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こちらのカテか迷いますが。アンケートなのかもしれませんが、前に近い質問もしてるのですが再度。
話はまず、この世界を大きく分けるとすると、主観世界と客観世界に分けられると思います。
逆に主観世界と客観世界を足したものの存在を考えると、それはこの世のすべてを含む、まさにこの世のすべてのすべて、と言うべき存在です。
そういう話を前提として、主観性と客観性の関係について(主観客観それぞれの性質とその関係について)考えることは、この世のありとあらゆるものを含む体系の法則ルールを見つけることにつながるだろうと直感的に思い、ずっと昔考え始めました。今では一応の結論もでています。
が、あまり他の人の話を聞いたことがないのです。また同じ意見の人も探しましたが今のところ見つかりません。自分では主観論理学などと勝手に名づけてます。
なので、上記のような考えのはじめ方、考え方の方向進め方について、他の人はどう思われるでしょうか?意見が聞いてみたいです。

主要な結論として、主観世界では、存在=関係、と言うものがあります。存在と関係は等価で、この関係は直感的に人の脳には把握できないものであると言うものです。四次元立方体を直感できる人がいないように。物質とエネルギーが等価で、それが直感には響かないように。
もちろん、存在も関係も、その言葉の定義を厳密にしないと意味のない話ですし、実際厳密に定義できます。(最近ミラー細胞なるものが発見されたらしく興味もってます)

こんな感じの(流れの)、話なんですが、なんといいますか、そもそもあまり関心をもってくれる人も周りにいない感じで、皆さんはこういう話を聞いてどう思われるのでしょうか?
あるいは同じようなあるいは逆の考えなど持ったかたおられましたら聞かせてほしいのですが。
よろしくお願いします。

A 回答 (23件中21~23件)

質問していいですか?



神やあの世は主観と客観を足した世界に含むのでしょうか。

・含むとすれば主観と客観で認識できない領域をどう扱うのか。
・含まないとすれば別の世界からの影響があるかもしれないという可能性はどう考えるのか(そもそも、ありとあらゆるではなくなりますが)。

という疑問がわきました。
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この回答へのお礼

返事遅くなってすみません。
神やあの世ですかー。それは死んだことがないのでなんともー。神秘体験もないですし。今の結論を言うと、あの世は含みません(しんだことがないのでそりゃそうですが)。神のほうは、神の定義により含まれるかもしれないと思っています。
ありとあらゆるこの世のすべてのすべて、と言うのは、「生きている人が関わることができる事象すべて」くらいの意味合いです。これで答えになってるでしょうか。
最後の質問の、別の世界からの影響と言うのが、ちょっとわからないのですが。神やあの世からの影響でしょうか?もしそうなら、それは考えてません。体験もないですし考えようがないのです。
生きる人が関わることができる事象に限っているので、具体的には周りの人にいろいろ聞いて、10中8,9の人が、つまり大体みんなが感じたことのある体験感覚を範囲で囲ってその中のものを整理してみよう、と言うスタンスです。一方であらゆる物を含む世界を仮定しながら、一方でわかることから整理して論理付けていこう、と言う指針を取っています。その辺は、まーわからないことだらけだったので、柔軟にやりました、と言うかアバウトでした。現在もです。なので、別世界からの影響の可能性はあるのかもしれませんが、対象外と言うか、確かに固められるところから固めていきました。そういう道の可能性は後回しにせざるをえないですねーもし霊体験とかある人が身近にいたとしても、わからないものは後回しだったでしょうねー。でもそこまで実際は深くは考えてなくて、この質問を受けて初めて考えた次第です。

お礼日時:2007/06/06 04:16

主観世界と客観世界は概念的に別もの。

足したりは出来ない。
まあ、考え方は自由だけど、そういう人格の根本の思考回路的なものは理解や共感の範囲外なのであまり人と話しても意味のあるものではないと思うのですが。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
概念的に2つは確かに別物ですが、足したりできないことはありません。ステージ(次元)が違えば、違う概念が統一的に把握できる、と言う意味では、それを足すと表現するなら、足すことは可能です。より高次元の世界観を導き出すと言う意味です。もっとも初期のこの仮定では、そこまで何も考えてなかったですが。ただ漠然と、人の把握力を超えた何かがあるんじゃないかと感じてただけで。一般にこの2つが足すことができないと考えられること自体が、人の認識能力にリミッターがあることの間接的証拠だと僕は思っています。
あと、話しても意味のあるものではないーと言うのは、まーそうかもしれませんが、それはやってみないとわからないのじゃないかと思ったので話してみることにしました。そんなわけです。

お礼日時:2007/06/06 03:56

>主要な結論として、主観世界では、存在=関係、と言うものがあります。


>存在と関係は等価で、この関係は直感的に人の脳には把握できないものであると言うものです。
まったくわからん。関係(=存在)が把握できない「主観世界」とはいったい何ですか?

また、主観世界をその字義にあてはめて考えれば、それは色々な人、各人によって内容が異なり、包括的に把握することは困難であろうと想像します。
すべての人に共通する「主観」なるものを考えれば、それは即ち客観的世界の一部でないでしょうか。

>皆さんはこういう話を聞いてどう思われるのでしょうか?
方法論を間違えている。こんなトコロに投稿しても無駄。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。遅くなってすみません。
とにかく投稿文が不十分なのでわかりにくいかと思いますが。
えー上から順に答えますと、関係が把握できない主観世界ではなく、主観の世界では人の脳(心)は関係と存在を同時に認識することができない、と言う意味です。それゆえ、抽象化された、存在と認識の関係は理解されにくいなーと感じています。
2つめは主観世界についてですが、主観は人によってばらばらでありまとめることが不可能と言うのはよく言われますが、話はしょりますが、僕自身は全くそうは思いません。以前の投稿で同じことを書いたのですが、心が先が脳が先かはおいておいて、心の働きが脳の機能に対応してることは脳科学で明らかになりつつあります。脳の機能は論理的に記述可能です。解明はされてませんが。ゆえに心の働きー主観も論理的であり、包括的把握も可能ですーこれも解明はされてませんが。
3つ目の方法論を間違えてることに関しては、主観と客観を足した世界についての仮定のことだとすると、これはあくまでこの世界の把握に取り組む導入部分の取っ掛かりとしての仮定だったので、間違えていても別にかまわないわけです。その仮定によって、世界の包括的な把握のイメージがわけば問題ないわけです。次に進めるアイデアがそれによって出てくればいい訳です、ただの仮定なので。ただ、こんなところに投稿しても無駄といわれると、それはずいぶん悩んだんですが、なかなか適当なカテゴリーがないですねー。でも哲学がやっぱり一番近くないですか?、と思うのですが。

お礼日時:2007/06/06 03:47

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