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引きこもりの要因はいろいろあると思いますが、私は

社会の雰囲気≒人々の意識

っていうのが大きな要素を占めているのではと感じます。社会的に足がかりや貢献をしている実績がないと、とたんにそういう人を認めない傾向がありますよね。それはやはり、人の心の不寛容性の一端ではないかと思うのです。もし、社会一般的に、もっと寛容や愛情があることが普通になれば、引きこもりもより社会に出ようという機運が増すのではないでしょうか。

「ずっと引きこもって何の経歴も経験もありません」
「そうか、苦労したね、これからがんばんなさい」

みたいなことは、競争社会ではもちろん難しいでしょうが、心理的に蔑むのはやめたほうがよいのではないでしょうか。その雰囲気というのを、当事者は敏感に察知するものではないでしょうか。

引きこもりを減らす手段として、人々の意識が重要である気がしますがどうなのでしょう。

A 回答 (16件中11~16件)

「ひきこもり」って>生まれてから、ずーっと過保護なんでしょうね。

人の子は、どうであれ、自分の子だけは、と手を取り足を取り、やれその木は登るな、あの子はイヤだからつきあうなとか、家の中でしか活動できない愛玩用に育てて、いざ外に出ると菌がウヨウヨ……世の中が寛容な自愛で満ちていればと記されていますが、ある意味では、日本という国は平和で寛容に満ち溢れているとは思いませんか。世界では90%が貧困にあえいでいますよ。ひきこもりなんていう社会はありませんよ。極端に言うと夫婦がニコニコと、お互いに仲が良い両親であれば、それだけで「ひきこもり」って、なくなるかも……。社会、及び環境のせいにしている内には、なくなりません。
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この回答へのお礼

それはいえるでしょうね。ただ、平和ではあるけれども寛容である気はどうもしませんね。比較論でいくとそう見えるでしょうか。

そしてもちろん、生育環境が問題といえば問題なのでしょうが、それとイコールにやはり社会的なものがあると思いますよ。家庭より社会がよいっていう感覚があればすすんで外に出ようとするでしょうから。

お礼日時:2006/08/05 09:59

はじめまして、こんばんは。


先に確認しておきますが、老人や障害のある方のひきこもりではなく
いわゆる若者のひきこもりということでよろしいですか?
それでしたらわたしもNo.4のご意見に1票です!

海外を旅行すると切実に感じるのですが、
貧しい国では誰もが1日1日を生きること、食べることで精一杯です。
小さな子供でも、あらゆる手段で(物乞い・売春など)生きる努力をしていますよ。
仕事をせず収入を得られなければ死にますから。
貧しい国の路上で働く子供、路上に住む子供たちに、
人間関係が…両親が…育った環境が…など考えて悩んでいる暇はありません。
貧しい国々では食糧難や病気、環境破壊、戦争など
もっともっと深刻な事態で苦しんでいます。

フリーターでも生活していける豊かな日本。
職がないのではなく職を選んでるだけです。
そしてそんな中ひきこもり(ニート)が増えているのは
高度成長期、またはバブル全盛期の蓄えがある親の子供たちではないでしょうか?

ひきこもり(ニート)でも親からお小遣いをもらっている人が多いようです。
実家の場合は水道・光熱費・食費もありませんから、働く必要もありませんし。
親が子供を甘やかし、ひきこもりを増徴しているケースも多いように感じます。

日本は競争社会ですが、本当に社会に貢献したいなどという気持ちがあるのでしたら
ボランティアや奉仕活動もあります。
また身体の不自由な方のために福祉や介護の世界で働くということもできると思います。
人間関係が苦手なら、それこそひとりでする仕事もあるでしょう。

誰だって仕事や生活に疲れ
「もう嫌だ、疲れた、もうやめたい、ひきこもりたい…。」と思うことたくさんたくさんありますよ。
でも皆、一生懸命生きているんです!
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この回答へのお礼

貧しさが引きこもりをなくすでしょうね。それは精神性のたくましさを得るならばいいのかもしれない。ただデメリットがより大きくなってしまうでしょうが。

本当に社会に貢献したい

そう考えて職についている人がどれだけいるでしょうか?引きこもりもその例にもれません。

なかなかボランティアとか社会貢献とか一人でやる仕事とか、一般就労の次に出てくる話で、なかなか実現性はないと思われます。その一般就労が社会意識によって大いに制限されているという節があります。

躓いた人間をどう救済するか、考えられないものでしょうか?それをもって引きこもりも
「もう嫌だ、疲れた、もうやめたい、ひきこもりたい…。」
という人生をスタートできると思うんですよね。

お礼日時:2006/08/05 09:56

引きこもりをやめさせるには、社会を貧しくさせるしかないんじゃないでしょうか?、働かないで食えているこの現状が問題なんだと思います。

アジアやアフリカの貧しい国々に、引きこもりがいるとは思えません。働かなくては生きていけない、そんな社会でなければ、絶対無理です。
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この回答へのお礼

それは手だと思います。しかし犠牲が大きいですね。貧しいことは相対的にそれ以外のデメリットがついてきます(衛生、犯罪など)ほんとにそれしかダメでしょうかね。

お礼日時:2006/08/05 09:51

実際はどうであれ、原因を外部に求めている間は、引きこもりは引きこもりのままです。


どんな世の中でも引きこもらない人がいる以上、その人、ないしはその家の問題です。

> 引きこもりを減らす手段として、人々の意識が重要である気がしますがどうなのでしょう。

人々の意識がどうであれ、引きこもりは子孫を残せないので、その血統は絶えます。ゆがんだ家系が断絶することで、結果的に引きこもりは淘汰されることでしょう。
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この回答へのお礼

それはちょっと乱暴な考えだと思いますよ。社会の雰囲気というものは、大きく人の意識に作用しているはずです。それに精神的な問題というのは、遺伝的とはいえないのではと思うのですよ。実業家家庭からいくらでも引きこもりは誕生します。

お礼日時:2006/08/05 09:49

 実現できればたしかに激減するでしょうが、問題があります。



 第1に「蔑む」の定義をどうするか。
 「蔑み行為」は、引きこもりの人々が「蔑まれた」と認識して初めて成り立つもりであり、それは往々にして主観の問題です。
 中には全くの赤の他人と街ですれ違っただけで「蔑まれた」と認識する人もおり、これは引きこもりでない人々が気をつけるだけではどうしようもありません。

 また、引きこもりでない人々に対して、「何をすれば蔑んだことになるのか」というマニュアルを配布し、かなり大規模な教育・啓蒙を行わなければいけません。
 ですが上述の通り「蔑み行為」の定義は引きこもりの人々の個人々々で違っており、マニュアルを作ることは困難を極めます。(たとえば、「がんばれ」という言葉に蔑みを感じる人もいれば、「がんばらなくていいよ」という言葉に蔑みを感じる人もいます)

 よって、あなたや俺が理想論として自説を持つことは重要ですが、残念ながら実現できるかといわれると、難しいんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

確かにマニュアル的に考えればそうでしょう。ただ、社会的な意識が変われば、問題になる大きさが違ってくるのではないでしょうか。社会的意識って言うのはいろいろあって、つまらないものから高度なものまでですが、そういう慣習的思考法になにか操作できないかと。

お礼日時:2006/08/05 09:47

引きこもりは引きこもる人間自体の問題だと思います。


社会的に寛容で慈愛に満ちても引きこもるヤツは引きこもります。
冷たい言い方ですが「社会的不適応者の甘えん坊」(どんな社会でも0では有りません)に対してどこまで寛容で慈愛に満ちたら良いんでしょうか?
挫折も諦めも無しに人間生活を続けることは不可能ですが。

そもそも親が養えなかったら子供が仕事もせず引きこもる事は現実不可能でしょう。 根性で公園なんかに住んででも引きこもるんでしょうか?
だからこそ社会一般では蔑んだ目で見られるのでは?

収入0、全く食えない状態で親兄弟他人の援助を全く受けず仕事もせず引きこもっているなら僕は賞賛します。そこまでこれば生き方・ポリシーでしょうから。
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この回答へのお礼

引きこもる理由として、社会の方がどう変わろうとかわらない、そういう例もあるでしょう。ただ、そうじゃない例もあるはずです。社会意識が、改善されるべきはされる余地があるのではないでしょうか。

もちろん収入0、まったく扶助を受けないという精神性を問題にしているのではなく、確固とした存在価値を自分に見出せない矛盾から抜け出せない苦しみが問題です。

お礼日時:2006/08/05 09:45

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