プロが教えるわが家の防犯対策術!

くだらない質問ですいません・・・
歴史が好きで、大河ドラマはよく見てます。

そこでいつも思うのですが、たとえば切腹を命じられたとしても、
みな潔いですよね。
たとえば自分が処刑されるとしても、嫌がって逃げ出す様子もなく、
この家に生まれたのなら仕方ないとか、
この家に嫁いだのだから仕方ないとか・・・
自分に罪はなくとも、小さい子どもとか、親が武将で敗北すると、
男子だった場合、処刑されたりしますよね。
正室や側室も。
小さい子どもとか、逃げ回っただろうなぁとか考えてしまいます。

もちろん死ぬ瞬間にすさまじい苦痛は味わうでしょうし、
怖くないのかなぁ、と思います。
それとも死ぬことが怖くないのかなぁ、仏教だと輪廻転生があるし、
生まれ変われる、という希望があるからなのでしょうか。

名誉のためとか、御家のためとか、その時代の価値観は死よりも
勝るものがいっぱいあったのでしょうか。

わけの分からない文章になってしまいましたが、詳しい方みえたら
教えてください。

A 回答 (16件中1~10件)

基本的に現在と考え方が違うのです。

昔はお家第一と言う考え方。現在は個人主義という風にです。生き恥をさらすと言う言葉がありますよね?死ぬ事や処刑される事よりも生きて辱め(女性)を受ける事は死ぬ痛みよりある意味苦しかったのでしょう。個人の生死より○○家という名が大事なんです。今も若干名残はあります。どちらにせよ、実際に切腹・処刑される人が本当にドラマや映画の様に綺麗に死を迎えたかは実際見た人はいないので分かりませんが・・・因みに戦死とは根本的に違うので比較は出来ません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり根底にある考えからして、今とは違うのでしょうね。
”家”が大事、自分ひとりの命よりも、ということでしょうか。
生き恥よりも死を選ぶですか・・・
プライドというか、誇り高いものだったのですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/10/26 16:01

歴史に詳しいわけでもなく特別勉強したわけでもなく個人的な意見ですが、



時代劇で切腹を命じられた武士か代官かが「え~い、このうえは~!」といい者に切りかかろうとしていい者の家来に切り殺されたシーンがありました。
悪者だけでなく御家のために割腹する場合でも往生際の悪い人はいたと思いますよ。
実際城が落ちても逃げ延びたお偉いさんはいっぱいいるのですし。

でも幼少からの教育で特別な家柄の人の大半はいざというときの心得はできていたでしょうね。

日本人は敗戦のとき「天皇ばんざ~い」と崖から飛び降りた人も割腹した人もいますのでお家のため・お国のために自ら命を絶つということは、とても意味のある行動で名誉でもあったのでしょうね。

戦争映画で捕虜だったと思いますが「生きて恥をかくよりは」と割腹したシーンもありましたので、戦国時代にしても戦争にしても死ぬことより周りの反応に耐えながら生きていくことのが苦痛だったということもあると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
みながみな、潔く死んでいったわけではないんですね。
小さい頃からそういう教育を受けていれば、
そのことが当たり前となり、抵抗(多少はあるでしょうが)なく、受け入れられるものなのでしょうか。

>家のため・お国のために自ら命を絶つということは、とても意味のある行動で名誉でもあったのでしょうね

そこまで熱く信仰心?があるということはとてもすごいですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/26 16:05

切腹や心中の文化は、過去の遺物ではありません。


第二次世界大戦でも一死をもって自己の責任をとって、切腹したり自決した人がたくさんいますし、今も武士道の精神は消えてはいません。
また、日本人は、一家心中も諸外国に比べ寛容に見ていますし、生き残られた人の量刑も軽いですよね。

日本人は、自己の死よりも勝る価値観を持っている民族です。現在は、平和であるが故に、表面に出て来ないだけで受け継がれいるんですよ。

災害の無政府状態で集団の規律が保てる民族はそう多くはありません。この種の精神性が底にあって、それに対する責任を優先しているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
過去のことではないのですか・・・
武士道の精神・・・ラストサムライを思い出しますね。

>日本人は、自己の死よりも勝る価値観を持っている民族です。
そういう日本人に生まれて、自分の中にも隠れているそういう精神があるんでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/26 16:08

大多数の武家の人は他の回答者のような覚悟をして切腹や


自害、または処刑を受け入れたと思いますよ。
ですが、切腹が嫌で逃げ出した人もいます。
その人は織田信長の弟の織田長益(有楽斎)です。
長益は本能寺の変の時、織田信長の嫡男の信忠の家臣で
信長自害後、信忠と共に二条城に立てこもり、押し寄せる明智勢に
立ち向かったのですが、多勢に負勢で覚悟を決めたときに信忠に自害を
進め、自分も後を追って自害すると進言し信忠は切腹したのですが、
長益は切腹が怖くなり、一人逃げ出しています。
その後明智勢の包囲をかいくぐり、安土へ逃げ無事に岐阜まで逃げ延びています。
またそのときのことを京の民衆たちに皮肉くられています。
その後は戦国武将らしく要領よく立ち回り、信長次男の織田信雄、豊臣秀吉、徳川家康と
その時々の有力武将に仕え、大名になり75歳の天寿を全うしました。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
逃げた人もいるんですね。ちょっとほっとしたような気分です。
でもやはりそういう行為は恥ずかしいことなのですね。
今から振り返るなら、そういうことも十分アリですけど、
その時代では許されないことだったのですね。
織田長益は、生き恥をかいたことでしょうね。
でも、それでも生き延びられたことに、きっと大きな意味があるのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/26 16:12

当時と今とでは、死への感覚が違うことがあると思います。


平均寿命も短く、子供の頃から多くの人が生まれ、また死んでゆく時代です。そして、(農民などでも)現世よりは来世生を大事にする気持ちも強かったようです。生への執念、今とはまた違っていたようです。
それに加えて名誉を重んじたりする武士ですから、切腹で死ぬことよりも、不名誉なことへの恥の気持ちも強かったことと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり今は死イコールすべてにおいての終わり、こわい、というイメージですよね(少なくとも私はそうです)
おっしゃられたように、今よりずっと平均寿命も短く、来世を大切にするというイメージがあるなかでは、
受け止め方もまた大きく違ったのでしょうね。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/11/02 01:54

現代と共通している価値観として・・・日本人は何かと言うと


桜が好きです。
春の花なら梅や桃もあるのですが、桜がダントツ人気です。
桜は散り方が早いので梅や桃が花をいつまでも見苦しくなる
までつけているのに対し、桜はパッと散ってしまうので、
死に対する潔さと重ね合わせ、桜が美しいと感じるのでしょう。
日本人の死生観が良く出ていると思います。

今と少し異なるのは武士の価値観ですね。
武士は人前で辱めを受けることを最も嫌いました。
史実とは違うでしょうが、忠臣蔵で吉良上野介が浅野内匠頭の
持参した土産を持ち、「か~る~い~」と馬鹿にするシーンが
あったと思います(間違っていたらごめんなさい)。
おそらく、昔の人はそのシーンを見て、みんなの前で恥をかかせる
吉良が殺されて当然の悪者に見えたと思います。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
確かに私も桜が好きです。
おっしゃられたとおり、桜はすぐに散ってしまうからこそ美しいのかもしれないですね。
死生観と通じるものがあるとは・・・驚きながらも納得です。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/02 18:49

菊池寛も同じ疑問を感じたようです。



「戦国時代の文献を読むと、攻城野戦英雄雲のごとく、十八貫の鉄の棒を苧殻(おがら)のごとく振り回す勇士や、敵将の首を引き抜く豪傑はたくさんいるが、人間らしい人間を常に miss していた。自分は、浅井了意の犬張子を読んで三浦右衛門の最後を知った時、初めて“There is also a man.”の感に堪えなかった。」(『三浦右衛門の最後』より)

『三浦右衛門の最後』 テキストは以下のURLから読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/490_1 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
読んでみました。
読んでいるだけで、かなりもう脈拍が乱れそうなくらい、
すごい光景を想像させるものですね。
って、そういう問題ではないんでしたね。
腕を切り落とされ、脚を切り落とされ、それでも生への執念を捨てない・・・
現代人ならば誰もがそう感じるでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/06 23:46

殺される間際に「死にたくない助けてくれ」って泣き叫ぶイメージの方がバーチャルでしょ。

漫画や安手のドラマ以外では目にしないですよ。ナチスに処刑されるユダヤ人なんかたんたんと殺されてますよ。
当時は病院も救急車も保険証もないですから、人はしょっちゅう死んでたんじゃないですか。5~6人生んでも人口が増えないってことは、3人に2人は途中で死んじゃってるって計算です。病気になってよれよれな状態で死んじゃうのを日常的に見ていると、死に際をきれいにしたいって、もしくは、子供に定期金と働く場所を残して死にたいって思うのが普通じゃないですか。
子供の場合は逃げ出せはよかった場合もありますが、親のクレジットカードなんてないし、毎日食料をゴミ箱にだしてくれるコンビにもありませんから、畑の作物がなくなる冬には、飢え死にしちゃうんじゃないですか?
当時は生活保護法なかったので、作物を盗む無宿人は殺されちゃう危険もありますし、それは惨めですよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
確かに、昔は子どもが無事成人まで成長する確率はとても低かったようですね・・。
今より、もっと人がバタバタと死んでいってしまうのが、通常だとするならば、死ぬということの意識も全然違ったものだったのでしょうね。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/11/24 14:57

こんにちは。


私もくわしくはないのですが、歴史物の小説やドラマは大好きです。
ご質問を読んで、一昨年の大河ドラマにもなった、
新選組のエピソードを思い出しました。
副長だった山南敬助が脱走して切腹となった時、
新選組 組員(隊員というんでしたっけ?)の見守る中、
彼の切腹の様は実に見事だった、という記録が残っているということです。

切腹の手順、というか形式は決められていて、茶道の作法のようにとても優雅です。(ドラマでみると、いつも美しいですよね。)
でも実際は、どんなに立派な身分の武士でも、なかなか作法どおりにはいかず、(手がブルブル震えて刀を上手く自分に刺せない、とか。)見苦しいもののようです。
だから、背後に控えている介錯の人が早めに切ってあげることのほうが多いようです。
山南副長は、介錯の沖田に、「よい、というまで切るな」と事前に伝え、
実際に、「切腹」をおこなってから、沖田に目で「今だ」と合図したのです。
そのような事ができた者は、歴史上あまりいなかったようですね。
だからこそ、エピソードとして残っているようです。

大河ドラマのこのシーンはほんとうに感動、感涙でしたねぇ。
また見たくなってきました♪
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
やはり、みなが、潔くできたわけではないのですね。
山南副長のシーンは、私は知りませんでした。
時代、時代の解釈があっても、なかなかそこまで潔くできることではなかったのですね。

回答どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/11/24 15:06

歴史ドラマでの切腹シーンは事実もありますが脚色もおおいものです。



ただ武士道が確立した時代では成人男子は切腹の作法も知っており、14,5歳の男子でも元服しておれば成人でしたからそれなりの覚悟はありました。
それ以下の子供は男子でも死刑は稀です。

実際の切腹は形式的で多くは介錯人が斬首するので一瞬です。
戦国時代では敗北は死を意味しましたからそれなりの覚悟はありました。  この時代は報復を恐れて敗北者の男子の家系は根こそぎにするのが常識でした。
従って戦時と平和時とを混同してはならないと思います。
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