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執着心というのでしょうか、慣れ親しんだ土地やモノを手放すことがつらく、時にその事実を受け入れられなくなり、悩んでいます。

もうすぐ住み慣れた部屋を離れるのですが、そこを他人に明け渡したりすることがどうにも悲しいです。 自分が家族や友人と楽しく過ごした時間と空間が、心に思い出をとどめておけばよいのに、自分が退去後は他人のものになってしまうということが寂しく、悲しいのです。

小さいころからこの傾向が強いようです。
祖父が買ってくれた時計(もう動きません)や、祖母がくれたお年玉の袋(からっぽ)、かわいがっていた飼い犬が使っていたおもちゃ、小学校のときに親友がくれた消しゴムなどそれを見ていると本人とつながれるような気(?)がして、大切に保管しています。

かといって、なにもかも捨てられず部屋がごみ屋敷のようになっているのかといえば、決してそうではないのですが・・・

また、これはモノへの執着と次元はまったく違いますが、親しい友人や親戚と長期に渡る別れ(今は通信が発達しているのでそれほどでもないです)や、親しい人を亡くしたときも、最後までその人がもう世の中どこを探しても「いない」ということが受け入れられず、思い出を追っては悲しんでばかりいたりします。 
母や姉はお葬式の後なども案外ケロっとしていますし、とってもさっぱりしていて、どうしてだろうと不思議です。母が自分の父(私の祖父)が嫁入り道具に買ってくれたという鏡台も、家のスペースの関係で「長年ありがとう」と感謝して先日中古家具屋に引き取ってもらった、ということでした。
私は鏡台がなくなったことが悲しかったですし、とうていそんなことできないです。

普段は性格的には明るくて強いといわれますし、落ち込んでいる雰囲気を他人に見せたりはあまりしません。

慣れ親しんだ場所やモノを手放すときの執着心や寂しさとどう向き合えばよいでしょうか。

A 回答 (4件)

慣れ親しんだ人やモノに並々ならぬ思い入れを持てることは、実はとても素晴らしいことだと思います。

それを「愛情」というのだと思います。なくなると悲しいというその思いのことを。でも、その思いが強すぎると、現実問題けっこう不便かもしれませんね。「すべてのものは変化する。いつかなくなる」という「諸行無常」が世の道理ですから。

そうですね。例えば「感謝の心」を持つようにされてはいかがでしょう?感謝は心の良薬なので、なるべく感謝をするようにすれば、悲しみなどの心の傷が幾分でも癒されます。「いままで一緒にいてくれて、ありがとう」「楽しませてくれて、ありがとう」「役に立ってくれて、ありがとう」というような感じで。そして、感謝のあとはお別れです。「ありがとう。そして、さよなら」です。

「別れがあればこそ、新たな出会いがある」というのもまた、世の道理です。空いたスペースは、いずれ何かで埋まるものです。案外、以前よりもさらに良いもので埋まったりするのです。別れを惜しむことだけに囚われず、新たな出会いに期待をすると良いでしょう。あるモノは失ったけれど、それ代わりに用意したものがもっと良いものとなるかもしれません。貴方が深い思い入れを持つようになった人やモノに出会うことになったのも、その以前の何かを失ったことがきっかけとなっているという場合が結構あるのではないでしょうか?

愛着のあったモノが中古品に出すものや賃貸物の場合は、それらはまた誰かを楽しませたり、役に立ったりするかもしれません。もしかするとその「誰か」は、貴方ほどではないにせよ、そのモノに愛情を傾けてくれるかもしれません。そうすればモノも喜ぶだろう。・・なんていうふうに、「自分⇔モノ」という結び付きに限定した愛情をもう少しゆるめて、「自分のもとを去ったモノ」や「それを使ってくれる人への親しみ」のような、「ひろ~い愛情」に変えてみるという考え方はどうでしょうか?

自分自身や環境をも含めた自分が成長するためには、別れと出会いを繰り返す必要があります。より良い自分へと進歩・進化するために、別れ&出会いには慣れておきたいところですよね!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!お礼が遅くなり申し訳ありません。。

ご回答を拝見して、はっとしました。「愛情」というのですか・・・。そうかもしれません。周りからも「やさしいね。感情豊かだね」とも言われます。時によっては少し熱すぎるくらいの、少しゆがんだ愛情かもしれません。

文章を読ませていただき、もしかしたら「全てのものは生を受けたらいつかは死ぬ」という本質を、私は見たくないのだな、とも思いました。

感謝の心ですね。本当に最近よくこの感謝という意味を考えます。感謝できることってすばらしいですね。出会い、その出会えたことに感謝し、いつかはお別れが来て、また別のものに出会い・・・を繰り返しているのでしょうね。
そういう過程があるから、心を成長させることができるということかもしれません。

拝見して、私は「独占したい愛情」だったような気がしました。
自分を楽しませてくれた「誰か」「モノ」を他人にやりたくない。しょせん自分のことが一番大事なんですね。 ここをググっと広げて、「このモノが他人に引き取られ、喜んで暮らしている」と想像でき喜べる。そういう人間になりたいです。

変わりたいなと思いました。執着から広~い愛情へ、ですね。

本当にありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2007/01/25 16:27

わたしも母が祖母の形見の鏡台を処分したときには何とも言えない気持ちでした。

信じられないという驚き。

とくに人からいただいたものは捨てられませんね。手紙でも、葉書でも。

故人が大切にしていたものとか。

現実的には日常生活に支障を来さない限りは整理整頓して大切にされてはいかがでしょうか。どうしてもしかたがないときには、他の方がおっしゃっているように、感謝の気持ちをこめて処分させていただくことで、もの(人の心)に対する気持ちをあらわしてはどうでしょうか。

車を買い換えるときには、じゅうぶんではありませんが、できる限りきれいにして(廃車の時でも)、感謝をして送り出すようにしています。

故人に関しては、思いついたときやご命日などに、ご仏壇やお墓の前で手を合わせて、故人を偲びながら生前お世話になったことを感謝して、あの世での幸福をお祈りされてはいかがでしょうか。お仏壇には生前好きだったものをお供えしたりするのも喜ばれるでしょう。

上記のことはいつでもできることではありませんので、
思い出したときに、心の中で感謝をしたり幸福をお祈りするだけでも喜ばれると思います。

悲しくなったり、忘れられないという思いが強くなったときには、その都度、感謝と幸福を祈るようにしてみると、わたしの場合は切り替えができるみたいです。いつでもどこでも心のなかでつながっていると思うことで楽になってきます。

今のお気持ちを大切にしていってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。。

そうですね、おばあさまの鏡台がなくなってしまった時の寂しいお気持ち、わかります。。いたたまれないですね。

ご提案の、故人をしのびながら感謝をする、ということ・・。 結論からいえば、思い出の「モノ」で自分のまわりを埋め尽くすことよりもむしろ、「故人を忘れない心、故人のことが自分の心の中に生きていること」が大切と思いました。もちろん、モノもできる限り整頓してとっておきたいと思っています。

いつでもどこでも心のなかでつながっている・・・究極ですね。どんなモノをもってしても、心のつながりほど強いものはないと思います。

今、住んでいるこの場所への感謝、そしてこの場所がもっと多くの人を幸せにしていくであろうことを祈れる自分になりたいと思います。

大変勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/25 16:43

読んでいて私も似ているなぁ~と思い書かせていただきました。


そうですよね、本当に寂しいですよね。

実家に住んでいるときに母が小さい時に買ってくれた熊のぬいぐるみ、絵本、ベビー服、落書き帳の絵、学生時代の賞状、工作物等沢山の思い出の品を思い切って処分しました。
家の立替の為全ては持って行けなかったのです。
その際に思ったのは「私の頭の中に全部刻んでおくからね。長い間本当にありがとう。」と割り切っていくしかないでした。
涙も出ましたがそれでその時の品々への気持ちは吹っ切りました。

でも、今でも考える時があります。
megumi3333さんがおっしゃっている写真を撮る方法とても素晴らしいですね。今後この手を私も使わせて下さい。
それから素敵な おばあさまですね。きっと物達も嬉しいでしょう。

chirorin03さん、寂しいでしょうが係った全ての物や場所は時間や場所スペースが許してくれるまでならとことん付き合ってみるのも良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまってすみません。

ご実家の思い出のものを処分された時のお気持ち、痛いぐらいわかります。。
こんなに悲しくなるのなら元々無いほうがよかった、と思ったりもします。
でも、そのモノたちが存在したおかげで、私の心が癒され、楽しまされ、豊かになったのだな、とも思えます。

もう少しで今住んでいる場所ともお別れです。 思い出の家具や電化製品たちとも・・。しみじみと見つめてしまいます。

こういう気持ちをもつ方たちが多くいらっしゃるということがわかっただけでも気が楽になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/25 16:16

私も、いままで使っていたものを捨てるのは


とても寂しく思います。
いままで使っていたものを粗大ゴミなどに出してしまえば、
乱暴に収集車に積まれ、潰されたりしてしまうことを
想像すると悲しくなりなかなか処分できません。
かといって壊れた電化製品を置くスペースもありません。

ですので、私は処分するときにその物の写真をとります。

私がボロボロになっても物を使っていたときに
私の祖母が言っていた言葉ですが、
「もう疲れたからお暇をくださいって言ってるよ」
という言葉を聞いて、なるほど、捨てる、処分するではなく
お暇を出す、というとなんだか精神的に楽になるな~と思いました。

参考になれば嬉しいです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。ご回答ありがとうございます!

そうですよね、その後の住まい・モノの運命を考えると悲しくなっちゃうんですよね・・・

私も友人から「形あるものはいずれは壊れるのよ」と言われ、頭では理解できるんですが・・なんかそのモノに魂や気持ちが宿っているようで、人を見るように見つめてしまうんですよ。

写真をとるのは、時々見て思い出せるのでいいですね。

お暇を出す、と考えると気持ちが楽になりますね。 

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/24 20:30

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