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私は日々「苦しみたくない、苦しみから逃れたい」と思っている40代後半の男です。

御釈迦様は苦しみの原因は煩悩と執着に有ると説いていますが、煩悩や執着が全く無かったら生命を維持することは出来ないと思います。

食欲が無かったら食べることを辞めてしまって死ぬかもしれないし…

御釈迦様は一切皆苦と説いている様に、この世の中に苦しみが有るのは当たり前なのでしょう。

そうは思っていても次から次へと沸き上がる苦しみを消したいです。

煩悩や執着を消すことは出来ないし、苦しい思いはしたくは無いし、悩んでいます。

どうしたら良いでしょうか?

A 回答 (26件中1~10件)

hopelight2様、こんばんは。



「煩悩や執着が、苦しみの原因」と判っただけでも、
それが判らないよりは、ずっと「楽」に近づいたと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

御釈迦様は、弱肉強食で無慈悲で残酷なこの世の中を嘆いて出家されたと言われています。

晩年の御釈迦様には、この世の中はどのように映ったのでしょうか?

知識不足なので詳しくは解らないですが…

お礼日時:2013/05/19 06:31

hopelight2様、今晩は。




>「この質問をしてから、ある程度の心境の変化が有りましたが、この世の諸行無常さは悲しいですね」

たとえば、「ガンは(この世は)、こうすれば(諸行)、治るor治らない(無常)」
そうした「諸行無常」さ。これは、悲しいですか。

・・・「無常」なんですから、ガンも治っちゃうかも
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/28 06:10

こんばんは。




「そういうものだ」と観念すること、


♪「人生、楽ありゃ苦もあるさ」


でもね、「民主」ってのは、あらまほしきかな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

この質問をしてから、ある程度の心境の変化が有りましたが、この世の諸行無常さは悲しいですね。

お礼日時:2013/05/22 01:04

人間は、まず生理的欲求を満たすために価値を為して対価をもらう必要があります。

そこに伴う困難は避けて通ることができません。その上で、(たとえば誰かより幸せにならなければいけないとか)いらないことに気持ちを煩わせないで肩の力を抜いて生きるということが、実現可能な精一杯気楽な苦しみのない生き方ということになると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/20 18:58

整理してみましょう。


煩悩というのはそれ自体が楽と苦しみのセットです。

美味しいものをたべる。これ自体は楽です。
美味しいものをたべたい。食欲です。
食欲は満たされない間は大いなる苦です。
食欲を満たすためには様々努力せねばならない。
お金が要るので稼がねばならなくなる。ここでも別の苦しみが始まります。
簡単に食欲は達成出来ません。
達成された後も、食べ過ぎたら腹が痛くなる、便秘で苦しむ、さまざまな苦しみが伴います。

性欲を満たしたい。これだって様々な苦しみの果ての達成があっても、その後の性病とか愛の破綻とか、子供の問題とか、多くの苦しみが伴ってきます。

>この世の中に苦しみが有るのは当たり前なのでしょう。

楽あれば苦あり。当たり前というより、楽と苦はないまぜになって現われるのが当然、ということだと私は思います。プラスとマイナスがあって世界は成り立っているということです。
私見では、貴方は楽の面は余りみないで、苦の面だけを見て悩んでいるように思えます。
おおくのひとは、むしろ楽の面だけを見て人生を楽しんでいますよ。

>煩悩や執着を消すことは出来ないし、苦しい思いはしたくは無いし

当然です。それらはお互いに矛盾しているからです。



発想の転換が必要では?

仏教の根本的な教えである「清らかに生きる」は、苦を見据えて、その苦を出来るだけ遠ざけるためには清らかな暮らしが適っているということでしょう。



出家して諸欲から遠ざかれば苦からも離れます(が完璧ではありません)。

英雄は積極的に大苦を耐えて大きな実を、快楽を得ました。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/20 18:55

維摩経を読まれたことはありますか? 又の名を不可思議解脱の法門と言います。

この経には、俗人の身でありながら教えを顕す維摩という仏が出て来ます。維摩は、法を説くためにわざと病を身に現して、見舞いに来た衆生に教えを説きます。空や菩薩について詳しく説いている大乗経であるこの経には、一切皆苦であっても、それをはるかに凌ぐ救いの存在しているのが仏教であることがしるされています。悲観なさらず、明るい気持ちで、歩んでください。苦を知る人は、やさしくなれる。一切皆苦は、一切に対する慈悲と表裏一体の教えなのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>維摩経を読まれたことは有りますか?

有りません。

私は仏教も他の宗教も殆ど勉強したことは有りません。

生きるヒントになれば勉強したいです。

お礼日時:2013/05/19 23:25

>どうしたら良いでしょうか?



 仏教の罠。

 食欲があるなら食事を楽しんで下さい。所詮は豚の屍。豚が可哀相ですか?
 存分にSEXして性欲も満たして下さい。なんの罪悪があるというのです。

 煩悩を苦しみの原因だとしているのは仏教という宗教ですよ。

 仏教でいうなら、堕落することです。

 せっかく苦しみから救われていた何も知らないあなたを日々を畏れる救われていない苦しみの民衆に仕立て上げたのは仏教と言うことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>豚が可哀想ですか?

自分が自分以外で無いことを哀れむ時が有るなら、同じように豚は豚以外にはなれません。可哀想と思う気持ちは有りますね。

お礼日時:2013/05/19 19:05

釈尊の死に際する言葉は「この世は全て美しい」だったそうです。


美しいと感じるということは、その時は幸せだったのだろうなと思います。
多分、釈尊は幸せと感じることへの執着を持たずに、その言葉を弟子に放ったのだろうと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

釈尊は幸せだったのでしょう。

お礼日時:2013/05/19 18:50

幸福である事に生きる意味を見いだせるのなら、幸福はすぐさま神様が届けるであろう。


釈迦は君にとって悪魔その者で、彼が全ては苦だと言ったから、君はその釈迦の言葉から解脱しない限り幸福がもたらされることはない。
今の君は釈迦の言葉を信じて神を信じない状態だ。
ところが釈迦の言葉を信じないとするとますます苦しくなるだろう。
その苦しみでどうしょうもなくなって、肉体から魂が抜け出すのが解脱だ。
すなわち死ぬまで苦は続く。
生きながらに死者であった釈迦である。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

幸福になりたいと言う欲は有ります。

幸福感は人それぞれで違います。今の私は苦しんでいますが、或る人から見れば充分に幸せだと思うかもしれません。

自分の不幸な部分ばかり見てはいけないと思います。やはり修行でしょうか。修行をしたからご褒美を貰いたいと思うのも煩悩や執着でしょう。

人間は難しいです。

お礼日時:2013/05/19 06:52

仏教に限らず、他の何某の教えにこだわることは良くないと思います。

こだわらず、軽い心持ちでいてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の悩みや考えていることは重いと思います。別れた彼女から「あまり悩みのメールをしないでほしい」と言われた時が有りました。(笑)
これも煩悩や執着による物でしょう。

サバサバした性格で気軽に生きた方が幸せですね。

お礼日時:2013/05/19 05:54

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