プロが教えるわが家の防犯対策術!

私自信は虐待している訳ではないですが最近のニュースとかを見ていると虐待が増えているような気がします。私には息子が1人いるのですがかわいくってしょうがないのですが虐待をする人が信じられません。おもちゃをかたずけないからお風呂に閉じ込めて死なせたとか逆に子どもの面倒を見ないで死なせたとか段ボールに閉じ込めたとか何でこんな可愛い子をいじめるのかなと不思議です。虐待についてみなさんどう思っているかお聞かせ下さい。

A 回答 (6件)

 初めての子供であれ二人目三人目であれ、育児や教育に関して未熟であるのはやむを得ない事だと思います。

大事なことは、その未熟さを謙虚に受け止め自覚することではないでしょうか。
 家事に追われていたり、昨今の経済事情の影響で上手くいかない家計を抱えていたり、仕事が順調に進まなかったりと、親の側が抱える社会的事情が親の精神状態を不安定にしているのも、これらの問題(幼児虐待)の一つの原因かもしれません。
 しかし、ここ数年の報道を見る限り、もっと低次元の要素が絡んでいるような気がしてなりません。炎天下の駐車場の車の中に子供を閉じ込めてパチンコに興じる親がいたり、二人だけで落ち着いてラーメンが食べたいが為に、コインロッカーの中に子供を入れる夫婦がいたりと、「いったいアンタがたは何を考えているのか?。」と問いただしてみたい事象が発生しています。おそらく彼らに犯意はなかったのでしょうが、逆にそれが恐ろしい気がします。これらの、傍から見れば常軌を逸した行為を平然と「まあ、大丈夫なんじゃないの?。」といった認識で自分の行動の
選択肢に含んでいる事は前述した”育児 教育に対する未熟さ”とはまったく別の”非常識な未熟さ”を含んでいます。
 親はいつでも子供より大所高所にたった物の考え方が出来る存在であるべきだ、というのは理想論なのでしょうが
前出した親たちには望むべくもありません。
 
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実際に虐待は増えています。


ここのメールマガジンは凄く参考になるので、
見てはいかがでしょうか?

参考URL:http://www.npo-jsma.net
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1歳4ヶ月の子供がいます。


虐待は、親の自己満足と精神不安定、未熟さ、が原因かなと思います。
このことについては他の方の意見に納得!ですので、少しちがった角度から・・・。
息子が生まれる前に、幼稚園で働いていたので、いろいろな親に会いました。
個人懇談の時に「つい子供を叩いてしまう」「言う事きかないとむかつく」といった親御さんもやはりいました。
育児ノイローゼとまではいかないですが、「○○しなければいけない」「○○出来なくてはいけない」と考える人が多かったですね。
例えば・・・
朝、「幼稚園に行きたくない」とグズグズ言いました。
そのお母さんは泣く子を引きずって幼稚園に連れてきました。
「どうしたの?」と聞くと
「行きたくないって言うんです」とお母さん。
子供に理由を聞いたら
「ウルトラマンの靴下を履いて幼稚園に行きたかった」とのこと。
すると、お母さんがヒステリックな声で
「洗ったから濡れてるって言ってるでしょ!」と叫びます。
子供は濡れててもいいから履いていくと言うんです。
そして、「もう、そんなこと言うなら迎えにこないからね」と吐き捨てて子供を置いて行こうとします。

ここで、「じゃあ濡れててもいいならそうすれば」、と履かせてあげるお母さん、
「乾かして幼稚園に持っていってあげるから幼稚園でまってなさい」と言うおかあさん。他にもいろいろあるとは思いますが、少し心に余裕があれば、ヒステリックに叫ぶ事はないんです。
 
日常の些細な事を真正面からしか見ることの出来ないお母さんは、自分の方向性に子供を向かせようとするから言う事をきかないと腹が立つ。
積もり積もってくると「この子は叩かないということきかない」「少々の事では、私の言ってる事をわかってくれない」・・・でエスカレートしていくんでしょう。
私達の年代(今30歳です)は学歴重視と個性尊重の入り混じってた時期だったと思います。
自分の子供の出来より他の子の出来の方が気になる親に育てられた人も多いような。私の周りはそうでした。
子供もそうでした。
試験の前なんかは友達とわからないところを教えあうなんてことはなく「ここってどうやるの?」「え?知らん」と言う「他人は蹴落とせ」の風潮が強かった。(私の行っていた中学は・・・)
私も、そういう親に育てられましたが「自分の親みたいにはならない」と小さな頃から思ってました。(これはまたいろいろあるので、ここで書くと大変な量になるので端折りますが)

子供が自分の通りにならないのなんて当たり前って思えるお母さんは、まず、虐待なんてことにはならないですよね。
虐待してしまう人も、もともとは自分の子ですからかわいかったはずなんです。
でも、あの子はもう出来るのにうちの子は出来ない、本には出来る時期って書いてあるのに何で?
自分でどうしたらいいのかわからなくなってしまって「○○出来るようにしなくちゃ」と叱咤激励が虐待に変わるケースもあるんじゃないかなと思います。
自分の子供の頃の愛情不足が、ゆがんだ形で、自分の子供にも同じことをしてしまうという親もいると思いますが、一見、普通に見えてる人でも、1歩間違えると虐待に走っていってしまうんじゃないかと思われる親御さんも水面下にかなりいると思います。
本当は子供の成長って、親も一緒に成長させてもらえますよね。
でも、がんばりすぎると、頭はパンクです。
そして、行き詰まってる人ほど「力を抜かなきゃ」と言ってくれる人がそばにいないんでしょうね。
長々と、よくわかんない内容になってしまいましたが、お互い子育て楽しみましょうね。そしてまわりに目の釣り上がったお母さんがいたら「力入れすぎ注意報」出してあげられたらいいですよね。
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この回答へのお礼

そうですね。子育ては難しいですね。私の場合は姑もいますし主人も子供のめんどうを見てくれるので助かってますが姑もいない、夫も手伝わないとなると心に余裕がなくなって虐待とまではいかないとしても一歩手前ぐらいにはなるかもしれないですね。私の場合7才違いの妹がいるんですよ。妹を見ているから子供って言うこと聞かないもんだなと思いました。その妹を母親はどうやって言うこと聞かせていたんだろうと不思議なんです。いまコップで飲ます練習させているんですけど母親の私がぐうたらですからあまり進んでいないんですよね。まあその内飲むかとのんきにかまえているんですが結局子育てってのんきでぐうたらがちょうどいいのかな。少なくとも私の場合は。ありがとうございます。

お礼日時:2002/03/12 11:54

 虐待もそうですが、いきすぎた虐待で子を死なせたとしても、


殺人に問われるケースがほとんどなく、せいぜい傷害致死という
(殺人に比べればあまりに)軽い罪にか問われず、刑も有期懲役、
良くて最高5年の執行猶予が付くの判決になるケースが多く、いくらなんでも
刑事責任があまりに軽すぎるのではないか?という感が否めないのが最も許せません。

 思うに、これは親が子に対して持つ懲戒権の行使と、その意義を履き違えた
結果ではないかと思います。

 子が親を殺せば、理由が何であれ尊属殺人となり、旧刑法の第200条では尊属殺人罪が適用され、
刑は死刑または無期懲役と、親殺しは通常の殺人よりも遙かに重い犯罪とされていました。

※旧刑法第200条の現代語訳(尊属殺人罪):
 自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する。

 さらに、参考になりそうな判例がありました。

1973年(昭和48年)4月4日の最高裁判決
(【事件番号】昭和45年(あ)第1310号)で、

(判決文より抜粋)

「刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて
 一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、
 もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される」

「刑法二〇〇条は憲法一四条に違反して無効であるから、被告人の本件所為に対し
 刑法二〇〇条を適用した原判決は、憲法の解釈を誤つたものであるというのである」

「刑法二〇〇条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する旨を
 規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同法一九九条の
 定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて、
 このように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである」

「本件には直接の関係はないが、尊属殺人に関する刑法二〇〇条の規定のみならず、
 尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項、
 尊属遺棄に関する刑法二一八条二項および尊属の逮捕監禁に関する刑法二二〇条二項の各規定も、
 被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別的取扱いを認めたものとして、
 いずれも違憲無効の規定と解すべきであるということとなり、ここにも差異を生ずる」

といった趣旨から、尊属殺人または他の尊属に対するいくつかの犯罪は憲法14条1項違反であるという判例であります。

 子が何か悪さをしでかしたら、それに対する仕置き(懲戒)をするのは
親としては当然の行為ですが、そのいきすぎたケースが折檻(せっかん)であり、
さらにその折檻がすぎて、激しく叩く、殴る、蹴るなどの暴行で子を死なせてしまったとしても、
殺人に問われないのがあまりに不条理かつ理不尽極まりないため、虐待に対して
刑事責任はもちろんのこと、民事や行政上の責任も追及するべきという、それ相応に法的責任を
問われる必要があるのではないかと思います。

参考URL:http://roppou.aichi-u.ac.jp/scripts/cgi-bin/hanr …
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児童虐待は、連鎖だと思います。

虐待している加害者は、多分、自分が子どものころ、親にそうされていたのでしょう。しつけと思っているので、罪悪感もあまりないんだと思います。
子どもは、宝ですよね。私は児童虐待の事件が報道されるたび、つらくて涙が出ます。この子は、なんのために生まれてきたんだろうって。
親としての自覚云々よりも、親としての資格なんかないんじゃないかな。
無計画に生んで、自分のおもちゃのようにいじめる。人間として、許せません。
「目の中にいれてもいたくないほど」じゃないんでしょうか、子どもって。

自分の痛みと他者の痛みを同一視できない、それが自己中心的な冷酷な人間をつくるんではないでしょうか。
ある意味、児童虐待の犯罪者は被害者でもあります。親から、子どもの愛しかたを教えてもらえなかったわけですから、自分がどう愛していいかわからない。
聖母子であるはずの母と子なのに、悲しいことですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。本当そうですよね。育てられなら産むなと言いたくなりますよね。でも虐待の中にはそういう人たちの虐待もありますけど育児ノイローゼからくる虐待もありますよね。そういう人たちの虐待はどうなんでしょう。育児ノイローゼなら私にもなる可能性十分にあると思うのですが。

お礼日時:2002/03/11 17:16

本当に悲しいニュースが後を絶ちませんよね。


私見ですが、虐待をする人達は以下のタイプではないかと思います。

・幼児性が残っているので感情の抑えが効かないし、加減も効かない。
・自分が弱いのでより弱い存在を虐めて気を晴らす。
・相手の連れ子に対して一切の愛情を持たない。(これまた精神が未熟)
・連れ子を虐められているのに子供より相手が大事。
・または、子供より自分が大事なので、自分を守る為に静観、加担する。

要するに親になる程精神が成熟していないので、子供を可愛いとは思えないのではないでしょうか。
例外もあるでしょうが、多くは親になる資質が欠けているのだと思います。
彼らはきっと目の前で子供が事故に遭いそうになっても身を挺してかばったりはしないのでしょうね。
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この回答へのお礼

そういう人たちって愛情不足なんですね。親に愛されたことがないから虐待するんですか?連れ子の場合はとりあえずおいといて自分の子供をどうやって愛していいかわからないってことですよね。私もどうやって愛していいかわかりませんが子供といっしょに考えてます。泣いたときはなんで泣いたんだろう、子供が怒っているときはなんで怒っているんだろうと子供といっしょに考えてます。それが普通かなと思ってましたけど子供がじゃまなんですかね。ん~私も偉そうなこと言えないですけどね。まだ10ヵ月ですから。まだ言葉もしゃべれませんし。本当毎日が戦争です。
丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/11 17:10

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