ある哲学科の学生が就職の面接で人事の人に言われたことです。
「君は哲学を学んでいるようだけどなぜ哲学なんかを学ぶの?
そんな世の中の役に立たない学問を勉強するより、経済学や商学を勉 強するほうがよっぽど有益じゃないの?」
「哲学を勉強した人はライブドアの堀江みたいな人間になりそうな印象が強いから不安なんだよね。」
「社会にでたら哲学的な考えはまったく必要ないわけで、カントやデカルトにくわしい人より、簿記ができる人間がほしいわけなんだよ」
などなど延々と哲学批判されたらしいです。
圧迫面接できつめに言ったのかもしれませんが哲学を学んでいる人間を全否定しているわけですよね。どう言い返すのが賢いのでしょうか?
 

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A 回答 (13件中11~13件)

確かに全否定ですね…。


でも、否定されても「哲学を学びたい」という意思が強いなら反論ができると思います。
もしかしたら、あちらはそういう答えを望んでいたのかもしれませんよ。
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それはその人がなにを持って哲学を学んでいるかによると思います。


なんとなく哲学を学んでいるのではなくて、それなりに理由があって哲学をやってる人なら簡単に言い返せると思いますが、、
自分は哲学は全ての学問の基礎だと思ってます。
その面接は圧迫面接か本当に面接官がそう思っての面接かわかりませんが、、もし後者だったら行かなくて正解です。
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むきになって反論するのは論外。


冷静に反論するのも論外。
相手の発言中に遮るのも論外。

自分の意見と違うことを言われたら、
まずは相手の言った内容をそのまま復唱します。
このとき、自分の考えを差し挟みたくなるでしょうがグッと抑え、
単純にオウム返しにするのが重要です。

次に、自分と違う意見を述べてくれたことに感謝の意を表します。
違う意見に接することで自らの勉強にもなるわけですから。
「勉強になって有り難い」くらいのことは言っていいです。

そして、自分と相手の意見の共通点を見つけます。
「意見が違うようですが、○○が××という部分は共通していますね」
のような感じです。
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Q哲学を学ぶ意義とはなんですか?

現在、大学で哲学の授業を学んでいます。

しかし、その授業を学ぶに当たって、
なぜ、哲学を学ぶのか、また、
哲学を学ぶことで得られるものは何かということを
考えるようになりました。

哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
出来るだけ詳しく、そしてたくさん書いていただけると
とても参考になります。

Aベストアンサー

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、それは何のためか、あるいは、何の効用があるか。一言で言えば、「生きるための英知を獲得すること」でしょうか。ヨーロッパの図書館などには Discendo liberior. と書いてありました。「学ぶことによってより自由に」といったような意味らしいです。つまり、学ばない状態では、人は多かれ少なかれ無知蒙昧・迷信・妄念・偏見…などにとらわれているが、「学ぶことによって、その桎梏を解き、自由になれる」ということなのだと思います。「哲学は、我々を迷信や妄念から解放してくれる」のです。

(2)かつて哲学は諸学問を1つに束ねて統合し、これに指針を与えるという役を果たしていました。そして、それは今日でも変わらないはずです。すなわち、現代の哲学は、極度に細分化し専門化した諸科学を統合し、これに指針を与える機能を持つ、少なくともその使命がある、と言えるでしょう。この高度に文明化した現代にあっては、とりわけ尖端技術など「地球生命を左右するような科学を束ねて、今後に向けての当為を示す」という重大な使命を哲学は負っている、とそう思います。環境汚染の解決や異民族間の争いの収束を模索するとき、人間にとっての「本当の幸福」を考えるとき、そして、人類の未来を思うとき、哲学は最も重要で、最も頼りになる(ならねばならない)、学問なのだ、と言い得るのではないでしょうか。

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、...続きを読む

Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Qなぜ勉強するのか?

人はなぜ勉強をするのでしょうか?
いい高校に入って、いい大学へ行き、将来豊かな生活をおくるため?
勉強で得た知識を社会に役立てるため?
人間的に強くなるため。考える力をつけるため?

僕は今年で高1になり一応大学は出ようと思っています。
特別頭がいいってこともなくそれどころか昔から学校もよくサボってたんですが・・・最近になって勉強をしなくてはいけないと思うようになりました。
でもその理由がいまいち思いつかなぃんです。
「とにかくいい会社へ入るために勉強すればいい」そんなのは嫌なんです。
どなたか哲学的に納得できるような回答よろしくおねがいします。m(_ _)m

Aベストアンサー

二つの考え方があります。

1.学ぶことが楽しいから(学ぶことを楽しめるのは人間だけだから)

2.打算のため(勉強によって、強くなりたい。自分の価値を上げたい)

後者についても

2-1.学歴をつけたい
2-1.真の実力をつけたい

があるでしょう。

1の「楽しみのための学問」だけで理由付けするのには無理があります。誰だって苦労して勉強するより、遊んでるほうが楽しいですから。

2-1の「学歴をつけたい」というのはあまり意味ないですね。特に現代社会ではレッテルだけではあまり役に立たないと思いますよ。

本命は2-2「真の実力をつけたい」だと思います。

但し、その際、難行苦行の勉強をいやいややると思うのではなく、勉強には「人間が誰でも持っている知識欲を満たす蜜の味もあるんだ」と思ってやるのがいいですね。

この「真の実力をつけたい」という気持ちが一種の打算であるということを後ろめたく思う必要は無いですね。堂々と「自分は打算で勉強するんだ」と思えばいいんです。

人は幾ら足の速い人でもチータにはかなわない。ケンカしたらライオンにはかなわない。力で象にはかなわない。
でも、地球を支配している生物は人類です。それも、先人の残してきた知恵の蓄積を”勉強”してきて、初めて可能になりました。

そんな人類の持つ力の一翼を担う人間になって、喜ばしい人生を送るために、勉強しましょう!

二つの考え方があります。

1.学ぶことが楽しいから(学ぶことを楽しめるのは人間だけだから)

2.打算のため(勉強によって、強くなりたい。自分の価値を上げたい)

後者についても

2-1.学歴をつけたい
2-1.真の実力をつけたい

があるでしょう。

1の「楽しみのための学問」だけで理由付けするのには無理があります。誰だって苦労して勉強するより、遊んでるほうが楽しいですから。

2-1の「学歴をつけたい」というのはあまり意味ないですね。特に現代社会ではレッテルだけで...続きを読む

Q個人的に哲学を学ぶにはどうしたらよいか

 哲学とか心理学に興味があるので、その手の本は沢山持っていますが、学び方が良く分かりません。大学で学ぶ人間はどのように学んでいるんでしょうか?普通は何からはじめればよいのでしょうか?

 知人が哲学の大学(通信制)に7年行っているので、話しを聞いたら"最初から学ばないと今の哲学が分からない"と言われました。哲学が発展してきた歴史をすべて頭の中に網羅していけということでしょうか?
 2チャンネルなどの哲学の掲示板に行っても、わけのわかない論争を繰り広げられていて…哲学書を読んだことの自慢みたいのが飛び交っていますが、たとえば私の質問を見てくれた、哲学者(?)の貴方は、哲学の書をやっぱり沢山読んでいるんですか?

 私は文章を書くのが好きなので、哲学的な考え方ができれば創作に役に立ちそうだなと思って、哲学を意識しておりますが、これまでの哲学を振り返っていたら、仕事も手につかなくなり、寿命が来てしまいそうです。
 また、生半可な知識だと訓話にもならず、似非哲学になってしまいます。哲学が何も見えないんですけど、何をしたらいいと思いますか?アドバイスをお願いします。

 哲学とか心理学に興味があるので、その手の本は沢山持っていますが、学び方が良く分かりません。大学で学ぶ人間はどのように学んでいるんでしょうか?普通は何からはじめればよいのでしょうか?

 知人が哲学の大学(通信制)に7年行っているので、話しを聞いたら"最初から学ばないと今の哲学が分からない"と言われました。哲学が発展してきた歴史をすべて頭の中に網羅していけということでしょうか?
 2チャンネルなどの哲学の掲示板に行っても、わけのわかない論争を繰り広げられていて…哲学書を読んだこと...続きを読む

Aベストアンサー

大学で哲学を学ぶ人間は
先哲の思考の跡を辿りながら自己の思考を鍛えるわけですが,
当然のことながら哲学書は原著で読みます。
アリストテレスを読むなら古代ギリシア語,
ナーガセーナならパーリ語,フッサールならドイツ語です。
しかも,ひとくちに原著と言っても
版による違いや編集者による違いがあったり,
ときには偽書なんてものもあるので,
テキスト・クリティーク(文献批判)と呼ばれる手続きを踏むことが要求されます。

一方,大学で心理学を学ぶ人間は
実験,観察,調査,面接といった実証的研究法を叩き込まれます。
データ解析のために統計学や情報処理の知識も必須です。
心理学は実証科学として哲学から分離独立した学問ですので当然のことです。
思弁的論考だけの卒論では卒業させてもらえません。

哲学や心理学で飯を喰おうというのであれば
上記のようなトレーニングが要求されますが,
そうでないのなら
まずは哲学史や心理学史の流れを頭に入れることから始められてはいかがでしょう。
独学者にありがちな独善的な思い込みに陥らないためにも,
学問の歴史的全体を俯瞰して
大まかな見取り図を頭の中に描いておくことは大切だと思います。

手ごろなものとして,こんな本はどうですか。

池田晶子(著)
『考える人―口伝西洋哲学史』 中公文庫

木田元(著)
『反哲学史』 講談社学術文庫

大学で哲学を学ぶ人間は
先哲の思考の跡を辿りながら自己の思考を鍛えるわけですが,
当然のことながら哲学書は原著で読みます。
アリストテレスを読むなら古代ギリシア語,
ナーガセーナならパーリ語,フッサールならドイツ語です。
しかも,ひとくちに原著と言っても
版による違いや編集者による違いがあったり,
ときには偽書なんてものもあるので,
テキスト・クリティーク(文献批判)と呼ばれる手続きを踏むことが要求されます。

一方,大学で心理学を学ぶ人間は
実験,観察,調査,面接といっ...続きを読む

Q「考えること」と「哲学すること」の違い

「考える」と「哲学する」とは違うものでしょうか。同じものでしょうか。
違うとすると、何か「哲学すること」に固有の技法、頭の使い方があるのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるものですね。註:天の川が北極星ですね。
「「哲学する」にはなにか固有のコツや方法があるのでは、
ということですが」 「ありますね」
そのひとつはあなたの持っている知識や常識をすべて白紙に戻して再度論理的に考えてみる方法ですね。これは何故・何故という方法ではないですよ。まず頭の中をすべて見直して納得できるものと納得できないものを分類し、納得できるものについて更に何を根拠に納得したかを見直すのです。その根拠を白紙に戻し、それを繰り返す方法ですね。納得できないものについては書を読み根拠を探すのですね。その中で納得できるものがあれば、同じ過程で見直します。
このようにしてあなたの頭の中の金歯を捜すのですね。一個もないときはすべて捨てて学びなおしですね。やってみればわかりますが殆どがごみ知識ですね。ごみ知識をふるいにかける過程を「哲学する」といってもいいですね。
追加の参考まで

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるもので...続きを読む

Q「役に立つ学問」「役に立たない学問」とは?

学問の存立する根拠は、「役に立つこと」のみに存しないのはいまさら言うまでもないと思います。しかし一方で「役に立つこと」が学問の契機になることもあります。古代エジプト人は、東方起源の学問を発達させながら、それを例えば測量術や建築術のような実用と決して離さなかったといわれます。しかし古代ギリシア人は、幾何学や哲学、その他の諸学を日常の実用から切り離して、日暮し天空を眺めてすごすような、純粋な精神的境地を開き、そうした境地が人生にとって「役に立つ」つまり意義深いと考えていたようです。
僕は大学で建築を学んでおり、大学院では建築論という建築の哲学みたいなことを研究します。なぜ建築するのか?などについてアリストテレスやウィトルウィウスの本を読み研究しています。こんな役に立たない学問を研究して意味があるのか?と言われるときがあります。大学は役に立たないといわれている学問を研究する場ではないのかと自分では思っています。学問の在り方について教えていただけませんか?

Aベストアンサー

役に立つということは「お金を儲ける手段」や
「直接生活と直結している」としての学問か否か
ということですか?
それ以外に意味のあることが世の中たくさんあると
思うのですがどうでしょう?

それになぜ建築するのかがわかっていないと建築に
関する法律や公共性などについて方向性が曖昧になる
と思うのですが、役に立つの?と言う人の
考えがわかりませんが、素人意見ですみません。

私は長い間美術に関する学問を学んでいましたが
建築よりずっと役に立たないと言われ続けていました。
若い頃には色々考え悩みましたが今では同じことを
人からいわれても「そうだね役に立たないね
だからほっといてくれよ。」と言おうと思っています。

役に立つの?と言った人に役に立たなかったとしても
自分に意味があればいいのじゃないかな?
その意味を他人にわかってもらうもよし放っておくもよし
学問に対する姿勢はひとそれぞれですよ。

Q哲学の目的は何ですか?

哲学というとなにやら難しいイメージがあります。
そもそも哲学というのはどういう学問で、その目的とは何でしょうか?
人は何のために生きるのかとか、どう生きるべきかなどと探るのが哲学でしょうか?
それとも自分が存在する理由を見つけ出すのが目的なのでしょうか?
何かの真実を見つけ出すものでしょうか?
宗教との決定的な違いは何でしょうか?

哲学は、科学的なものですか?
物理学などの思考実験との違いは何でしょうか?
哲学者は、統合された哲学ともいうべき「究極の哲学」を目指しているのでしょうか?
それとも宗教の宗派の違いのように、全く別々の流派に分かれているのでしょうか?

また宗教って楽しい学問ですか?
初心者にもわかりやすい入門書などあれば教えてください。
ちなみに哲学というと西洋のイメージが強いですが、日本の歴史のなかで哲学と呼ばれるものをはじめた人はだれでしょうか?

いろいろ質問してすみません。哲学について何でもいいですから教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>哲学というとなにやら難しいイメージがあります。
深淵な課題なら、難しいですよね理解って。
「人間ってなんぞや?」ということになったら
観念と思考の輪廻世界に迷い込み、ノイローゼになるかもしれません。

>何かの真実を見つけ出すものでしょうか?
僕は、答えは出せないと想っています。
全部、発展途上にあると想います。
ある、哲学を基盤に、さらに、時々の変化を加えたり
また、是正したり、ある人の作品にたいしてのアンチテーゼであったりの繰り返しだと想う。
真理を見極める為に。

>宗教との決定的な違いは何でしょうか?
ボーダーレスでもあり違いもある。
宗教の基本は、「眼に見えない心の話し」
哲学の基本は、「現実世界の見方、考え方の提案」
では、ないかと想う。
宗教もひとくくりにしてしまえません。
大きく分けて、宗教とカルトはまず違います。
宗教の基本は「世のため人のため」にあるはずです。
カルトは、一人の考えに対してのシンパシーを集める所から始まります。
哲学の定義よりも、宗教の定義は難しい。
もし、宗教の教理(ドグマ)と哲学が似ているというのなら似ています。なぜなら、キリスト教であれば、イエス様のお考え(哲学)が教理な訳ですし、
仏教なら釈尊のお考え(哲学)が教理な訳ですし。
しかし、一部のカルト教団が、テロまがいな事をするケースもあり、「宗教なんて」と言う方が多いですね。

>また宗教って楽しい学問ですか?
初心者にもわかりやすい入門書などあれば教えてください。
宗教を学問とするケースがありますが
伝統のある宗教でしたら、実際に経験していかないと
解らないと想います。
密教でしたら特に。密とは、言葉に表せない、修行を体得したものでないと解らない世界と言う意味です。

天台や真言系でしたら、それなりの人に師事した方が良いです。口伝といって、文章ではなく、師から弟子に伝承するのが正当だからです。
そういう観点でしたら、宗教と哲学は似て非なるものですね。

>哲学は、科学的なものですか?
物理学などの思考実験との違いは何でしょうか?
東大教授に「あの世を信じますか?」と聴くと
実に半数の人が認めているそうです。
理由は「物理世界より精神世界は広いから」だそうです。
科学は、自然を宇宙を解明する証明する手段です。
哲学というのは、一言では言えません。
宇宙を論じたり、性を論じたり、生を論じたり、または自分の人生をかたったり、時には三位一体という宗教的なテーマに取り組んだり、ユリシーズのように、当たり前の人生をメタファーとウィットで読ませる文学的表現手法で残したりとするので、哲学という二文字をなんですか?と言うのは、回答するには、この投稿では書き切れません。ゴメンナサイ。
ですから、体系をつくれば、流派はあるとも言える。しかし、パーソナルな考えとも言える。

自分が自分と認識するには、大変多くの情報が必要です。情報の咀嚼をし消化して認識する際に、
自分我を獲得するのですから、哲学もその情報の一つに過ぎません。と想うのですが?
ですから、宗教にしかり、哲学にしかり咀嚼の仕方一つで、薬にもなれば毒ともなすものだと想います。

哲学?と言う疑問は、そうした多くの情報の咀嚼の中で、ご自身が獲得し、理解をしてゆく物です。

以上が僕の回答です。

>哲学というとなにやら難しいイメージがあります。
深淵な課題なら、難しいですよね理解って。
「人間ってなんぞや?」ということになったら
観念と思考の輪廻世界に迷い込み、ノイローゼになるかもしれません。

>何かの真実を見つけ出すものでしょうか?
僕は、答えは出せないと想っています。
全部、発展途上にあると想います。
ある、哲学を基盤に、さらに、時々の変化を加えたり
また、是正したり、ある人の作品にたいしてのアンチテーゼであったりの繰り返しだと想う。
真理を見極める為に。

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Q形而上学とは

現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
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Q物理学を学んだ学生の就職について

物理学を学んで修士課程を終えたとして就職でどうのような選択肢がありますか?

Aベストアンサー

buturidaisukiさん、こんにちは。

就職のことはやはり気になりますよね。同じようなことを普段よく尋ねられるので、多くの卒業生を見てきた経験から現実にどうかということを書かせていただきます。

まず、結論から書きますと、ANo.1~ANo.3の皆さんも書かれているように、本人さえしっかりしていれば、大抵の会社は選択肢に入ると思います。

ANo.4さんは、分野は影響は受けると書かれていますが、ある程度、そういうこともあるでしょうが、それほどではないと私は思います。というのは、元々、理学部を卒業する場合には、勉強した「知識」をそのまま使って企業で活躍するというセンスよりも、むしろ、そこで習得した「能力」を生かすというセンスだからです。逆にもし工学部を卒業しても、そこで学習した知識がそのままどんぴしゃで企業でも使えるケースは珍しいようです。

また、物理の中での理論と実験の違いですが、私の知る限り、理論だと実験よりも会社には不利ということはないと思います。それには二つ理由があります。一つは現代の産業の現状は、IT系に重点が移ってきていて、理論系なら殆どの場合コンピューターをかなり使いますので、その面でかえって有利であること。もう一つは測定器や作業機械の使い方などは、実験系だからといって同じ機械を使うとは限りませんし、どちらにしても入社後に勉強するケースのほうが多いと思われるからです。

企業の中で、理学部出身の人が工学部出身の人よりも少ない主な原因は、日本中で工学部の定員が非常に多いことでしょう。私の見る限り、卒業生が就職で苦労するケースは、分野というよりも、むしろ個々人のパーソナリティに依ることが多いように思われます。企業では周りの環境に柔軟に順応してくれる人、しっかり意思疎通の出来る人を好むでしょうし、当然、企業の利益にかなわないことをしたいという人は、どんな学部の卒業生でも取らないでしょう。


次に具体的な現状を書きます。どこの大学とは、もちろんここでは書けませんが、卒業生の就職先はやはりIT係を中心に製造業が多いです。それは元々日本の産業構造自体がIT係に重点が移ってきているためだと思います。一言にIT係といっても、かなり幅が広いですし、IT係以外の製造業も多いです。どんな製造業でも最近はコンピューターはかなり使うと思われます。

製造業の中には当然、民間企業の研究所に就職するケースもあります。民間企業の研究所では、ごく一部の例外を除いて、その企業の利益に直結することを研究します。その内容は、物理学に基礎を置いた研究もありますし、物理学とは直接の関係のない研究をすることもあります。物理の卒業生はどちらの方向にも進んでいます。ただし「直接の関係のない」と言っても、物理はあらゆるものの基礎になりますから、殆どのものは何らかの関係はあります。

次に多いのは、公務員や中学高校教諭だと思います。その場合は、もちろん、公務員試験の勉強や、教員免許をとり教員採用試験の勉強をする必要があります。

製造業に比べれば、数は少なくなりますが、商社や金融関係に就職した人もいます。また特殊な例ではパイロットになった人もいます。


せっかく物理学を勉強したのに、就職した後に直接に関係のないものをやるのは勿体ないとか、しんどいとか思われるかもしれません。しかし、ANo.3さんも書かれているように、物理学というのは、あらゆる学問や科学技術の基礎であり、また、知識そのものを使わなくても、物理学を学ぶ過程で習得した「現実に根ざした論理的思考」というのは、どんな分野にも共通に必要なものなのです。ANo.4さんも書かれているように、「仮説・検証・修正」という物理学の方法は、あらゆることに適用が可能です。

また、「知識の陳腐化」ということがあります。技術というものは日進月歩ですから、大学でどんな分野の学問をした場合でも、どのみち入社後にも勉強をし続けていかないといけません。しかし理学系と工学系の違いは、理学部で勉強したことは、時間が立って成り立たなくなるようなことではないというところです。物理で言えば、力学や電磁気学などの知識が陳腐化することは未来永劫ありません。それらは自然界の法則だからです。ところがある特定の「技術」というものは、多くの場合数年で陳腐化してしまいます。

さらに、逆に基礎的な知識が必要になったときに、技術だけを学んでいた人が基礎に立ち戻って勉強しなおすのは、大変なエネルギーが必要になります。一度でも基礎を十分に勉強したことがある人は、忘れてしまっていても、少し勉強すれば思い出すことができます。基礎をしっかり勉強した上に応用を勉強するほうが、応用だけを勉強しているより安心です。

これは教育関係に進む場合も同様だと思います。やはり理学部でしっかりその分野の内容を勉強しつつ教員免許も取るほうが、教育学部で教員免許をとるよりも好ましいと、個人的には思っています。(両方やるのは確かに大変ですが。)


最後に、修士課程に進むメリットについて付け加えます。学部で、およそ力学、電磁気学、量子力学、熱統計力学を学習するわけですが、それは学問の基礎の部分です。卒業研究~修士課程で、研究(らしきもの)に手を染めることにより、その基礎部分の知識の本当の意味が、より正しく深く理解できます。また、現実の問題を考えることにより、「問題解決能力」も身につけることができます。研究の世界では必要に応じて問題を自分で整理して設定する能力が求められます。誰かがきれいに作った問題を解くだけの話ではなくなってくるのです。そのような能力はどんな分野に就職しても必要とされるものです。大学院ではその部分も学ぶことが出来るはずです。

buturidaisukiさん、こんにちは。

就職のことはやはり気になりますよね。同じようなことを普段よく尋ねられるので、多くの卒業生を見てきた経験から現実にどうかということを書かせていただきます。

まず、結論から書きますと、ANo.1~ANo.3の皆さんも書かれているように、本人さえしっかりしていれば、大抵の会社は選択肢に入ると思います。

ANo.4さんは、分野は影響は受けると書かれていますが、ある程度、そういうこともあるでしょうが、それほどではないと私は思います。というのは、元々、理学部を...続きを読む


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