するには自分が喜びの中になければ他人を愛することはできないと思います。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
確かにそうですね、与えることの喜びなくしては
本当の愛とは呼べないかもしれません。
許せないという感情は、裏切られたり、あるいは
傷つけられた自分に対する愛情からくる感情。
そこに相手への愛はないような気がします。
でも、人間ですから、そんな神のような
無限の愛を常にもつことは難しいですね。

お礼日時:2006/07/07 22:40

愛とは


許すことあなたを嫌っている人も
愛すること

どうでしょうか?あなたの人生の中で一番嫌いな人を愛すること、そこには自分という存在を忘れ、過去を忘却させ
新しく生きるという事。

イエスを呪い、そして神をののしっていた人まで
神は愛し、許してくださいました。
それが過去の私ですね。

自分の肉、欲望、自分中心から他者中心、相手の言葉に振り回されない自分、そんな自分になれたらいいなあ~
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
キリスト教の方ですか。
許すこと・・・ですね、
確かに私も、何よりも嫌いな父を許すことで
ある種、自分も救われました。
しかし、許すことは私の中で愛の定義ではない気がします。
ご意見ありがとうございました☆

お礼日時:2006/07/07 10:30

振り返ってみると今まで愛という名のもとに散々な目に遭ってきた気がします(笑



自分は愛に関しては否定的というか良いイメージが沸きません。以前、本を読んでいた中で「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳にすぎない」という箴言があり、うまく理解できなかったのですが愛という言葉を思い出してすんなり理解のネットワークが広がりました。

まあ美徳というか、人間における一般的に良いと思われている諸性質の中で愛ほど悪態に変化しやすく、欺瞞に満ちたものはないと思います。個人的にはあらゆる愛(というか人間あらゆるの動機、行為)は利己的なのだけれどその利己性が大きな問題なのではなく、問題なのは愛というのが盲目的になりやすく、そこに於いて自己反省、自己批判の精神が欠けやすく、また希薄になりがちなのだということです。
多くの愛という感情(または行為)ではそれらのものが付随しにくいので愛が対象に受け入れられないとなるとその事態の「全責任」を押し付けるところが愛の恐ろしいとこです。

ということで無償の愛というもの自体現実的にとても考えにくく、ありえそうに無い。そもそも利己性というのが愛の本性だとすると無償の愛というのはその結果掲げられた、ただのアンチテーゼ的な理想に過ぎないと思う。

百歩譲って無償の愛というのが考えられるとすれば、それは仏教的無我、無心の境地での主語が不在といえるような行為においてだろうか。しかしこれもキリスト教的アガペー同様とても難易度が高そうな気がします。。

まあ自身の人生経験、人間不信からいうと「そもそも人(他人)は愛するに値するのか疑問」というのが実際の考えです。それと個人的に愛ほど実感がわかない抽象的概念もないですね。どこかの表現を借用すれば「愛は人生において必要条件でもなければ十分条件でもない」といったところです(大体のニュアンスで理解してください)

<愛について哲学をしている歴代の哲学者を教えてほしいです

詳しくないですが、ほとんどの哲学者が愛について哲学しています。量は多くなかったり中心的テーマでなくても著作なり適当に読んで探っていけば意外にもかなりの部分があると思います。

あと、確かに大学は哲学を学問するところでもあるのですがそれは授業科目で~講義、
~概説といったものに多く、「~演習」と科目に名がつくものは文字通り「哲学する」こと時間が割かれ重点が置かれます。自分だけでなく、他の人と「共に哲学」するとこなのでとても有意義に感じました。場合によって、必ずしもそういう機会があるとは限らないと思いますが。
愛や生だけでなく広く哲学一般が好きであれば哲学科を選んでも後悔はないと思います。専門の時間はほんと楽しいですからね。
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この回答へのお礼

たくさんの考えを交えてのご回答、ありがとうございます。
gooeggさんもいろいろな経験があって、
今の考えにいきついているのでしょうね。
愛の恐ろしさについて、私も同感です。
>自身の人生経験、人間不信からいうと
>「そもそも人(他人)は愛するに値するのか疑問」
私もそう思っていた時期がありました。
でも、人を疑って自分の存在を疑って
不信になっているのは心のどこかで
「愛を求めているから」だと私は思うのです。
受け入れられなかったり認められなかったり傷つけられたり
それで、もう二度と信じまいと、何もかも否定して
一人になることで自分を守ろうとして
でもやっぱり一人じゃ生きることなんてできないんだと分かりました。
そしてそういった否定する気持ちは本質的に求めている裏返しなのだと知りました。
愛って種類は異なれど、いたるところに溢れているんだと思います。
そして人間にはそれがなければ生きていけないんだと、私は思います。
個人的な意見ですが^^;

>個人的に愛ほど実感がわかない抽象的概念もないですね。
ほんとうにそうですよね。
だからこそ、人は確かめたがるんでしょうか。
大学についても、アドバイスありがとうございます☆
まだ悩みますが納得できるよう、じっくり考えていきます。

お礼日時:2006/07/03 18:54

#4です。

愛には大きく分けて6種類ありました。下に書いておきましたので、参考にして頂けたらと思います。

「エロス」(情熱的な恋愛)
 相手に理想的な特性・特質を見出して惚れ込む情熱的でロマンティックな恋愛の形態で、多くの恋愛はこのエロスに該当します。エロスは精神分析の文脈で考えると、“リビドー(性的衝動)”が文学的で耽美的な異性愛の方向へと転化されたものであり、相手と性的関係を持ちたいという性愛欲求の形態をとって顕在化してきます。エロスは、恋人との性的快楽の共有を独占したいという排他性の特徴を持ちます。二人だけの恍惚とした幻想的な世界観を持ち、ロマンティックな感情表現が多く行われることもエロス的恋愛の特徴と言えるでしょう。


「ストロゲー」(友愛的な恋愛)
 親密で温かな友人関係が穏やかにゆっくりと発展して、恋愛関係となったものです。あるいは、友情的な雰囲気が性愛的な雰囲気よりも強い恋愛関係であり、親しみやすさや安心感が前面に出ている事が特徴的な関係です。燃え盛るような官能的な愛情表現は余り見られず、陶酔的な激しい性的興奮よりも、一緒に居てゆったりと安心できる信頼感や親近感によって支えられる恋愛関係です。長い年月を共にする仲の良い夫婦などは、『激しく燃えるエロス』から『穏やかに継続するストロゲー』へと自然に移行していきます。キリスト教的な恋愛観では、ストロゲーは親子関係の愛情とされ、フィリアが友愛関係とされることもあります。フィリアは、“philosophy(哲学=知を愛する学問)”のフィロ(philo)が“愛する”という意味を持つように、本来、理想的な対象・事物を愛するといった意味があります。


「ルーダス」(遊戯的な恋愛)
 刹那的な快楽・興奮や一時的な刺激・陶酔などを得ることを目的としたゲーム感覚の遊戯的な恋愛がルーダスです。相手と継続的に親密な関係を維持しようという意図がない為に、ルーダスの恋愛では相手に対する独占欲求や執着心が殆ど見られず、不特定多数の相手と同時に恋愛関係を持つ事もあります。自分自身が、より多くの快楽や喜びをどれだけ相手から引き出せるのかという利己的なゲーム的恋愛ですので、相手の幸福や楽しみの為に自分が何かを犠牲にする事がない事も特徴的な事でしょう。相手に依存したり執着しない代わりに、相手からの依存や執着も受け付けず、一定の距離感を保って割り切った刺激的関係を持とうとするのがルーダスの恋愛です。


「マニア」(狂信的な恋愛)
 エロスの相互的な独占欲求の程度を逸脱した熱狂的で支配的な恋愛関係がマニアです。“mania”は、精神障害の分類で、躁うつ病(双極性障害)の『躁状態』を意味する言葉でもあり、異常に気分が高揚してハイになり、精神活動が活発になり過ぎている状態を意味します。恋愛関係のマニアは、狂信的に相手に惚れ込んでしまい、現実検討能力が低下して、相手の気持ちや考えを無視してでも自分の思い通りに相手を独占的に愛そうとする激烈な性衝動であり恋愛欲求と言えるでしょう。自分自身で、相手に対する過度に高ぶった恋愛感情を制御する事が出来ないので、強烈な嫉妬心に苦悩したり、絶望的な悲哀や極度の落胆に襲われたりします。そして、相手から明確に拒絶された場合には、ストーカー行為へと進展してしまったり、相手を逆恨みして攻撃したりする事もあります。行き過ぎた過度のマニアが恒常的に見られる場合には、精神病理学の病態水準で言う『境界性人格障害(ボーダーライン)』を疑う必要もあるかもしれません。


「プラグマ」(実利的な恋愛)
 プラグマの恋愛とは、物事の価値を有用性や効率性で判断する“プラグマティズム(実利主義)”に根ざした恋愛関係です。プラグマでは、相手と交際し関係を持つ事によって『利益や快楽』が得られるか否かという損得勘定・功利判断があって、恋愛の相手を選択する事となります。一般的に功利主義的判断を前提とするプラグマは、精神的な結びつきを重視する恋愛関係よりも物理的な生活を重視する結婚関係において多く見られます。プラグマでは、恋愛・結婚の対象を選択する場合に、相手自身に備わる身体的魅力・精神的魅力が軽視され、社会的要因として有利に働く経済力・将来性・社会的地位や名誉が重視される傾向があります。

「アガペー」(博愛主義に根ざす利他的な恋愛)
 アガペーの原義は、キリスト教世界観における“神の無償の愛”であり、“人間の利己的な愛”であるエロスと対照的で対立的な愛の形態です。エロスが、理想的なイデアとしての異性を恋慕して、『自分の好きな相手を選択する自己充足的な愛』であるとすると、アガペーは、愛情や優しさを求める全ての人間へと捧げられる無条件の愛であり、『自分の選好(好き嫌い)や功利(損得)を考慮に入れず、相手を主観的理由によって選択しない他者充足的な愛』です。原義が、旧約聖書に記述される神の愛であり、新約聖書で示されるイエス・キリストの自己犠牲的な博愛なのですから、普通に考えると、恋愛によって快楽や幸福を得たいと願う人間には実現不可能な理想的な愛の形です。また、厳密にアガペーの『無償の無条件の愛・無差別の自己犠牲的な愛』の定義を当て嵌めると、特定の相手を好きになる人間の恋愛関係は全てアガペーには該当しないということになります。そこで、少し制限を緩めて『自分中心ではない利他的な恋愛関係・自己犠牲を厭わない献身的で純粋な恋愛関係』を指示してアガペーという事もあります。
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この回答へのお礼

二度目のご回答、ありがとうございます!
ご丁寧に書いてくださって本当に感謝です★
参考にします。

お礼日時:2006/07/03 18:57

誰かが、愛とは体験しなければ決して分からないものの一つだと言ってました。


言葉でそれに近づくことは不可能だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね、体験しなければ
どんなことでも、その意味はわからないと思います。
私は、私が心から大切だ(愛している)と思う人がいるのに
その人よりも自分が一番大切で(愛していて)
結局、本当の愛とは何か。と今思っています。

お礼日時:2006/07/02 13:59

他の方がお答えにになっていますので違うお話を。

。。

愛とはなにかを考える前に、
愛を感じたことはありますか?
愛を与えたことはありますか?
知識は人を導くこともあります。
良い方向か悪い方向かはあなたが選ぶことができます。
五感で感じたことを脳で整理して言葉というラベルが貼られます。
その作業で重要なのは「愛」という感覚。
今、「愛」という文字を見ていくつ意味やイメージを浮かべることができますか?
経験や体験を通して「愛」という文字に、多くの意味やイメージが追加されることでしょう。
それにはまず感じることです。
「生」という言葉に何を感じますか?
苦しみですか?喜びですか?
考える前に「生」を感じてみましょう。
たくさん感じることによって人生が豊かになります。
言葉に命が吹き込まれ真の理解に導くことでしょう。

良い出会い、良い本にご縁があるといいですね。
頑張ってください。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
考える前に感じることが大切ですよね。
体験をもとに・感じたことをもとに
自らの哲学になっていくと思います。
私は去年、愛も生も感じることができなくなりました。
存在を否定され、愛されない自分に希望がみえなくて
当然、そんな自分は他人に与えることもできないし
自分自身に生の意味を見出すこともできませんでした。
そして自分の存在とは何かということなどを延々と考えていました。
悲惨でしたが、その時期があって今がある気がします。
あのとき感じたいろいろな疑問を
私は一生をかけて見つけていきたいのです。

これからの人生、たくさんの経験をして
たくさんのことを感じて、豊かな人間になりたいです。
その上で、自らの哲学を導き出したいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/02 13:51

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Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Q眠るように死ぬ方法ってあるでしょうか?

あくまで健康な人が眠るように死ぬ方法、または眠ったまま二度と起きないという風に死ぬ方法ってあるでしょうか?
これは自殺志願のための投稿ではなくて、自分もいつか死ぬわけですからこんな死に方ができたらいいなと思っています。
医療の現場で行われる安楽死・尊厳死ってこういう方法なのでしょうか?またはこれに近いでしょか?

Aベストアンサー

「突然死」という言葉を聞いたことがありますか?
昨日まで元気だった方が、朝になっても起きてこないので、見に行ったら死んでいた。
こういう事例はよくあるそうです。
10年以上前になりますが、兵庫医大の法医学の教授の講演を聞きました。
テーマは「突然死」
突然死のおよそ80%は、虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)だそうです。
その中で、就眠中に亡くなるのは、およそ65%くらいだそうです。
急性心筋梗塞でも「眠るように」とはいかず、ある程度は苦しんだ末に亡くなるのでしょう。
私も、眠るように死ねればと思っております。
回答になってなければ、ごめんなさい。

Q人間の3大欲とはなに?

この質問は このジャンルでふさわしいのかどうかちょっと迷ったのですが・・・。

人間の 3大欲といわれるものがありましたよね。
あれは 食欲と 後はなんでしたでしょう?

また その「人間の3大欲」という言葉は
誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の三大欲望は
食欲 睡眠欲 性欲 です。
食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q一度冷めた気持ちは絶対に戻らないものですか?

女性が恋愛感情をなくし、気持ちが冷めてしまったら、別れを一度決意して別れたら、同じ人に恋愛感情が再び戻るという事はないとよく言われます。女性の方で一度気持ちの冷めた相手をもう一度好きになったと言う方はおられませんか?
 おられたら気持ちが戻るきっかけなど、相手のどういう変化にもう一度気持ちが戻ったのかを教えて頂けないでしょうか。

Aベストアンサー

♯3です。
何だか気になってまた登場してしまいました。

不満が積み重なって恋愛感情がなくなったといわれたんですか…。
お辛いですね。
私を含めてですが、女性って些細な不満を一回一回口には出さずに溜め込んでしまう人が多いと思うんです。
それで、積もりに積もってある日爆発してしまうんですよね。
なかなか不満を言えない女性には、
そういう事を話し合う機会や雰囲気作り(?)も必要だと思うんです。
全ての不満を言ってたらキリがねいですけどね。
改まった場所を作るって意味じゃなくって、
お互いに聞く耳を持つ事も大切なんじゃないかなぁって。
付き合うということは一人では決してできない事だからこそ、
相手の事を尊重しないとって思います。
質問者様がどのようなお付き合いをされていたのか分からないのですが、
彼女さんに不満が溜まっていたのなら
もしかしたら何か不満を言い出せないような状況だったのかもしれませんね。

もし復縁したいのであれば、今すぐ復縁を迫ることが得策ではないと思います。
ある程度期間をあけて、その間にいっぱい自分を磨いて、
そして成長した質問者様の姿を見た時に、
もしかしたら彼女さんはまた質問者様の良さを再認識して
好きになるかもしれませんよ♪

えらそうな事を言ってしまってすみません。
実は私も半年ほど前に彼と別れて、今自分を磨いている途中なんです。

お互い頑張りましょうね☆

♯3です。
何だか気になってまた登場してしまいました。

不満が積み重なって恋愛感情がなくなったといわれたんですか…。
お辛いですね。
私を含めてですが、女性って些細な不満を一回一回口には出さずに溜め込んでしまう人が多いと思うんです。
それで、積もりに積もってある日爆発してしまうんですよね。
なかなか不満を言えない女性には、
そういう事を話し合う機会や雰囲気作り(?)も必要だと思うんです。
全ての不満を言ってたらキリがねいですけどね。
改まった場所を作るって意味じゃなくって、
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Qエロスとは?

エロスとは何ですか? エロスという言葉は、文脈によって、以下のように様々な意味で語られているように思えます。(1)に限定していればわかりやすいのですが、(4)まで広がってしまうと、そもそも「エロス」って何なのか、さっぱりわからなくなります。

(1)性欲、性愛、男女間の愛
(2)男女間の愛よりも広く、人間一般への愛、隣人愛・人類愛などを含む。
(3)人間への愛だけではなく、物事への愛を含む。知識欲などを含む。
(4)もっと広げて、「生きる」ことへの情熱、あるいは、欲望全般。

結局、「エロス」って何なんでしょうか?

Aベストアンサー

エロスはもともとギリシア神話における愛の神の名で,ローマ神話におけるクピド(キューピッド)に相当します。
あらゆるものを結合する力を擬人化したもので,アフロディテ(ローマ神話ではヴィーナス)の子とされます。

エロスは人間の娘プシケと恋に落ち,アフロディテが課した過酷な試練を乗り越えて恋を成就させます。
このことから,エロスは(1)のように恋愛・性愛を指して用いられるのが一般的です。

(2)のような無償の愛,神の愛はアガペーと称され,エロスとは対比されることが多いと思います。
(2)や(3)をエロス含めるのは,たぶんプラトンにおける独特の用法ではないでしょうか。
『肉欲から始まり,愛の上昇の種々の段階を説き,最高の純粋な愛は美のイデアに対するあこがれであるとし,
エロスは真善美に到達しようとする哲学的衝動を意味する』(広辞苑第五版)
というのがプラトンの説です。

また(4)は,フロイトの精神分析における用法に近いものです。
フロイトは生の欲動(本能)の意味でエロスの語を用い,晩年にはこれを死の欲動(本能)であるタナトスと対置させました。

エロスはもともとギリシア神話における愛の神の名で,ローマ神話におけるクピド(キューピッド)に相当します。
あらゆるものを結合する力を擬人化したもので,アフロディテ(ローマ神話ではヴィーナス)の子とされます。

エロスは人間の娘プシケと恋に落ち,アフロディテが課した過酷な試練を乗り越えて恋を成就させます。
このことから,エロスは(1)のように恋愛・性愛を指して用いられるのが一般的です。

(2)のような無償の愛,神の愛はアガペーと称され,エロスとは対比されることが多いと思い...続きを読む

Q恋愛とは何ですか?

僕は四半世紀近く生きてきて、本気で誰かを好きになったことがないです。これまで女性と関わる場が少なかったのです。これも自分だと思っています。

若者に多い、出会いを探しまくってる人はただの体目的でしかない気がします。聞こえが悪いから「恋がしたい」と言っているだけで、本音はただ「ヤりたい」のではないでしょうか。沢山の交際を体験することがステータスなのだろうか?

さも自分が凄いことをしているかのように恋愛遍歴や性体験をアピールして自慢して、それがしたいがために恋愛対象を探してるとしたらとてもバカげた話です。彼らはきっと「元カレ」、「元カノ」、そんな言葉が使えることに酔いたいだけです。

だから一歩間違うと援交や中絶やストーカー殺人などの悲惨な結末が起きてしまうのです。

恋愛経験など気にせずに自分らしくいたくても少数派でいることに傷口を抉られる思いです。自分もそっち側(ヤりまくり)に行ってみたいと思ってしまいます。

話が脱線してしまいましたが、つまり「恋愛」とは何なのでしょうか。恋がしたいから相手を探すものなのか、日常生活の中で自然発生的に感情が沸き起こるものなのか。

頭の堅い僕は後者であるべきだと考えますが、一般的には前者が普通だとみなされるようでがっかりです。裸は沢山の人数に晒すべからず、だと思うのに…

お互いのことをよく知らない交際など風俗店と何ら変わらないではないか。

どう思いますか?

僕は四半世紀近く生きてきて、本気で誰かを好きになったことがないです。これまで女性と関わる場が少なかったのです。これも自分だと思っています。

若者に多い、出会いを探しまくってる人はただの体目的でしかない気がします。聞こえが悪いから「恋がしたい」と言っているだけで、本音はただ「ヤりたい」のではないでしょうか。沢山の交際を体験することがステータスなのだろうか?

さも自分が凄いことをしているかのように恋愛遍歴や性体験をアピールして自慢して、それがしたいがために恋愛対象を探して...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。個人的意見ですが、少しでも助けになれば。

大多数の人は異性に対して「どうしても好きになってしょうがない」ということを体験するのですが、ゲイの話しは別として、本当に色恋が関係無くひょうひょうと生きる人もごくまれにいます。
そして性欲が備わってくるにつれて、性欲という汚いものと恋愛というきれいなものが一致せず、その齟齬に煩悶したりします。

そうした感覚から疎外感を味わって不安になったり、多数派になる必要はありません。
ですが、最後に述べる理由から、異性とは友人感覚での付き合いがあり、そこから恋人っぽいとこまで進んでもいいんじゃないかと思います。

この問題について、一つずつ追っていきましょう。

1.性欲について。

まずは恋と性欲は違うんじゃないの? という疑問から。

質問者さんは男性ですか? 
それであれば、「とっかえひっかえヤリたいなあ~」というのは動物として自然な反応です。
雄一体がボスとなり、他の雄を淘汰・あるいは排除し、残りの雌を独占する、いわゆるハーレムを作ったり、ひょいひょい付き合う相手を変えるというのは、ライオン、ゴリラ、オットセイ、ゾウアザラシ、アシカなどで見られ、人間の例も歴史を見る限り、トルコのハレムや、日本の大奥、あるいは真偽のほどは分かりませんが、浮名を流しまくったケネディ大統領なんて人もいました。イスラームでは4人の妻が持てるのですが、経済的事情により大体一人の奥さんになるそうなのですが、経済事情が許せば3人までは結婚するのだそうです(そしてイギリスとかにおねーちゃんを買いに行った時、入店時に4人目の妻として結婚、退店時に離婚するそうな(笑))。
この他ヤリヤリだった歴史上の人物は数知れず、豊臣秀吉、チェーザレボルジア、もうみんなとにかくヤリにやってヤリまくってますおらおらみたいな。

与謝野鉄幹の噂もこんなのが。
教員時代:養子に入った実家(宗教法人)のコネで教員になる。しかし女子生徒複数と性的な関係に陥り複数の子供を孕ませて産ませたりしてクビ。
上京後:最初の夫人を離縁して学生時代孕ませた女生徒のうち一人と再婚。のち与謝野晶子と出会いさらに離婚&再婚。

私の職場にも、机が固まっている一つの島があって、そこに座っている人たちを大体食ったというツワモノの女性もいれば(既に退職)、全国各地に女性がいるというツワモノのオトコもおりました。

とにかく「とっかえひっかえヤリたいなあ~」というのは、歴史も洋の東西も、生物の種も超えてとにかくそうした例が多量に存在するのは分かりましたか? 
歴史を紐解けば紐解くほど「人間って純粋じゃないな」と思うこの頃です。

2.恋について。

ちょっと真面目な話しをします。
恋ってなんでしょうか? 辞書を引いてみましょう。


こい〔こひ〕【恋】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/71244/m0u/
1 特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「―に落ちる」「―に破れる」


辞書というのは、言葉の意味の入り口まで連れて行く案内人にはなってくれるのですが、その言葉の森の奥深くの神聖な場所まで連れて行ってくれません。
例えば「お前童貞だろ! 」と言う言葉は「性交渉が無い男性ですね。」という意味の他に、侮蔑と侮辱の言葉が必ず入ると思います。あるいは「あなたは白人ですね」というと「人種としてコーカソイドですね。」という意味の他に「この世界でどちらかというと有利な立場の人間だ」という意味合いが必ず付随します。
辞書は、人間のそうした二次的な心情の意味合いには触れにくい傾向があります。つまり恋にも上記の意味合いだけでなく、更に奥の院があるということです。

この恋についても、辞書の説明だけではなく、私から補足しておきます。
いきなり結論を説明してもちょっと分かりにくいので一つずついきましょう。

まず「死」とはなんでしょうか? 
キリスト教の研究によりますと、「死」の本質とは、関係の喪失であるとのことです。
例えば誰かが死んだとして、お葬式に出席して「あの人が死んで悲しい」という感情が出てきたとします。
これは、その人との関係が恒久的に失われてしまったから、ということに他なりません。

それでは「生」とはなんでしょうか? 
「死」から反対の意味に考えてみると、そこには関係が繋がっているという喜びが裏に隠されているのだと私は考えます。

更に私は考えます。
この世の社会を構成している人間が喜んだり悲しんだりする原因というのは、人間同士における関係の強化や承認、あるいは切断や期待、あるいはその実績による安堵ではないのかと。

ひるがえって「恋」とは何でしょうか? 
私は考えます。それは特別な人間関係における期待値のことです。
「あの人が好きでしょうがない」という状況は特別な人間関係を築きたいという期待、願望の表れです。
そして「特別な関係」とは最終的にヤリヤリな関係になるということです。
特に男性側は、(ヤリヤリな関係だけでなく)「精神面までも俺に惚れさせたい、そこで到達できるゴール地点として特別な関係が存在する」と考える傾向が強く、女性側は(ヤリヤリな関係になったことによって)「特別な関係にまで達することができる(精神的な面はそこに到達している時点でもうクリアしてるでしょ)」と考える傾向が強いように思われます。
一見、二者同一に見えるのですが微妙な齟齬が存在します。
男性側は「特別な関係」は精神面重視(そしてヤリヤリは別問題と建前で見せているが、本当は心の底からヤリたい)、
女性側は「特別な関係」は全部ひっくるめて男女の仲なんでしょ、と割り切っているフシがあります。
というより私が付き合った女性がこんなんだったのでそう思っているだけなのかもしれませんが・・・。

そして「愛」とは特別な人間関係における実績のことだと私は考えます。

以下の文章は、恋と愛が上記のものであるという作業仮説を基にして書いていってみますね。

3.
さて、この「恋」なる期待値と性欲は、期待値は神聖で、性欲は不浄であるということですが、確かにこの二つは一致しません。
ですが「愛」ともなると、性欲との一致が見られます。

女性側は期待値を自分で選定できないのではないかと思います。
期待値の実物や基準などを男性側から提示していく・・・そのようなことが必要なんじゃないでしょうか。

今は期待値と性欲が一致しないでいて煩悶しているのだと思うのですが、まあ何となく仲良くなった女性とまあやってみて共同生活してみて、二人で一つの人生を作っていくと、実績と性欲がまま合致していくと思うので、恋とは別に愛情を探っていく方向へチェンジしていけばいいと思うのです。

まあ男女分け隔てなく友達づきあいをして、仲がいい女性とご飯に行くことからお勧めしますよ。女性とは付き合って損は無いと思います。

こんにちは。個人的意見ですが、少しでも助けになれば。

大多数の人は異性に対して「どうしても好きになってしょうがない」ということを体験するのですが、ゲイの話しは別として、本当に色恋が関係無くひょうひょうと生きる人もごくまれにいます。
そして性欲が備わってくるにつれて、性欲という汚いものと恋愛というきれいなものが一致せず、その齟齬に煩悶したりします。

そうした感覚から疎外感を味わって不安になったり、多数派になる必要はありません。
ですが、最後に述べる理由から、異性とは友人感覚で...続きを読む

Q四次元というのはどんな世界ですか?

そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?
三次元の世界とは縦横高さのある空間の世界だと思います。
これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?
我々の世界にも時間があるので、四次元といってもいいのでしょうか?
それとも四次元とは時間とは無関係の世界なのでしょうか?
あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタインでした。
 彼は、リーマンという数学者が作った、
曲がった空間の幾何学(現在リーマン
幾何学と呼ばれています)を使い、4次元の
空間が歪むという状態と、重力や光の運動を
あわせて説明したんです。これが相対性理論。

>これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?

 物理学的にはそうです。

 相対性理論の話に関連付けて説明するとこんな感じです。
例えば、下敷きの板のような平面的なもの(数学的には
これを2次元空間と言ったりします)を曲げると
いう動作を考えてみて下さい。下敷きに絵が書いて
あったとして、曲げながらそれを真上から見て
いると、絵は歪んで見えます。平面的に見て
いても下敷きという2次元空間が歪んでいる
ことが感じ取れます。
 2次元的(縦と横しかない)な存在である下敷きが
歪むには、それ以外の方向(この場合だと高さ方向
ですが)が必要です。

 19世紀に、電気や磁気の研究をしていた学者たちが、
今は小学校でもやる砂鉄の実験(紙の上に砂鉄をばら撒いて
下から磁石をあてると、砂鉄が模様を描くというやつです)
を電磁石でやっていたときに、これは空間の歪みが
原因ではないかと直感したんです。
 電磁石の強さを変えると、砂鉄の模様が変化します。
これを砂鉄が動いたと考えず、砂鉄が存在して
いる空間の歪みが変化したのでは?と考えたんです。

 3次元の空間がもう1つ別な方向に曲がる。
その方向とは時間という方向だということを
証明したのが、相対性理論だったんです。


>あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

 4つ目の方向である時間は、存在していても
その方向に、人間が自由には移動する方法は
現在ありません。時間方向を自由に動ける機械と
いうのは、タイムマシーンのことなんですが。

 日常生活を考えてみたとき、縦、横といった
方向は割りと自由に動けます。1時間ちょっと
歩けば4kmくらい楽に移動できますが、
道路の真中で、ここから高さ方向に
4km移動しろと言われたら、人力だけでは
まず無理でしょう。
 飛行機やロケットといった道具が必要と
なります。
 時間方向というのは、このように存在していても
現在のところ自由に移動できない方向なんです。

 例えば、人間がエレベーターの床のような
平面的な世界に生きているとしましょう。

 この場合、高さ方向を時間と考えて下さい。

 エレベーターは勝手に下降しているんです。
この状態が、人間の運動と関係なく、時間が
経過していく仕組みです。

 人間もほんの少し、ジャンプして高さ
方向の移動に変化をつけることができます。

 同様に時間もほんの少しなら変化をつける
ことができます。

 エレベーターの中で、ジャンプすると
ほんの少し下降を遅らせることができる
ように、時間もほんの少し遅らせることは
できるんです。




 

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタイン...続きを読む

Q『愛』 の定義をご記入ください

論理的にお願いします。
それに、愛に限らず定義辞書の様な物はないのですか?

Aベストアンサー

NO5定義ノート
言葉の定義は、その言葉が他の言葉と異なった用いられ方をすることについて、相違点を基に別の言葉に置き換える作業である。
~の愛という表現がある場合、~ではない愛も想定されていると考えられる。愛全体を定義する場合、定義には~ではない愛も含められなければならない。
愛について、人間の理性に根拠を求めようとすることには無理がある。愛する対象や時期を選ぶことなど出来ない。愛さずにはいられないのである。

鬼子母神は多くの子を持ちながら他人の子どもを捕らえて食べていた。そこでお釈迦様が彼女の末の子どもを隠し、子を失う苦しみを悟らせた。鬼子母神は子どもと安産の守り神となった。鬼子母神は他人の子どもを捕らえて食べていた時期にもわが子は愛していた。しかし他人もそれぞれ子を愛していることに思いが至らなかった。鬼子母神の場合は自分の大勢の子のうち一人を隠されることによって他人のそれぞれの子への愛の存在を理解した。そして理解に留まらず、子どもというものを愛するようになった。
愛の対極は憎しみではなく無関心や忘却である。

原則的に生存、維持向上しようとする本能は生き物にとって必要不可欠である。また生命を謳歌するものは美しく感じる。美しく感じるものはそばにおいておきたい。日本においては滅び行くものにも美を感じる。この日本的な意識は少しずつ廃れているように感じる。

人間の生存、維持向上についての本能は、例えば怒りによって闘う逃げる状況にあると反応し、アドレナリン分泌によるストレス応答を引き起こしてしまうように、現代に生きる私たちの生存、維持向上に合わなくなっている側面がある。

定義をするためのメモです。何回もすみません。

NO5定義ノート
言葉の定義は、その言葉が他の言葉と異なった用いられ方をすることについて、相違点を基に別の言葉に置き換える作業である。
~の愛という表現がある場合、~ではない愛も想定されていると考えられる。愛全体を定義する場合、定義には~ではない愛も含められなければならない。
愛について、人間の理性に根拠を求めようとすることには無理がある。愛する対象や時期を選ぶことなど出来ない。愛さずにはいられないのである。

鬼子母神は多くの子を持ちながら他人の子どもを捕らえて食べてい...続きを読む


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