プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

(長いです。結局聞きたいのは下記数行の内容です。)

私は今ちょうど二十歳です。
高校はほぼ行かず、中退しました。
特に理由はないのですが、
単位も無くなり進級できないということで辞めました。
行っておいてもよかったなぁとも思いますが、
当時はやりたいこともなければやる気も無く、
高校いって、大学行くなり就職するなりして、結婚して子を産んで、家事しながら子を育てて、老けて・・・
どうせ当たり前で分かりきった人生送るんだろうな、
とか思ったら人生つまらないなー、なら面倒な事は見ないようにして好きなように生きよう、とか思っていました。

中学卒業してからはバイトばっかりしていました。
18になったらバイトで貯めたお金で県外(都会なところに。)に出、
バイトしながら一人暮らしもしてみました。
何かしたいことを見つけられるかも、と期待して行った県外ですが、
ただ働いて、帰ってきて、たまに買い物行って、遊んで。
別に実家にいるときとたいして変わりなかったですし、ムダにお金がかかるだけでした。
楽しいことももちろんありましたが。

今現在、実家でニート状態です。
特に自分の人生、将来に絶望してみたり、とかは全くないのですが、
ただ毎日漠然と引きこもってダラダラ過ごしています。
働こうと思えばいつでも働けるのですが、
バイトだと夏休みもないし土日祝日こそ忙しいだろうし、
またあんな生活に戻るのかーと思ったらもうちょっと家にいようっと、ってな感じで現在に至ります。
面接行って、笑顔でハキハキ答えて、実習入って、
あー新人かー、という視線を感じながら先輩方のすること見て、
ちょっとずつ覚えてー、店が暇な時もダラーっとしてたら睨まれるから率先して掃除したり、片付けしたり、備品補充したり。
怒られることもありつつしばらくしたら認めてもらえるようになって、
そしたら先輩方も普通の世間話とかしてくれるようになって仲良くなって。
自給は650~800ってとこかな。
と、偏屈に冷めがちです。

18、19、20歳まで色々なことがありすぎて、
一瞬で時が過ぎていきました。自分でもビックリするくらい。
きっとこれからの方がもっと時がすぎるのが早いだろうし。
親もあと2年で退職。年の離れた兄弟もいるからこのままずっとニートするわけにも行きません。
無理やりにやりがいとか生きがいを見つけようとしたこともありましたが、(突如県外に飛び出したのもその一つ。)
結局形だけなんですよね、私。
とりあえず何か始めて、そしたら勝手に道が見えてきて導いてくれるさ!
みたいな。
そう簡単に自分の人生の目標を見つけられるわけもなく。

こないだまで18歳だったのに、もう二十歳。
このままダラダラしてるとすぐに三十路になりそうな勢いです。
1ヶ月が1週間くらいにしか感じません。
辛くてもまだ若さで突っ走れる今のうちに何か・・・・
と思うのですが、目の前に何にもなさすぎて身動きとれません。

そこで、これからの人生設計をするに当たって参考にしたいのですが、
今私はこんな人生を歩んでいる、自分が二十歳の時はこうだった、
こんなことを考えていた、二十歳から今の歳までの間にこんな人生送ってきた、こんな風に人生進んでったな、とか、
上記に長々書いた私の生き方はまさに、
『これだから最近の若者はけしからん』と思う内容だと、
自分でも思いますが・・・
学校の先生的回答ではなく、
同年代、同姓で酒を飲み交わしながら完全オフレコで話している、
くらいの感じでいろんなお話聞かせて頂けるとすごく嬉しいです。
どうか宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

質問者さんの意図を汲んで、敢えて私の事だけをお話します。

 敢えてだらだらと昔話を書きますので適当に読み流してください。

自分は小中と地元(田舎)の公立に通い、高校は近県の私立に行っていました。 小中学校の頃の成績は比較的良くかった事もあり、なんとなく「勉強しなくてもナントカなる」的思考が染み付いちゃって、高校ではクラスでも後半(っていうより後ろから片手w)をキープ状態でした。(^^;
一応進学校だったので、それなりの偏差値の大学を受験しましたが、当然受かるわけも無く、そのまま二浪生活に・・・ しかし、勉強するという行為そのものがニガテで、昼間も授業サボってパチンコしたり、野球wしたり。 夜は10分勉強しては1時間休憩してw挙句の果てにいつのまにやら眠ってしまうという毎日。 当然敢え無く二浪目も撃沈!

さすがにココまできたら親にも見離されて当然!と覚悟してたんですが、そんな時の親父の一言「もう一年がんばるか?」に涙し、しかしそれに甘えるのも気が引けてしばらく悩んでました。
それに仮に三浪目で志望校に合格したとしても、同年代の人たちからは「3年の遅れ」がある訳で、自分としてはただの負け犬にしか思えなかったんですね。

ただ工学部で電気工学を学びたいという夢はあったので、この夢を叶えつつ3年間の遅れなど全く問題にならないような逆転法を探し、当時はまださほどメジャーではなかった海外留学を目指すことにしました。

1年間大学に入るための英語の勉強をし、何とかギリギリTOEFLのスコアを取得し、その後アメリカの大学に入学。 1年間一般教養のクラスを受けた後に工学部電気工学科へ編入しました。 当時同じ大学に日本人の留学生もそれなりにいたのですが、工学部を無事卒業できた者がおらず、アドバイザーにはかなり反対されたことを覚えています。

確かに勉強は辛く大変でしたが、夢だった電気工学を勉強することができ、またよき友人達にめぐり合うこともでき、思いのほか楽しい学生生活でした。
しかし在学中にルームメイト(日本人)が不慮の事故で急死し、その後のサポート(補償問題や訴訟関係)や自分自身の精神的ショックで半年間休学することに。

その後友人達や当時付き合い始めた彼女に支えられて、なんとか復活。 あとは死に物狂いで勉強し、1年飛び級した上に卒業時には成績優秀者に与えられる賞まで頂くことになりました。 嬉しかったです。 いや、両親が一番喜んでくれました。
アメリカの卒業式は5月辺りが多いのですが、私は半年間休学していたこともあり、12月卒業でした。 よって卒業式には出席できず(日本に帰って働くため)残念に思っていたところ、担当教授のはからいで、自分ひとりのための卒業式を開いてくれ、両親を招待することができたのが今でも最高の思い出となっています。 日本人初の工学部の学位取得者で且つ上位卒業だったご褒美だそうです。

この時に感じたのは、「どれだけ回り道しても、どれだけ挫折しても、その後の生き方、がんばり様によって、人生どうにでもなる!!」って事ですね。 それは今でも自分の人生における教訓となっています。

因みに、、、卒業後は日本、米国、イスラエルw合わせて6社の内定を貰い、現在は日本の某有名通信会社でプロジェクトマネージャをしています。
会社の同期と比べると結局4歳程度年上ですが、全然気にしてません。 社内での評価は、まぁそれなりwってとこですが、毎日がんばって仕事をしています。 年収も自分の年齢の全国平均の1.5倍程度はもらえる身分になりました。


なんか自慢話に聞こえてしまうかもしれませんが、そうではなくて なんて言えはいいのか・・・・ とにかく過去や現在の状態を悔やむ必要なんて全く無く、ただ大事なのは「反省」とコレから先の「目標」であって、そしてそれを将来に生かすための「努力」だと思います。
そうすればきっと素敵な未来が開けると思いますよ。

質問者さんの年齢の頃というと、ちょうど私が三浪するか否かの分かれ道に立っていた頃です。 なので余計に人事には思えません。
繰り返し言いますが、今からでも全く遅くないですよ! 
一発かましてやりましょうよ!!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。回答。
すごくすごく嬉しいです。
1時間くらい回答を読み返して、
1時間くらい色んなことを考えていました。
質問して本当によかったと本気で思いました。

二十歳になりたてのニート女が、
有名通信会社のプロジェクトマネージャをされてる方の生きてきた人生や、
経験談を聞ける機会なんて、
ここで質問しなければ一生無かったですよね。
感動しました。

今私が二十歳で人生の岐路に立っていますが、
何年前になるのかは分かりませんがpekezou05さんが人生の岐路に立っていた頃と同い年。
それからpekezou05さんは確実に自分の手で掴んだんですね。自分の人生を。
浪人中の生活が、
私とちょっと似ていて共感を覚えてしまいました。
私は今ちょうどここら辺で止まっているみたいです。

アメリカでは、
本当に苦労されたんでしょうね。本当に。
死に物狂いで勉強したからこそそれだけのスキルが確実について、
内定が6個も。しかもアメリカにイスラエルですか・・・
ハイリスクハイリターンではないですが、
それだけの事をやったからこその結果というか。
今があるんですね。
凄いです。

皆が少しずつ将来に向かって頑張り始めている最中戦線離脱して5年。
私が楽しようと飛ばした15歳から20歳の期間ってそうとう大きな5年だったようです。
今完全に負け組みです。
どうせもう無理だーという気持ちは、
やはり確実に心の中にあります。

今から頑張るの、ちょっと怖いです。
本当に遅くないのか、頑張れる自分がまだ残っているのか、不安です。
でもなんだかすごくやる気になりました。
久々に動き出したくなりました。
もうちょっとで人生諦めるところでした。
うわべだけの回答じゃなく、本気で自分の人生、どうにかします。

お礼日時:2007/05/02 05:35

高卒です。


19~20才まで、時給1000円につられ過酷な品質試験の派遣業務に携わり、毎朝7時に弁当を持って出かけていました。しかし、携帯代、遊び代、家に3万、交際費で消え品質環境の実験の繰り返しで、バイトを掛け持ちしていたのもあり、体を壊し、2職とも退職。1ヶ月間無職していて、昼まで寝ていると足蹴りされ、 「タダ飯食らい」と言われてました。タダ飯食らいといわれるのがつらくて、アルバイトしながら、生活費3万を家にいれながら、1年間の就職活動の末、営業会社に就職、上京。

とにかく、暴力はそんなに振るわれませんが、親の言葉が一番怖かったですね。どんな仕事についてくやしいことを上司にいわれようが、親の怒った顔、言葉、のほうがショックが大きかったです。片親だったからかもしれません。。自分が立派に独り立ちしていかないと、穏やかになりえないと感じてました。

今は、文句も言わせないですけどね。立場は完全私のが上です。

なぜなら、いま、私は収入も安定し、たまに家に仕送りしたりもしてます。決して苦しい生活でもなく12階だての一室に住み、毎週BARにいって飲んだり、友達と遊びに行ったり、一人暮らしを満喫してます★

一番考えていたことは、働くことじたいは最初お金が目的だったかもしれないけど、結果的に新しい分野、新しい環境に入っていろいろ学べることが楽しくて、次に活かそう、活かそうと思っていたら、転職の度に自然とパソコン、インターネット関連の仕事にたどりついたって感じでしょうか。

こんなこと言うと、失礼かもしれませんが、いい生活したいって思ったらお金がほしい→お金を稼ぐには仕事→仕事をするにはスキル→スキルをつけるには勉強→勉強をするには環境と決心、自分次第。

お金がなくても生活できるならば、特に働く必要もないのではないでしょうか。生きることは誰でもできる、よりよく生きることを求めて生きられるといいですよね。

やりたいことや好きなことを優先すると給与が少なく過酷労働な職業にたどりつきやすいと思います。(個人的な意見になってしまいますけど・・・)でも実家に住みながらならば、給与が低くてもやっていけるのならば、ほんとに興味のあることをガンガンやるといいのではないでしょうか。

例えば

ゲームが好きならば、ロールプレイングゲームのサポーターやモニタープレイヤーをバイトでやる。

雑貨が好きなら、雑貨店にアルバイトに入る

バイクが好きなら、小さくてもいいからバイク関連のショップで働く

いずれも給与はたかがしれています。けど好きなことに携われるので楽しいと思います。patty55さんに好きなことがない限り、今のままでいい気もします。

無理せず、今の状態でバイトをしつづけていいかなと。
ただ、これだけは言っておきます。どこかの企業(株式、有限)に就職し1年以上の経験があるのと、アルバイト3年では世の中の見る目が違います。また、企業組織内での経験というのは、社会人としてのマナーを学ぶことができます。20歳という年齢ならば、社会的にそれくらいわきまえているだろうと見られると思うので、すこしずつ意識して就職するのを考えられてはいかがでしょうか。

patty55さんにとって楽しいことが見つかるといいですね。長文失礼しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
貴重な人生経験をお聞かせ頂け、
本当に嬉しいです。
本当に参考になります。

私は両親ともと仲が悪いんですが、
出てけと言われたり、
足蹴りされることはないですが、
数年前に父親と半暴力有りでごちゃごちゃあってからは、
完全スルーです。
あちらから何か言ってくることも無ければこちらから言うことも無い、
という感じです。
なので文句も言われずニートしていられるんでしょうか。
回答No.1の温かい親父が羨ましく思ったりもします。

しかし、何かを本気で取り組むには絶好の機会なんです。
家もある、食料もある、お金はかからない、貯金はー、あと30万弱。
静かで邪魔も入らない。
勉強をする環境は整ってます。
後は決心と自分次第なんですよね。
お金も欲しいし良い暮らしもしたいです。
(今は田舎での実家暮らしですが。)
でもそれより何より質の良い生き方をしたい。
興味のあることにチャレンジしていって、
ほんとに自分のやりたい事を見つけ、
スキルを身につけたいと思います。
ちょっとワクワクしてきました(笑)

かなり余談なんですが・・・。
昔、某有名企業内の部署でなんだか分からないバイトをしたことがあります。
たまに人が居ない時に電話を取ったりもするんですが、
全然しゃべれないんですよね。まともに。
社会人用電話の取り方マナーを知らないというか。
自分でもびっくりするくらい不自然な喋り方になってしまいました。
こんな当たり前のことも出来ないのかと自分で驚いた記憶があります。
社会人ってやっぱ全然違うな、と唸ってしまいました。。。

お礼日時:2007/05/02 06:24

私は31歳ですが、相変わらずブラブラしてます。

結婚もせず、10年以上彼女と同棲してます。
それはダメ人間ですから。日本の社会で安定した地位なんて作れないから。
だから面白い事だけを楽しむ為、彼女と世界中をブラブラしてます。日本人は金持ちですから、日本で少ないお金があれば、日本より物価の安い国で楽して暮らせます。そこでお金が少なくなったら、もっと安い国へ。
殆どなくなったら、日本に帰ってくればいい。日本でバイト代かせいで、気に入った国から再スタート。
何にも習ってないですけど、日常会話なら8カ国語喋れます。その国で日本人相手に観光コンダクターくらいできますし。そうしたら日本円が手に入る。
キリギリスな生活でもいいと思いますよ。人より楽しい人生だと自慢できれば。きっとどこかで病気や事故で死ぬでしょう。親戚なんてその国まで絶対来れませんから、彼女一人が困ればそれで終わり。それでいいんじゃないですかね?
何もしないで焦っているのが一番悪い。あなたが家を飛び出したみたいに、今度は国を飛び出してみたら?簡単には帰ってこれないから生きるの必死ですよ。

三代目魚武濱田成夫という人にこういう詩があります。

「チャンスがこなかったら、ピンチになれ」

逆転チャンスはピンチにならないときません。ヒーロー、ヒロインは逆転勝利をするものです。死ぬほどピンチになれば絶対にチャンスがあります。
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この回答へのお礼

キリギリス。
そう簡単には帰ってこれない異国の地で、
面白い事だけを楽しむ為に彼女と世界中をブラブラ。
今田舎の一軒家の自分の部屋にいます。
外をやたらバタバタ足音を立てながら誰か走っています。
あ、Uターンしてきたみたいです。
そんな私からすれば夢の様なお話です。
しかも8ヶ国語しゃべれるんですか・・・。

すごく憧れます。
一瞬想像してみた事もあります。
有り金だけ持って外国行ってみようか、と。
でもまぁ無理だな、と即却下。
国内に飛び出しただけで終わった私です。

そして私はキリギリス的というか、
面倒なことは御免だと生きてきましたが、
やはりどうやら私は根がアリみたいです。
ぽっくり彼女より先に死ねればいいけど、
自分が後からだと、とか、
性質の悪い病気にかかったら、手術代薬代は?保険は?
しかも治らなかったら、とか。
考えてしまいました。

そういえば、途中までは忠実にアリ街道を進んできてはずなんですが、
途中から急に嫌悪感を感じ出し、
気が付けば方向転換していたのが中学入ってしばらくしてからでしょうか・・・
不良化したわけではないのですが、
それより性質が悪い。
ぷかぷか浮いて地に足つけず、
何もしないで焦ってますね。本当に。
今までチャンスだ!と感じたことはまだありません。
友達を見ていると、大学進学の際や、就職の際、
就職してから人生のチャンスやピンチを感じる人が多いような気がします。
どうもこのままだと一生来そうにないです。
なので、ここまで落ちたら自分でピンチに追い込んで、
チャンスを引き寄せてやろうかと思います。
良い事を聞きました。
そしてすごい経験談を聞かせて頂きました。
本当にありがとうございます。

お礼日時:2007/05/02 07:01

 少しだけ。


 私は今40代後半になってます。海外在住で、それなりに自信をもってやっておりますが、自分で「生きている感じ」を実感したのは35くらいからです。それまでは外見的には、そこそこだったのかもしれませんが、ただ時間を過ごしているような感じで、自分でもすごくイライラしていたように思います。

 いいたいことは、焦らないで、ということです。

 自分も、もう20、もう30といらだっていましたが、歯車がかみ合い出せば、遅すぎるということにはならないと思ってます。

 グッドラック、です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
海外在住で40代後半の方のご意見を直に聞けることも、
これまたここに質問しなければ、
一生なかったですよね。
というか全ての回答がそうなんですが。
心から感謝します。

35歳、あと15年ですか。
15年後の私は生きている感じを実感できているでしょうか。

歯車が噛み合わない苛立ち、
そして私は県外に飛び出してみる。
焦っていました。特に当時はすごく(笑)
今の私は焦っているというか、
止まっているみたいです。
そして今手元に歯車を持っていない。
これから自分の歯車を探してみようと思っています。
見つかったら、歯車が噛み合うまでじっくり焦らず辛抱を心がけます。

あー。
私は15年後どうなっているんでしょう。
ちゃんと生きているかな。

頑張ります!

お礼日時:2007/05/02 07:13

私の二十歳は「苦しみの二十歳」でした。


18歳である病気を発病し、結果的に勤めていた会社を辞めました。
その「一年後」が二十歳。
病気はもちろん猛威を振るっていました。

将来のことが全くわからず、途方にくれていましたね。
「ニート」とは違うけど、やってることはおんなじでしたね。
両親も随分落胆したことと思います。

だから、私自身が「二十歳」に戻った気持ちで、あなたの姿を見てると、正直言ってとても「うらやましい」。
いろいろ心情的な「苦痛」はあると思うけど、いろんな「可能性」があるんだなー、って、とても「うらやましく」思ったと思うんですよね。

あのときに私が一番したかったのは「旅」。
それも「バイクのツーリング」が猛烈にしたかった。
病室から見た「400ccのバイク」を見ながら、ため息をつきながら、バイク雑誌のページをなんどもめくっていたっけな。
「死にたいなー」と何度思ったかわかんないよ。
「ここから飛べば、飛べるんじゃないか?」なんて、思ったりしてね。

でも「若い」って、凄いなー、って今はホントにそう思うんですよ。
それでもどうにか生きてきたし、いろんな経験が出来たし、障害はあったし、他人に比べれば「けつまづいた」人生かもしれないけど、それでもなんとか生きてきて良かった、と思ってるよ。

「ニート」だから、どうだ!、っていうんだろう?って思うんですよ。
世の人が「ニート」なんて言って他人に後ろ指差すなんざ、失礼以外の何もんでもない!、と思うよ。
あんまり気にしないでさぁ、生きていこうよ。
良い事だっていろいろある。
苦しいこともいろいろある。
だけど「生きてきたのが良かった」と思えるのに、さしたる大きな「理由」なんて、少なくとも私には無いんですよ。
心の奥で「良かったなぁ、あんとき飛び降りなくて」って声が聞こえるんですよね。

バイクも乗れたしね(^-^ )
250ccだけどさ!。
未だでも諦めてないんだ。
いつかは400ccにのるんだ、と思いつづけてる。
今のささやかな夢のひとつだね。

じゃあね!。
不器用でもなんでも良いんだよ。
「生きていくこと自体が」大事なことなんだからさ!。
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この回答へのお礼

遅くなってすみません。
そして、回答ありがとうございます。

病気を発症されたんですね。
私はいたって健康で、やろうと思えばなんでもやれるのに、
このダラダラ感。
恥ずかしく思います。
苦しいことも良い事もこれから先、
たくさんあると思います。
でも生きていくこと自体が大切。
とともに、より良い生き方、自分が楽しめる生き方、
探してみようと思います。
ってこないだから探してますが^^;
ここの回答を読み、俄然前向きです。
焦らず、でも諦めずいきます。

400cc乗れるといいですね。
乗ってくださいね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/05 02:54

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