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過去にゲームソフト「大航海時代」に夢中になっていたことがありました。そのなかのイベント類は実在するオーパーツだったり、有名な事件だったりもしました。
「プレステ・ジョアンの国」もその中の一つですが、図書館で調べてみたら、巨大なキリスト国家を作り出そうとした一派がいたそうだ。世界のどこかというだけで場所は不明で、エンリケ王子を初め、探し出す冒険家がいたということでした。
そこで質問ですが、「プレステ・ジョアンの国」というのは見つけ出されたのでしょうか?それとも、冒険家の間で作り出された「でっちあげの国」だったのでしょうか?

A 回答 (5件)

見つかっていませんし、いまでは「たぶん無いだろう」というのが強くなっています。



伝説的には、東方にキリスト教の大国を作った王がおり、その王がプレスター・ジョンである、となっています。
この王のうわさが大きくなったのは、なんと言っても十字軍の旗色が決定的に悪くなった12世紀からです。しかし、それより以前から、なんらかのタネはあったと推測できます。
1144年、アンティオケイアから教皇に使者が来たのですが、これが「プレスター・ジョンが応援に来ようとしたがチグリス川の氾濫で引き返した」と言ったため、にわかに「東方のキリスト教国」援軍の期待が高まります(ただし、これは3年前に西遼がトルコを破ったのが誤って伝わったと考えられています。もしくは期待を持たせるためにわざと伝えた可能性もあるかもしれません)。

さて、当時の中央アジアは遊牧騎馬民族の天下でした。その遊牧民族たちはその多くがどちらかといえば自然崇拝的な要素が多かったのですが、部族によってはネストリウス派キリスト教を信仰する部族もかなり存在していたのです。
とりあえず西遼=ジョンという期待が裏切られたキリスト教ですが、今度はどうも「この遊牧民族のどれかがプレスター・ジョンの王国らしい」と考えるようになります。
そこでスポットが当たったのがワン・ハーン(トオリル)とチンギス・ハーンです。チンギスはジョンの孫のダビデ王であるとして、トオリルはそのままジョンであるとして伝えられました。
なお、マルコ・ポーロは東方見聞録においてトオリルをジョンであるとしています。
しかし、トオリルはあくまで一部族の族長であり、すでに滅ぼされているため、援軍としての期待はありませんでしたから、チンギスがその「プレスター・ジョンの王国」であるとして期待が高まりました。事実、モンゴルはホラズムを滅ぼすなど、援軍として期待していたのですが、バトゥの東欧遠征でその夢は完全にぶち壊されました。
なお、その後もキリスト世界は数回モンゴルに使者を送っており、その結果がフラグのバグダード攻撃であるといわれています。

さて、どうも東にはそれらしい国はないっぽい・・・となった14世紀、新たな期待が現れます。エチオピアです。昔から「どうもアフリカのあのあたりにキリスト教国があるらしい」というのはわかっていたのですが、なにせ(いまでもそうなのですが)イスラム世界が横たわっているため、通信がありませんでした、しかし、14世紀になんとか通信が回復、15世紀にはこのエチオピアこそプレスター・ジョンの王国であるとされ、16世紀においてもこれは同様でした。
ちょうど大航海時代がこのころですので、少なくとも大航海時代の頃においてはエチオピアは「プレスター・ジョンの王国」であるというのが一種定説になっていたと考えられます。まあ、その当時の認識では実在していたというわけです。
しかし、その後エチオピアが「違う」と否定してしまったため、またプレスター・ジョンの王国は行方不明になります。
そのご、アメリカ大陸が発見されて世界中を探索してもプレスター・ジョンの王国は見つかりません。どうも煮詰まってしまったようです。そうなると、関心が無くなっていったため17世紀には単なる伝説となっており、その後ジンバブエなどと結びつける無茶な説もありましたが、結局見つからずじまいで今に至っています。

ただ、5世紀~12世紀まで、遊牧民族については記録らしい記録を残していないため、もしかしたらその頃に本当に存在していたのかもしれませんが、文字はおろか遺跡もほとんど残さなかった民族ですから、結局は不明でしょうね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/プレスター・ジョン
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この回答へのお礼

1144年頃から「プレスター・ジョン」の話が始まっているなんて、かなり古い歴史だったんですね。びっくりしました。15世紀にエチオピア伝説と聞いて、図書館で読んだ記憶が甦ってきました。
この頃にエンリケ王子が探し出す冒険に出たらしい、ということだけは知っていました。「ウィキペデア」って凄いですね。一部の人からは軽蔑されているらしいけど、「貴重な情報を持っている方」が責任を持って書いていらっしゃるのですから、重宝しますね。詳細に教えて下さって有難うございます。

お礼日時:2007/05/07 22:15

他の方が指摘されている、中国系・モンゴル系の他に、エチオピアの噂が伝播されたという説もあります。



現代的な視点で言えば、宇宙のどこかに知的生命体がいるはず。

と、同程度に夢と希望と、エセ話がごたになったようなものではないでしょうか。その意味では完全なる「でっち上げ」とも言えないと思います。
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この回答へのお礼

宇宙のどこかに知的生命体がいる筈というたとえ話…うまい表現ですね。非常に分かりやすいご説明、恐れ入りました。「当時の人たちの夢と希望」が生み出した歴史ロマンですね。「でっちあげ」とは言えない、そう言われてみれば確かにそうですね。

お礼日時:2007/05/07 22:29

431年に行われたエフェソスの公会議で、「キリストは単なる人間である」とするネストリウス派が異端とされ、ローマ帝国より追放されました。


追放されたネストリウス派は、東方に去り、現在のイラクからイランに拠点を置き、さらに東方に布教を拡大してゆきました。
これが唐では、景教と呼ばれました。

ヨーロッパ諸国が、第2回十字軍を行う少し前に、西遼(カラ・キタイ)が、セルジューク・トルコと戦い、勝利する戦いがありました。(1141年カトワンの戦い)
ヨーロッパとは全く関係無い戦いでしたが、ヨーロッパ諸国にとっては、十字軍国家消滅の危機にあった時でしたので、ネストリウス派とからめて、「東方において有力なネストリウス派の国家が存在する」という噂がひろがり、それを吟遊詩人たちが誇張して伝えたものが、プレスター・ジョン伝説です。
(カラ・キタイにおいては、かなりの数のネストリウス派の人がいたようですが)

マネコポーロもこのプレスター・ジョンを探す事が目的のひとつで、マルコ・ポーロは、ケイレント族をプレスター・ジョンであると信じていたようです。
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この回答へのお礼

nacamさんのお答えも、違った視点から書いていらっしゃるので参考になりました。プレスター・ジョン伝説のきっかけが「ネストリウス派」と「吟遊詩人」たちのエピソード。分かりやすい説明でタメになりました。

お礼日時:2007/05/07 22:22

>見つけ出されたのでしょうか?


見つかっていないし、実在したという証拠もありません。もちろん、無かったという証拠もありませんが。
1100年代、無惨な失敗に終わった十字軍遠征において、苦戦の中「こんな援軍が居たらなあ」という願望と、1141年に西遼がサマルカンド近辺でセルジューク朝軍を破った史実とが、ないまぜになって生まれた伝説だろうと思います。
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「プレスター・ジョン」ともいいます。

古くから考えられた架空の王です。
たしか、モンゴルのチンギス・ハーンが「キリスト教の敵の敵」ということでプレスター・ジョンに擬せられたこともあったようです。マルコ・ポーロもプレスター・ジョンを探す命令を受けていたのではなかったでしょうか。
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