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現代病の一つとしてうつ病がありますが、そのうつ病の予防方法として哲学するのは有効ではないでしょうか。

うつ病の方々は自分自身に対する客観性が今ひとつ欠けているように思われます。誰でもそういうところはあるのですが、自分に振り回されすぎる傾向があり、気がつくと普段の生活にも支障がでるほど重症化してしまった。というように見受けられるのです。

このカテの住人?の方はうつ病とはあまり縁がなさそうにも思います。哲学しすぎてうつ病になったという方はその経緯などを教えていただけいないでしょうか。

重症化してしまったら医学の手を借りなければいけませんが、予防方法として哲学は有効だと思うのです、哲学とはなんぞやというのはちょっと脇に置いといて、心理も含め広い意味でということでお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

哲学は好きですが、うつ病を経験した者です。



まずうつ病についてですが、
うつ病になると気力・判断力・思考力が減退します。
むしろそういう状態自体が診断基準になります。
気力・判断力・思考力が減退したら、客観視する力は当然落ちます。
ですので、うつ病の人が客観性が欠けるような印象を受けるのは特に変ではないのです。
ただ、問題は客観性がないからうつ病になるのではなく、うつ病になるから客観性が落ちると経験的に感じています。

私自身哲学など思考することが大好きな人間ですが、うつ病を患っていたときは、思考することすら出来なくなりました。
まさに人格が変わったように感情の抑制が困難になり、論理的思考も客観的思考も困難になるのです。
哲学をやったから予防できるというものではないと経験的に感じています。
2年ほど薬を飲み、徐々に回復しました。
回復するとまた病気になる前のように思考もできるようになり、哲学的な話にも興味が持てるようになりました。

うつ病の原因については正確なところは不明です(脳内の神経伝達物質の代謝異常である、などある程度は分かってきていますが)。
薬もあくまで対症療法にすぎません。
私は哲学自体はいいことだとは思いますが、予防法として有意に有効とまでは思いません。
思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みをいくら行おうと、うつ病を予防できるとは思いません。
なぜなら思考することと脳機能の恒常性に関連性を導き出せないからです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
一つ質問してもいいですか、哲学といっても幅が広いので、有効なものとそうでないものがあると思います。うつ病の直接の原因について何か思い当たるものがあれば教えていただけないでしょうか。回答するのに不都合があれば無視してください。

お礼日時:2007/04/19 16:57

#1てす。



うつ病の原因ですが、巷で言われているように、ストレスは大きな原因になったと思います。
ですから、思索することがストレス解消になるのであれば、どのようなテーマであれ、効果はあるかもしれません。

うつ病の治療の一つに「認知療法」があります。
これは軽度のうつ病(重症から回復した場合も含む)の方に有効とされている治療法です。
客観視、ということから認知療法の意味合いをおっしゃっているのかと推察しますが、質問者さんの言う有効な哲学の意味がとらえにくいので、よかったら補足してください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
わたしは認知療法についての知識はまったく持っていません。ストレスがうつ病の引き金になっていることはほぼ間違いないと思いわれます。なので、可能であれば哲学がそのストレスをいかに処理(言葉が適切か疑問ですが)するか、或いはストレスとならない思考方法の指針となればと思うのです。

お礼日時:2007/04/19 20:28

No.1さんのおっしゃるように、脳内物質によりひき起こるので、うつ病の時には、思考が非常に停滞しており、何も考えられないといった減少が起こるので、哲学をいくらやっていても、思い出せないと思うんですね。



従って予防によりうつ病になったとき、哲学をやっていて有効だった、とはならないと思うんです。

例えばアルツハイマーになると記憶が消えていきますよね。
記憶が消えた状態では、プラトンもニーチェもハイデッカーの言ったことも消えてしまうし、結びつかなくなると思うんです。


今まで読んだことのある本とテレビの内容なんですが、、、

大震災があったとき、二人の主婦が寝込んでしまった。
ショックなできごとが起こって、落ち込むのは人間の通常の反応であって、落ち込んだことは異常でもなんでもない。
正常な反応です。

ところが一人は3日目に布団から起き出し、炊き出し部隊に参加し、被災した人を助けた。

もう一人は何ヶ月たっても布団に寝込んだまま。


どうしてだと思います?
二人とも家族が入院してしまうという同じ情況になったのに、一人は他人を助け、もう一人は寝込んだまま。


原因はなんだと思います?
震災?
それは誘因、原因じゃない。

じゃあ後者の人がうつ病になってしまった原因は?
持って生まれた性格。


基本的な性格は一生変わらないらしいです。
20年間 一覧性双子の研究をはじめ、性格が経験をしていくと変わっていくのか ということを調べているそうです。

ある成人した女性にインタビューをしてみた。
幼稚園の頃から定期的に調査に協力してもらっている人だそうです。

彼女は幼稚園の時、とてもおとなしい性格だった。
今大学生で彼女の学友からの印象はに陽気でおもしろい人。

本人に聞くと、幼稚園の頃から性格は変わっていないと自分で思うそうです。
では、どうして学友は彼女をおとなしい人だと思わないのか。

彼女いわく、「ふりをした方が摩擦なくやっていけるから」だそうです。

つまり、学友の前では気さくな人を演じているってわけです。
その方が経験上いいと思ったからやっているらしい。

この経験上つちかったものは、本来の性格を変えていない。
経験により基本的な性格が変わることはない。

ということらしいです。


元に戻って、震災でずっと寝込む人と、同じ情況で復活するのが早い人の原因は生まれ持った性格。


震災は原因じゃなく誘因。


失業する人、失恋する人、ごまんといる。
だが全員がうつ病になっているわけではない。
誘因が起こってうつ病が発病するか、しないかは、基本的な性格による。


うつ病は、自衛本能みたいなものだと思います。
無謀なことをやって大怪我するのを防いでいるのかもしれない。


うつ病で自殺する人はほとんどいないと思います。
何故ならうつ病になると、考えることも行動することも、とても大変な作業だから。

自殺はうつ病を抜けた時が起こりやすい。
活発に活動を始めたのだが、不安定な情況。
この時、ブルーになりかけると、まだ活動は活発なので、思考もでき、自殺の手段を思考し、実行に移せる。

だから、精神科医は、回復が始まると、まめに病院に来るように言うわけです。
自殺の危険が最も高くなるから。


異常にハイになっていた場合は、薬のききすぎも考えられ、そうなると薬の調整の必要もあるし、また副作用により躁になってしまいすぎたら、これまた他人に暴行を与える危険もあるので、だから医者は回復期になると、患者にとても注意を払い観察するらしいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
人のことは言えないんですが、kigurumiさんはうつ病に関しての認識がちょと違っているようです。興味があればメンタルヘルスのカテを覗いてみてください。

お礼日時:2007/04/20 02:10

興味ある問題だと思います。

私はうつ病になる人は社会の規範のみで生きているのではないかと思います。又理性的である筈ですがほとんど何に対しても自分なりの疑問を持つことが出来ないのではないかとも思います。逆説的に他の人が述べる個人的な意見感想には執拗に反論しようとします。個人が自分でものを考えることを許せないのではないでしょうか。また自分が身体に支えられて生きていることなどにはほとんど関心を持っていないのではないかとも思います。疑問を持たないことがうつ病の原因とすれば哲学している人はうつ病にならないかもしれないと思います。これは私の想像ですから自信は全くありません。
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この回答へのお礼

使い古された言葉ですが、うつ病になりやすい人は”真面目”があだになっているようです。
ただこの”真面目”も真面目さとは何かを突き詰めていくと、必ずしも社会規範に忠実とはならないと思います。我々が真面目さを間違って認識しているが為にうつ病の原因となっている、とすればそのあたりが哲学の出番ではないかと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 19:10

>うつ病に関しての認識がちょと違っているようです



うつ病は脳内物質の異常によりひき起こる。と理解しています。
うつ病の最中は攻撃的にならないし、「うつ病だからいたわれ」なども言わない。
何故なら脳内物質により反抗することも、他人にどうしろと言うこともできない状態に肉体的に陥っているから。


うつ病の人が心理療法で治るというものではなく、休息が一番。(他の病気もそうですが、自己治癒力が働く状態にもってくるのが一番効果的)


同じ情況下でもなる人とならない人がいると理解しています。
戦争が起こると、国民全員がうつ病になるか?
なりませんよね。
逆にうつ病だとされ、ぐったりしていた人が、キリっとして反戦活動とかします。
下手すると、治ったとさえされます。活発に活動し思考するので。
戦争が起こると精神病院は閑古鳥が無くと言われている。
どうしてか?
例えばうつ病がひどいとされ、自主入院した偽うつ病の人。
世の中が一大事になったら、うつ病プレイなど必要なくなる。
偽うつ病の人にいくら薬を処方したところで、うつ病じゃないので治るわけがない。

このように理解していますが、違います?
この人は真性うつ病だなと思う人が知り合いにいます。
薬がききすぎているのか、躁に転じている時期がある。
これは本人が操作して演技しているんじゃない、と思います。
躁に転じているときは、そりゃあすごくおしゃべりで、思考もすごいです。
ものすごく知的な方で博学で観察力がするどい方です。
でも鬱状態になると、、、、、
言葉は通じなくなる。
脳内物質のせいで理解力が極端に落ちているから。

仮面うつ、擬態うつとの違いも知っているつもりです。

と実際の人を幾人か知っておりだからそう理解していますが、私のうつ病関連に関する認識は間違えています?

それとも偽うつ病の人も範疇に入れて考えるのですが?
偽うつ病は偽ですので、疾病利得を利用しようと演技しているだけで、真性のうつ病じゃありませんよ。

この偽うつ病の人を観察すると、はっきりとうつ病とはどんなものかわかります。
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この回答へのお礼

私も専門家じゃないのでうつ病の定義は置いておきましょう。
質問にあるように、うつになっては哲学云々いっても遅いので、そのとば口であるストレスに対して哲学が何かできないだろうかと思うわけです。うつ病患者ではなく、kigurumiさんと私にとって哲学がうつ病につながるストレスに対して有効なのではないかと思うしだいです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 19:25

 私自身はうつではありませんのでちゃんとした答えにはなっていないのですが、友人に哲学好きでなおかつ鬱病で苦しんだ人がいるので、その人のことを思い出しながら、少しだけ。



 世に論理療法とか認知療法といわれるものがありますが、「心理も含め広い意味で」というならば、言葉と論理によって自分自身を客観視出来るように務めていったり、対話と思考を通して自己認識を少しずつ組み直してゆく、という意味において(この場合必ずしも客観性を求めるのではなく、自分の精神状態がより安定するような自己物語を求めるということなのでしょうが)「うつ病の予防/治療方法の一環としての哲学」らしき営み、と云って云えなくもないのではないでしょうか。厳密には哲学の営みと云えるかどうかは判りませんが。

 とはいえ、他に既に云っておられるかたもありますが、そもそもうつ病というのはそう言う判断力や思考力、またそれらを働かせようとする気力そのものを奪ってしまう病気ですので、こうした療法にせよ、あるいは哲学してみるにせよ、他者の導きや対話無しには有効性を持ち得ないばかりか、返って自分自身を良くない方向に追い込んだりして危険な面もあるのではないかと思います。ネガティヴなほうへ、ネガティヴな方へと考えがひとりでに転がっていってしまいますからね。

 それに、もちろんご存じだとは思いますが、うつ病は必ずしも考え方や気の持ちようだけによってどうにかなる病ではなく、薬物療法等も併せて進めてゆかねばならない物質的な側面も強いことですし。

 更に云えば、自分に対する客観性が欠けていて、周りに振り回されるタイプの人がうつ病になる、とは必ずしも言えません。それとは正反対のタイプの人だって、ある時突然何かの切っ掛けで発症することも多いのです。

 もっとも、導き手や対話の相手がいて、それらの人々と日頃から悩みや自分自身の望みについて色々聴いてもらったり、話し合ったりする習慣をつけておくと云うことは、うつ病の予防として決して小さくない効果をもつのではないかとは思います。悩みや希望について友人や教師(あるいは心療の医師でもまあ構わないわけですが)と対話するということも「哲学」的営みに含めるのであれば、仰るとおり「哲学」は予防法としてそれなりに有効だと思います。
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この回答へのお礼

うつになる原因も様々なようですね。
哲学の有効性ががすべてに通用しないということを思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 19:42

「予防法としての哲学は有効か」について私見を述べます。

初めに「うつ病」についての医学的見解は「認識の歪み」という説があります。うつ状態とは自分自身が精神的に且つ経験的にいまだ対応したことがない危機的状況に遭遇し且つ即対応困難な場合に自己の本能としての人間的防衛反応でもあると思います。この反応はある意味至って人間的な正常な反応でしょう。うつ病は心の風邪引きとか言いますが、普通の風邪のようにはいかないでしょう。うつ病でセロトニン云々で投薬治療が施されますが、現代医学がそうであるように対処療法に過ぎず根本治療とは程遠いものと思います。うつ状態の時の脳の状態は分かっても何故そのような状態になっているのかは解明されていません。現代社会は市場原理主義経済に基づく競争が激化し、人間社会のうつ病を拡大生産し続けています。私はうつ状態とは「人間の本来あるべき状態(姿)」からかけ離れてしまって心が悲鳴をあげている状態だと思っています。詳しくは長くなって書けませんが、要するにそうゆう意味で「人間とはいかなる存在か?」を哲学的に人間心理学的に今一度考えてみるという事で有効と思います。参考意見まで
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この回答へのお礼

そうですよねー人間とはいかなる存在か?これが哲学の醍醐味ですよねー。この問いの面白さが分かればうつ病にはならないって言ったら言い過ぎですかね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 20:42

#1です。



哲学がストレスの解消になるかどうかは、
あくまでその人が哲学が好きかどうかによるのであって、
哲学の内容によるとは考えておりません。
哲学に興味のない人にいくら哲学を薦めても意味はないと思います。
思考することがストレス解消になるのであれば、予防効果はあると考えますが、
思考する習慣自体に予防効果はあまり認められないと思います。
もっとも、思考することで脳内化学物質の変化がどのようになるのかは、
私も分かりませんので、あくまで経験則と今までのうつ病に関する知識で回答した次第です。

#3さんの回答に対する文章が気になったので、追記いたします。
生まれ持った性格の影響度と自衛本能に関しては何とも言えませんが、
#3さんのうつ病に関する認識は概ね問題ありません。
ちなみにメンタルヘルスカテに出てくるうつ病の方の中には擬態うつ病(偽うつ病)と思われる方もいらっしゃいます。
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この回答へのお礼

正直私は擬態うつ病とかの定義には興味がありません。今感じている苦しさににどんな名前をつけても意味は無いでしょう。
思考することがストレス解消になるんじゃなく、思考がストレスの原因になるということです。それを取り返しのつかない状態になる前に修正したいと思います。重症化させてしまっては遅いのです。微調整ですむ間にやらなければならないことがあるのではないでしょうか。
哲学が好き嫌いかではなくストレスとどう向き合うのか、その為に哲学に何ができるだろうかと思うしだいです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 20:59

>うつになっては哲学云々いっても遅いので、そのとば口であるストレスに対して哲学が何かできないだろうかと思うわけです。



ストレスは適度には必要なもので、これが無いとボケちゃいます。
脳が活動しなくなるかもしれない。

そして人によって同じものでもストレスと感じる人もいれば、感じない人もいれば、それを愉快だと思う人もいる。
逆にやりがいをもてる人もいる。
強いストレスがかかるほどに、活発に生き生きとする人もいる。

つまり やはり性格次第。



うつ病患者にとっては考えることすらできない状態ですので、うつ病患者にとっては哲学は有効ではないと思えます。


が、その研究者にとっては哲学は解明に近づけることができるんじゃないかと思います。

というのもうつ病じゃありませんが、、、
http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%82 …

多重人格についての本です。
かなり有効な論だと思います。

日本の医学会は多重人格の存在について認めていなかったと思います。
(ですが、治療する病院はあるようです。)

幼児時代の虐待がひきがねになっている という説が強いですが、この作者はもっと掘り下げてみたんですね。


   人間は記憶を書きかえることができる


この本の中身は、文字が小さく上段・下段と書かれていて、ものすごい量です。

多重人格について、医者も心理学者も宗教者もわからなかったもの。
それぞれの分野が原因はこうだと説をあげているが、この本の作者は「そもそも多重人格者など本当にいるのか。」という基本中の基本から調べたんです。
そして出した結論が、

   人は記憶を書きかえることができる



この作者は医者か、心理学者か、どの分野の人か。

本の最後の作者のところを見て、「哲学者だったのか」とわかりました。


多重人格の分野は医学のはず。
心理分析家などもこの守備範囲でしょう。
治療に熱心だが、彼らが多重人格者がいるとでっちあげてしまったと思えるんですね。


と、、、まあ そういうわけで、医学の専門家でも解明できなかったものを、この哲学者が調べ上げていった。


哲学はオールマイティーなので、特定の分野で常識とされているものに囚われず思考できる。

医学従事者が長年かかってもよくわからなかった世界に光をともしたのが哲学者だったって面白いですよね。



このように、哲学は第三者的な視点から見るので、近め目にならずに観察・考察できる。
専門分野の人が解けないものすら、解けてしまったりするんじゃないかと。


うつ病にしても統合失調症にしても、脳のどの部分がどう作用してその状態になるのか、実はよくわかっていないんですね。

もしかしたら、哲学者が解明するかもしれないです。


哲学者はだいたい特定の分野のみ詳しいというわけじゃなく、いろいろな分野をよく知っている。
だから特定の専門家では解明できない謎を、多くの分野を又にかける哲学者は解明してしまうかもしれない。

哲学は現実的に有効な学問ってわけです。

哲学はそれが現実に沿っていなければいくらすばらしい論でも駄目なんですよね。
現実に活かせるから哲学は好まれたりするわけです。
現実と違う世界でも好まれるのは映画とか文学とか宗教といったもの。
いわば娯楽。
哲学は娯楽とは違う分野。
だから有効な学問なわけですよね。


うつ病患者にとって哲学は有効ではありませんが、うつ病の研究をする人にとっては有効だと思います。
哲学をもって解明できたら、うつ病患者にとっても朗報ですよね。




どれだけでも
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/20 21:45

shift-2007さん,こんにちは。



哲学カテもよく見ています。うつ歴5年目の者です。

>そのうつ病の予防方法として哲学するのは有効ではないでしょうか。

有効な人もいれば,無効な人もいる,と思います。私自身,哲学は社会行動学を学んだため,心理学と並んで重要な課題でもありましたし,無縁・無関係なものではありませんでしたが,うつになりつつある時に「哲学」は全く何の役にも立ちませんでした。哲学する,そんな思考の余裕がなかったといえます。

>うつ病の方々は自分自身に対する客観性が今ひとつ欠けているように思われます。

これは,認識の違いといわざるを得ないでしょう。人は他人との比較によって,自分の立場や存在価値を見いだします。このギャップに苦しむ人の中には,うつを発症する人もいます。また,自ら思い描く自分とありのままの自分とのギャップに苦しみ,うつを発症する人もいます。私は後者のタイプでした。
一般的にうつは強度(極度)のストレスがその発症の要因の一つとして挙げられます。先に述べた自己葛藤のような内面的なものもあれば,PTSDのような衝撃的な惨事に遭遇したショック,愛する者の死などという外因的要素の強いもの,人間関係の軋轢,重責や過度の労働などの両者的意味合いのあるもの,引っ越しや人事異動(定年)といった,これまでと違う環境に適応できなくなって,うつを引き起こす場合もあります。
よって自己客観性の欠落が全てではありません。

どの場合も,冷静に自らを分析できれば,うつにはならないとお考えになるかもしれませんが,私の経緯を振り返ってみて,私にとっては,それは不可能なことでした。気がついたときは,すでに病になっていたわけで,もし,自分を見つめ自分なりの解決を求めることをしていれば,当時課せられていた業務を全て放棄し辞職することしかなかったように思います。逃避ですね。無責任にもそういうことができれば,うつにはならなかったかもしれませんね,私は。

>自分に振り回されすぎる傾向があり、気がつくと普段の生活にも支障がでるほど重症化してしまった。というように見受けられるのです。

今にして思えば,私のケースは,職場組織の圧力に自分自身がつぶされてしまったものと考えています。競争社会から離脱したというよりは,自分ではどうにもならない上司からの嫌がらせとそれに最後まで対抗できなかった自らの力のなさであると思います。逃避せず,実績を上げることで自らの武器にしようと尽力しましたが,それは組織の反感を増長させることになりました。私がうつになり,手がけていた仕事から手を引かざるを得なくなってはじめて,組織は私や上司の部署異動を行いましたから,皮肉なものです。
当時できる限り仕事に没頭していたので,それが自分に振り回されていたといえば,そういえるでしょう。繰り返しますが,自らその状況に追い込んでいたことについて,それは当時の私には全く気がつかなかったです。組織や上司を見返すために自らを見失っていたのでしょう。病状が安定し,思い出したくない過去を振り返れるようになった現在,ようやく客観視できるようになれたのです。

うつ状態に「自分は何だ?」と自らを問うことは,大変難しいことだと思います。思考力が著しく低下している脳は,何の思索も行う余地がなかったように思います。うつになる前に,自分自身を把握していると思っていても,うつになっていく過程には,分かっているはずの自分自身が,制御不能のような感覚になっていたように思います。朝起きたくても起きられない,何をしていいか計画さえも立てられない,やる気はない,できないのです。

逆に,うつが最もひどい時に味わった自己喪失感や虚無感,回復時に経験した自らを消し去りたい感覚や孤独感,社会から取り残される焦燥感,この意識,それに付随した行動を自らどのように位置づけていくかが私にとっては必要なものであると感じています。
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この回答へのお礼

>有効な人もいれば,無効な人もいる
もちろん哲学が万能薬とは思っていません。どの部分が有効でどの部分が無効なのかご自身で思うところは無いでしょうか。

>自ら思い描く自分とありのままの自分とのギャップ、愛する者の死、違う環境に適応できない(言い換えればいかに単調で惰性的な生活を送ってきたか)等々
これこそが哲学のテーマではないでしょうか。うつになる前にこのテーマについて考えていたら今とは違っていたとは思わないでしょうか。

>自分を見つめ自分なりの解決を求めることをしていれば,当時課せられていた業務を全て放棄し辞職することしかなかったように思います
なぜ辞職しなかったのでしょうか。逃避のどこが悪いのでしょうか。無責任と仰いますが、では責任とは何でしょうか逃避しないことが責任でしょうか。プライドと責任は違うと思います。

>職場組織の圧力に自分自身がつぶされてしまった
果たして他人が”私”をつぶすことなどできるのでしょうか。”私”をつぶせるのは”私”だけではないでしょうか。

>仕事に没頭していたので
これこそが客観性の欠如では無いでしょうか。

>思考力が著しく低下している脳は,何の思索も行う余地がなかったように思います。
まさに、うつになってからでは遅いのではないでしょうか。その前にできることがあるのではないでしょうか。その一翼を哲学が担えると考えています。

>自己喪失感や虚無感,回復時に経験した自らを消し去りたい感覚や孤独感,社会から取り残される焦燥感
・虚無感・・・そもそも私たちは何を所有していたというのでしょうか。
・自らを消し去りたい・・・自分には価値がないと感じているのでしょうか。そもそも私たちは自分自身を評価する必要があるのでしょうか。
・孤独や焦燥感・・・うつになる前には社会との一体感があったのでしょうか。一体だったのが事実であれば、今感じている孤独感は一体感を失わせる要因を修正すれば消えますが、果たして一体だったのは事実でしょうか。

私には、depressionさんのご意見やうつになる過程で起きた心理、現在の苦痛、すべてが哲学のテーマにしか思えません。
もちろん、今はあせらず休養するが一番の薬になると思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/22 00:10

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