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東大や京大は他の国立大学に比べて偏差値が高いですが、
その偏差値の差はどのようにして生まれたのでしょうか?
原因を教えていただきたいです。

やはり設立したのが早いからなのでしょうか?

他に理由があるのならば、知っている方ぜひ教えていただきたいです。


例えば各大学の設立時に国が偏差値を設定したとか
研究施設や教員のレベルの高さに人が集まり、高くなっていったとか
といった具合で教えていただけたら幸いです。

A 回答 (4件)

人々が無意識に育ててきた文化や習慣と同じで、有名大学のブランド価値は合理的には説明できないものがあります。

他の見方をすれば偏差値がその時々によって多少変わっても歴史と伝統のあるごく一握り大学がそうした価値を今後も持ち続ける可能性は高いと思います。
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実際にキャンパスに足を踏み入れて見ればその答えはすぐに出ると思います。

あの立地にあれだけの立派な設備を持つ大学は他にはないでしょう。歴史を考えなくても十分な魅力を持った大学と言えます。
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東大の源流は昌平坂学問所及び蕃書調所(一番古くの源流は天文方)であり、江戸時代から政府(幕府)の出世コースの一つとなっていました。


設立の古さで言えば大学となったのも1番古いですが、源流からの歴史を辿ると300年以上の歴史を持つことになります。
昌平坂のOBでは、無役の旗本から海軍副総裁、維新後には外務大臣になった榎本武揚などがいます。

明治以後は官僚養成のための機関として、東京帝国大学(前身の司法省学校、開成学校を含む)として、入学すれば出世が実質的に約束されていました。
特に前身の両学校では、学生時代でも一般人の給与以上の給付も受けることができ、難易度も今の東大の比ではないものでした。
(民間と官僚の初任給の差は3倍程度)
東京帝国大学が出来た後、官僚は高等文官試験に合格が条件になりましたが、帝国大学出身者を優先すると定められていたこともあり、また高等文官試験の作成者の大多数が東京帝国大学の教授と言うこともあり、必然的に東京帝大出身者が高等文官試験の多数を占めることになりました。
(合格者の7割が東京帝大であり、参考に慶応出身者と比較すると200倍程度の合格者数)

戦後の復興も当時民間企業が壊滅していたこともあり、国主導つまり官僚主導で復興していったため、東大、他旧帝大優位が保たれてきました。
当然、国として重点を入れるのも旧帝大になりますし、運営を担う文部省の官僚も東京帝国大学OBが多数を占めていたので、この傾向は変わりませんでした。
これらにより研究施設や教員のレベル、そして卒業生による強力な人脈が、東大や旧帝国大学の強力な売りになっています。
他の帝大が昔に比べ相対的にレベルが落ちてきてしまったのは、都市部への集中によるものですね。(東大・京大・阪大を除く旧帝大)
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答ありがとうございます。

東大の源流が江戸時代から出世コースになっていたとは驚きです。

また明治から戦後にかけての官僚の話し全く知らなかったので
すごく勉強になりました。そんな背景があったのですね。
やはり歴史は勉強しとかないといけないと改めて思いました。

それにしても具体的な数字といい、すごい知識の量ですね。
さしつかえなければ、このような知識はどうやって得られたのか
教えていただけないでしょうか?

お礼日時:2007/06/11 22:32

偏差値なんて設定できるもんじゃありません。


やっぱ、早くに設立されてるのは大きいと思います。
あと、大都市に位置している。学生が集まりやすいです。

OBやスタッフに優秀な人材が集まれば、相乗効果で更に人気が高まります。
そうして築かれたブランドはちょっとやそっとじゃ崩れません。
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます。

偏差値の設定はありえないんですね…無知ですいません。

やはり設立の早さが1番の原因となっているんですね。
それにあと立地の良さがからんで、強固な地盤が築かれた
ということですね。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/11 22:10

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