14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

くだらない質問ですいません・・・
歴史が好きで、大河ドラマはよく見てます。

そこでいつも思うのですが、たとえば切腹を命じられたとしても、
みな潔いですよね。
たとえば自分が処刑されるとしても、嫌がって逃げ出す様子もなく、
この家に生まれたのなら仕方ないとか、
この家に嫁いだのだから仕方ないとか・・・
自分に罪はなくとも、小さい子どもとか、親が武将で敗北すると、
男子だった場合、処刑されたりしますよね。
正室や側室も。
小さい子どもとか、逃げ回っただろうなぁとか考えてしまいます。

もちろん死ぬ瞬間にすさまじい苦痛は味わうでしょうし、
怖くないのかなぁ、と思います。
それとも死ぬことが怖くないのかなぁ、仏教だと輪廻転生があるし、
生まれ変われる、という希望があるからなのでしょうか。

名誉のためとか、御家のためとか、その時代の価値観は死よりも
勝るものがいっぱいあったのでしょうか。

わけの分からない文章になってしまいましたが、詳しい方みえたら
教えてください。

A 回答 (16件中1~10件)

切腹で死ねるというのは武士の本望なので、いくら死が怖いからといってそれから逃げれば自分や御家の名に泥を塗ることになるからです。

だから切腹は武士にとって名誉につながるわけです。
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武家男子の切腹あるいは女子の自害は、まさにその名誉を維持するためです。

別の言い方をすれば「武家の最高の見栄」ということもできます。
 作法にのっとった切腹にもいろいろ程度があります。
 「腹を十字に切り、湯気の出ている臓物をつかみ出して、どうだとばかり見栄を切り、介錯人に介錯を求める」・・・これが私が本を読んだ中で一番すごいものです。
 でも「武士が腹に刀を立てる恰好をした瞬間に、介錯人が首を切り落とす」のが普通で、中には「三宝の刀を取ろうと手を伸ばした瞬間に介錯する」というのもあったようです。
 女子の場合は膝を紐でしばって、死後見苦しくならないようにしてから喉を懐剣で突くのが普通であったようです。
 誰でも死にたくはありません。日本の文化を研究している外国人が「日本は恥の文化だ」と喝破しました。まさにその通りだと思います。
 この恥の文化は明治維新後も色濃く残り、先の大戦の特攻隊や神風攻撃あるいは玉砕なども似たようなことだと思います。
 なお、刀や懐剣により自分ひとりで死ぬということは大変なことで、今の常人ではまず無理だろうと思われます。
 戦後、旧海軍士官(最後は少佐、後に自衛隊に入り将官)に聞いたことですが、その方は終戦間際のときにどうやって死のうかと考えたそうです。
 最初は古式にのっとって割腹を考えましたが、介錯をしてくれそうな人はいません。またいたとしても、腕の立つ人でないと見苦しいことになりかねません。
 最初の一振りで介錯人の手元が狂い、背中の一部を傷つけた場合などは、そのときに自分の本能が目覚め、介錯から逃げ回るという見苦しいことも考えられないことではありません。
 また自分で喉を突いたり、心臓を突くことについても自信がなく、その方は青酸カリを用意したそうです(最後はそれも思いとどまったわけですが)。
 まあ、「武家の恥の文化がなせるわざ→最高の見栄」だったんでしょうね。
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質問者さまは、東海地方のおかたですね。


会津戊辰戦争の壮絶なさまは、ご存知でしょうか。
年端もいかない少年が、自ら死を選ぶのです。
家老の留守宅でも、乳飲み子まで、刺されて死を選ばされます。
妙齢の女性が、(中野竹子)手傷で、動けなくなった時、妹の優子に、自らの首を切らせ、持ち去るように、支持しています。
受けた教育によるものだと、思います。
ことに、会津の教育は、厳しいものでした。
関連するかどうか・・・。
日本の死刑囚で、全く取り乱さなかったと言われている人が数人いるらしいのですが、そのうちのひとりは、女性だそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
小さい頃から受けていた教育によって、死は恐れるものではなかったのでしょうね・・・。
会津戊辰戦争はそこまで壮絶だったのですね。
女性は肝がすわっているとよく言いますが、私なら取り乱しまくってしまいそうです・・・。
自分がその時代の教育を受けていたなら、また違うのでしょうか・・・。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/24 15:00

以前の質問「切腹以上の罰って?」のNo13で私が回答しておりますので読んでみて下さい。



切腹と言うのは平たく言えば
「お前が腹を切ればそれで罪を許してやる。家は(家禄を削っても)存続させてやる」
という寛大な処置です。なお、江戸時代の切腹は実際に自分で腹を切るのではなく、あくまでも儀式です。実際の「割腹」は、第二次大戦終戦時に何人かの軍人がやっていますが、介錯しなければ「出血多量で死に至るまでに何時間もかかり、表現できないほどの苦痛を味わう」ものです。

武士が「処刑」される場合、切腹ではなく打ち首になった例がいくつかあります。
* 関ヶ原の戦いの後の石田三成
* 戊辰戦争の際の近藤勇
これらは「罪人として処刑」されたものであり、石田三成の一族は皆殺しとなりました。近藤勇の家族も、親類縁者に匿われて辛うじて生き延びたようです。

例えばある武士がお家騒動に関わって「切腹」処分になったとすれば、その人は「自分が死ねば家族が助かるのか。ありがたい」と考えて死ぬわけです。結果として質問者様の言う「たとえば切腹を命じられたとしても、みな潔いですよね」という死に方になるでしょう。切腹の場で逃げ回ったりすれば、それこそ「武士にあるまじき振る舞い」として残された妻子が妻子が「お家断絶、領外追放」になるかもしれません。

武士と言うのは「先祖から伝えられた家禄と家屋敷を次の世代に伝える」のが使命であり、その実現のためなら喜んで死ぬと言う価値観を幼少時から叩き込まれていました。その観念から見れば、「切腹」は全く怖くないわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
とてもわかりやすい説明で、なるほど、とうなづいてしまいました。
詳しく説明していただきありがとうございます。

>武士と言うのは「先祖から伝えられた家禄と家屋敷を次の世代に伝える」のが使命であり、その実現のためなら喜んで死ぬと言う価値観を幼少時から叩き込まれていました。
この言葉に私が知りたかったすべてが集約されている気がします。
回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/11/24 15:03

自らの死が眼前に迫るのはたとえ武将といえども怖いものです。


しかし、戦国時代までは武将は農民を従え威張っていました。
戦争がおこれば農民は兵隊としてかり出され、
攻城戦ではくじで負けたものが一番隊として城壁に登っていきました。

その上に立つ武士が切腹で見苦しい真似を晒すわけにはいかないのです。
いつも威張っている奴がいざとなると女々しいでは大いに恥ですし、
階級社会としても示しがつきません。

しかし、死にたくないとの葛藤も当然あります。
こうなると最終的には個人の倫理観になってしまいますが、
戦国の時代ですから自分の最期は日頃から考え、
潔くいこうと思う人の方が多かったと思います。

江戸時代に入ると泰平になり、また農民と武士は完全に分かれますから、
見方が少々変わってくるというか、上記の女々しい奴は増えたようです。
(江戸や大阪に逃げ込む武士の談話はよくあります)
ですが相変わらず武士道というものは健在ですし、潔さは求められました。

>小さい子どもとか、逃げ回っただろうなぁとか考えてしまいます
これがそうでもないのです。
小さい子供というのは従順です。
大人がしっかりさとし、手本をみせればそれに倣います。

まとめとして、人の上に立つがキーワードになると気付かれるでしょう。
会社や学校でもそうですが、いつも威張っている人間は
いざというときに覚悟を示さないと下の人間は離れていきます。
それが昔の価値観と相まって、強化の方向へ動いていたと思います。
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実際に資料を見ている訳ではなく、受け売りの情報ですが・・・。


まず子供に関しては、怖いけど訳がわからないで呆然としていた場合が多く、そのまま切り殺されていたのでしょう。現在の家族皆殺し事件でも。子供に手こずったという話はあまり聞きません。
大人も同様に雰囲気に飲まれた人が多い筈ですが、さすがに自分で行う切腹は上手く行かない人が多く、その場合「首切り人」がさっと首を落として、きれいな形に取り繕っていました。今の死刑執行とは違い、かなり技術が必要な職業だったので、しれを題材にした時代小説も多いですよね。
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歴史ドラマでの切腹シーンは事実もありますが脚色もおおいものです。



ただ武士道が確立した時代では成人男子は切腹の作法も知っており、14,5歳の男子でも元服しておれば成人でしたからそれなりの覚悟はありました。
それ以下の子供は男子でも死刑は稀です。

実際の切腹は形式的で多くは介錯人が斬首するので一瞬です。
戦国時代では敗北は死を意味しましたからそれなりの覚悟はありました。  この時代は報復を恐れて敗北者の男子の家系は根こそぎにするのが常識でした。
従って戦時と平和時とを混同してはならないと思います。
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こんにちは。


私もくわしくはないのですが、歴史物の小説やドラマは大好きです。
ご質問を読んで、一昨年の大河ドラマにもなった、
新選組のエピソードを思い出しました。
副長だった山南敬助が脱走して切腹となった時、
新選組 組員(隊員というんでしたっけ?)の見守る中、
彼の切腹の様は実に見事だった、という記録が残っているということです。

切腹の手順、というか形式は決められていて、茶道の作法のようにとても優雅です。(ドラマでみると、いつも美しいですよね。)
でも実際は、どんなに立派な身分の武士でも、なかなか作法どおりにはいかず、(手がブルブル震えて刀を上手く自分に刺せない、とか。)見苦しいもののようです。
だから、背後に控えている介錯の人が早めに切ってあげることのほうが多いようです。
山南副長は、介錯の沖田に、「よい、というまで切るな」と事前に伝え、
実際に、「切腹」をおこなってから、沖田に目で「今だ」と合図したのです。
そのような事ができた者は、歴史上あまりいなかったようですね。
だからこそ、エピソードとして残っているようです。

大河ドラマのこのシーンはほんとうに感動、感涙でしたねぇ。
また見たくなってきました♪
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
やはり、みなが、潔くできたわけではないのですね。
山南副長のシーンは、私は知りませんでした。
時代、時代の解釈があっても、なかなかそこまで潔くできることではなかったのですね。

回答どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/11/24 15:06

殺される間際に「死にたくない助けてくれ」って泣き叫ぶイメージの方がバーチャルでしょ。

漫画や安手のドラマ以外では目にしないですよ。ナチスに処刑されるユダヤ人なんかたんたんと殺されてますよ。
当時は病院も救急車も保険証もないですから、人はしょっちゅう死んでたんじゃないですか。5~6人生んでも人口が増えないってことは、3人に2人は途中で死んじゃってるって計算です。病気になってよれよれな状態で死んじゃうのを日常的に見ていると、死に際をきれいにしたいって、もしくは、子供に定期金と働く場所を残して死にたいって思うのが普通じゃないですか。
子供の場合は逃げ出せはよかった場合もありますが、親のクレジットカードなんてないし、毎日食料をゴミ箱にだしてくれるコンビにもありませんから、畑の作物がなくなる冬には、飢え死にしちゃうんじゃないですか?
当時は生活保護法なかったので、作物を盗む無宿人は殺されちゃう危険もありますし、それは惨めですよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
確かに、昔は子どもが無事成人まで成長する確率はとても低かったようですね・・。
今より、もっと人がバタバタと死んでいってしまうのが、通常だとするならば、死ぬということの意識も全然違ったものだったのでしょうね。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/11/24 14:57

菊池寛も同じ疑問を感じたようです。



「戦国時代の文献を読むと、攻城野戦英雄雲のごとく、十八貫の鉄の棒を苧殻(おがら)のごとく振り回す勇士や、敵将の首を引き抜く豪傑はたくさんいるが、人間らしい人間を常に miss していた。自分は、浅井了意の犬張子を読んで三浦右衛門の最後を知った時、初めて“There is also a man.”の感に堪えなかった。」(『三浦右衛門の最後』より)

『三浦右衛門の最後』 テキストは以下のURLから読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/490_1 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
読んでみました。
読んでいるだけで、かなりもう脈拍が乱れそうなくらい、
すごい光景を想像させるものですね。
って、そういう問題ではないんでしたね。
腕を切り落とされ、脚を切り落とされ、それでも生への執念を捨てない・・・
現代人ならば誰もがそう感じるでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/06 23:46

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