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今日における「美的なもの」の普遍性の回復または希求について、皆さんの考える所を教えて下さい。

※参考※
価値観が多様化する今日において、
【差異の根底にある普遍的な価値=人間的なものの価値】を探すことが、芸術の役割である。

A 回答 (1件)

こんにちわ



おもしろそうですね!
私は何といっても多感な少年時代に岡本太郎の「今日の芸術」を読んでしまいましたので、それまで「芸術って何だろう? 美しいって何だろう?」と思っていたもやもやが一遍に太郎イズムで納得解決快感爽快になってしまいました。

おっさんになってしまった今、太郎イズムから少し脱却して自分の言葉でふたたび噛み締めてみると…

芸術=気持ち悪い、いやったらしいけど、何だかもう一度見てみたい、と思うもの(太郎イズム)をちょっと自分の人生に照らし合わせて、
芸術=人の心を善くも悪くも動揺させる文芸映像音楽その他パフォーマンス∴猟奇小説も芸術、抽象画も芸術、エスタブリッシュされた古典芸術も勿論芸術…
が私の個人的な納得です。
そこで問題にしたいのが、「心の動揺」が時代とともに薄れてしまうかどうか?の微妙な瀬戸際が、時代を超えた普遍的な芸術と、時代の徒花として可憐に咲いた一時の流行芸能の境目になるかな、と個人的には線引きで納得しています。

ただし、高度情報化で価値観が非常に多様化していますので、過去の価値観では時代の徒花だったはずのアメリカ黒人のジャズですとか、日本の漫画文化が今では世界中の若者を感動させる芸術の一分野として評価されたりして「時代風俗芸能」から「普遍的芸術」への昇格?が大変多くなってきている感じがしませんか?

>今日における「美的なもの」の普遍性の回復または希求

これについて、大変考えさせられたのは、数年前に日本でも大々的に催されたプラスティネーション技術による「人体のふしぎ展」でした。
私は気持ち悪くて中に入れませんでしたが、今プラスティネーションが批判の矢面に立って再展示の見込みが少ないことを思うと、人間普遍の好奇心の対象である「人体」を見ることが、美的なものの原点の一つだったろうな、と少し後悔しています。
もちろんこれは人体に限らず、地球の大自然、宇宙の深遠をさぐる自然科学や天文学まで、芸術の一つに組み入れてもいいのかもしれない、と中年期になった今は思うようにもなってきました。

非常に不謹慎ですが、先日事件になった長野県の連続放火犯人が燃える火を希求したり、一般の私たちですらつい「火事場見物」をしてしまう本能も、もしかしたら「巨大な火」に非日常の美を魅入っているのかもしれない、と考え込んでしまうこともしばしばです…

生と死と楽しさと悲劇と、難しいですね、美の追求解釈って。
だからこそ、世界中の人々が、有史以前から21世紀の現代まで魅了されてしまうのですね…。
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