
今昔物語集の巻二五の馬盗人についての質問です。
第七段落に あやしき者どもの心ばへなりかし。つはものの心ばへはかくありける、となむ語り伝へるとや。(現代語訳:不思議な者たちの心ばえはこういうものだと、語り伝えているとかいうことである。)とありますが、「こういうもの」とはどのようなもののことをさしているのでしょうか??http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode60. … こちらのHPの解説くらいしかネット上を探してもありませんでした;;このHPの最後にある「 頼信・頼義の時代の武士は、貴族の前では這いつくばって生きていた。この最後の一文には、貴族の武士観が滲み出ている。」ですが、なぜこの一文が貴族から見た武士のことを表現しているのでしょうか?この2つを教えてください。月曜日がテストなのでお早めにお願いします。
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
身分の低い人たちのこころの有様であるようだ。
このようなこころの有様を身分の低い武士たちは見習うべきだ って感じですかね?違います。身分の低い武士の様な人たちの中にも、「恩義をわざわざ振りかざしたりせず、お互いを知っており、親子と言う情を大事にすると言ったすばらしい」人々もいるのだ。ということです。
見習うべきものの対象と言うより、筆者である貴族が読者である貴族に対して、卑しい武士にも素晴らしい心意気を持った武士がいるということを伝えているに過ぎません。
No.2
- 回答日時:
頼信、頼義父子は武官で、藤原道兼や道長、頼通につかえました。
作品中の頼信 (河内前司) は下級 (五位~四位) ではあれ貴族なので、 「あやしき」 を庶民をさしていう場合の 「身分が低い、賤しい」 の意味にとるのは適切ではありません。かれらがとくに 「兵 (つはもの) 」 とよばれているのは、河内国に本拠をおいて武士団を形成していたからです。「怪しき者共の心ばえなりかし」 は、「彼らの心ばえはまことに不思議である」( 『新潮日本古典集成』 )、「常人の行動半径では律せられぬ」 (岩波書店 『日本古典文学大系』 ) といった意味でしょう。
「今昔物語集」 の作者 (たち) はわかっていません。ただし、「歌学を含む貴族官人社会の常識を逸し、あるいは、仏教、ないし仏教史の知識を欠くところが散見」 するそうです(『新潮 集成』)。 「貴族の武士観が滲み出ている」 と断ずるのは、根拠にとぼしいように思います。
巻23-第14 の 「左衛門尉平致経、明尊僧正を導く語」 では、致経 (むねつね) の郎等がやはり無言で統率のとれた行動をとります。僧正は 「あさましく」 思って (不思議でたまらなくて) 一部始終を藤原頼通に報告しますが、頼通は驚きもしませんでした。
はっきりいえるのは、あきらかに武士ではない 「今昔物語集」 の制作者が、貴族をふくむ当時の人びととともに、武士特有の行動 (心構え) に驚嘆しているということです。
> 「こういうもの」 とはどのようなもののことをさしているのでしょうか??
「兵の心ばへ」 (武士の心構え) には、非常事態にことばをかわすことなくおたがいの存在を確かめることすらなく相手を信頼して一致した行動がとれること、一矢で盗人を射落とす手練、成功してもはしゃいだり余計なおしゃべりをしないこと、ことばを介さずに情愛をつたえることなどの行動が、すべてふくまれると思います。
No.1 さんの回答が出ているので、質問者さんが混乱しそうな基本事項について。
「あやし」 は、 「不思議なものに対する畏敬や驚き」 が原義です (辞書でご確認ください)。
ちなみに 『岩波 大系』 の本文は、 「恠キ者共心バヘ也カシ」 とあります。 「恠キ」 は、 「怪しき」 と同じです。
No.1
- 回答日時:
「怪しき者どもの心ばへなりかし。
兵の心ばへはかく有りけるとなむ、語りつたへるとや。」怪し・・・「不思議な」ではありません!!!「身分の低い」「卑しい」です。「不思議な」というのは、貴族の視点から見た場合、「身分の低い」人のする事なす事は「不思議だ」ということからきました。
心ばへ・・・「こころばえ」では現代語訳とは言いません。「心構え」「性格」
かし・・・推量の助動詞だったはず
つはもの・・・兵士・武士
かく・・・「このように」
訳
卑しい者達の心の有り様であるようだ。武士達の性格はこの様に素晴らしいものであったようだ、と語り伝えられていると言うことである。
回答一
「このよう」とは、親子で盗人を追いかけ、それを次の日には一言も触れずに、馬を息子にやるような、そういう「情に満ちた」「すばらしい」心のあり方を指します。
回答二
まず、「今昔物語集」は平安末期に書かれたもので、その当時はまだギリギリ貴族の時代だったわけで、この馬盗人も貴族が伝え聞いた話(冒頭に「東の国」とでていますよね)として、載っているわけです。もちろん、筆者は貴族だと考えられます。
最後の一文は、それまでのエピソードを踏まえた著者の意見・感想となっています。「今昔物語集」はエピソード⇒それに対する筆者の感想。という構成で書かれています。今昔物語集の前編は仏教説話、後編は民間説話になっています。
武士は、もともと貴族の荘園のガードマンとして卑しい身分のものが雇われていたわけですが、そういった卑しい身分の武士であっても、このような「情の深く、控えめで、すばらしい」心を持っているものもある、という意味です。
この回答への補足
ありがとうございます。とてもわかりやすかったです。
ひとつだけ聞かせてください、
卑しい者達の心の有り様であるようだ。武士達の性格はこの様に素晴らしいものであったようだ とありますが、身分の低い人たちのこころの有様であるようだ。このようなこころの有様を身分の低い武士たちは見習うべきだ って感じですかね?
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