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こんばんは。友人が「南無阿弥陀仏より南無妙法蓮華経のほうが優れている」と言います。理由は解りやすく言うと「神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから」らしいのですが.....
私は....う~ん...(言ってる事が?ですし、かなり無茶な話だと思うのです)です。納得がいかないのです。

日蓮宗と浄土宗は共に仏教で、昔から在るものに優劣などあるのでしょうか.....
ちなみに私自身は無宗教で宗教に無知なのですが、何か友人がこの様に
話すのには何か根拠があるのでしょうか?

カテゴリー違いでしたらすいません。
私も無知故にお見苦しい文章かもしれませんが、宜しくお願い致します。

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A 回答 (18件中1~10件)

このご質問、スルーするつもりでしたが『法華経』の専門家として述べさせていただきます。



ご質問は“浄土思想”と“法華思想”の優劣ではなくて、「“念仏”をとなえるより“題目”をとなえるほうが優れているのか?」ということですね。

この回答は“諸経の王”である『法華経』にあります。

以下、ごく簡単に述べますと・・・

同じ念仏でも天台宗と浄土宗、浄土真宗等ではとなえる意味合いが違います。
1 阿弥陀如来を念じることによって極楽往生する。
2 念仏することによって、この世を極楽浄土にする。
3 念仏することによって、じつはこの世がすでに極楽浄土であると自覚する。
って、とこです(あくまでも簡単に言えばデス!)。

題目をとなえるのは
1 となえることによって『法華経』全品を読んだことになる。
2 となえることによって『法華経』を理解したことになる。
3 となえることによって『法華経』を実践したことになる。
4 となえることによって『法華経』の経力にあやかる。
って、とこです(だから簡単にいえばデスよ!)。

さて、同じ『法華経』でも天台宗と日蓮宗では解釈が違うんです。いろいろ解釈は出来ますし、人それぞれ受取り方も違うのですが、題目をとなえることによって“>神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから”と解釈できるかどうかというと、かなり無理があると思われます(『法華経』の精神からすれば「絶対に間違っている」ともいえません)。
しかしながら、題目をとなえることによって神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶとしても、この世は極楽浄土だとする念仏より優れているとするのはHERIKUTSUとしか思えません。方便ですかね。人心を迷わせてはいけませんよね。
そもそも、日蓮系新興宗教は法華経中の“『法華経』だけが絶対に正しい(しつこいようですが簡単にいえばデスって!)”とする部分を殊更強く引用して他教を邪道と否定しますので、「言ワズモガナ」というところでしょう。


前置きが長くなりましたが本題に入ります。
『法華経 方便品』の諸法実相とは「どのような“法(おしえ)”も、皆すべて真実の相である」ということです。
これは突き詰めれば「すべての存在、教えは、みな“仏”そのものである」ということです。
つまり優劣を付けるのは執着(しゅうじゃく)であり、念仏も題目も平等と心得るのが『法華経』の精神です。

『法華経』を処依とする者は、この点を十分に心得ておかなければ成りません。

また改めて詳しい解釈をしましょうネ!議論の場でもありませんし。



それではゴキゲンヨウ!!! (^^)v
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南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も、おなじ「唱える題目」なんですよね?という事は、ある一定期間(期間設定は、浄土系と日蓮系の人に決めてもらうといいでしょう)交互に唱えてみればいいんじゃないんですか??互いに「救われる」と言っている訳ですからね。

ある一定期間唱えればその前兆のような者が出てくるのでは???

これは宗教上の確率問題ですけど・・・南無阿弥陀仏について・・・
浄土系は「極楽に行ける」と言っている
日蓮系は「地獄に落ちる」といっている
*ちなみに逆の確率はありません。日蓮の方が法然よりも後にうまれていますからね。
さあ、貴方ならどちらに賭ける?南無阿弥陀仏を唱えるか?唱えないか?

私なら南無妙法蓮華経で試します(笑)。
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日蓮正宗の仏教徒です。

ですので、法華経が優れていると考えています。

まあ、それは良いとして、
人間には、「聞いて気付くこと」と「自分自身が高まり気付くこと」の2つあります。

聞いて気付くことというのは、友人から聞いて納得できることです。

自分自身が高まり、気付くことというのは、いろいろな人生経験を積むことで昔は良いこと思っていたがことがどうでも良くなり、昔はどうでも良いと思っていたことが実は大事だったりすることです。
 今になって親の言ったことを思い出してみると良く解るとかです。

仏教も同じで、聞いて気付けるなら、修行なんてものはいりません。日蓮正宗は、ご本尊(掛け軸みたいなもの)に向かい、朝は40分、夕方は30分程度の勤行と自分自身で決めますが、大抵5分以上の題目をします。けっこうしどいです。
念仏もお経ではなく、親鸞さんが書いたものを読み、念仏を唱える。これも毎日するとけっこうしんどいと思います。

初めは、信じて修行をする、その修行の成果が出て、経典に書かれていることが実感を伴う理解(悟り)ができる訳です。

話す根拠は、自分自身がそう実感して悟ったからでしょう。
悟るということ、悟れていなかったということです。中には、聞いただけですぐに悟る人もいますが、多くの場合、聞いただけでは悟ることができません。まして、深い、深い話になると悟ることはできないでしょう。それを知っているからこそ、相手の状態、性質を良く良く知り、教えを説かなければなりません。そのためには、相手のことを「想う」ことが必要不可欠です。自分が知ったから、説くというのは、覚えたことを使ってみたいというだけに過ぎません。それでは、多くの人を苦しめます。1kmも走れない人に、マラソンに出て優勝しろと言ってるようなものですから。

>神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから
正確には、神道、キリストなどのすべての神を呼ぶ訳ではないと思います。正確には、法華経、南無妙法蓮華経を唱える人を守る神、それを聞く神などが来るとされています。


優劣の件ですが、誰が優劣を決めるかということが何よりも大切になります。釈尊が優劣を決めるのか、日蓮が優劣を決めるのか、親鸞、法然が優劣を決めるのか、自分自身が優劣を決めるのか、

皆、それぞれの人生観、仏教観が違います。故に優劣は皆一致しないでしょう。人それぞれと言う事になります。
では、人それぞれで良いのかと言えば、「信じることに意味がある」なら、人それぞれで良いと私は思います。
しかし、「信じて修行をし、効果をあるか ないか、意味があるか ないか、価値があるか ないか」なら、人それぞれではなく、それによって得る御利益、価値、効果によって決めるべきだと私は思います。

日蓮正宗では、念仏宗を邪宗と言っています。思い込みで言ったのであれば、ただの悪口です。しかし、思い込みではなく事実であれば、悪口でしょうか?

ただ、仏に少しでも近い人のみが解る世界です。私を初め、そういったものが解らない人間にとって、良い悪いを言ってもその教えが結果的な良い、悪いは言えないと思います。

何事も信じることによって始りますが、終始、信じるだけでは、自分の間違いに気付きません。終始、信じることは、騙されている、ただの思い込みに過ぎないかもしれません。
信じて始まり、その結果を感じて正しいか正しくないかを判断する。ありとあらゆる人の意見を聞き、それを無視しないで、それについて考えてみることが大事だと私は思います。

以上、参考になれば幸いです。
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私も、考え方だとおもいます。


感性で良いのかと思います。

日本の仏教は、いわゆる「大乗仏教」と言われるもので、釈尊の説いた「原始仏教」とはかけ離れています。
「法華経」も釈尊の死後に、弟子達が作った教典です。
釈尊が説いたものではありません。

だから、「仏教」でということでは、どれが優れていると考えるのは、難しい感じがしますね。
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>南無阿弥陀仏より南無妙法蓮華経のほうが優れている、、、



先ず、南無を取ってみますと、、、、

・阿弥陀仏

・妙法蓮華経

となります。

・阿弥陀仏は浄土三部経のうち、無量寿経に説かれている仏で、過去無数劫に法蔵菩薩が世自在王仏を師として四十八願を立て、願成就して阿弥陀仏となった。

・妙法蓮華経とは、「法華経」の正式名称であるが、その法華経が説くところの釈尊の成道を顕し、別しては久遠実成を顕すとともに、釈尊成道の本因の法である久遠元初を示す。
久遠元初とは生命の究極の状態であり、生命に本来具わる無作常住の仏性の事である。

因って、妙法蓮華経が百千萬億倍勝れている。

また、「南無」とは帰命ということですので、同時に「本尊」が大変重要な意味を持ちます。
いくら「南無妙法蓮華経」と唱えても、いくら成仏を願っても、本尊が正しいものでないと、全く無意味になってしまうどころか、悪業(あくごう)の因を積んでいることにしかなりません。

事実、中国念仏宗の祖である善導が、首吊り自殺をしそこなって、苦しみもがいて死んでいます。
「南無阿弥陀仏」の念仏は、人を救うどころか苦悩の渕へと突き落とす因を持っているのです。
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NO12です。

長すぎたみたいでパソコンがばぐりました。

では、結論です。
 先ほど説明したように、それぞれの立場にはそれぞれの教義があります。煎じ詰めて言えば、自分がどちらを選ぶかです。
 私は浄土真宗を信仰しているのは、自分は悟りに向うこともできず、『法華経』など自ら悟りに向う経典を理解できるほどすばらしい人間だとは思っていません。私は阿弥陀仏にすがるしか手立てがないのです。だから、阿弥陀仏にすがるのです。阿弥陀仏にすがる必要性を感じていない人にとっては、『法華経』こそ最高の教えであることは間違いないでしょう。
 しかし、一概に最も優れているからといって、それを理解できるかといったらそれは違うと思います。現代では主要な経典は現代語訳されているため私も『法華経』読んだことはあります。しかし、読めば読むほど、理解には遠くなる経典でありました。すると、逆にこの真理には到達できないことを確信し、いっそう至らぬ自分を感じ、自分が悟るべき道は極楽往生しかないと確信したしだいです。
 そんなわけで、答えにはなっていないかと思いますが、こんなところです。
 もし私の至らないところありましたら、専門家の方々に大いに付けたし訂正していただきたく思います。各宗派の方日蓮系新興宗教と呼ばれる方も大歓迎です。ご教授願いたく思います。


長々、駄文を連ねましたことをお詫び申し上げ、終わりにさせていただきます。
  合掌 南無阿弥陀佛
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 私は浄土真宗を信仰しているものです。

まず二つがどのようなものであるかから説明しなくてはならないと思います。たぶんこの質問をよむにここに書かれている、「南無阿弥陀佛」は浄土宗・浄土真宗・時宗等の浄土教といわれる宗派の念仏のことでしょう。そして「南無妙法蓮華経」は日蓮宗や日蓮系新興宗教のいう題目のことでしょう。
   浄土教のお経
 まず念仏とはどのようなものであるかですが、『浄土三部経』という三つのお経を簡単に説明します。お経というものは昔話ですからそんなに難しいものではありません。
1、『仏説 無量寿経』
 昔々あるところに法蔵菩薩(若かりし阿弥陀仏)が仏道修行に励んでおられました。この法蔵菩薩という方は「自分ではなかなか悟れない」そんな人も救う仏になりたいよ48の目標(四十八願)をお立てになります。その中でもっとも大切なのが18番目の目標(第十八願)「私が阿弥陀仏という仏になって、私の創った極楽という世界に心からうまれたいと思って、私の名前を呼ぶ(念仏)人があればどんな者でも救いとります。そして、念仏したにもかかわらずもし救われないものが出れば、私は仏をやめます」そこまでおっしゃってくださっています。
 それから気の遠くなるような長い時間修行なさいまして、やっとの思いで目標を達成できる力を得て法蔵菩薩という修行者の姿から、阿弥陀仏という修行の完成者へとポケモンで言えば進化なさいました(笑)
 こうして、阿弥陀仏のお名前を呼ぶ「念仏」は、極楽往生の行いとなったのです。

2『仏説 観無量寿経』(一部『涅槃経』)
 昔々王舎城にアジャセという王子様が住んでおった。この王子は自分の父ビンバシャラ王を殺し王様になろうとします。その時にアジャセの母イダイケという方は、夫が殺されては大変と王様をかばいます。しかし、その努力もむなしく大様はアジャセに殺されてしまい、イダイケ自身も牢屋に幽閉されてしまいます。
 幽閉されたイダイケはもがき苦しみます。そんな時、お釈迦様は霊鷲山(りょうじゅせん)という山で多くの信者にまさに『妙法蓮華経』のお説教の最中でありました。しかし、お釈迦様はそのお説教中断しイダイケのもとへ、アナン尊者という方をお供にテレポーテーションで飛んでいきます。
 すると、イダイケは「ちょうどよい所に来てくださいました、どうかお助けください。」とお釈迦様に救いを求めます。するとお釈迦様は「よしわかったイダイケよ。これより心で仏を念ずつ「念仏」という修行を教えよう。」とおっしゃって、イダイケに「念仏」という瞑想を教えます。すると、心の中で阿弥陀仏や極楽浄土を思い浮かべることで心落ち着けてゆき、最後には「心落ち着きましたと」お釈迦様にいうと、
お釈迦様はにっこり微笑んでお帰りになります。
 この帰り道お釈迦様は連れて行ったアナン尊者に一言付けさされています。「アナンよ。今私は心で仏を念ずる念仏を教えてきた。しかしお前が後の世まで伝えなくてはならないのは、阿弥陀仏の十八願にある「南無阿弥陀佛」のお念仏ですよ。」と、誰に乞われるでもなく釈尊のご意思で一言アナンに付け足されます。釈尊は後の世のために念仏であると説いておられます。

3、『仏説 阿弥陀経』
 このお経は極楽の世界を現し、クライマックスでは東西南北上下(全て)の世界の仏が現れ、べろを見せてくれます。なぜべろを見せるのかというと、その頃のインドにおいては、べろを見せるというのは真実の証明としては最上級だそうです。今でもそういった風習は残っているそうです。では、それだけの仏はどんな真実を証明してくれているのかというと、阿弥陀仏の本願力(救いの力)は本物であることです。このように『阿弥陀経』では、全ての仏様が念仏することをすすめます。

このようなわけで、念仏は阿弥陀仏だけでなくお釈迦様や全ての仏様が勧めてくださる行いなのです。ですから、念仏とはしっかりと仏様が定めてくださった「正定業」なのです。
  
   浄土教の人間観
 そして、もう一つ大切なのは、救われる側の心構えです。「自力」は悟れないことの自覚です。自力で悟れると思っている人であれば、別に念仏という方法を取る必要はありません。だからといって、自力で悟れる人が、念仏してはいけないわけではありません。 
 しかし、日本浄土教の祖師は自力で悟れる人の念仏ではなく、自力では悟りに到達することができない者が阿弥陀仏の「他力」によって極楽浄土にいかせていただく、悟れない者のための「他力」の念仏を説きます。ですから、「他力本願」の他力は他人という意味ではなく、阿弥陀仏一人に向けて使われる言葉です。
  
   浄土教と末法思想
 なぜそのような考えにいたるかですが、それは「末法思想」というものが関係します。わかりやすくいえば、お釈迦様がなくなってから長く立ちすぎて、教えを聞いていた人間にとっての賞味期限が切れてしまい悟りを得られない時代ということです。この末法という思想は鎌倉新仏教と呼ばれる宗派の祖師たちは影響を受けています。これに関して、法然や親鸞は素直に受け取り、悟れない時代の仏教を求めました。
 それが、阿弥陀仏の極楽浄土を目指す。浄土教です。

   まとめ
 短くまとめてきましたが、浄土教に関してはこんなところです。浄土教にとって、悟れない時代に悟るための教えは「ご利益という点では優れているけれども、自分の理解という点ではほとんど理解できない」絵に描いた餅になってしまうことになる。ですから、この娑婆世界(悟れない世界)で悟りをめざす道ではなく、阿弥陀仏のお創りになった極楽浄土という学校に入学して、阿弥陀仏や観音菩薩・勢至菩薩という先生について悟れせていただく道が浄土教です。その極楽浄土への入学願いが「南無阿弥陀佛」なのです。




では、次は「南無妙法蓮華経」について、ご説明します。私も折伏というのに何度かあっています。そのときに、日蓮も学ばなくては対抗できないと思いしばらく日蓮を学んでいます。ですから、専門ではありませんがなんとなく説明できるかと思います。   

  一念三千
簡単に言うと、一念の心の中には、宇宙の森羅万象あらゆるものがそなわっているという意味。これは、中国隋の時代の中国で天台宗を開いた天台大師智顗(ちぎ)はその著『摩訶止観』(まかしかん)の中で、「一念三千」(いちねんさんぜん)という重要な教義を展開しています。ただ、「一念三千」の思想は智顗の著作の中でも『摩訶止観』にしかみられず、この本を編集した智顗の弟子灌頂の独創とも言われる。しかし、その大元となる教えは『法華経』のなかの「諸法実相」の教えにもとづく。「諸法実相」とは、全ての現象は真理を表す。というようなことです。この教えは『法華経 方便品』で諸仏の真理の最も奥底にある真理であり、舎利弗(しゃりほつ)という釈迦の弟子の中で智慧第一といわれる人が、お釈迦様に何度も断られやっとの思い出といていただいた教えある。
 ですから、質問者の問いの中に、
 >>神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから
とありますが、それはこの法華経の「諸法実相」からでる「一念三千」論が根底にあるのでしょう。「南無妙法蓮華経」の言葉の中に全ての真理が含まれているのでう。では、なぜ「南無妙法蓮華経」出なくてはならないのでしょうか。
  
   「南無妙法蓮華経」である理由
 まずなぜ『妙法蓮華経(法華経)』が重要視されるかですが、これはやはり天台大師智顗の教相判釈 (きょうそうはんじゃく)に基づきます。教相判釈とは、どんな順番でお経が説かれたかです。その教相判釈では『法華経』は釈尊が最後のに説いた教えとされます。
 ではなぜ最晩年に説いたとされるかというと、『法華経』自体を説く前段階で説いた『無量義経』の説法品なかで、教えをは方便と真実とに分けます。方便とは真実の目的を達するための手段で、『法華経』以前に説かれた四十余年の教えは、全て法華経の信仰へ誘引するための方便であり、お釈迦様がこの世にご出現になったのは、『法華経』を説いて一切衆生を成仏せしめることが目的であることをしめします。
 ですから、日蓮宗系の方にとっては『法華経』よりまえに説いたお経は全て方便であり真理ではない物なのです。
 そして、なぜそのお経の題名だけを唱えるかというと。

   なぜ題目なのか
 今では題目とは「南無妙法蓮華経」のことで日蓮宗の専売特許のようになっているが、題目という言葉自体にはもともとは経の題名という意味しかない。この『妙法蓮華経(法華経)』という題目に関しては、天台大師智顗が『法華玄義』のなかで、膨大な量の解釈を施している。そこで、『妙法蓮華経』という題目には、その経典全ての内容が集約されていると重要視する。
 この、「南無妙法蓮華経」と唱える題目は、平安時代には手軽に『法華経』の功徳がつめると、かなり普及していたようです。それを、修行の一部ではなく、独立した一つのものとしたのが日蓮であろう。
 題目を唱えるという考え方に、法然等の念仏を称えるという思想の影響があったかどうかは確かな根拠はないが、若かりし日蓮も念仏理論は
学んでいたことから少なからずあったというのが一般的でありましょう。
 それがうかがえるのは、題目とは釈尊と自分をつなぐものだという考えです。簡単に言ってしますと、『法華経』にこそお釈迦様のすぐれた働きがつまっており、それはさらに『妙法蓮華経』という名前に集約されている。それゆえに、題目を唱えることはお釈迦様の働きを全て受け継ぐことになり、我々はお釈迦様と一体になることができるのである。先に述べた「一念三千」理論でしかなかったが、それを具現化したのが題目ということになる。
 このように、浄土教で一体となるという表現はつかわないが、自らをすくいへと導く対象が、阿弥陀仏であるか、『法華経』=お釈迦様であるかの差であるといえよう。

   日蓮にとっての末法思想
 先ほど述べてように、末法とは悟ることができなくなった時代である。これを、日蓮はどのように解釈するかが問題のなってくる。
 日蓮は「法華経」は末法に生きる人々を主な対象にしているとみる。末法という時代は悟れない時代=苦しみの時代なのだから、そもそもお釈迦様が生まれたこと自体が全ての人を苦しみから救い真理へと導くためであるならば、末法の世の人のためでなくてはならなくなる。ですから、末法に生きる人たちが苦しんでいる、ということ自体も真理である『法華経』に導かれる前兆と解き明かすのである。

   まとめ
 僭越ながら日蓮教学について、まとめさせていただきました。日蓮にとっては、末法は悟れない時代ではなく、お釈迦様が『法華経』を説いた目的の時代なのです。そして、お釈迦様は『法華経』のなかに生きていて、末法でありながらお釈迦様が一緒にいてくださる。それを感じ一体となる方法が「南無妙法蓮華経」の題目である。そういった題目を唱えることで、この世界自体を『法華経』というお釈迦様がいる仏の国にして行こうという教えのようです。



さて、ながながおしゃべりさせていただきましたが、こんな文章ではきっとわからないかと思います。そこで私なりのまとめに行く前に、私などより詳しい方々の本を紹介したいと思います。
・浄土教
『目からウロコの親鸞聖人と浄土真宗』山崎竜明 学習研究社
『無宗教からの『歎異抄』読解』阿満利麿 ちくま新書
『浄土宗の常識』袖山榮輝/林田康順 朱鷺書房
・日蓮宗
『日蓮入門-現世を撃つ思想』末木文美士 ちくま新書
『日蓮-その生涯と思想』久保田正文 講談社現代新書
・仏教全般
『3日でわかる仏教』ひろさちや ダイヤモンド社
などが、わかりやすいのではないでしょうか。ひろさちやさんなんかは、仏教全体的に網羅している人ですし文章も読みやすいと思います。
入門編としてはもってこいです。

 さてそれでは、私の結論に移りましょう。



   

 




日蓮宗と日蓮系新興宗教は他の宗派への対応は別と考えるべきでしょう。質問にあるような「南無阿弥陀仏より南無妙法蓮華経のほうが優れている」などとあからさまにしめすような方は後者であると考えるべきでしょう。
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ご友人の説は「キリストを信じるより聖書を信じる方が良い」と言っているようなもの。

一般人にとっては比較の対象が違うものなんです。
元々「南無阿弥陀仏」は阿弥陀経を信じろと言うのではなく「阿弥陀如来に救いを求めなさい」という事から広まったものです。
単なる折伏(しゃくぶく:詳細はwikipediaを参照して下さい)だと思います。

いずれもブッダの教えから始まったものなので、優劣と言うものは無いでしょう。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E4%BC%8F
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼がおそくなり申し訳ありません。
>ご友人の説は「キリストを信じるより聖書を信じる方が良い」と言っているようなもの。
そのとおりですね。今別の題目も魔除け、おまじないのような感覚で覚えているみたいです。
折伏と言う言葉は初めて知りました。今ちょうど新興宗教の話題が出ているので、まさに、という感じです。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/11 18:27

>現在では、仏教の主流は日蓮系の宗派です。



これは、語弊があるのでは?
「(仏教+仏教系新興宗教)の最大人数」ならわかりますが。
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まず仏教というより日蓮宗の考え方を説明します。


日蓮という僧侶の考え方は、蓮華経という経典は、お釈迦様が最後に書かれた経典でありこの経典だけが重要であり、他のことは、すべて悪で阿弥陀仏を信じると地獄に落ちるといっています。
日蓮宗以外の他の宗派はすべて敵であり、浄土宗、キリスト教、神道は、全部認めません。
日蓮宗は、かなり過激なことを言っていますが友人の説明はおかしいですね。
日蓮は、鎌倉時代には、迫害されてきたのですが、日蓮宗同士でもいろんな考え方の人がいて日蓮宗の中でももめています。(創価学会など)
あなたは、その友人に宗教に誘われないように気をつけてください。
なお誤解のないように書いときますが日蓮宗を否定するつもりはありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼がおそくなって申し訳ありません。

>日蓮という僧侶の考え方は、蓮華経という経典は、お釈迦様が最後に書かれた経典でありこの経典だけが重要であり、他のことは、すべて悪で阿弥陀仏を信じると地獄に落ちるといっています。

これは驚きですね。ちょっと不思議な教えです。しかし、やっぱり友人の言ってる事はおかしいですよね......。
ちなみに友人は特に宗教に入っている訳ではないので安心していますが、少し流されやすいんだと思います...。
今まさに新興宗教のニュースがやっていますが、信仰ならそれぞれで
信念を持ってやればいいと私は思います..。勧誘はよくありませんよね...。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/11 18:18

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Q南無妙法蓮華経と唱えるお隣さんの宗派は?

マンションのお隣のご婦人が、この半年ほど毎朝毎晩かなり大きな声で
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、なむみょうほうれんげきょ~おおおお…」
で始まるお題目(?)を唱えています。
この後は普通に「○○ちゃん、●●ちゃんがいじめにあいませんように、
いじめに巻き込まれませんように…」といったお孫さん(?)達を
一日守って下さい、とお願いする文章が続きます。
毎日同じ内容で、お互いに窓を閉めていても半分以上の内容が
聞き取れるほど大声で唱えています。(同じ個所で必ず小声になったり
「あちょ~ん!」(と聞こえます)と高音で叫んだりもします)

最初のうちはそれぞれ10~20分程度だから、と気にならなかったのですが
半年以上聞かされるとさすがに「どの宗派だろう」と気になってきました。
創価学会はお題目を大声で唱える、と聞いた事があるのですが
「南無妙法蓮華経」だけを何度も唱えるのかと思っていましたが…。

これだけで判断できるものかわかりませんが、もしおわかりでしたら
教えてください。

Aベストアンサー

日蓮 を発祥とする宗教派閥です
日蓮宗以外にも 知られているのでは 日蓮正宗(創価学会)もあります
本門宗 本門仏立宗など たくさんあります
私の嫁の実家が 本門仏立宗で 木琴をたたきながら 木魚も叩き 浄土真宗の私にはやかましいと感じる御経です
御経の途中に 南無妙法蓮華経と 数分となえます
参考になれば 幸いです

参考URL:http://www.kosaiji.org/hokke/nichiren/honzan/taha.htm

Q創価学会の方、南無妙法蓮華経について教えてください

創価学会の人に、毎日、南無妙法蓮華経を唱えれば道が開けるといわれております。

たとえ意味もわからずとも、ただただ、唱えて行けば御利益があると聞きましたが本当でしょうか?

たくさん唱えればそれだけ効果があるのでしょうか?

その方は「宇宙のリズム」だと言うのですが…・

教えてください。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

創価学会 壮年部の者です。

>たとえ意味もわからずとも、ただただ、唱えて行けば御利益があると聞きましたが本当でしょうか?

本当です。

ただし、邪悪な願いは叶いません。
また、他人の不幸を願えば、返って自分自身に災いが降ってくるでしょう。


>たくさん唱えればそれだけ効果があるのでしょうか?

もちろんです。

しかし、日蓮大聖人は「ただの一遍でも唱える事でも、大きな功徳がある。」と仰っています。
それを沢山唱えれば、計り知れない功徳となるでしょう。


>その方は「宇宙のリズム」だと言うのですが…・

その通りです。
森羅万象の現象を、慈悲の功徳の方向へと導いていく“法”なのです。
これは、釈尊が法華経に現した“法”を、末法の御本仏である日蓮大聖人が、末法の衆生のために『御本尊』として現したものです。

また、日蓮が現したものだから、『日蓮宗』も一緒だと言われる方がおりますが、『日蓮宗』に伝わるものは日蓮大聖人よりの相続を受けておりませんので、同じ『南無妙法蓮華経』だったとしても全く粗法であり功徳はありません。全国には沢山の日蓮宗の寺院がありますが、そこに帰依しても何の功徳も得る事はできません。

では、『日蓮正宗なら良いのか』という事になりますが、日蓮正宗、法華講、妙観講等の信心でも功徳はありません。

細かくなり申し訳御座いませんが、同じ『南無妙法蓮華経』を唱えたとしても、唱えていく題目からして違うのですから、功徳があることはないでしょう。

今、日蓮大聖人の信心というものは、創価学会にしか流れていないのです。ここが大事な点です。

創価学会 壮年部の者です。

>たとえ意味もわからずとも、ただただ、唱えて行けば御利益があると聞きましたが本当でしょうか?

本当です。

ただし、邪悪な願いは叶いません。
また、他人の不幸を願えば、返って自分自身に災いが降ってくるでしょう。


>たくさん唱えればそれだけ効果があるのでしょうか?

もちろんです。

しかし、日蓮大聖人は「ただの一遍でも唱える事でも、大きな功徳がある。」と仰っています。
それを沢山唱えれば、計り知れない功徳となるでしょう。


>その方は「宇宙のリズム」だと言...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q浄土真宗では、般若心経を唱えていけない理由

母方の宗旨が浄土真宗なのですが、般若心経は唱えてはいけないと聞いています。なぜダメなのでしょうか。

Aベストアンサー

jun95さん、今日は。

私が調べてみた所では、智慧と行に因って煩悩を断ち切ろう、と教え諭す般若心経に対して、浄土真宗の
教えは、一切の計らいを捨てて、阿弥陀如来の力に任せて、其れに因って救われる、という物だそうです。

従いまして、浄土真宗の人間が般若心経を上げる事は、却って、阿弥陀如来の
力を否定する事に為る為、浄土真宗で般若心経を上げる事は無い、との事です。

もう少し深いお話に為りますと、以下のサイトに詳しい説明が為されてい
ましたので、宜しければ、御覧下さい。2001年12月11日掲載分です。

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/

Q創価学会って実際、なんですか?(長文です)

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私とはもうつき合えない、と言います。人に聞いてみても、創価学会に対して良い感情を持つ人はいないようです。

私自身、学会には色々矛盾を感じています。
でも、彼にそこを聞いても、世間の間違った思い込みだと言われます。

私は仏教には関心があるのですが、創価学会も仏教なんですよね?
それなのに、私には学会員が何を信仰して、何を目的としているのか
さっぱりわかりません。
学会員に聞いても、よくわかっていないようなのですが…
しかも仏教の教えについて批判さえしています。

それでは、創価学会とは一体なんなのでしょう?

そして、どうして非学会員のほとんどが学会を毛嫌いするのでしょう?

学会の方、非学会の方、両方の意見が聞きたいです…

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私と...続きを読む

Aベストアンサー

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いください。

創価学会は日蓮正宗各寺の信徒団体(各寺檀家の、寺をまたいだ横のつながり)だったものが、異様に大きく膨れたものです。本来の教義についてはNo.5様のおっしゃるとおり、オウムのような悪い考えではありません。どちらかというと、むしろ世界の平和を求めている宗教です(と、彼らは言っています)。
歴史的にはそもそも「日蓮」自体が排他的だったそうですし、「日蓮正宗(大石寺)」は「日蓮宗(身延山)」と袂を分かち日蓮の教えを正しく受け継いだはずですが、本来、日蓮正宗寺院の檀家であった創価学会は本山(大石寺)のご僧侶とも袂を分かち、もう10年位前に破門になっています(学会の仕切る葬儀には僧侶がいません)。
つまり、本来の日蓮正宗からも離れ、特定の個人崇拝になって、ますます排他的・独善的になっているということです。

私は仕事上のお付き合いでしたので、部外者の目で内部のことを見聞きする機会がとても多くありました。守秘義務がありますので、ここでその一つひとつを例示するわけには参りませんが、特定の個人とその周辺を中心にした組織の仕組みには、私個人としては首肯できないものがありました。No1様のおっしゃる「巨悪」が真実かどうかは存じませんが、さもありなんと思うところがあるのは確かです。

逆に、日常生活レベルではいいこともあります。
毎日朝晩、正座して背筋を伸ばして腹から声を出してお題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、冬場に風邪を引きにくくなる程度のご利益はあるのではないでしょうか。まぁこれは冗談です。
学会では地域の会員達の集まり(各地の「会館」で行われるものと、もう少し狭い範囲の「地域の世話役」の自宅で行われるものとがあります)が頻繁に行われます。
組織も年齢、性別や職業(学生・主婦含む)で複合的になっていますので、複数の会合に出席することもあるようです。
昨今隣近所のお付き合いも減り、また、2世代3世代が一緒に暮らす大家族ではなくなりましたので、年寄りの知恵の伝承もなされず、例えば子育てをするヤングミセスにも苦労が多いと聞きますが、学会の地域での会合に出ることにより、フラストレーションが解消される、例えば子育ての先輩の知恵が伝承される、困った時に助け合える、何よりも同じ価値観を持つ仲間がいるなど、町内会やご近所付き合い的な効果により、彼らはとても明るい生活を送っています。

学会員は、それぞれ「仕事」と「家庭」の他に、地域社会でも熱中できる対象を持っているわけですから、それはそれで幸せなんだろうな、ちょっとうらやましい人生かもしれないな、などとふと思うことがあります。

これを、「だまされている」というのは簡単です。でも、これが宗教なのです。
創価学会に限らず宗教は皆そうなのですが、信じない人から見れば全く理解できません。価値の尺度が異なるので、私たちの判断基準と合わないのです。
インチの物差し(学会)とセンチメートルの物差し(一般)ではゼロ以外に一致する個所はありません。
偶然2本の定規の線がそろう所もあります。そこが一般社会との窓口です。
ですが、ゼロからの長さは同じでもインチとセンチですから、お互いに相手の尺度で測らなければ、やっぱり何だかよくわからないのです。
お香典を全部持っていってしまうのも、インチの世界に入って見れば、地元組織として一種の互助会的に対応していると言い換えることも出来ます。

一般に毛嫌いされるのは、「あなたのため」と、学会の考えを強要するように感じさせるからです。実は彼ら一般会員は善意なのですが、センチの領域に入ってこようとしないからです。
これは最初に書いた日蓮自体の排他的な歴史の流れと、第二次大戦中の弾圧への反動もありますが、昭和40年代ごろの全国的に行われた強引な折伏(これにより大きな組織になった)が、「学会は・・・」という評価を定着させてしまったことが大きいでしょう。

試しにインチの世界に入って見れば(1~2ヶ月一緒に活動して見れば)ひょっとすると何か分かるかもしれません。
ただ、No1様ご指摘のような、裏と表までは見分けられないでしょうが・・・
いやなら戻ってこられるうちに戻ってくればいいのですが、おそらくその時は彼とはお別れしなければなりません。きっと「金縛り」から逃れる時のように、思い切った動きが必要でしょうから・・・。みんな良い人たちだし、結構楽しいし、このままでいいやと思えば、あなたには新しい世界が開ける代わりに、今のお友達とは縁遠くなる可能性があります。

今の状態のままで結婚なさっても、ご両親が熱心な学会員であればいつかは入信することになるか、さもなければ価値観の相違に耐えられなくなるかのいずれかのような気がします。

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いくだ...続きを読む

Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q霊友会ってどんな宗教ですか

母が最近、霊友会という宗教に入ったらしく自分の部屋でお経を読んだりしています。私の家は昔からの日蓮宗大谷派で私の父はお寺の総代も務めた人です。そんな中、父がいなくなった寂しさもあるのだと思いますが、母は話し相手ができて楽しいと言っています。只私の妻がそういう宗教が全く嫌いで受け付けません。仏壇がありながら違うお経を唱えている母を見ると悲しくなります。
霊友会とはどんな宗教なんですか?人の話しによると仏壇も往く往く取られてしまうとも聞きました。妻がお父さんが天国で悲しんでいると毎日家な中が重苦しいです。
ご存じの方教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。

以前、私の身内も霊友会に入会していた関係で
私も活動をしていたことがあります。
# 今はまったく活動していないです。

霊友会は、ご先祖様の供養を行う宗教法人です。
東京の六本木に「本部」と呼ばれる
巨大な釈迦殿(しゃかでん)があったり、
伊豆大島の法の山の中にも何泊かして泊り込みで
修行をするような場所「弥勒山」(みろくさん)があったりします。

活動の内容などは「支部」によって違うようです。
私がいたのは「第26支部」と呼ばれている支部で
もっとも「霊友会らしい」と呼ばれていたらしく、
下記で詳述する「導き」に最も力を入れていました。

この霊友会では、世に言う勧誘活動を「導き」と呼びます。
26支部の場合は、誰か一人を導くことで(つまり入会させることで)、
ひとりのご先祖様を成仏させることができるという考え方で
活動を行っていました。
26支部の方ならみな、ある1枚の紙を持って活動していると思います。

自分自分の罪や咎(とが)は、過去のご先祖様から
未来の子孫に永遠に続くのである。
それが導きによって救われるのだから、これはありがたいことである。

というような感じの内容です。
つまり、導きという勧誘活動によって、
自分の先祖供養や、自分自身が背負っている罪や咎を
なくしていこうという考え方です。

私が思うに、世間を騒がせている様々な宗教と比べると
かなりおとなしめの宗教法人です。
高価なつぼや鏡を買わされたりすることはありません。
月会費も1ヶ月一人500円です。
日本最大の別の宗教法人では、お布施(要するに寄付)の制度をとっているそうで、
「金額=気持ち」の表れとされているのとは対照的です。
なぜなら、俗世間の金額が必ずしも信仰心の表れではなく、
また経済的に苦しい人たちでも活動できるように、との考え方から
そうなっているそうです。

お母様は、おそらく亡くなられたお父様のために始めたのだと思います。
おそらく、毎日(かな?)、唱えているお経とは
「あおきょうかん」と呼ばれるもので、
表紙には「朝夕のおつとめ」と入っていませんか?
# まあ見る気も起きないと思いますが…。
それが霊友会の基本的なお経です。
他にも私が知る限り3種類あります。
それは、「導き」によって入会した人がいっぱい増え
それによって自分の苗字を冠した「準支部」や「支部」を
作れたりしたときに読むようになるお経です。
(入会した人を子と呼びます。入会させた人を親と呼びます)

その親(つまり入会させた人)をさかのぼっていくと、
必ず「○○支部」のように
ある方の苗字を関した「支部」の支部長と呼ばれる方がいます。
たとえば、田中さんなら「田中支部」のような感じです。
そのような方のところで月1回程度「法座(ほうざ)」と呼ばれる
会合を行います。
みんなで支部長宅の仏壇(霊友会の仏壇も法座呼ぶのです)に向かって
お経を上げ、それが終わると
みなで導きの状況や、自分の体験談を報告しあいます。

おそらく、上記で私の知っていることは書き尽くしたと思いますが、
要するに、「お経を上げる」ことと「勧誘活動」の2つが
基本的な活動内容です。
決して人を拉致したりはしません。

私の場合、母親の強い勧めによって
強制的に入会させられ、勧誘活動もさせられましたが、
# 社会人になってからはしていないです。
こういう場合、自分から「やる」と決めた人間を諭すのは
相当難しいです。
ご本人が飽きるまで放っておくのが一番かと
経験上思います。

長文、失礼いたしました。

こんにちは。

以前、私の身内も霊友会に入会していた関係で
私も活動をしていたことがあります。
# 今はまったく活動していないです。

霊友会は、ご先祖様の供養を行う宗教法人です。
東京の六本木に「本部」と呼ばれる
巨大な釈迦殿(しゃかでん)があったり、
伊豆大島の法の山の中にも何泊かして泊り込みで
修行をするような場所「弥勒山」(みろくさん)があったりします。

活動の内容などは「支部」によって違うようです。
私がいたのは「第26支部」と呼ばれている支部で
もっとも「霊友...続きを読む

Q創価学会に入信しなくても南無妙法蓮華経を唱えれば・

創価学会に入信しなくても、仏壇を買わなくても、南無妙法蓮華経を唱えれば

状況が好転するのでしょうか?

回数(時間)は皆さん、どの位されるのですか?

沢山唱えれば唱えるほど、御利益があるのでしょうか?

その人は多い日は毎日何時間もやっているそうですが、

確かにやっている知り合いを見ていると、びっくりするような方法で悩み解決が起こっているが・・・

Aベストアンサー

創価学会 壮年部の者です。

>創価学会に入信しなくても、仏壇を買わなくても、南無妙法蓮華経を唱えれば
状況が好転するのでしょうか?

何らかの状況の変化は出るでしょうね。しかし、それが好転かどうかは分かりません。

要は貴方の心の問題なのです。創価学会を肯定するか否定するか。これにより、同じ題目を唱えたとしても、全く違った結果になります。今すぐ御本尊を御安置出来ない場合もあれば、ただ単に創価学会が嫌で入信したくない場合もあるのですから。

どちらですか??

それともう一つ【ここが大事】、『創価学会員にしか出来ない事。』があります。それは、折伏といって『法を広める事』です。実は題目も大事ですが、この『他人に法を広める』事こそ創価学会員にしか出ないことであり、これこそが仏のお手伝いをすることでより多くの功徳を積むことになるのです。



>回数(時間)は皆さん、どの位されるのですか?

私は、1日30分くらいですよ。
多い時で、1時間~3時間くらいです。

>沢山唱えれば唱えるほど、御利益があるのでしょうか?

ありますよ。


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