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江戸時代とかは、牛肉を食べなかったと聞きます。その理由は「宗教的理由」と聞きますが、その感覚・気持ちとは、どんなものなんでしょうか?
今の日本では犬を食べませんよね。かわいいパートナーが死んだら、それを食べようなんて思うわけがないですよね。
江戸時代、牛を食べなかったというのは、「かわいい農作業パートナー『牛の花子』を、死んだからといって食べれるわけないじゃないか」という気持ちからじゃないかなあと私は想像するんですが、実際はいったいどうなんでしょうか。

A 回答 (6件)

質問者様の提示された


「かわいい農作業パートナー『牛の花子』を、死んだからといって食べれるわけないじゃないか」
は当たらずとも遠からじ、と言ったところでしょう。

1. 牛を美味しい食肉にするには、あまり古く(年寄り)にならないうちにしなければなりません。即ち、「かわいい農作業パートナー『牛の花子』が年取って病死してから」では遅いのです。
現在、病死した家畜は、法律で食肉にすることを厳しく禁じられています。食べると危険だからです。
実際、「狂牛病」が発生したのは、病死して焼却処分するしかない(一円にもならず、逆に処分コストがかかる)ウシの肉や骨をウシの飼料原料にし、それを食べたウシがまた病死して…というサイクルによるものと言われています。
(病死したウシの肉がひき肉とかに混じっているとか言う「噂」もありますが、法律上は決してありえないことです)

2. 牛は力が強く、怒ればヒトを殺せる動物です。元気な状態の牛を殺すのは、大した道具も持たない農民の手に余ることです。さらに、殺した牛をさばいて食肉にするのは、専門技術と相応の設備がなければ不可能でしょう。江戸時代には冷蔵庫も冷凍庫も氷もドライアイスもありません。した牛の肉は、速やかに骨格から分離して味噌漬け・塩漬けにしたり燻製にしたりしなければ直ちに腐って単なるゴミになってしまいます。一般の農民に、「速やかな・解体・加工」は到底不可能です。

例えばウサギなら、
「簡単に殺せ」「流れる血もたかが知れており」「骨からの分離も簡単」「肉は一日の食事で消費できる程度の量」です。それに対し、小型でも100キロを優に越す牛は、素人の農民が食肉に加工できる代物ではありません。

3. 江戸時代、牛の人工繁殖の技術がどのくらいあったのか、農耕用や運送用の牛がどのように供給されていたのか私は知りません。日本の場合、食肉用としての需要も酪農用としての需要もなかった以上、メス牛、オス牛のいずれも役に立ちます。よって、「扱いやすい子牛のうちに殺して食肉にする」発想もあまりなかったでしょう。

4. 私の想像ですが、「かわいい農作業パートナー『牛の花子』」が病死した後、「専門技術を持つ集団」に「花子」の死体を引き取ってもらい、その集団がその死体を解体して牛革を作ることはあったでしょう。ウシの死体を処分するだけで大変なことですから。江戸時代のウシの役牛以外としての利用は、彦根藩の例外を除いてその程度だったと思われます。
(この辺、被差別民の問題が絡むので扱いにくくなるのですが)
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えーと・・・質問の根底を崩すようで申し訳ないのですが・・・


江戸時代、日本人は肉を食べていました。肉屋だって存在していました。
たとえば、仙台(牛タンで有名ですね)には、江戸初期の牛肉料理のレシピが資料として伝わっていますし、「ももんじい屋」が江戸にも存在しており肉を売っていた記録も残っています。
ただ、現在みたいな状態かというとそうではなく、都市部での肉屋はどちらかといえば精強剤(つまり薬)的な感じで食べられていました。
また、もうひとつ肉食があったことを裏付ける話があります。仏教の宗派に一向宗(現在の浄土真宗大谷派もしくは本願寺派)というのがあり、戦国時代に広まり、(武力的にも政治的にも)大名以上の力を持ったとんでもない勢力でした(ただし、一向宗自体は信長が弾圧して後に勢力は衰退します)。
この宗派は、ほかの仏教と違って「妻帯」が許可されています(つまり結婚してよいし子も作ってよい。事実、本願寺の教祖は世襲でした)。もうひとつ大きなもので、「肉食」が許可されています。
2つとも、おそらく信徒獲得の方針なのでしょうが、これがどういうことかといえば・・・簡単です、肉食の習慣が(少なくとも地方では)存在していたことがわかります(そもそも、習慣があるからこそ「許可」なわけです。なかったらそもそも許可する前提がない)。
また、宗教的なことをよく言われるのですが・・・ちょっと考えてみればわかりますが、日本の(一向宗とかを除いた普通の)仏教では、そもそも生臭はすべて禁忌です。つまり魚もだめです。しかし日本人は魚は普通に食べています。つまるところ宗教的な理由は弱いといわざるを得ないでしょう。

ただ、大々的に食べられていなかったのは確かで、これはやはり、日本の風土的なものが大きいでしょう。
日本は、平野が少なく山地が多いため、根本的に酪農に向かない地域であるといえます。そのため、主要家畜で広い牧草地が必要な牛羊については生産力が低く、たとえ地方であっても、当然ながら都市部などでは、とても安定供給には結びつかなかったと考えられます。

また、万人に好まれていたかといえばやはりそうでもありません。「楊貴妃は きれいな顔して 豚を食い」という川柳が残されており、獣食いがそれなりに嫌われた風習であることがわかります。しかし、今だって(サンショウウオとか蛇とかが)ゲテモノなんて呼ばれて食べられていて、それが商業として成り立つわけですから、肉食も、ある程度の人に嫌われている中ではありますが、しっかり成り立つ世界であったと考えられます。
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仏教の影響と、牛馬は貴重な労働力、運搬手段であり人間の役にたっていたからです。


人間は自分より大型の動物には食欲をもたないという習性も影響しているかも知れません。

牛馬の解体はそれを業とする人達(被差別人)であったので、汚れの考えもあったのでしょう。 
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この回答へのお礼

>人間は自分より大型の動物には食欲をもたないという習性も影響しているかも知れません。

そうなんですか。ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/18 21:57

仏教という宗教上の戒律のためと、江戸幕府の政策で、「けものを扱うのは、汚れた人たち」という、意識を植え付けさせたためだと思います。


イノシシは、「山くじら」うさぎは、一羽、二羽と数えるから、けものではないという逃げ道は、あったと思います。
牛は、なつくわけでもないですし、犬のようにかわいいという感情は、湧きにくいと思います。
秀吉が行った兵糧攻めでは、牛馬はおろか、人間も食べたといわれていますから、空腹の前には、倫理もふっとぶということでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですか。牛くんは、あんまりなついてくれないんですか。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/18 21:55

仏教の影響です。


四足の動物を食べると、後生に祟るというのがあったと思います。
迷信深かった当時のこと、影響は大きかったと思います。
犬に関しては、日本の一部でもよく食べるという話が本に出ています。
牛や馬に関しては、労働力としての働きが、より期待されてのことです。
食肉用としてはウサギのほうが有名であり、「一羽、二羽」という数え方も、耳等から、鳥と見立てて食していた名残です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですよね。仏教の影響が大きかったんだろうとは思います。
でも、「昔のひとは、そんなにも迷信深かったのかな?」と、少し疑問に思ってしまって。

お礼日時:2007/06/18 21:52

とりあえず。



肉食 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%A3%9F
肉食 - 知泉Wiki
http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%C6%F9%BF%A9


どんな世の中でも隠れて食べる人はいたようです。

まあ、飢饉になったら馬だろうが牛だろうが人間(!)だろうが食べていたということですから...
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この回答へのお礼

非常に興味深いお話です。ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 21:41

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