(1)この歌において、作者はなぜ泣いてるんでしょうか? 何があったのでしょうか?
東海の 小島の磯の 白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
(2)この歌でもなぜ泣いてるんでしょうか? そして、「一握の砂を示しし人」というのは誰で、何のために砂を指差しているのですか?
頬につたふ
なみだのごはず
一握の 砂を示しし 人を忘れず
(3)この歌で、作者がさらさらと砂の感触を確かめているのはなぜでしょうか?
いのちなき 砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指の あひだより落つ
3首とも同じ背景の下に書かれたものだと思うので、答えは同じかもしれません。つまり(1)(2)(3)それぞれ別々に答えを頂く必要はないかもしれません。
回答者さんの中には、「受け取り方は読者の自由だから、こんな質問は愚問である」という方もいらっしゃることと思います。
しかし私はその意見に対し、次のような考えを持っています。
私は、文学にせよ美術にせよ、鑑賞の仕方は2通りあると思います。
A:その作品の中だけで完結した世界だと思って、その世界を楽しむ方法。
B:作者の生涯や、作品が生まれた背景などを理解し、その上で鑑賞する方法
Bの鑑賞法のほうが優れている、と考えているわけではありません。むしろAの面白さが好きです。
でもこれら3首については、既にいろいろ想像をめぐらしてAの鑑賞法を楽しみましたので、今度は是非Bの鑑賞法で鑑賞したいのです。だから作品の背景を知りたいのです。
しかしいろいろ検索をかけてみたのですが、この3首の解説が見当たりません。
どうかお願いいたします。
No.3
- 回答日時:
本日図書館でこの質問があったのを思い出して二十年ぶりに石川啄木関連本の上田博著 石川啄木全歌鑑賞という本で数首読んでみましたところ、最初の歌は明治41年6月24日「暇ナ時」に作られたそうです。
クイズを時間をかけて解いていたところ、他者から答を言われて楽しみが無くなった気がしたので数首で止めました。私の中の啄木が崩れる気がしたので。
私はAの方が良いかと思っておりますが、どうしてもなら図書館などで調べられたらいかがでしょうか。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
質問者様は出来れば文献をお求めなのはわかっているのですが、
No.1様と同様、私も特にその必要はないのではないかと思っています。
いろいろな鑑賞法があっていいし、またいろいろに読めるからこそ作品に広がりが出てくる、
ということもわきまえた上で申しますが、Bのような鑑賞法に必ずしもこだわらなくてもいいのかなと。
以下、徒手空拳で私見を述べます。参考に資するところがあればお慰みです。
「東海の」は、やはり世界地図を広げての小島=日本。
その名もない磯のわずかばかりの白砂(少なくとも、広い砂浜の砂ではない)。
あるいは浅薄、未熟という意味での磯。
白砂は純白、高邁な志のアナロジーかもしれません。
啄木の時代は立身出世の時代、高い理想を抱いた時代だと思うのですが、
それだけに挫折感もはなはだしい。
ちっぽけな日本の名もない一角で、文学者として名を上げるどころか、いまだ日々の生活に苦しんでいる。
そういう心の背景のうちに歌われたのではないでしょうか。
ところで先日、「蟹」は横文字、英語のことであるという意見を聞いて面白いと思いました。
正岡子規にも、若き夏目君(のちの漱石)を戯れに、
「鴃舌を学び蟹文を草す」げきぜつをまなびかいぶんをそうす
と評したと高島俊男氏の「漱石の夏やすみ(房総紀行 木屑録)」に出てきます。
啄木の「飛行機」という詩は、
肺病やみの母親と二人で暮す給仕づとめの少年が、たまさかの休日に、
「ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……」とうたわれ、
それが青空を高く飛ぶ飛行機と対照されています。
(飛行機は当時の最新テクノロジーでしょう。また、よく落ちたと聞きます)
さて、なぜ泣くか、なんですが、
少しきびしい言い方かもしれませんが、これが啄木の弱さだと思うんです。文学としての弱さ。
だってこれはセンチメンタルに過ぎません。自分を額縁に入れて憐れみ、ひとの同情を引く涙なんです。
本当のかなしみ、存在をかけたようなかなしみではないと思うんです。
当時は今よりはよほど感情の起伏が激しく、人はやたらに泣いた、ということはあるかもしれませんが。
そして涙することへの共感、「大衆性」によって読み次がれてきたということもあるでしょうが。
長くなりました。先を急ぎます。
砂、さらさらとした砂はそれだけで「かなしい」ですね。
指のあいだからさらさら流れ落ちる砂は、皮膚感覚としての快さと、心のないむなしさを感じさせます。
そしてそれは何かの暗示、連想へ結びつくかもしれないし、そうしないでもいいのかもしれません。
ただ、これは「一握の砂」巻頭の連作(たぶん)10首の一つですから、その読みあわせによって、
編者は読者に想起することを希望しているのかもしれません。
以上、管見を書き散らしてしまいました。ご寛恕願えればと思います。
長文回答ありがとうございます。
何だか、回答者さんの頭の中では、完全な啄木像が出来上がっているみたいですね。啄木の作品だけでなく伝記などもお読みになってきたのだろうと思います。大袈裟ですが、ちょっとした伝記小説を読んだ気分になりました。
「さらさらとした砂はそれだけでかなしい」というのは非常に面白いし、まったくその通りだと思います。ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
ご指摘の三首は、明治四十一年(作者二十二歳ごろ)に作られた、「一握の砂(刊行は四十三年)」所収の歌です。
手持ちの二冊の本には、三首が作られた当時の状況について次のように書かれていました。多少、改編あり。引用文中の( )内は回答者の注記・解釈。
・「四十一年といえば、北海道から小説家を志して上京してきた作者が、創作に失敗し、本郷の下宿で悶々の日々を送っていたころである。したがって、彼の心中には、(中略)追憶的感情が生まれていった~」(「現代短歌」學燈文庫、以下1)
・これらの歌に詠まれた「流離漂泊の感情は、これらの経験(故郷の渋民村を追われ、北海道を転々とし、そして上京後の挫折)をひっくるめて奏でられている」
これらの作品は「上京後まだ定職なく妻子等をまだ北海道に残したままで、創作活動にも行き詰まりを感じて焦燥と披露に困憊していた頃の作で、(歌に詠まれた)孤独と漂泊は作歌時の心さながらであった」
(「教科書にでてくる短歌の鑑賞」東京美術、以下2)
また、上記二書は、「東海」「小島の磯」「砂浜」を函館大森海岸とする説を紹介しつつ、「鑑賞のうえからすれば、そういう問題は一応専門家にまかしておいていい(鑑賞上不必要な詮索である)」(1)、「「東海」は「東の海」くらいに軽くとる。函館の大森の海岸だと考証家は言うが、北海道が「東海の小島」、いや日本がそれであってよいのである。歌は北海道から上京してから後の作だが、その境(境遇)に今いるものとしてつくっている」(2)
以上から、やはり具体的な個々の出来事やきっかけがあっての「涙」や「感傷」ではなく、実生活の不安や芸術上の挫折による失意と絶望にうちひしがれた、孤独で自意識過剰な若い魂の、状況を超えたところにある独白ととるのが定説のようです。
よって、御説(鑑賞に関するAB二つの態度)に全面的に共感、感服しつつも、これらの作品に関しては、Aの態度で臨まれた方がいいのではないかと思います。
なお、私は持っていないのですが、學燈文庫の中の「石川啄木」(岩城徳之)は、安価(多分、五百円前後)で便利、しかも信用のおける本のようです。
詳しい回答ありがとうございます。
また、3冊の本を紹介していただき、ありがたく思っております。チェックしてみます。
鑑賞本でさえも「Aの鑑賞法」で臨んでいるものが多いようですね。中には「Bの鑑賞法を受け付けない短歌」も存在するということなのでしょうか。
実はいろいろ調べながら、自分なりにBの鑑賞法で当てずっぽうの解釈をつけてみたことがあります。余計な詮索ではありますが。
啄木が20代半ばのとき、待望の男の子が生まれますが、生後たった24日で死んでいます。
啄木は、一瞬にして自分の手から離れてしまったわが子のいのちを、強く握りしめても指の隙間からこぼれおちていく「砂」に見立てたのではないかと。
いのちなき 砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指の あひだより落つ
そうやって、何度も何度もこぼれおちていく砂の感触を確かめることで、啄木はいのちの儚さを嘆いていたのかもしれない、という一つの解釈です。
「ひとにぎりの砂」が死んだわが子のことだと仮定すると、
頬につたふ
なみだのごはず
一握の 砂を示しし 人を忘れず
における「一握の砂を示しし人」は、「愛児の死をなぐさめに来てくれた友人」あたりかなあ、とか。
生後24日で死んだしまったわが子を、「いったい何のために生まれてきたのか」と嘆いている夫婦いて、そこにやってきた友人がそっと、「ひとにぎりの砂にだって意味がある。彼が生まれてきたことは決して無意味ではなかったのだ」と教えてくれた、という解釈。
ちょっと無理がある気もします。
これは完全な当てずっぽうでして、実はこれら3首が長男の死の後に詠まれたものかどうかもよく判らないんですが、ちょっと牽強付会というやつでしょうか。
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