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座標の問題などで出てくる問題文なのですが。

  ・     ・
  A      B

上記のように左に点A、右に点Bがあります。このとき「点Aに関して、点Bと対称な点Cを打て」という質問文があった場合、点Cは点Aの左側に打つのでしょうか? 点Bの右側に打つのでしょうか? というよりも、先述の質問文から一意な解釈はできるのでしょうか?

A 回答 (4件)

対称とは互いに対応して釣り合いを取ることを言います。



Aと基点としてBの対称を求めるわけですから
点Aの左に打つのが普通だと思います。
これによりCとBを釣り合わせるわけです。
Bの右側に打ってしまったらAとCの釣り合いになってしまいますね(^^;
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2006/08/15 05:12

質問者さんも分かっていらっしゃるとおり、点Aの左側に打ちます。



「というよりも、先述の質問文から一意な解釈はできるのでしょうか?」
が本来の質問ですよね?

数学の専門用語で「対称」(symmetry)がどのように定義されているかを考えれば「一意な解釈はでき」ます。というか「一意な解釈」しか出来ないとおもいます。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C2%D0 …

余計なことですが、僕のようないい加減な人間には、とても理解しがたい世界です。数学ってのは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いつも、「点Aに関して」を『点Aを基点にして』という解釈と『点Aを主眼において』という解釈で迷ってしまっていました。

お礼日時:2006/08/15 05:14

・点Aに関して→関連しているのは、点Bと点C



・点Aを基軸(中点)とする訳なので、点Aから左側へ、点Bまでの等距離で、点Cを打つ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/15 05:15

 この「問題文」の「~に関して」は日常用語ではなくて、数学用語ですから、#2 さんのおっしゃるとおりで、それで説明はすんでいるとは思いますが、あえて国語カテで質問なさったので、あえて日常用語的に考えてみました。


 この質問文(?)を、平叙文(??)に変換してみました。
 「点Bと点Cは、点Aに関して対称である」。
 どうやら、これだと、日常用語的にも紛れはなく、一意的であるように感じます。
 対称というからには、その対称という基準というか中心というか、そういうものが必要で、その基準となったものを「~に関して」という言い方で表しているということが、平叙文だと、日常用語のレベルでも感じ取れるようです。
 これが質問文(?)のように「点Aに関して、点Bと対称な点Cを打て」だとなぜか、「点Aに関して」が日常用語レベルでは、これがその対称の基準点であるという感じが薄れるのが不思議です。この、不思議を考えてみたいと思います。

 「点Aに関して対称となるように、点Bと対称となるような点Cを打て」だと、日常用語レベルでは、紛れが少なくなる気がしますが、明らかに言葉が重複しています。

 再び、「点Bと点Cは、点Aに関して対称である」に戻って考えてみました。
 日本語は言葉の順番の自由度が高い言語です。言葉の順番を入れ替えてみます。
 「点Aに関して、点Bと点Cは対称である」
 これでも、さっきの平叙文(??)と全く同じであるはず(!)ですが、私には、何だか(日常用語としては)同じに感じられません。
 そう、「点Aに関して」が最初に出てくると、この「~に関して」が、対称の中心についての叙述という感じではなくなって、「この文全体」が今から点Aについてのことを述べますよ~~といっているような感じがします。
 つまり日常用語で何かを述べる前に、まず最初に「~に関していうと」と言っているのと同じような感じで「~に関して」と言っているように感じてしまうのです。
 そうすると、点Aについての話だったはずなのに、後半では点Aのことは一言も出てこず、点Bと点Cが対称っていうことしか出てこない、あれれ~点Aの話のハズだったでしょう? 点Aのことはどうなったの~というような気持ちになります。

 この気持ちのままで(?)さらに質問文(?)になると、後半で「点Cを打て」と言われたときに、「え~っとこれは点Aについての話だったよね~~~」と思ってしまって、「点Bと対称な」という記述と「点Aについての話だった」という思いとが重複してしまって、混乱してしまうように思います。
 ということで「点Aに関して対称である」という言いまわしは日常用語でも紛れはあまりないけれども、「点Aに関して」と「対称である」とが分離して、さらに「点Aに関して」が先頭に出ると、「点Aに関して」の「関して」が「対称である」とセットになった言いまわしであるという「印象」が薄れて、文全体について述べていると感じられるために「日常用語的」には紛れてしまう、というのが私の感想です。
 ですから、やはり、数学の時には、数学的な言いまわしというのをよく理解していないと、意味が紛れてしまう危険性がある、ということになりますね。
 日常用語的な感覚に引っ張られてよく勘違いしてしまう例に「または」なんてのがあります。こういう言葉は、あまりにも普通の言葉っぽいので、数学用語であることを意識できないんですよね(^◇^)。
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この回答へのお礼

すっきりしました。回答ありがとうございました。

確かに数学(論理学)では「または」や「ならば」は変な使い方をします。
「チョコまたは飴をあげよう」
「じゃあ、両方頂戴」
 これはありです。(AまたはB、はA、B、AとBの場合真)
また、
「私が帰ってくるまでにケーキ食べたら殺す」
…………
「あ、お姉ちゃん、おかえり。ぼく、ケーキ食べなかったよ。えらいでしょ」
「けど、殺す」
これもありなんです。(前条件が否定されると、後条件はどんな場合でも真なんですね)

お礼日時:2006/08/15 05:22

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