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 世の中結果が全てなのでしょうか?奇麗事は抜きにして。
 例えば、いくら受験勉強をがんばったからといっても、志望校には入れず、ちがう学校に入学したとします。逆に、思いがけず奇跡的に合格してしまう人もいると思います。この両者が同じ学校に進学した場合、合格するまでの道のりはちがいますがゴールは同じことになりますが、やはり評価は同じですよね。

 変な例えで申し訳なかったんですが、要は、いくら努力してもがんばっても、結果が出なければ意味がないのではないかということです。私はまだ学生なので社会に出たことはありませんが、仕事でも、結果を出せなければがんばろうががんばるまいが同じ気がします。

 みなさんはこれについてどう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

世の中の、究極の「結果」とは死です。


生きていることの最終的な結果(答えではない)は、最後は誰でも死ぬと言うことであり、これ以外はありません。
だから、受験で成功した人も、最後には死にますし、失敗した人も同様です。

となると、結果だけを追い求め続けるのは、なかなか大変だと思われます。例えば、受験に成功し、いい仕事も得られた。その仕事も成功した、でも今述べたような、どちらかと言えば外面的な成功だけでは、死ぬことの穴埋めはなかなかできません。
だから、何不自由なく生まれ育ったお釈迦様も悩んじゃったようですね。

文面を見ていると、結果云々ということよりも、何事かに対しての不満や憤り、無力感があって、ご質問のような気持ちになってるのではないかとも思いました。
そこから考えてみたらどうでしょうか。
私もそうですが、普通の人は、とにかく投げやりにならず、地道にやるしか方法はありません。
その結果が「他者から見て」また「一般的評価として」失敗だとしても、その本人がよしとすれば、それでいいと思います。
天才バカボンのパパも「これでいいのだ」といっていますが、その辺のことを指しているのかもしれません。いかがでしょうか。

この回答への補足

みなさん、回答ありがとうございました。
そろそろ締め切りたいのですが、どの回答もすばらしく、ポイントが付けにくかったのであえて該当者なしにさせていただくことをお許しください。

補足日時:2006/07/16 14:33
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

はい・・私自身長年の努力と我慢が報われないことがあって、なんだか嫌になってしまったので・・。

>その結果が「他者から見て」また「一般的評価として」失敗だとしても、その本人がよしとすれば、それでいいと思います。

自分自身が良しと思うのは、実はすごく難しいことですよね。個人的にはそう思いたいのですが、周りや世間一般的な評価を得ないとそう思えない、弱い自分がいます。

お礼日時:2006/07/15 01:34

お尋ねでしたね。

遅くなりました。m(__)m

>全て無駄に・・・

受験とは目標があってやる物です。
目標となる試験に不合格であったら、当然その結果は無駄でした。

しかし、問題はその次だと思います。
もう一度来年受験するなら、この経験、勉強の蓄積は全然無駄じゃありません。次回への糧になるのは明らかです。

また、次に違う目標を立てて受験するなり、あるいは全然違う所に就職や進学をした時、さしあたり、それまでの努力は無駄になります。

しかし、受験(学校)は入ったら終わりではありません。
卒業して、社会人になってその勉学の成果を生かして初めて学校に入った意味があります。

そのレベル(つまり社会人)は最終的な目標ですから、社会人になった時、全てが無駄だったかどうか判断が出来るでしょう。

この点に関しては、私は大いに無駄な経験を積むべきだと思います。

学術分野では割と有名ですが、関係ない遊びの研究を沢山してる研究者の方が視野が広くなり、実績に結びつくのです。

会社づとめでも同じです。挫折の経験や無駄なお勉強、努力を沢山積んだ人の方が、小回りがきいて、職場で役に立つ存在になります。

そういう点では当初無駄と思われた受験失敗の経験や努力も、全く無駄ではないと思います。

大相撲では、3年先の稽古といいます。
今やってる稽古が実を結ぶのは3年後だから、そういう長い視点で努力を考えないとダメという意味です。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

なるほど・・結論を焦ってすぐにダメだと決め付けてしまっていたようです。

気長に地道に生きていくしかないですね。

お礼日時:2006/07/15 01:29

こんにちは。



自分の捉え方なのであまり説得力もないですが、
結果それ自体は、白か黒で、
どちらを自分が得たかったか・社会で評価があるのかは
すぐにわかることですよね。

でも、望んだ結果でも望まなかった結果でも、
自分がそれまでに経験したことを
どう自分が見てあげるか、
次にどんな工夫をしながら生きていくか
が大事だと思います。

仕事でも就職して、あるいは起業して、
ずっときれいな右肩上がりで行けるのはなかなかないし、
自分の価値観のなかでは、
もし右肩上がりだけなら、なにも得るものがない…
とおもってしまいます。

上がりながら、途中で止まながら・下がりながらも
また上がっていく
そういう感覚を大事にしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>上がりながら、途中で止まながら・下がりながらも
また上がっていく
そういう感覚を大事にしています

そうですね、いつもきれいな右肩上がりにやっていけることはないと思います。
こういう精神は大事なんですね。

お礼日時:2006/07/10 02:35

結果と思っているものは単なる通過点だと思います。


今の結果が必ずしも将来を補償するものではないからです。
結果を一喜一憂するのもいいものかもしれません。
私はそれよりも勉強や仕事を気持よく楽しみたいですね。
勉強でいえば理解すること、判ることに重点をおきたいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

結果はあくまで通過点であり、未来を保障してくれるものではないということですね。たしかにそうです。たとえ東大に合格してもそのまま未来の保障につながるわけではないですもんね。

でも、その成功によってできた可能性の拡大や、失敗でできた可能性の縮小が、未来の保障に影響を大きくあたえてしまうのではないかと考えてしまいます。

お礼日時:2006/07/10 02:33

学生の場合は結果が出なかったとしても自分自身が被害を受けるだけで済みますが、社会に出てからは(組織の一員となってからは)やはり結果がすべてです。


企業は利益を出さなければなりません。「がんばったのに結果がでなかった…」では、多くの関係者に迷惑がかかります。
努力をする事は良い事だと思います。しかし、結果が出なければ無駄な努力で終わってしまいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり他人に迷惑をかけるというのは、自分の立場を悪くしてしまうし、そのためにも失敗はしない方がいいですよね。

努力って難しいですね。

お礼日時:2006/07/10 02:27

 学校に入学、ゴールではなくスタートです、その辺をお間違えなく(^^;



 結果が同じなら過程を重視する事もありますので、一概に結果が全てとはいいきれません、それが社会の面白い所です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>それが社会の面白い所です

なるほど、そういう場合もあるんですね。

お礼日時:2006/07/10 02:25

それは質問者さん自身が結果にこだわっているのです。


そうでない人もいっぱい世の中にはいます。
確かに世の中は結果主義主体で動いています。
そしてそれが目立つことにつながることも確かです。

しかし、今の日本人に欠けるのは「陰徳」です。
これは誰が見ていても、見ていなくても関係なく
自分の中で徳をつんでいくことを言います。

「徳」というのは自分のなかで心を浄化し、清らかでいるということです。これはけっして人に自慢するようなことではなく、自分がそうあろうということです。

自分の中でひたすらと他人の評価を気にせず、やるべきことをやるというのが大切です。

いくら努力してもがんばっても、結果が出なければ意味がないのではないか?というのは自分自身が決めることです。
意味がないと思えば意味がないものになるし、結果が出なくても努力は意味があると思えば意味を持たせることが出来るのです。

すべて人の気持ちの持ち方で方向は変わっていくのです。
質問者さんは他人の評価に気をとられているのです。
もっと自分に集中してください。

結果は人が勝手に決めることです。
結果ではなく経過を大切にしてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

目に見える結果と、目に見えない徳・・たしかに徳を重視していきたいですけど、せちがらい世の中、奇麗事にはならないのか、難しいところだと思いました。

お礼日時:2006/07/10 02:24

確かに世の中の判断は結果ですよね。


でも失敗は成功の元というように
その時は失敗だと思ったことでも
その後それがどう関わってくるか
だれにもわかりません。
失敗があっての未来の成功もあるのですから
すべて  とはいえないかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

成功は失敗の元、ですか・・
私もいつか成功する日が来てほしいです。

お礼日時:2006/07/10 02:20

こんにちは。


社会に出ても、>結果が全て・・・というのはその通りです。

ただし、学校の受験みたいに一時期やったら、あるいはどっかに合格したらそれで終わりじゃありません。

一つ片付けても二つ片付けても・・・次から次へ仕事は押し寄せてきます。
一つ二つ失敗して放り投げてしまう人はそれでおしまい。
一つ二つ失敗してもすぐに気持ちを切り替えて次の仕事をこなせる人のみが生き残ります。

そうして経験をつみ、生き残ってきた人達は、必ず、最初の頃の膨大な失敗を経験として身に付け、次に同じ失敗をしないように、あるいは次はうまくいくようにと自分の力にしています。

最初の頃、10の失敗をしたって、その後100の成功をすれば、その人は成功です。

一時期、一回だけで終わる受験とはここが違います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>一時期、一回だけで終わる受験とはここが違います

ということですが、1時期1回限りの受験のためにやりたいことを我慢して勉強したのに、それが失敗に終わったら、それまでに我慢したことや努力したことはすべて無意味なのでしょうか?

お礼日時:2006/07/10 02:03

そうです、結果がすべてです。


特に社会に出て人と一緒に仕事をしたりする場合、自己を主張するのに説得力のあるものは、他人に見える「事実」だけなのです。陰で努力しようと、見えなければ評価はされません。

けれど、

>要は、いくら努力してもがんばっても、結果が出なければ意味がないのではないかということです。

この考え方は少々、違うのではないかと思います。
がんばることが「意味がない」わけではありません。
質問者さまは奇跡的に大学に合格してしまう例を挙げてますが、そのようなことは本当に「奇跡」であり「偶然」であり「幸運」なので、待っていても訪れるものではありません。
たまたま奇跡や幸運が世間に評価される価値を持つこともありますが、私たち人間はそれをあてにして生きていけば、必ず堕落しますよね?
つまり社会のほとんどのことは、幸運や偶然で構成されているわけではなく、人間の努力したものこそが、社会の構成要素となっているのです。
会社で難しいプロジェクトに取り組む人が、何の努力もなしにやり遂げられると思いますか?
とんとん拍子に出世して社長にまでなる人だって、幸運が重なったという場合もあるでしょう、でもそんなことは滅多にありません。本人が努力しているからです。
もちろん、二人の人が同じだけの努力をしても同じ結果が出るわけではありません、能力の差はありますからね。

でも努力してがんばらないと結果が出ることはまずない、と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

目に見える結果を他人が重視するのは仕方ないですよね。でも奇跡を当てに生きてはだめですね。
失敗しても努力をし続けないといけないんですね。

お礼日時:2006/07/10 01:58

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