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セロトニンを鍛えることにより、不安や恐怖を抑えることが出来るようになるという内容の本を読みました。
そこには、お釈迦様が呼吸を吐ききる瞑想(リズム運動)を実現したことによりセロトニンが鍛えられた書かれており、それが後に仏教となり修行僧が瞑想などのリズム運動に取り組むようになった、とそこまでは理解出来たのですが
その本には、一日30分リズム運動を毎日することが大切であり、やりすぎるとセロトニンが自身に対してインパルス止めるフィードバックを出し、逆にセロトニンを弱めてしまうと書かれていました。

そうすると、非常に不思議な事があるのですが、修行僧って朝早くから瞑想して鍛えているって本に書いてありましたが、やりすぎ逆効果なら、朝の瞑想終わったら、修行僧って一体何をやっているのでしょうか?

A 回答 (4件)

こんにちは。


「5-HT(セロトニン)」といいますのは、不安や危険などといった緊急事態に対処するための「NA(ノルアドレナリン)」などとは異なり、神経系の覚醒状態を一定に保つために「恒常的」に分泌される伝達物質です。この恒常的な分泌は、身体内外の突発的な刺激の発生とは全く関係なしに、呼吸、歩行、咀嚼などといった生命活動に適した「リズム運動」によって亢進されます。ですから、ガムを噛むとか散歩、ジョギングなどといったものは「5-HT(セロトニン)」の分泌によるリラックス効果がありますし、ヨガの呼吸法なんてものも、同様の観点から現在では盛んに研究が成されています。
このように、5-HTといいますのは、身体内外の突発的な刺激とは一切の関わりを持たずに、「安静覚醒状態」といった比較的低いレベルでの脳内の恒常性を維持するというのが主な役割です。ですが、幾ら簡単なリズム運動によって安静状態が確保されるからといいましても、5-HTも湯水のように分泌されればそれで良いというものではありません。恒常性を維持するというのですから、やはりそこには何らかの抑制機能が働き、バランスがきちんと保たれなければなりません。

5-HT(セロトニン)を分泌する「5-HT含有神経核」は、NA(ノルアドレナリン)、HA(ヒスタミン)、GABAといった様々な伝達物資の投射による抑制を受けていますが、その中でも最も効果の大きなものは「5-HT神経核」自身が自分に対して直接の抑制投射を行うという「オートレセプター回路」の働きです。
5-HT神経核は、自分自身の受容体に対して5-HTの投射を行い、それによって必要以上の分泌を抑制しています。自分の神経終末が自分に繋がっているというこの奇妙なシナプス接続が「5-HTのフィードバック回路」でありまして、脳内で恒常性の維持という役割を担う「5-TH含有神経核」の最も顕著な特徴です。ですから、5-HT神経核は自分自身に対して抑制投射を行うわけですから、リズム運動の継続によって5-HT(セロトニン)の分泌が促進されるならば、今度はその分だけ活動が抑えられてしまうということになります。
この辺りが質問者さんの疑問の原因になると思うのですが、これまで申し上げました通り5-HT神経核の働きは「フィードバック抑制」によって抑制されます。ですが、実はこのような抑制状態が継続されますと、やがて5-HT神経核の「オートレセプター機能」は可塑的に変化し、しばらくすると抑制効果が低減して5-HTの分泌が再び活発化するようになっています。つまり、頻繁に抑制を受けますと、一時的には分泌は抑えられるのですが、その内にだんだんと抑制を受け付けなくなってしまい、終いには逆に分泌が活発になってしまうということなんです。

オートレセプター回路の中で自分自身が投射した5-HT(セロトニン)を受け取っているのは「5-HT1A」という受容体です。この「5-HT1A受容体」が5-HT(セロトニン)の投射を受けますと、当の本体であります「5-HT神経核」の活動は抑制されます。
このため、5-HTの分泌は低下するわけなんですが、このようなフィードバック抑制が継続して繰り返されますと、今度はオートレセプター回路を形成するシナプスに配置されている5-HT1A受容体の数がしだいに減少してゆきます。つまり、抑制が繰り返されますと、抑制効果を下げるために5-HT1A受容体は自分で勝手に店仕舞いを始めてしまうというわけです。もともと抑制信号を受け取るための受容体なのですから、その数が少なくなれば抑制を受け辛くなります。これにより、オートレセプター回路におけるネガティブ・フィードバックの効果は時間と共に低下し、最終的には5-HTの分泌は以前よりも活発になります。

5-HT神経核でオートレセプター回路を形成するシナプスにおけるこのような可塑的な変化は、だいたい一週間ほどで起きると考えられています。つまり、5-TH神経核は脳内の恒常性を維持するために独自の抑制機能を持っているわけなのですが、その効果は「シナプスの可塑的変化」によって自動的に更新されるものです。ですから、適度なリズム運動を一定の期間継続してやるならば、それによって抑制信号を受け取る受容体の数が自然と減り、やがて5-HTが脳内に分泌されやすくなるという効果が得られるわけです。もちろん、可塑的な変化ではありますが、逆に仕事や勉強が忙しくてのんきにセロトニンばかり分泌しているわけにはゆかないといいった状況が作用しますならば、減少した5-HT1A受容体の数はそれに応じて元に戻ります。
ですから、修行僧がヨガや禅などによって「5-TH神経核」の働きを活性化させ、脳内の5-HTの分泌を促しているというのは生理学的に理屈の通った話であり、医学的にもほぼ受け入れられている事実です。恐らく、本に書かれていた「セロトニンを鍛える」というのは、このような効果を指しているのではないかと思います。

このように、5-TH神経核の働きはリズム運動などを用いることによって、その本に書かれていた通り、文字通り鍛えることができます。ですが、幾ら何でもこれによってお釈迦様が悟りを開き、仏教は生まれたなどということになりますと、どうしても私は、その本がちょっとインチキ臭いもののように思えてなりません。
だって、リズム運動を繰り返していれば5-HT神経核の変化は一週間ほどで現れるんですよ。では、お釈迦様や修行僧は極限までセロトニンを鍛えるために何年も修行を行ったというのでしょうか。そんなことはありませんよね。幾ら鍛えても上限というものはありますし、そこには哲学的・宗教的にもっと他の意味があるはずです。まして、悟りを開くことができたのは脳内にセロトニンが溢れるように分泌されたからではなく、お釈迦様がたいへん立派なひとで、世の中の人々が幸福になるためにそれを一生懸命考えたからです。まして、セロトニンが分泌されている安静覚醒状態では、このような高度に論理的な思考が返って困難になるというのは、どう考えても生理学的な常識です。

質問者さんがお読みになったものが実際にどのような内容の本であるのかというのは分かりませんが、最も疑わしいのは、「セロトニンを鍛えることによって不安や恐怖を克服しよう」という趣旨です。
不安や恐怖を退けて平安を得るというのは誠にけっこうな話ではあるのですが、ならば、我々動物にとって「不安」や「恐怖」といった情動はいったい何のためにあるのでしょうか。もちろん、散歩やジョギングをやってリラックスするというのはたいへん良いことですし、継続すれば効果も上がります。とはいえ、例え平安を乱す不安や恐怖といえども、それは我々動物にとってどうしても必要であるからこそ発生するものです。
最初に触れました通り、5-HTの分泌といいますのは危険・好奇心・欲求といった突発的な刺激には全く影響を受けません。それに対しまして、そのような身体内外の環境の変化に反応して脳の覚醒状態を素早く亢進させ、状況に応じた適切な行動の選択を行うために必ず分泌されなければならないのがNA(ノルアドレナリン)です。この反応がなければ、5-HTの恒常的分泌による平常心だけでは、我々は環境の変化に対応して生きてゆくことは到底できません。
ですから、我々動物の情動反応におけるこのような生物学的な意義を全く論議せずに、ただセロトニンを鍛えれば不安や恐怖が克服できますなどといった内容であるならば、例え活字の出版物であろうとそれが科学的な論説とはとても申し上げられません。これでは、良くある「あなたの潜在能力を引き出します!」などといったインチキ能力開発講座の宣伝文句とたいして変わりがないように思えてしまいます。

何れにしましても、何処までが科学的に立証されており、何処からがこじつけといった見極めの付かない一般の読者にとっては、いい加減な情報があまりにも多過ぎますね。5-HTに限らず、多くの神経伝達物質の働きはまだその全容がきちんと解明されているわけではありません。ですから、そのようなものをこれ見よがしに取り上げて、あなたの仕事が上手くゆきますとか、これで恋愛が成功しますなどといった内容のものは、まず九割がたがインチキです。決して鵜呑みにはせず、読む本は注意深く選んで下さい。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。

非常に専門的で長い説明ありがとうございます
自身を抑制し、抑制を受け続けることで受容体が減るということで分泌の量が増すというのが理解出来てよかったです。(なんか筋肉の超回復理論に似ているような気がしました。)

それと、他の本やネット記述で、セロトニンに関する遺伝子に長いものと短いものがあり、短いものは不安や神経症になりやすいということが載っていたのですが、やっぱり日本人は短く神経質になりやすい体質なのでしょうか? その場合どうして日本人はS型遺伝子を持つようになったのでしょうか? それともこのこと自体にもまだ確証のない理論なのでしょうか? かなりセロトニン寄りの質問ばかりですいませんがお願いいたします

お礼日時:2006/07/15 22:07

こんにちは。


#3です。
回答をお読み頂き、ありがとうございます。

>短いものは不安や神経症になりやすいということが載っていたのですが、やっぱり日本人は短く神経質になりやすい体質なのでしょうか? 

はい、実は私は、神経伝達物質と遺伝的体質の関係というものをまだ一度も勉強したことがありません。ですから、これに就きましてはあまり詳しい説明をすることができませんので、事前にご了承下さい。

慢性的な不安を訴えるうつ病の患者さんにも、5-HT(セロトニン)自体の分泌量の不足や、5-HT神経核のオートレセプター機能における「過剰抑制」といった事例がしばしば報告されているそうです。昨今のこととは思いますが、「S型」「L型」という遺伝子のタイプがきちんと特定され、それが5-HTの分泌機能に遺伝的に反映するということでありますならば、「S型」は不安を感じやすく、うつ病にも「なりやすい体質」というのは概ね事実と考えて良いのではないでしょうか。
知らなかったので、ざっとですが調べてみましたら、日本人は統計的にもS型の比率がダントツに高いようですね。これが何故かということは遺伝学や人類学の範疇になってしまい、とても私の手に負えるものではありませんので、ちょっとカンベンして下さい。

とは言いましても、S型であるからといって決まって神経質な性格であるとか、ましてや必ずうつ病になるなどということはありませんよね。
ところで、「血液型による性格分類」というものが、現在では科学的にはっきりと否定されているのは質問者さんも良くご存知だと思います。どうして我々は、科学的な事実の解明よりも先に、自分や他人の性格を分類したり、行動を予測したりすることに執着してしまうのでしょうか。これが、かつて血液型性格診断なんてものが、いっきに世の中に広まっていってしまった原因ですね。
もちろん、血液型占いと違いますところは、「遺伝子型」と「表現型」というものの間には、少なくとも遺伝的な相関関係があるということです。例えば、青い目のひとは「青い目の遺伝子」との相関をはっきりと特定することができます。癖毛や二重まぶたもそうですよね。ですが、これが「性格」や「疾病」ということになりますと、やはりそう簡単にはゆきません。何故ならば、性格なんてものは生後の生活環境によって如何様にも変わってしまうからですよね。

「疾病」に就きましても同様のことが言えると思います。
近年では遺伝子の研究が飛躍的に進歩し、その中から「遺伝子疾患」や「発ガン」の因子なんてものが次々と発見されました。このため、遺伝子のあるなしを調べるならば、将来の自分の病気が診断できてしまうという凄いことになっています。
ですが、実際に発病するかどうかというのは、やはり性格の形成と同様に生後の生活環境に影響を受けることになります。まして「疾病」の場合でありますならば、自分としてもちょっと耳が痛いのですが、生後環境といいますよりは「生活習慣」というものがはっきりと物を言うことになります。
このように、如何に遺伝子の働きが解明されたとしましても、目の色や髪の癖とは違い、生後環境の影響を強く受ける性格や疾病などの場合は、その相関関係の特定はたいへん困難であるということになります。

では、これまでのようなことを踏まえた上で、果たして我々日本人はS型の比率が高いので神経質になりやすいのでしょうか。
S型の遺伝子が科学的に特定され、それが5-HTの分泌機能という遺伝的体質に反映するというのが現時点の事実でありますならば、日本人にはそのような傾向があるということは受け入れても良いと思います。ですが、例えばあの日本人はS型だから神経質なんだ、ということでありなすならば、この場合は明らかに間違いですよね。

少しづつではありますが、新しい研究によって神経伝達物質の働きや遺伝子の役割などといった、これまでは手の届かなかったものが次々と解明され、たいへんエキサイティングを感じる今日この頃です。だからといいましても、先の回答でも偉そうに述べましたが、やれ「セロトニンは幸福物質である」とか、「これが分泌されないから恋愛が上手くゆかない」などといったものが、あちらこちらで平気で飛びかっているのは、やはり私はけしからん話に思えてなりません。
きちんとした根拠がないにも拘わらず、それをすぐさま人間の性格や行動の分類などといったものに安易に適応してしまうというのでは、これではかつての血液型占いとたいして変わりがありませんよね。質問者さんも私も、共に脳の営みに興味を抱く者としましては、このような単純な過ちは二度と犯さないようにしたいものです。

余計なことを書いてまた長くなってしまいました、ゴメンなさい。
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セロトニンを鍛えるって表現は変ですね。

セロトニンというのは化学物質の名前にしかすぎません。「カルシウムを鍛える」とか「ビタミンCを鍛える」って変でしょ。
おそらく「セロトニンを増やす」というような意味だと思いますが、やりすぎるとセロトニンがインパルスを止めるフィードバックを出すというのも意味が不明だし医学的にも全く根拠もなくしかも間違っています。

そもそもお釈迦様が生きていた時代にセロトニンなんて言葉はなかったのにその方はどうやってお釈迦様がセロトニンを鍛えたとわかったんでしょうね?
「脳神経の伝達物質にセロトニンというのがある」「そのセロトニンが精神安定に作用する」と聞いた程度の知識で「じゃあ、きっとお釈迦様はセロトニンを鍛えたに違いない!」と結論づけたんでしょうね。
間違った内容の話なのであまり悩む必要はないと思いますよ。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます

お釈迦様→セロトニンを鍛えた

というのは、やっぱりその著者の主観的な考えなようですね

お礼日時:2006/07/15 21:38

朝の瞑想終わったら、修行僧って一体何をやっているのでしょうか?>>>>


セロトニンのこととは、切り離して、曹洞宗という宗派の場合は、座禅の後は、読経つまり、声を出してお経を読み、礼拝ということで、立ったり、座ったりします、この場合は、正座ですが。。。その後、朝食を摂り、朝参と言って、朝の挨拶、伝達事項やお茶を飲みます。その後は、清掃とか農作業などを昼までします。また、座禅してと繰り返します。つまり、静と動を交互に行っています。座禅中も、きんひんという、歩行をします。

座禅は、息使いだけでなく、正四面体の形状とか、つぼへの刺激とか、高度の脳刺激もありますし、体温維持とか血流維持などで、座りっぱなしでは、ないですよ。

なお、朝早くからと言うのは、正しいのですが、2時間ごとに、トイレ休憩もありますしね。

1日中、座禅だけですと、トイレは、どうするんだとなりますでしょう。

たしかに、セロトニンは、出易いでしょうが、セロトニンがすべてでは、ないですよ。ノルアドレナリンとか、ドーパミンとか、たくさんの神経伝達物質も考えないといけませんし、その伝達物質を、正しく伝達できる身体も作らないと駄目ですから、結構、体力がいるんですよね。

なお、お読みになられた本は、非常に、一部分のみを書かれている書物と思われますが。。。。本に書いてある=すべて正しいとは、限りませんよ。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。

修行僧が一体どういった生活を送っていたのかよくわかりました。今まで、一日中瞑想と読経を繰りかえしていると思っていましたが、そうでもないのですね

本の内容=絶対という考えはよくないとうこともわかりました。

お礼日時:2006/07/15 21:32

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