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教えてgooやっていて、自己満足のために回答しているひとが結構いるもんだなと思いました。質問をちゃんと読まないで答えたい事を答える。
社会も体勢はそうで、いらないものを売りつけたり、とにかく自分の利益のために人の満足感とか求めるものとか幸せをないがしろにするパターンの多い事には、絶望感も麻痺してしまうほどです。

もし、ユートピアかも知れませんませんが、
「人も企業も人のためのみに行動する」
という社会が実現したらどうなってしまうのでしょうか。

A 回答 (27件中21~27件)

「自己の利益=社会の利益」となるのが、最も良い状態だと思います。


しかし、「自己の利益」を優先させると「社会の不利益」が起こってくる。
逆に、「社会の利益」を優先させすぎると「自分が生きていけない」状況も生まれてくる。
この二つの間で揺れ動きながら、「自己の利益=社会の利益」になる点を模索し続けるのが社会だと思います。
そして、社会は時代性によって変遷していきます。

企業もこの原理にともない、動いていると思います。
例えば、「車」を作る会社を考えた場合、「自己の利益」とは「車」を売って儲けることです。
そして「社会の利益」は、「人や物の流通を安全に迅速に行えること」です。
「人や物の流通を安全に迅速に行えない車」(社会の利益を満たせない車)は売れず、企業は儲かりません。
だから、企業は努力して上の条件を満たす車を作ろうとします。

時代が変り、環境問題が重視されると、「車」が売れなくなり始める。
そこで企業は「環境を壊さない車(ハイブリットカー)」を開発する。
つまり、「環境を壊さない」という公共の利益を優先させるのです。
こうしないと、売れない(自己の利益を満たせない)のだから開発せざるを得ない。
しかし、「環境を壊さない」という「公共の利益」を優先させすぎるあまり、「従来のガソリン車は売りません」なんて言ったら、会社自体が倒れるかもしれない。
そこで、「ハイブリットカー」を主力製品としつつ従来のガソリン車も売って利益を確保する。
そうしつつ、「ハイブリットカー」が最も利益が上がる車にするように開発に力を入れる。
「ハイブリットカー」の収益率が上がれば、「環境を壊さない」という「公共の利益」を満たしつつ「自己の利益」も満たせることになる。
こうしたことを繰り返しながら、企業は進んでいく訳です。

「自己の利益」と「他人(公共)の利益」は、対立関係ではなく補完関係だと思います。
それと同じように、このサイトの質問者と回答者も、自己満足を得つつ他人の為になればと行動している人が多いと思います。
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この回答へのお礼

結局妥協点を求めている、企業体そのものも、営利追求団体としての清濁併せ持つ事が最もいい妥協点なのだ。
それは分かりますし、その通りでしょうね。結局人間のレヴェルに一番いいのは資本主義社会のようですし。
しかし、もっと日常的な場面における「良心、寛容、やさしさ」みたいなものがどうも足りないでしょう?足りないと思います。

お礼日時:2007/03/04 17:18

bossamba様のご質問の意味は私もいつも考えていることです。



人が自己と他人を分離して考える時、そういう断絶が起こると思います。
つまり、自己の利益と他者の利益は互いに全く関係していない・・と錯覚するときに、そのような、社会に対して害を為すようなことが平気で行えるのだと思います。

自分と他人とは実は表裏一体の、同じ全体の一部である・・と認識するならば、自分にとって嫌なことを他人に対して為すことは出来なくなります。

この場合は、
他人に対して行うこと=自分に対して為される事・・だと自覚できます。
同じ社会の、あるいは地球の一員である限り、他者又は他国に対して行ったことは、回りまわって必ず自分自身、あるいは自国に巡ってくることを知っているからです。

この認識をさらに拡大していくならば、
他者に善を行うことが、自己にとって最高の幸せになると思います。
他者に奉仕したことが必ず巡り巡って自分自身に返ってくるならば、これ以上の喜びはなくなるからです。
(自分と言う存在を他者から分離して考えている限り、このことは理解できないでしょうね)

しかし、この様な心理状態になるためには、現在の自己の心の状態をスッキリとシンプルに保てるように、自分でコントロールしなければならないと思います。
心からどろどろした恨み、妬み、憎しみ、貪欲な物質欲、傲慢を排除していかなければ、スッキリ、シンプルにはなれません。
努力が必要でしょう。
自分が真に幸福になるためには、心の状態が最も大切であることに気付いて
努力して心をコントロールすることが大切です。

自分の心の闇を野放しにすれば、自分自身の不幸の種を撒き散らしていることと同じだと自覚することが大切です。

人類はアメーバのような状態から現在の形になるまで進化してきました。
これからは精神(人格)が進化していく時代だと思います。

人類の精神状態が、現在の状態のままで、いつまでも変わらないとは到底思えません。
すべての人は、体験を積むにつれそこから学習し、さらに自己を改革していく能力を潜在的に持っています。

ですから精神のレベルがもっと進化して、殆んどの人が地球全体の一部としての自己を認識出来るようになったときに、ユートピアが実現すると思います。

このときには
自己中=自分の幸せのために他者に奉仕する人・・に変わっているかもしれませんね。

そんな日が人類の進化の先に必ずやって来ると信じています。
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この回答へのお礼

結局「人との断絶」感が原因なんですよね。
なぜなら「人を理解する事ができない、能力を超えている」
その結果お互いよろいを着て生きている。
しかし
>自分と他人とは実は表裏一体の、同じ全体の一部である・・
この認識は妄想ではないはずです。
>心からどろどろした恨み、妬み、憎しみ、貪欲
穏やかにならないと、無理ですよね。どうしても自分が損してなるか!という飢餓状態ですからね。
そして「善行」が必ずしも宗教上の教条でなく、実生活上の必要事項であることが「理性」で悟る事ができるくらいの精神レヴェルに、人間が平均的になることが必要なのでしょうね。

お礼日時:2007/03/04 17:14

答えになっていないかもしれませんが、なぜユートピアは実現しないと思いますか。



たとえ話をします。
意地悪な人が優しくなろうとしています。さて、意地悪な人はやさしい人になれるでしょうか。
意地悪な人は一生懸命努力しています。しかし実際は意地悪な人がしているのは、やさしさを身に着けようとしているのです。洋服やアクセサリーと同じように考えているのです。しかし、本質は変わりません。だからこそ常に求めるのです。求めているということが意地悪であるという証となります。当然、やさしさはアクセサリーではありません。だから手に入りません。ゆえに意地悪な人は意地悪なままなのです。

”人も企業も人のためのみに行動する”という考えは”利益のために人の満足感とか求めるものとか幸せをないがしろにする”という考えからうまれていると思いませんか。だから”人も企業も人のためのみに行動する”はユートピアなのです。
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この回答へのお礼

本当に「改心」は不可能でしょうか?そんな事はないと信じてます。
確かに光がないところに影なしですが、光のみが存在していてもいいのではないでしょうか。

お礼日時:2007/03/04 17:10

もし人を問題ない人を選んで行動するならば問題のない社会に成ると思います。


問題のある人ない人関係なく人のために行動したら
問題のある社会と問題の無い社会が共存することになると思います。
もし一人の人のために動いたら
その人個人の独裁的社会に成ると思います。
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この回答へのお礼

すべては「良心」の問題じゃないですかね。
それがあればたいていの問題は起こらないですむのではないかと。

お礼日時:2007/03/04 17:08

全部が全部の会社ではありませんが、私も


bossambaさんがおっしゃるように、
”社会も体勢はそうで、いらないものを売りつけたり、とにかく自分の利益のために人の満足感とか求めるものとか幸せをないがしろにするパターンの多い事には、絶望感も麻痺してしまうほどです。”について同じ事を感じる事があります。
と、申しますのも体に悪いと分かっていてどうしてジャンクフードが売られているのか、農薬だらけの野菜を売るのか、また肌に悪いのにどうして界面活性剤などを含んだ化粧品等売られているのかなどなど、もし会社と言うものに良心があるのなら決して売れないものが平然と街には溢れかえっています。
私は今、学生なのですが、そのことについてマーケティングの先生にその疑問をぶつけてみたのです。
その先生は、今は受け入れられているが、そういう粗悪品なるものを売っている会社はいずれ淘汰される時が来る。また、そういう会社にしてもどこの会社にしても、情報を一般公開する義務はある、つまり、消費者に分かるようにその商品の中身は何なのかのちゃんとラベルなりに記載していかないといけない。と言っておられました。
でも、そういう企業が今もあると言う事は消費者の需要があるからで、その会社だけが悪いとは一言では言えないともおっしゃっていました。
「人も企業も人のためのみに行動する」と言うのは本来人間として、そして会社として最も基本的なところではないでしょうか。
ただ、今はそれが歪んでいるような時代である事は確かです。
一昔に比べ、現在は消費者の情報量が比べ物にならないくらい大きくなって、消費者も賢くなっていると思います。今すぐ、とは言えないですが、きっと将来は「人も企業も人のためのみに行動する」がきっと来ると思います。
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この回答へのお礼

あまりにひどい事をすると、淘汰されることになるでしょう。
でも圧倒的に企業体質というのは「売れればいい」という姿勢です。
「これはあなたには必要ないから買わないほうがいい」
とは言わないのです。理屈をつけて売りつけようとする。

だから、消費者は寛大な安らかな気持ちで買えないんですよね。

とにかく「売らなければ滅びる」というような脅迫的な社会構造がもっとも問題でしょうね。

お礼日時:2007/03/04 17:06

人のためと思ってやっていても、受け取る人によってありがた迷惑な場合もあるでしょうし、幸せの定義も人それぞれなので、ありがたい。

うれしい。と単純にはいかないように思います。

自己満足と受け取る人もいれば、別の観点から書かれているだけかもしれませんし。
質問を読んでいないように受け取る人もあれば、深読みのしすぎってこともあるかもしれません。
逆に回答されていてほとんどの人が質問者に対して反対の考え方の場合、
受け止めることをせずに、自分を擁護する方だけに返事をする人もいますし。
>「人も企業も人のためのみに行動する」
価値観が違う以上存在しえない気がします。
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この回答へのお礼

本当に「人のため」を思ってやった行為は、わかるものじゃないですか。だからそれが外れてもそういやな気はしないでしょう。

私がこの質問をした動悸は、例えてみれば
「お前の質問はどうでもいい、はっきりいって私には分からない。でも私はそれに関連した(質問者から見ると極めて関連性が薄いし用はないこと)ことを答えたい(自慢げに)fそれで自己主張したい」

という最悪のパターンにあたったからなんです。
で、そこから派生して、「人のためを思った」ら企業だって無駄な事をしないですむんではと言うことです。

お礼日時:2007/03/04 17:03

>自己満足のために回答しているひとが結構いるもんだなと思いました。

質問をちゃんと読まないで答えたい事を答える。

自己満足の押し付けも中にはあるでしょうが、
早とちりのオッチョコチョイ回答もあると思いますよ。

自分を大切にしないと、相手を本当には大切にはできないかもしれません。
自分を大切に出来る人が、人のことを考えて行動するならば素晴らしいことだと思います。
そうであれば、たとえ「人のためのみ」で行動しても、結局自分に戻ってきて、良きことが循環するんじゃないかと。
ユートピアかもしれませんが。
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この回答へのお礼

そうですね。しかし、早とちりのおっちょこちょいも考えてみると、その質問にかける集中力エネルギーが足りないからだと言う事もいえます。つまり自分というものをその質問に対して非常に小さい割合でしか割かない、そのために迷惑な回答が来るわけです。
これは「自分を大切にしている」と言えるかもしれませんね。
その結果がなんとも無様になることもあるようです。
それが「人のことを考える」と対立しない事は、なかなか難しいでしょう。

お礼日時:2007/03/04 16:59

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