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疑問に思ったのですが、誕生日ってなんでお祝いするのでしょうか?おそらく、明治時代からの太陽暦になってからだと思うのですが。教えてください。

A 回答 (7件)

その人だけの記念日だからです。



親や恋人は
あなたが生まれてきてくれてありがとう
の気持ちを持ってます。

父の日、母の日、勤労感謝の日等、記念日は色々ありますが
その人だけの記念日が誕生日ですよね。

ちなみに私の誕生日、子供にとっては
ケーキが食べれる日って事で喜んでもらえてます(笑)
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昔って今より、もっと子供が成長できる可能性が低かったからじゃないでしょうか。


ここまで育ってくれてありがとう、ここまで生きてこれて良かったね的なお祝いじゃないでしょうか。(今だって一応、そうですが)
それから、「これからも無事に生きてね」っていう呪い的な意味もある気がします。七五三みたいな感じ?

あと、「お母さんが苦しんで子供を産んだ記念日」というのが暗にあるような気もしますね・・・。(笑)
だから、子供もおめでとう、お母さんもおめでとう、お母さんにありがとう、じゃないでしょうか。
誕生日には、「ああ、今日、お母さんは頑張って私を産んだんだな」って思いだしてあげましょう。

・・・とあれこれ書いてみたものの、解答らしきサイトを見つけたので張っておきます♪

参考URL:http://tamagoya.ne.jp/manner/084.htm
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日本の民間習俗では、誕生日のお祝いは満1歳を迎えた「初誕生祝い」に限られていました。


昔は乳幼児の死亡率も高かったので、誕生から無事に1年を経過すれば、殊更めでたいという意義があり、親類縁者が集まって餅をついて祝う儀礼がありました。地方によっては、赤ちゃんに餅を背負わせる風習も見受けられます。
毎年の誕生日を祝うのは、西欧の慣習が伝わった明治以降のことですが、戦前は年齢の計算を数え年(新年になると共に年を重ねる)に従っていたので、一般家庭では誕生日の認識は低く、西欧の生活様式の影響を受けた中産階級以上の家庭で行われていたと思われます。
誕生日のお祝いが一般化したのは、年齢の計算が満年齢の形式に変更された戦後のことで、特に高度経済成長期に入って国民全体の生活に余裕が感じられるようになってからです。年代的には、昭和30年代の中頃以降かと思われます。
よって、誕生日のお祝いの慣習化は、比較的に歴史が浅いものといえるでしょう。

参考URL:http://5go.biz/kankon/q1_7.htm
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追記します。


沿革として、戦後まだ貧しかった時代には、先に幼稚園・保育所でのお誕生日の行事があって、それが各家庭に移入されたという側面も考えられます。
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 誕生日の季節 ~ 筑紫哲也《ニュース23 1993ca TBS》より ~
 
「誕生日って(ほんとうは)お母さんに感謝する日だと思うの」
♀佐藤 しのぶ ソプラノ 19580823 東京 /1987-1990 NHK紅白歌合戦
 出産(3児の母)を契機に毎年5月「母の日コンサート」を開催。
 
── 昔、母がこの歌を私に教えてくれた時、母は目に涙を浮べていた。
今、私がこの歌を子に教える時、私の目からも、涙があふれて止らない。
── ♪ ドヴォルザーク《母の教え給いし歌 1880 ジプシーの歌》
 
 ◇
 
 むかしの旧暦では、一年の日数が“353・354・355”の三種類あって、
閏年だと“382・383・384・385”となるため、去年が何日だったのか、
来年が何日になるのか、庶民には見当もつかなかったのです。
 
 去年の今月今夜は、今年の今月今夜と、月の形が同じだけで、季節は
十日早く、閏年なら二十日おくれ、さらに来年の今月今夜は十日おそく、
よく分らないまま「今年は暑いか寒いか」が時候の挨拶となったのです。
 
 仏教寺院が戸籍や墓を管理したため、命日の記録は行われましたが、
誕生日を記した資料は(天皇以外では)ほとんどありません。
 正月元日、みんな一斉に年をとって(数え年の誕生日を)祝いました。
 
 政府は、明治五年十二月三日(陰暦)を、明治六年一月一日(陽暦)
と改めて、現在のグレゴリオ暦を採用しました。ようやく一年365日、
閏年には一日多い、というルールを普及し、実用化させたのです。
 
 日本の終戦記念日が、ある国にとって敗戦記念日や勝利記念日である
ように、すべての祝日、あらゆる記念日は、敵対する個人・民族・国家
にとって忌わしく苦々しい日付になることもあります。
 
 ある日付が、ある家族の悲劇的な記憶を象徴する場合もあります。
 その日付は、誰彼なしに喜ばしいとはかぎらないので(ほんとうは)
つつましく親しい者だけが祝うべきではないでしょうか。
 
 ◇
 
──「人は皆、泣きながらこの世に生まれて来る。だが、この世を去る
ときは人それぞれだ」── Shakespeare, William《King Lear》
 
──「私たちは泣きながら生れ、不満を言いながら生き、落胆のうちに
死ぬ」── Fuller, Thomas《Good thoughts in worse times,1647》
 
──「赤ん坊が泣いている、そして育ってる。なんて素晴らしい世界だ」
 ♪“I hear babies cry, I watch them grow.”
── Satchmo《What a Wonderful World 1967-1968 America》
 
── Worst sound in the world revealed...
1.嘔吐 2.スピーカーとマイクロホンの共鳴 3.赤ん坊の泣き声。
http://www.ananova.com/news/story/sm_2172271.htm …
 
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日本の習慣としては可愛い子供に将来の平安を願う親の気持ち


があったでしょう。
しかし、マジメな話。それ以後は洋菓子やネクタイ業界などの
仕掛けでしょう。
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確か、西洋文化の好きだった織田信長が日本で最初に自分の誕生日を祝った、と聞いたことがあります。

しかし、信長が急死して、その後、日本は鎖国時代に入って、西洋の文化は入りづらくなりました。誕生日を祝うようになったのは、明治の文明開化政策によるものと思われます。
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