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形式的な事柄は厳密過ぎる程に守られるけれど、
精神的には初期の精神と正反対のことが行われている。

そのような組織を良く見るのですが、なぜ
そのような傾向が生じるのでしょうか。

創始者の言葉は皆、耳にタコが出来るほど
聞いて知っていてもです。

A 回答 (4件)

え~と、うまく説明できるのか、


そもそも答えれるのか解りませんが、書きながら考えてみます。

最初に人間の脳は、以外にエネルギーを消費するようです。
エネルギーと言うと身体的運動に消費されそうですが、
身体と脳の比率からすると、脳はエネルギーの高消費部門です。
そこで、人間は良く出来たもので、無駄なことは考えない。
頭に石が当たりそうになれば、反射で避けます。
これがエネルギーの節約になります。
ルーティン作業や車の運転は典型的な例ですね。
さらに人間は、認識と行動がなかなか一致しないですね。
わかっちゃいるけど、やめられない。

組織に関しては、もう一点、疑問を出しても解決しない。
こういう問題もあります、解決しないなら無駄な疑問は持たない。
その場合、組織自体に全体的合意が成立しているわけですが、
いろいろと部分的に節約することで、組織自体の全体的合意が
いつの間にか変質してしまうのかもしれません。

これで回答になるのか、不安ですが、お役に立てれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご教示大変ありがとうございます。
私が感じた現実をうまく説明できるように思います。
幹部となった人達が、自分の立場に都合がいいよう
創始者の言葉を無視または解釈を変え、皆それに気づいても
異議を唱えることができない雰囲気。
形式的なことは怠惰になりにくいが、精神的なことは怠惰になりやすい
ように思います。

お礼日時:2007/02/12 02:33

形骸化はなぜ起こるのか、という点については二つほど理由があるように思います。


ひとつは、時代や環境は変化しますから、創業者の精神を生かすためには対応を変えなければならない場合もあるだろうということです。
そのために、創業者の言葉とは異なることが行なわれる場合もあると思います。
創業者の言葉通りにしていたために衰退し、不善を為す結果となる場合もあると思われますから、形骸化が必ずしも悪と決めつけるのは早計かもしれません。

ふたつめは、本質的な問題ですが、言葉の持つ性質上やむを得ない面もあるのではないか、ということです。
ひとつの言葉は様々な解釈が可能ですから、それを組織の統一見解である理念としておくためには組織員全員の善意、あるいは暗黙の了解が必須になります。
善意も暗黙の了解も超自我の支配下にありますから、本能的な欲望や自我的損得の感情などが首をもたげてきた時に、たとえ「>創始者の言葉」といえども、意図的に曲解されることは容易に想像されます。
言葉というものに関しては、その定義が難しいものである上に、それを言った人の人生観が反映されざるを得ませんから、その言葉の裏にある本意を正確に認識することがなかなか困難なものである、という属性を本来持っているということも言えると思われます。
 
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この回答へのお礼

ご教示大変ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/12 02:46

形骸化は、ある一面では当然であり、かつ、必要なことです。


一旦形成された秩序は、その瞬間から崩壊に向かう運命にあります。
これは、ホーキング博士によれば宇宙の第二法則です。

また、いかなる優秀な創始者であろうと、それは相対的な評価です。
歴史的な制約、個人の力量の制約を免れることはないです。
よって、相対的な秩序は、新しい秩序で置き換えられて当然です。

形骸化を阻止するには、守ることよりも否定に軸足を置いたがいいです。
創始者の一言一句を遵守するのは、単なる教条主義に過ぎないです。
問題は、その精神を時代と共に変化・発展させることではないですかね。
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この回答へのお礼

ご教示大変ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/12 02:42

人類は1%の改革者と99%の追従者からできていますから、1%の改革者が適当なタイミングで登場しないと形骸化します。

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この回答へのお礼

ご教示大変ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/12 02:39

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