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死ってなんですか?
漠然としすぎた質問でごめんなさい・・・。

A 回答 (26件中1~10件)

僕は死についてはこう考えています。



・生命活動が停止すること
・死んで土(自然など)に帰っていくこと
・自分が自分であるため、その人がその人である時の終わりの瞬間
(つまり人生一度だけ)

だと思います。
死んだら「無」になるという意見が僕は多いように感じますが、
僕は死んだらどうなるかは分からないと思います。
どうなるか分からない人生ですから、
頑張るか、楽しむかです。

でも
そのために
人生とは何か、死ぬとはどういうことかという考えや意見、
哲学などの学問、仏教、
キリスト教などの宗教や文化
が存在しているのだと思います。

素人の解答ですみません。
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死とは何かについて考えるとき、問題は死後の世界があるかないかにかかってきます。



もし、学者のいうように、ビッグバンで自然に宇宙が出来、進化論によって単細胞生物が進化して、人間が出来たのであれば、死後の世界はありません。

もし、仏典や聖書にあるように、この世が幻で造られているのなら、死後の世界はあります。死後の世界は幻の覚めた世界です。

仏陀曰く『無いものを有ると思うが故に無明(無知)なり』

こういうことです。
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天国へ帰ることです。

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死は無になることです。

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死とはなにか、私も深く悩んだ時期がありました。



外国の詩人が書いた詩の中に、“望まれる死”と言う文がありました。

文面は「望めるものなら望むであろう死の事であり・・」からはじまっていた気がします。

内容は、

死期は自分では選べない、同じ死ぬのであれば人生で一番頂点だという時を選んで死にたいものだ。
しかしながら死というものは、自分の人生の頂点では出会うことはできない。
チョウのように春の大空を羽ばたき、頂点に達した時に死を迎える事ができるとすれば、これこそ“望まれる死”ではないだろうか。

こんな内容だったと思います。

言うまでもなく、人生で一番頂点にいる時に、自殺を考える人もいないので、あくまでも“望まれる死”と言うことですが・・。

地球上の生き物の中で、これだけ進化をとげた人間でさえ、死に対する恐怖・不安・を克服する事はできないのです。

現代科学でも解明する事は不可能でしょう。
ただ、現代科学では死=無ととらえています。

私も“無”だと考えています。

過去に大きな事故に遭い、私だけが生還しました。
事故の瞬間から意識がもどるまでは“無”その一言です。
時間のたつのも全くわからない状態です。
意識が回復して初めて、激痛や精神的な苦痛が襲いかかってきました。

今でも時々思うのですが、あの事故で“無”が延々と続けば、これが“死”だったのかと・・・。

“無”となる事は怖くはないと思います。
ただ、怖いのは“死”ではないでしょうか?

人の死は自分だけの死ではなく、その人の周囲にも少なからず、なんらかの形で影響を及ぼすものです。

はじめに紹介した詩は、生きている人が死を迎える死期を考えさせるものですが、死そのものに対しては誰一人として答えられる人は存在しないでしょう。
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『死』


このサイトを見て私自身も勉強になりました。
人それぞれの考え方があるのでうまく言えませんが、
私は転生輪廻を信じています。
世界でも何人かの方が、前世を覚えて生きている方がいます。
ではどこまでが死なのか・・・?

肉体があっても思考状態が死(睡眠状態?)の方もいるでしょうし(重度痴呆症)、
肉体があっても意識の死(睡眠状態?)の方もいるでしょう(植物状態と言われている方)。
脳だけの死(脳死状態の方?)。
肉体が死の方(霊???)。
いろいろとあると思うんです。
自分という『存在』や『とりまく環境』が終われば死と考える人もいます。

転生輪廻をするにしろ、前世の意識がどこまで持続し、どこで記憶がクリアになっていくのかはわかりません・・・
転生輪廻で自分というモノは消えないでしょうが、『肉体』『とりまく環境』は限りあるものです。
だから人はこの『肉体』『とりまく環境』のうちに何かをしたい、何かを残したい、何かを欲しい、というような願望が本能的にインプットされているんでしょうね。

私は来月出産を控えています。
この子は奇形を持って生まれてきます。
妊娠初期の状態で何かあったのだろうと思います。
切迫流産、入院・・・
周りからは降ろしたほうがいいと言われました。
私も降ろすことを念頭に入れていた時期がありました。
自分の生活に支障をきたす子供はいらないと思ってました。
しかし、エコーで子供の心音を聞き、キックで足が出てきたりしているのを見て、子供嫌いの私が、初めて産みたいと思いました。
母の本能、イコール子供の意思でもあったと思います。
こんなに小さくても子供の意思は働いているのです。
食の好みが変わりました。
嬉しい時はお腹でグルグルと回転し、バタバタしてます。
怒った後はとても動かなくなります。
悲しいときはケリます。
苦しい姿勢をすると嫌がります。
ご飯を食べるとごきげんで、バタバタします。

エコーで見ても、あくびや手しゃぶり、しゃっくり・・・
0歳児と同じ事をしています。
みなさんもきっとそうやって生まれてきたんですよ。

人を殺すとか自殺とか『一瞬』のことだと思います。
人、自分を殺す前に、
『死を迎えるその人にも、とりまく環境があることを忘れないでください。』
あなたと同じように両親、恋人、友達、子供、とりまく環境があります。
自分が死を迎えた後を考えてみてください。

『死』を考えることは悪くはない。
『死』を考えることは『誕生』『死の後の環境』をも考えるいい機会だと思います。
私は『誕生』を通して1人の子供を殺そうとしていたのですから・・・

長い文章になってしまいましたが、ここまでおつきあいくださりありがとうございます。

私は専門家ではないし、見てきたわけではないので回答に対する自信は『なし』にさせていただきます。
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こんばんは。


死は、自分で考えて受け入れようとするから死になるんでは??
極論、概念として死という言葉、感覚を持っていなければ。
日常、糞をするとか飯を食うとか買い物するとかといっしょの感じになると思うんです。でも、私は自分への死はさほど怖さがありません。ただ、周りが死というものに見舞われるのはやっぱ辛いです。客観性が主観性に取り込まれるんですもの。ただただ、時間を待つしかない、受身でしかない状態に歯がゆくなるでしょうから。
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死とは、あたかも生命の見る夢のようなものではないでしょうか。


生命に死はありません。
生と死は相反するものであり、生が現実ならば、死は非現実ということになります。
生が覚醒状態で、死が睡眠状態とも言えます。
形や状態が変化しても、生命がなくなるわけではなく、その連続性は保たれます。
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今のあんたの状態だ。


だいたい、質問してなんでいきなりあやまってんの?そんなに自信ない?
これから、謝罪なんて不要。謝罪なんて人を束縛するだけだよ。
アヤマラナクテいいよ。
すでに死んでるってことに気付いて、生きることがなる。
死なんてはかない夢だよ、。
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「親」という立場にある人が死を迎える場合でも、下記のふたつのケースでは、死を迎える気持ちは全く異なるのではないでしょうか。



(1)子供が一人前に成長し、もう親からの助けもほとんど必要としない場合。
(2)まだ子供が幼く、親である自分が死んだら、いったい誰の愛情を受け、誰の助けを受けて生きていくのかわからない場合。

 子供がひとりで生きていけるようになるまでは、なんとしても生きていたいと思うのが親の心情ですが、それがかなわぬ場合もあるわけですね、現実に。

 「親はなくとも子は育つ」という言葉がありますが、幼い子供を残して死に行く親に、そのような言葉は、はたして慰めになりえるのでしょうか。
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