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私は日々「苦しみたくない、苦しみから逃れたい」と思っている40代後半の男です。

御釈迦様は苦しみの原因は煩悩と執着に有ると説いていますが、煩悩や執着が全く無かったら生命を維持することは出来ないと思います。

食欲が無かったら食べることを辞めてしまって死ぬかもしれないし…

御釈迦様は一切皆苦と説いている様に、この世の中に苦しみが有るのは当たり前なのでしょう。

そうは思っていても次から次へと沸き上がる苦しみを消したいです。

煩悩や執着を消すことは出来ないし、苦しい思いはしたくは無いし、悩んでいます。

どうしたら良いでしょうか?

A 回答 (26件中11~20件)

貴方が苦しみから逃れる方法は、『楽を求めなくなる事です。



貴方が楽をしたいと言う思いが強くなった時、苦しみの感情が強くなっています。

楽をしたい気持ちが、そのまま頭の中に苦しみを作り出しています。

天国を望む心が『地獄を呼び寄せる原動力になっています。』

人生にはない救いを求めている事が、貴方が地獄を味わう原因を作っています。

貴方の人生が『苦しみが無くなって、安楽な人生に変わる方法は』実は簡単です。それは『地獄に落ちる決心をするだけです。』

地獄に入る決心が出来た時『貴方が感じる事全て』天国のようになります。

その訳を簡単に書いてみます。貴方は今の自分の身の回りに起きている事や、自分自身に付いて『ストレス』=『受け入れられない事』と感じています。その受け止め方が、ますますストレスの増大に繋がっています。

ストレスの軽減に努めるという意味は『ストレスの無い世界に引っ越す事』では在りません。そんな世界は何処にも在りません。それではどうするのかと言うと『ストレスをストレスとしない人間に』貴方が変わる以外ありません。

ストレスが無い人間になれた時、地上に天国が出現します。それが釈迦による『絶対の安心』=『究極的な心の癒しの心理学』に相当します。それが『悟りの効用です。』

その原理を簡単に書いてみます。

人間の脳内には『全てを肯定して、全てを見通して、全てを自我と言う自分に、真実の情報として流してくれている者が存在しています。』この者と出会う事を『見性』=『自分自身を知る』=『生死の問題が解決する』と表現しています。

脳内で絶えずその者と情報交換しています。深刻な悩みがある時ほど、『心が騒がしくなっていて、言い争いが烈しさを増していると思います。』それは自分自身の心が相争っているからです。

この戦いに終止符が打たれるわけですから、『心の中は限りなく静まってしまう事を意味します。』この静まり返って争う声が聞こえなくなる状態を『涅槃』と形容しています。

宗教は宗派を超えて『この一点を目指していますので』キリスト教に於いても同じです。只表現方法は違います。

キリスト教では『神に会って(見性)和解する。』です。

この神に会う体験を語っている動画がありますので、紹介します。『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。

この動画の『つぼ』は、博士が『自分の人生を全て諦めた瞬間から始まっている事です。』

仏教などで、『自分を捨て去れ!』と言う言い方をしていますが、こう云う意味があります。『自分の欲しいものを捨て去った時、自分の手にはその欲しかったもので溢れかえっている。』と言う意味です。

自分の『我』を捨てよ!と教えています。

死にたくない事で、深刻に苦しんでいる人は『人生に未練があって、人生に救いがある筈だと思って』人生には無い、救いを求めています。

ところが、最後の瞬間を迎えて、とうとう自我が諦めて、自分が正に死に行く事を受容れた瞬間、自分の右脳の人格=神や仏、と言う人格が登場します。是がが魂の救いです。

人生には救いなど無かった事、が分かった時『自分がこれほど嫌がっていた死を受容れざるを得なくなって、受け入れた時』人生の救いが成就されます。

是は矛盾した言い方になります。ですが、動画にあるとおりです。

従って貴方なら『ストレスとしていたものを、排除しなくなった時』=『ストレスを受容した事を意味します。』それ以後では『ストレスがなくなります。』

何故なら、『嫌なもの、受容れられないもの』をストレスにしていたのですが、全てを受容れた段階で『受容れられないストレスがなくなっているからです。』

お釈迦の教えが『究極の心の癒しの心理学』と言う理由です。死でさえ受け入れた時には、この世には他のストレスが存在しなくなるからです。この境涯を『涅槃』=『絶対の安心』と表現しています。

この回答への補足

『脳卒中、ジル、ボルト、テイラ-博士』を紹介して頂き、ありがとうございます。

YouTubeの動画では字幕が小さすぎて読めないので、PCサイトの文章を読みました。

博士が見たのは夢、幻か解りませんが、読み終えて涙が出ました。

現実の世界では私の家族が病気や障害で苦しんでいます。(私の前では苦しい素振りは見せません)

私は、この世の中の無常さを嘆いています。

この世の中は悲しく切ないです。

この世の中で、どう生きたら良いか考えています。

おそらく両親や兄の方が早く亡くなると思います。あの世は本当に有るのだろうか?
有ったとしたら、私はあの世で爪弾きに逢わないだろうか?
と考えています。

私は、本当に考え方や行動が甘いです。

私の愚痴に付き合って頂き、ありがとうございました。

補足日時:2013/05/19 10:03
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

必要以上の欲望は本当に恐ろしいと思います。自分を壊し、人を殺してしまう可能性が有ります。

死を受け入れる心境になることでしょうか?
はっきり言って死ぬことは怖いです。
私の場合、いくら自分のことが嫌いでも未練が残りそうです。
私は独身で子供はいませんが、両親や兄弟との永遠の別れだと思うと悲し過ぎます。やはり死はストレスです。死を本当に恐れなくなったら心境も変わるのでしょう。私には難しそうです。

穏やかに死ねたら良いと思います。この世に未練を残し、この世や自分を恨み死んでいくのか、どうなるのかは解りません。

悩む人にとって生と死は本当に重いテーマです。

お礼日時:2013/05/19 05:40

それって 仕事と同じじゃないですか


適当に仕事があれば、、やりがいもあるし、その辛さにも耐えられる
けれど
多すぎて山のようにあると、
いくらやっても片付かない、終わらない感じがしてくる
気が遠くなってくる
嫌気がさしてくる、やる気がなくなってくる
そんな感じじゃないでしょうか

生きることが 苦のかたまり みたいに思えて気持ちが暗くなってしまう
誰でもそんな時があると思いますよ

一つ一つ片付ける っていう感じでコツコツやっていけばいいんじゃないでしょうか
みんな そうしてますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/05/19 05:03

「苦しみたくない、苦しみから逃れたい」


そんなのあなたの我儘ですし、今現在苦しいのであれば、それは過去のあなたの努力不足です。

大切なのは、その苦しみに焦点を当てるのではなく、狂わしい人生のなかで小さな、でも無数の秩序を見つけることです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/05/19 04:52

>生まれること、生きることが苦だとは、この年齢になるまで解りませんでした。



No4です。  No5さんのご指摘で 上のことが分かっただけでも進歩だと思います。 ある意味ではそれは悟りの一種ではないかと思います。

私たちは技術の進歩の時代に生き 明日は今日より と技術や手法の探究をしてきました。

精神社会も 同じとはいかなくても 明日は今日より 新しい発見をして苦しみ 解決して喜ぶ が有るのではないでしょうか。 これも煩悩の一種とは思いますが それを経験せずに 煩悩は語れないと思います。

死後の世界の楽の為に 現生を苦しむということは 自分にも理解できませんが 新しい問題と それを発見をしていく 喜びは 理解できます。
嘘も方便 という言葉が 確か 仏教には有ったようですが、死後の世界に関しては もしかしたら 「方便」 なのかもわかりませんが信じている人は どうも 現生でも 救われているような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

生きることは苦しいことが多いです。生きたいと言う本能を消して自殺する人や生きる苦しさから悪事に手を染める人もいるぐらいですから…

自殺したり悪いことをしたら地獄に行くとか、良い行いをしたら天国に行くとか必要なのかもしれません。

お礼日時:2013/05/18 21:19

>煩悩や執着が全く無かったら生命を維持することは出来ないと思います。



これは白か黒の議論に持ち込んでいますね。
世の中は白と黒でできてりるのではなく、限りないグラジュエーションで出来ておりますよ。

煩悩や執着を減じてゆく事で、悩みも減じることが出来ますが、なにも煩悩や執着をゼロにしなくてもよろしい。
耐えられる範囲の悩みとは共存して行けばよいのじゃよ。


>食欲が無かったら食べることを辞めてしまって死ぬかもしれないし…

美味い物を食いたい、三度三度キチンと食いたい、肉を食いたい、グルメの話題に参加したい、ミシュランの星のレストランに行ってみたい、などという煩悩を減じればよろしい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに必要以上の欲は自分を苦しめます。

お礼日時:2013/05/18 20:17

煩悩などを消し去ることは不可能です。


消し去るのではなく、上手に付き合って
いくものです。

それに、技術論になりますが、こういう場で
煩悩について話し合ったり、書いたりすること
で、煩悩が減少することが知られております。
又、俺は今、こういう煩悩がある、と「思っている」
と思うことでも煩悩は減ります。
これを心理学では「客観化」といいます。

だから、苦しかったら、こういうところで
その苦しみを訴えるのは大変良いことだと
思います。
どんどん書き込みましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/05/20 09:20

煩悩や執着は消せません。

苦しい思いも無くなりません。世の中そういうもんです。だから悩む必要はありません。悩むというのは、立ち止まる事です。立ち止まると、頭の中がイヤな事でいっぱいになり、何もかもがイヤになります。これは誰だってそうです。だから「今」に集中するんです。

過去は未来の記憶であり、未来はまだ見ぬ過去であって、どちらも「今」ではありません。後ろを振り返らず、先に待ち受けている事を恐れず、とにかく「今」やるべき事をやる。それしかないです。気持ちが引けてりゃ何やったってダメです。自分の心に振り回される事なく「今」何が出来るのかを考えて、しっかりと前を見据える事です。

一生懸命に「今」出来る事をやって、本当に最善を尽くした結果、酷い目に遭ったり、死ぬ事になったりしても、それはそれで仕方ないじゃないですか。下手に上手く立ち回ろうとするから、進退窮まって立ち止まる羽目になるんです。我を忘れて「今」に打ち込む。問題になるのは、そこだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

別れた彼女のことを思い出しました。彼女は悩んでいる私に「今を生きよ」と言ってくれたことを思い出しました。

お礼日時:2013/05/18 19:14

No.8です。



お礼をありがとうございました。

>皆さんの投稿を読み、対応していると心の苦しみが消えています。
>それでも心は変幻自在で苦しみがやってきます。

対応をやり続ければ減っていきます。
年齢的には、多くの種類を随分溜めてある可能性が高いのでじっくり取り組んでいくことが大切です。

課題が減ることを願っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/05/18 17:14

欲求は自然なものだから必要とされる。


欲望は、自己の欲求に答えなかったため起きてしまう歪んだもの。
欲求は消せないけど、欲望は消せます。

欲求は充足すれば消えます。
欲望は充足を知らないので、絶えず自分を苛ませる元になります。

自分の中にあるものを理解して、対応していくこと。
多くは日々日常のささいなことから始まっています。

「まぁいいや」「どうせ・・・」「だって」「でも」を無くしていく事ですよね。

自分理解は、自分の思いや考えから目を逸らさないことです。
自分の思いから逃げると、苦痛は続きます。

思いをゆっくりでも叶えていくと、人生はずいぶん楽で楽しいものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

皆さんの投稿を読み、対応していると心の苦しみが消えています。

それでも心は変幻自在で苦しみがやってきます。

苦しい時にどう対処すれば良いか…自分の課題です。

お礼日時:2013/05/18 14:59

其の本当の意味は苦をば苦と悟り、楽をば楽と二つ思い合せて日々精進しなさいとの言葉ですよ、日常の全てを誠実に努力して前向きな目的感を持ちつつ、其の日々の弛まない真摯な努力が自分を磨き幸福へと繋げると、  ですから苦しみも楽しみも全てが自身の人生と捉えて、自らが積極的に幸福を築けと、又他の人への幸福も願って行動せよとの意味です。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

利己的なことばかり頭に有ります。自分の力だけで生きていないのに…

お礼日時:2013/05/18 14:24

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