アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

靖国神社に対し、A級戦犯を分祀せよとの意見をよく目にしますが、そういう意見を持つ人は、分祀したら毎日でも参拝するのでしょうか?
そんなにA級戦犯のいない神社に参拝したいのなら、自分達でA級戦犯以外の英霊を呼び寄せ、新靖国神社を作ればよいのにと思うのは私だけでしょうか?

おそらく霊の存在など信じていない人達が、何故、他人が価値を信じ、大切に守っているものにケチをつけるのですか?戦前の全体主義じゃあるまいし、他人の価値観を否定し別の価値観を強要することなど認められないはずです。
それとも、他人が参拝することで何か具体的被害を被っているのでしょうか?

A 回答 (28件中11~20件)

誤解を恐れず言えば現在、日本に「A級戦犯」は存在しない。


1)昭和28年の衆院本会議で、社会党発案の「全戦犯の罷免」決議が全会一致で可決→国内で「戦犯」消滅。
2)サンフランシスコ講和条約第11条に基づき、戦勝国決議で昭和33年までに「A~C戦犯」が赦免→国外でも「戦犯」消滅。
3)ちなみにA級戦犯の重光葵は釈放後、鳩山内閣外相となり、国連加盟式典代表として国連から勲一等を授与→A級戦犯の名誉回復
~以上のことから、A~C級戦犯は既に「罷免」「赦免」され、国内的にも国際的にも存在してないのは明らか。
近代法では刑を犯した者が「刑期を終えれば」刑が消える。刑期を終えても末代まで呪われ続けるのは「前近代的な慣習」(=中国の慣習)。
更に言えば「極東軍事裁判」で敗戦国に「戦犯」を課したこと自体がおかしい。
当時の国際法・先進国のどの法律にも「敗戦国」に「戦犯」を課した記述はない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

法律及び国会決議に基づき、戦犯の名誉回復が行われた結果、戦犯と呼ばれる方たちが合祀されたということは私もある程度知っていました。

だからこそ、国際法・国内法双方とも法的には何ら問題がないことを、何故問題視されなければならないのかが、私がこの質問をした理由の一つでもあるわけです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 11:23

>他人が参拝することで何か具体的被害を被っているのでしょうか?



あるわけないですよね。
結構裁判もされてますが、具体的被害がないから変わらないわけです。ただの言いがかりだと何度も何度も証明されてるわけです。たまに頭のおかしな判事が独り言いったりしますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

中国、韓国に限らず、先の大戦に対するアメリカの捉え方というのも重要ですよね。もうすこし勉強してみようと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 11:08

本日の靖国神社首相参拝、誠に喜ばしいですね。



靖国参拝、合祀などが問題と言っているいる人達は何も悪くはないのです、ただ、知識に欠け、自分で考えるという主体的な思索、論理建てて考える思考が少々苦手なだけなのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私も、首相が公約を果たした意義は大きく、そして個人的には喜ばしいことと思っています。

今後は、8月15日にこだわる必要はないと思います。戊辰戦争戦死者を始め幾多の英霊が祀られているわけですから、例大祭の時期が本来だと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 10:42

 靖国の抱えている問題は、A級戦犯合祀だけ


ではありません。合祀が太平洋戦争の正当化の
きっかけなので、まずはそれから解決しようと
いうものだと思います。

 靖国は、遺族の方々の心を政治に悪用する
ための施設であると言っていいと思います。

 非常に悪質です。

 政府のやり方を非難するために、靖国の
あり方を議論しようとすると、戦没者の
遺族の方々の価値観を否定するようになって
います。

>他人が参拝することで何か具体的被害を被っているのでしょうか?
 
靖国には、家族連れなど多くの観光客も
訪れます。

多くの人は、お参りだけで帰りません。

旧日本軍を賛美する展示、銅像を見て、
併設される軍事博物館をまわります。

神社という少し特別な雰囲気のところで、
特攻機や人間魚雷の展示を見て、多くの
犠牲をはらいながら勝ちぬいてきた
日本軍のニュース映画など見せ続けられれば、
戦没者への同情が、太平洋戦争への反省を
鈍らせるような方向に向かうのは当然です。
 
 単なる展示なら、戦争の悲惨さなども出せますが、
遺族も来る神社では、それもできません。

 要は、靖国が太平洋戦争を肯定する人たちのプロパガンダに利用されているんです。

>新靖国神社を作ればよいのにと思うのは私だけでしょうか?

 そのお金は誰が出すんですか?戦没者の遺族の
方々は、自分の親兄弟は国のためいに戦って
死んだのだから、当然部分的にでも国に金を
出せというでしょう。
 当然国の意向がまた入ってきます。

 一部の遺族の方々以外は、靖国など必要と
していませんから、他の人が第二靖国のような
ものなど作るはずもありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遺族の心情というのはそんなに単純なものではないと思います。
人はそんなにバカじゃない、英霊達が祀られているという現場に立つことで人はいろいろなことを考えると思います。
むしろ、当時の考え方とか価値観とかをそのまま伝えることが、今を生きる人々へ戦争の何たるかを伝える最も効果的な手段ではないのかと思うのです。
現に、遊就館を見ることで、賛否両論、戦争への想いを新たにする方たちが増えていますよね。私は喜ばしいことと思うのです。

しかしながら、ご指摘のような問題点や危険性はやはり完全には否定できないものだと私も思います。靖国史観のみを鵜呑みにするのではなく、今を生きる我々がきちんとした考え方を持つべきだと思います。

真摯なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 10:35

非難する理由としては


1:靖国自体が独自の歴史観を発信してる
2:靖国は右翼の最重要拠点

あそこにいるのは霊ではないですよ(ーー;) 
あそこは神社で神を祭るところです。
で、日本の戦争の責任者であり、侵略の指導者でもある人間(A級先般)がなぜ祭られているのかという話です。
非難しているのはアジア諸国だけではなく、国内からも出ています。
侵略の指導者であると同時に、無謀な戦争を仕掛けた責任もあるのです。
で、靖国には国の命令で突撃した軍人も入っており命令されて死んだ軍人にしてみれば「自分に無謀な命令をだした人間がなぜ一緒に祭られるのか」という話なのです。
それと、靖国は戦前の全体主義を賛美してますよ。
「あの戦争は正当だった」と抜かしてる団体ですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
耳の痛いご指摘、十分肝に銘じつつ、平和国家実現に向け国民の一人として努力したいと思います。

お礼日時:2006/08/18 10:13

あれは特異な教義体系を持つひとつの宗教です。


国が関わっては憲法違反になります。
問題があるとすればそこですね。
閣僚の「公式参拝」はNGです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かにおっしゃる側面はあるかもしれません。
全てとは言いませんが、多くの国民に受け入れられる神社であるべきであり、その努力はすべきと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 10:09

なるほど、疑問に思ったのですね。


こういう問題は論理的に考えなければなりません。
政治的・思想的に考えると論理的な話が出来ません。
思想に捕らわれると、自分の都合のいい一方的な事実だけを持ち出してきます。

この手の問題になると必ず右の人が出てきますし、
自衛隊の問題などでは必ず左の人が出てきます。
私は右でも左でもなく理系人間なので、偏らずに事実のみを元に論理的に考えるようにしています。
ネットでは偏った考えが多く出てきますがそれが正しいのではなく、ほとんどの普通の人はいちいちネットで感情的に書き込まないだけです。

偏った人ほど自分では歴史を学んでいなかったり、一方的な自分に有利な情報のみを出したり、実は事実ではない事を平然と出したりします。
こういう問題を語るときは歴史をちゃんと勉強し、政治・思想は抜きにして論理的に事実を語るべきでしょう。


靖国神社とはもともと明治2年に出来たものです。明治天皇の思し召しによって戊辰戦争で斃れた人を祀る為に出来た東京招魂社が最初です。その後、国の為の神社つまり国家施設として戦争にも当然のごとく利用されてきました。歴史的にも130年ほどしかたっておらず、出来た経緯からも内容も、その他の地方の何百年も前からある神社とは別物だと思ってください。
実際に「神社本庁」という全国約8万社の神社を包括する宗教法人がありますが、そこに靖国神社は属していません。(ちなみに神社本庁の本宗は伊勢神宮で、そこに祀られているのは天照坐皇大御神です。八百万の神々のトップですね。系統を見ると天皇の祖先紳になりますが、神話の人物とある所から実在の人物が混ざっています。)
この靖国神社が一(いち)宗教法人になったのは1946年(昭和21年)です。

祀られている人は国難に殉じた者、つまりは戦死者の御霊を奉慰する事になっています。

また第二次世界大戦については各国ごとにその流れがありますが、日本から見たの流れは、1928年の張作霖爆殺事件(日本の関東軍が張作霖の乗る列車を爆破した暗殺テロ)、1931年の満州事変(満州鉄道を関東軍が爆破し、これを中国東北軍による破壊工作として占領行動に移った、早い話が自作自演のマッチポンプ)、1932年の5・15事件(海軍青年将校の隊が首相官邸に押し入り、首相・犬養毅が暗殺されたテロ)となります。そして1937年の盧溝橋事件で日中戦争に入っていきます。
なぜ日本の軍隊が大陸にいたかと言うと、1905年に日露戦争で勝った日本に鉄道の権利が譲渡されたから(日露講和条約)。
歴史はこのように流れがあります。一つだけを知っても語れません。

この満州事変などの関東軍の暴走、そして5・15事件では裁判で裁かれたとは言え首相を暗殺しておいて禁固15年という軽い刑であり、これによって軍部のやる事へ「ものが言えない」雰囲気が出来、シビリアンコントロールが崩れたのは事実でしょう。ここから軍国主義に突入していく事になります。

(八百万の神々、張作霖爆殺事件、満州事変、5・15事件、盧溝橋事件、などは詳しくお知りになりたければ、手抜きになりますがグーグルなどで検索しお調べください。)


>A級戦犯を分祀せよとの意見をよく目にしますが、そういう意見を持つ人は、分祀したら毎日でも参拝するのでしょうか?

分祀したら参拝する、合祀されてたら参拝しないという話ではないでしょうね。A級戦犯が合祀されている事にはいろいろな矛盾があるという事です。
さきほど靖国神社は「戦死者の御霊を奉慰する」と書きました。したがって戦闘による戦死ではないA級戦犯を合祀する事にまず矛盾があります。
その例では乃木大将(明治天皇崩御の時に自刃して殉死)や東郷元帥(87歳で死去)でさえも祀られていません。また八甲田山で有名な青森歩兵第5聯隊(雪中行軍の演習中に遭難199名死亡)も戦死ではない為祀られていません。当時の陸軍は合祀を強く希望しますが、政府により「靖国神社はもともと国難に殉じた者を祀るために設置されたのである」として否決されています。ちなみにA級戦犯は死刑または獄中死しています。

>そんなにA級戦犯のいない神社に参拝したいのなら、自分達でA級戦犯以外の英霊を呼び寄せ、新靖国神社を作ればよいのにと思うのは私だけでしょうか?

「A級戦犯のいない神社に参拝したい」というのではないでしょうねw。
しかし別の意味で、別の追悼施設を作ろうと言う話はあります。

一般の祀られている人でも、「靖国で会おう」と死んでいった方もたくさんいます。
それと同時に赤紙一枚で理不尽な戦争に一方的に駆り出され、国の為ではなく母や兄弟、恋心を抱く女性の為と思って死んでいった方もたくさんいます。そういった方のご遺族や沖縄戦で亡くなった方は、「父は(兄は)靖国などにはいない。勝手に祀ってくれるな」と言う方もたくさんいました。実際、私の知人である76歳の男性も「兄は南の海の底にいる(パイロットだったそうです)。靖国などにいるとは思っていない」と言います。
これはどちらが正しいという問題ではなく、それぞれの思いがあるのでしょうね。ただ一方の意見しか言わないのはおかしいでしょう。自分の都合のいいほうだけでなく、両方の思いがある事を伝えるべきでしょう。

そういった命令で死んでいった人たちと、命令を出す側を一緒に合祀する事もまた矛盾があります。
またBC級戦犯は一般の戦争犯罪を問われましたが、これも命令に従った人たちが多く、命令を出した側の責任者と同じには語れません。
ちなみにABC級とは罪の重さを指しているのではなく、項目の違いです。

慰霊の外国の例では、「第二次大戦の死者はすべて犠牲者である」と言う考えで慰霊碑などがあります。これは非常に論理的で解りやすい。
ドイツではベルリンにナチスの犠牲になったユダヤ人慰霊碑があります。慰霊碑と言うか2万平方メートルの広大な施設ですが。日本で言えば国会議事堂のそばに中国・朝鮮の犠牲者の方の慰霊碑があるようなものです。
私は空襲の死者も、戦地で亡くなった方も、当時鍋・釜まで国に供出し、食べる物も無く大変な苦労をされた方も、全てが当時の軍国主義の犠牲者だと思っています。
ちなみに靖国神社の本殿には、空襲の犠牲者も原爆で亡くなった方も一切祀られてはいません。つまり軍人で戦死した人だけという事です。

>何故、他人が価値を信じ、大切に守っているものにケチをつけるのですか?

それは違うでしょう。何処の誰もケチはつけてません。靖国神社自体や、そこに一般の方が参拝する事は、誰も否定していません。中国や韓国でさえ一般の方が靖国に参拝する事自体は否定していません。

上記の通り日本が時代の流れの中で軍国主義に走り、侵略した事は事実です。ですが私は侵略自体は、当時であればどうとも思いません。日本だけがしたわけでなく、欧米も世界中に植民地を持っていました。
ただし、当然されたほうの気持ちかはわかると思います。
それでも靖国神社や一般の方が参拝する事自体はいいと言っているのはある意味冷静な対応です。
問題は先ほど書いた矛盾にあります。

もしアメリカで神殿を作り、原子爆弾投下を指示したトルーマンや司令官を神として祀り、大統領が8月6日に参拝したらどうでしょう。広島や長崎の被爆者やその遺族がどう思うかは容易に想像がつくでしょう。
あるいは、ドイツで神殿を作り、ナチスの高官やヒトラーを神として祀り、首相が参拝したら周辺諸国はどう思うか。

また日本ではほとんどの方が北朝鮮をよく思ってはいません。その原因の多くは拉致問題にあります(あくまでも嫌っているのは政治体制と独裁者にであり、北朝鮮国民は犠牲者ですが)。
何十年も前に数十人が拉致されただけでこうです(「だけ」と言っても他意はありません)。
では第二次大戦で中国大陸では、一般市民も含め2000万人の方が亡くなりました。
もし北朝鮮の部隊が日本に上陸し、2000万人とは言いません、1万人、いや百人の村を皆殺しにして国に帰ったらどうでしょう。そして神殿をつくり、その命令をした司令官や将校を神として祀り、将軍様が参拝したら、日本はどう思うでしょう。きっと絶対に抗議するでしょう。

また別の矛盾点もあります。
もともと国が作った神社であり政治と共に歩んできた神社が、前述の昭和21年に一宗教法人になりわざわざ政教分離、つまり「政治と宗教は別にしなければいけない」と分かれた事です。ならば、一貫して政治とは分かれるべきで総理や政治家が参拝する事は矛盾します。
逆に政治が口出しをしてもいいのならば、A級戦犯の合祀について「政治が口を出すべきでない」と言うのは矛盾します。
こうしてみると靖国神社と言うのは成り立ちからして矛盾の塊になっているんですね。矛盾があるのならば、それは「直したほうが良い」となります。

問題はA級戦犯ですが、彼らには何千万人もの人間が死んだ責任があるという事です。この責任と罪は原爆を落とした司令官にも太平洋戦争に突入したルーズベルトにもあります。
また東京裁判が違法だと言う話もよくでます。しかし戦勝国の責任が裁かれていなかろうが、裁判が合法だろうが違法だろうが、それは学者さん達に任せておけばいい事です。それによってA級戦犯の責任がなくなるわけではありません。
A級戦犯やその辺の事は、手抜きになりますがこちらに書いてあるのでよろしければお読みください。
「A級戦犯のしたこと」
http://okwave.jp/kotaeru.php3?qid=2287763

>それとも、他人が参拝することで何か具体的被害を被っているのでしょうか?

被害を被っているのではなく、そういう「人の思い」に配慮する事は非常に大事だという事を訴えているんですね。

こういう問題は自身が思想に左右されずに歴史を勉強しなければ語れません。事実を事実をして学んでいくことが大事でしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私の感情的かつけんか腰とも思える質問に対し、事実関係を含め詳細なるご説明・ご回答まことにありがとうございます。

確かにA級戦犯と呼ばれる方々に何の責任もないはずはありません。結果として多くの人々の命が奪われ、国土は焦土と化したのですから、当時国家権力を持っていた人間ならば、責任を問われてしかるべきです。

ですが、今回の質問は、「何が正しかったか」ではないのです。
為政者が聖人君子であるのは理想です。ですが、人が、聖人君子という極めて主観的な基準を、他人に対して当てはめて判断しようとするから、「あいつは聖人君子でない」と思う人間との間で争いが起きるのだと思います。イスラム国(教徒)とキリスト国(教徒)との間の争いが永遠に絶えないのは、教義の中で「自分達が正しく相手は間違っている」と明言しているからであり、どちらかが滅びるまで終わることはないと思います。
それに対し、日本は「和」です。近隣諸国の意見をこれだけ聞いている国も珍しいと思いますが、これは「和」の精神が今なお息づいている証拠だと思っています。
被害を被った人へ配慮するのは当然です。でも、現にテレビなどで繰り広げられている参拝反対意見や活動を全て肯定するというのは「やりすぎ」ではないのかと思うのです。
いや、本気でそう思っている人も多いのでしょう。この場で私の考えを押し付けるつもりはありません。

ただ言いたいことは、そういう考え方の違いがあるにせよ、具体的被害を与えていないのならば、参拝する自由くらいはあるし、靖国やその参拝者を不当に貶めるような言動は慎むべきでは、と私は思うのです。

以上お礼になっているかどうかわかりませんが、ご回答文の内容から、私自身の考え方をご説明したほうがよいかと思って書きました。失礼がありましたらご容赦下さい。

お礼日時:2006/08/18 10:07

先の「お礼」、そして質問を読み返しては見ましたが、あんたを含めた参拝者の宗教観には何の興味も無いし、無関係です。

それに、靖国神社に関わる問題は、参拝者個々人の宗教観は全く関係ありません。あんたは、単なる宗教観の摩擦云々が問題という認識らしいが、それこそ誤解しています。

参拝したいなら、すればいい。かつての戦争を、神社と同じ様に賛美したいなら賛美すればよい。私は別に好き嫌いの次元で回答などしてはいないし、あんたの宗教観などには全く興味は無い。しかし、現実問題として中・韓は首相、官房長官、外務大臣の参拝に対して強い不快感を示し、昭和天皇以来皇室の参拝は止まったまま。おまけに、靖国神社自体戦争賛美の意思を公然と示している事に、少なくとも私は強く憤っているだけである。

この回答への補足

先の感情的かつ失礼な物言い、申し訳ありませんでした。
諸外国の反発があることや天皇参拝ができない状況というのは、正常な状態ではないという認識は持っています。
私自身は靖国参拝を肯定しつつも戦争賛美者ではないと自負しており、こういう考え方の人は多いと思っていたのですが、こういう考え方が多くの人に不信感を抱かせ、誤解を与えているのであれば、もう少し自分の立場というか考え方というものをじっくり見直してみる必要があるのかもしれません。
ご回答ありがとうございました。

補足日時:2006/08/18 09:02
    • good
    • 0

No6の者です。


どうも誤解している向きがあるようですが、靖国神社が「反戦の誓い」をする場であるわけがありません。

靖国神社に限らず、どこの国にもある戦没者追悼施設というのは
「このように祖国のために死んだ人たち(英霊)がいた。後世の国民よ、国家に危機が迫れば先人に習って祖国を守れ」
という精神(祖国愛)を養うための場所です。

靖国神社に行って、「反戦の誓い」をする、言い換えれば
「戦争というのは実に悲惨で馬鹿げたものだ。日本に外国が攻めてきたら、抵抗などせずに無条件降伏してカネもモノもオンナも全て相手に献上しよう。とにかく戦うのは無駄であり真っ平だ」
などと考える人がいては困ります。

なお、上記のことは、日本の左翼が好む非武装中立論を分かりやすく表現した内容です。実際は「非武装で中立していればどこの国にも攻められることはないから安心。攻められることは有り得ないから心配無用」という極めて他力本願な思想なのですが。

また、世界のどこに行っても真面目に「反戦の誓い」をするための施設などはありません。強いて言えば、非武装中立論に長く冒されていた日本にだけ存在するようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大国主命の国譲りから始まり先の大政奉還(明治維新)に至るまで、日本と言う国は争いを好まず、なるべく話し合い(談合)により問題を解決しようとする志向の強い国民性を持っていると思っています。
ですから、神社で「反戦の誓い」をするということは、ふさわしくはないのかもしれませんが、日本人の感覚として「あり」なのではと私は思っています。
一方で、世界有数の軍事力を保持するに至っている事実もあるのですが...。

国際社会へ影響力を持つ先進国として、こういうあいまいさや他力本願的な思想は、よい面を残すにしても、やはり直していかなければならないのですね。私自身誤解していた面があったようです。

更なるご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 08:53

 靖国問題は単に信仰の問題ではなく、国際的な、特に中国と朝鮮半島に対する日本の立場が問題になるから騒いでいるのです。


 靖国は神社です。おおかたの国々では宗教施設は崇敬する対象として存在します。日本のように罪人とされた人を祀る事によって、その害(怨念)を抑えるという考え方は基本的にありませんから、日本人の神社参拝の意味を理解する事は困難でしょう。
 つまり、外国人、特に戦争被害者とされる中国、朝鮮半島の人々にとっては直接の加害者(首謀者・準首謀者)とされているA級戦犯を崇敬しながら反省の弁を垂れる日本政府を信頼できないものとするのは当然だと思います。
 また、慰霊といっても靖国には、同じ日本人でありながら内戦における敗者の御霊は祀られていません。
それに、英霊とは敵の弾に当って死んだ者だけでしょうか?退役後死んだ者は英霊ではないのでしょうか?
 本来戦争を起こさぬ為の誓いは英霊とされる人だけではなく、全国民、全世界に対して成すべきものでしょう。この事からも反戦の誓いをする場としては適当ではないと思います。

 私は、なにも靖国からA級戦犯を排除する必要は無いと考えています。なぜなら靖国は神社であり、一宗教施設に過ぎないからです。米国やフランス、ドイツなどでは基本的にキリスト教国であっても無宗教施設を以って慰霊施設としています。つまり、政教分離を唱える日本が神社に固執する正当性は全くありません。国の反戦の象徴としての施設を作れば良いのです。そうすれば靖国に参拝する人も偏見など持たれずに安心して参拝する事ができるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私自身は、靖国側の合祀基準が、勝ち負けに関わらず戦争による「公務死」としていることに最も意味があるのではと思っています。
つまり、「正しいかどうか」という人間の価値観を合祀基準に含めてしまうと、どうしても価値観の一致を目的としてしまいがちでありかえって政治的に利用されやすい、と思うからです。
戦争の英雄を崇敬することが目的なら、日露戦争の英雄である東郷平八郎や乃木希典だって祀られてしかるべきですよね。
私自身、靖国に参拝する際は、「国のために公務死した人を国民の一人としてどう評価すべきなのか」「公務死した人々ときちんと向き合って話せるか」ということを絶えず意識して参拝しています。

そもそもの問題としては、おっしゃるとおり、本来国が直接行うべき事を靖国に肩代わりさせていることが原因なのかもしれません。だから、様々な想いが靖国に集中してしまうのではと思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 08:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!