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般若心経の最初に

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 
・・・

とつづきますが ここで 観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか

次は般若波羅蜜多を深く行じていたときに という意味でしょうか
ここで質問です
般若波羅蜜多というのはどのような行なのでしょうか
般若心経にはそのことがなにも書かれていないようですが

A 回答 (6件)

「般若波羅蜜多」はあえて訳せば「悟りの世界に至る智慧(瞑想による根源的なる力)」となるでしょうが、ここでは般若波羅蜜多は般若波羅蜜多という固有名詞と考えてもいいでしょう。


 次に「心」ですが、これはサンスクリット語でフリダヤ。心臓を意味しますが、そこから「(生命の)中核」、それは同時に真言(咒)を意味します。旧訳の般若心経では『般若波羅蜜神咒』『般若波羅蜜大明咒経』など、フリダヤの部分ははっきりと咒であると説かれます(現存する最古のサンスクリット語の心経でも「以上が般若波羅蜜のフリダヤ(咒)である」と締めくくられます)。

 弘法大師による心経論『般若心経秘鍵』では観自在菩薩を「諸乗の行人」の意味と説きます。つまり「諸々の大乗仏教の修行者」という意味です。つまり礼拝対象の観音菩薩という意味にとどまらず、「観」は瞑想の意味であるから瞑想自在なる修行者。
 その瞑想とは「ギャテイ ギャテイ・・・」の般若波羅蜜多の咒を唱えるという修行です。その修行の結果として「五蘊皆空」という境地に達した故に「一切の苦厄を度した」。この苦厄を度する力が「ギャテイの咒」にあるからこそ心経は信仰されてきたのです(ちまたにあふれる心経解説書は“こだわりを捨てる心”などと説き、咒を付け足しぐらいに紹介していますが、それは心経成立の歴史を知らない不完全なものです)。
 『般若心経秘鍵』では「大般若波羅蜜多心経と者(いっぱ)、即ち是れ大般若菩薩の大心真言三摩地法門なり」と的確に説きます。般若菩薩とは般若波羅蜜そのものを尊格化した菩薩ですから、現代訳すれば“般若心経とは偉大なる般若波羅蜜多の大心真言による、深い禅定(瞑想)に入るための教えである”。ですから「観自在菩薩」から「咒即説咒曰」までがギャテイの咒の偉大さを説くものです。
 また羅什訳『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』、義浄訳『般若波羅蜜多心経』には末尾に「此の経を誦せば十悪五逆九十五種邪道を破す。若し十方の諸仏を供養し、十方の諸仏の恩を報ぜんと欲せば、当に観世音の般若を誦すること百遍、千遍にすべし。無間の昼夜に、常に此の経を誦せば、願ひとして果さ不といふこと無し」と読経と真言念誦の功徳を説きます。「観世音の般若」とはギャテイの咒のことですから、的確に真言念誦による瞑想を説いています。
 ですから般若波羅蜜の瞑想を行う者、自身がそれを行えば自分自身が観自在菩薩に成ることも意味します。

 より詳しくは『般若心経秘鍵入門』(村岡空著:大覚寺出版部)を参照ください。
http://www.sagagoryu.gr.jp/shop/hiken01.html
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この回答へのお礼

じゅんじゅんとお説きくださいまして すこし判ってきたように思います

当地の図書館に 村岡 空著 般若心経入門 1989.6
があるようなので おすすめの著書とは別でしょうが 同じ著者なので、中をのぞいて見ます

たいへんありがとうございました

お礼日時:2007/02/04 05:43

私の覚えた時は、


「観自在菩薩」は、
「世の中を自在な目で見る(観る)ことのできる菩薩」というように覚えました。

「行深般若波羅蜜多時」は、ご質問者さんと同じように、
「【般若波羅蜜多】を深く行じていた時」と覚えています。

「般若」は『知恵』。
「波羅蜜多」は『彼岸(悟りの世界)に至る』。
つまり、『知恵によって悟りの世界に至る』という意味らしいです。
 

参考URL:http://www.ermjp.com/j/temple/tenpourin/06/
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/02/04 05:31

参考まで


般若心経にある観自在菩薩というのは、人の名前ではなく観自在になった状態の菩薩のことでしょうね。菩薩界の最上段(如来界の最下段)の状態ということでしょうね。
観自在の状態まで悟りが進むと、いろいろなものの本質がみえてくるということを、釈尊が舎利に話した内容のように思いますね。だから物事の本質が般若心経に書かれているように体感できれば、観自在菩薩の状態にあるといえるのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/02/04 05:29

>観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか



そうです。大乗仏教の在家の若者です。

>を深く行じていたとき

般若波羅蜜多の瞑想をしたということ、その方法を書いてあるのが般若心経のいみです。つまり瞑想の指南書だということ。

http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_ …
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この回答へのお礼

ありがとうございました

URL参考になりました

お礼日時:2007/02/04 05:27

>観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか



そうです。大乗仏教の在家の若者です。

>を深く行じていたとき

般若波羅蜜多の瞑想をしたということ、その方法がかいてあるのが般若心経のいみです。
ラストにある真言を唱えることですが、詳しくは下記をお読みください。


http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_ …
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この回答へのお礼

>ラストにある真言を唱えることですが

URL参考になりました ありがとうございました

お礼日時:2007/02/04 05:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます URLの中に

>お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。その時、観音さま(観自在菩薩)は深淵な“完全なる智慧(般若波羅蜜多)”の修行をされて次のように

とありますが 
「深淵な“完全なる智慧(般若波羅蜜多)”の修行」というのはどういった修行なのでしょうね 座禅とかでしょうか

お礼日時:2007/02/04 05:13

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