天皇の政権と貴族の世俗的政権との相克の時代もあったようですが、武士政権の幕府が実際の権力を布くようになっても、天皇政体での、官職名は武士達の(官位的)地位は、畿内の位置付けでは高いものではなかったかの、理解をしてきました。従一位を11位とも誤解していたのですが、これなども将軍の生母でさえななかもらえなかったと聞いております。 (1)第一、そういうことを経済的にも、統治権力の上でも、格段の差であった、幕府がよく忍従していたものだと、理解できないでいます。 (2)第二、また本日、侍従長の交替の話が出ています。慣習や、しきたりは判りませんが、現行法制については関係法令をみればその範囲の情報は得られるでしょうが、この侍従長とか、確か乃木まれすけ元帥もそうだったと存じますが、式部官長とかは、征夷大将軍より上位なのでしょうか。どのくらいの偉いひとなのでしょう。所謂る律令制というか、天皇的政体機構の中では。ずうっとひっかかってきていまして。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
鎌倉幕府では、武士勢力の基盤が十分でない時期に、京都から将軍を迎えたり官位を授かったりすることで、一時公家側に政治的に逆転されそうになったことがありました。
また室町幕府では、初期には朝廷が幕府に依存していましたので、そのようなことはありませんでしたが、京都にあったことからその影響は逃れられず、義満あたりから官位を重視し始めます。ところが、戦国時代に突入し、将軍が京都を出たり入ったりして権威が低下すると、朝廷がこれに代わる権威をもって、各大名への叙任権を発揮し始め、将軍は政治力を失ってしまいました。
このため、江戸幕府では、そもそも武士と朝廷の位階・官職との切り離しを非常に重視しました。ですから、将軍や各大名の極位・極官はあらかじめ決められて、それを追い求めることがないようにするとともに、武士への叙任は公家とは異なる「別枠」で行うようにしています。正規の朝廷の職ではなく、武士の中でだけ通用するものという位置づけですね。
さらに、朝廷の位階などとは別の、江戸城内での扱いを中心とする、各大名・旗本のランク付けを厳密に行い、朝廷からの位階もこれによって決まるようにして、あくまで「幕府のランク付けが正、朝廷の位階は従」という位置づけを設定しました。
ですから、低い官位に甘んじていたのではなく、そこにこだわると朝廷側に振り回されかねないので、あえてそこにこだわらないように努めてきたのが、武家政権の歴史ということになるのではないでしょうか。
(2)の内容については、ほかの方がお答えの通りだと思います。
この回答への補足
経過のことも含めて詳細に判りました。こうしてみると、天皇家の主様が本当に、俗権を揮えたときというのは、神話、そして古代の一時期だったのでしょうね。西欧の絶対主義王制でも、力のバランスに立っていたようですが、それでも、絶対権力というのは発揮したようですので、日本の公としての権力というのは、性格が違い、歴史と文化、国民にそういう、性格の影響をしているでしょうね。ありがとう御座いました。
補足日時:2007/06/12 09:41早速にありがとう御座います。長年のこだわりが一つ氷解して、気持ちよく前進できるかに存じます。こんなに、じっさいのことを勉強で気とはとても気持ちがいいです。
No.2
- 回答日時:
侍従長とか式部官長というのは明治以降に出来た職で(侍従というのはありましたが)、それ以前の官職である征夷大将軍と比較は出来ませんし、征夷大将軍はもともと律令制度とは別に出来た職なので時代によって朝廷における地位も異なりますが、最低でも大納言相当で侍従(その長?)よりも高い地位です。
朝廷と幕府の関係で言えば、確かに名目的には幕府は朝廷よりも下位に甘んじていましたが、実質的には鎌倉初期を除けば天皇の地位を左右できる権限は持っていましたし、その権威を利用することが特に鎌倉幕府にとっては有利であったからです。
幕府にとっては天皇は征夷大将軍を任命してくれさえすればよいのですが、幕府の力が強いときはともかく混乱期にはその権威がどうしても必要でした。(例えば南北朝時代や戦国時代)
この回答への補足
侍従はあったが、侍従長というのは明治の官職なのですか。 黄門さんが中納言でしたから、なるほどとわかります。 門外漢の語彙ですが、不適当かも知れませんが、相克と安定ということは、こうして続いてきたのですね。 早速に本当にありがとう御座いました。長年のこだわりが一つ氷解して、気持ちよく前進できるかに存じます。
補足日時:2007/06/12 09:32No.1
- 回答日時:
(1)位階は確かに権力に比べ武家は低くなっていましたが、鎌倉、室町、江戸と時代を経るに連れ征夷大将軍の位階は上がっています。
徳川の各将軍は正一位(贈含む)となっています。
逆に江戸時代では石高という財政力で見れば、主上でさえ1万石となっていました。
(2)侍従長は明治以降の戦前に設けられた職で従二位だったはずです。
この回答への補足
早速にありがとう御座います。長年のこだわりが一つ氷解して、気持ちよく前進できるかに存じます。主上ということばは、天皇という意味であり、こういうようなときに使えることばだったのですね。そして陛下という敬称的意味も、こうやって使うと、この言葉から、いやみなく響きますね。それにしても、これは指示名詞なのでしょうかね。何にも判らない言い方で(実際、わからないのすが)すみません。
補足日時:2007/06/12 09:26小学校の恩師が、従六位をもらったのですが、従二位とは高位なのでしょうね。ありがとう御座いました。この位を頭にいれておいて、今後勉強しながら、この意味を咀嚼します。ありがとう御座いました
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