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私は人類を不条理から救うのは哲学しかないと考えて、自分で哲学してきました。

そしてそれなりの手応えもありました。一時は哲学の基礎は出来たと思いました

しかしなかなか人は認めません。人間はその人が死なないと認めにくいのでしょう

皆さんは哲学が人間を救うと思いますか?

何の為に哲学をやっているのですか?

人間のために哲学をやっているのではないのでしょうか?

僕の哲学は存在性理論と言います。

A 回答 (7件)

普通に、何かをする時には、それをよく知ろうとするものだ。

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この回答へのお礼

ありがとう

そうです 何かやろうとすると直ぐに疑念が湧きます。これで良いのだろうか?と

分からないことが多すぎる。

お礼日時:2016/08/24 14:26

哲学が何の役に立ったというのか。



そんなことよりも、病気が治った、犯罪が
減った、豊かになった、などの方が
はるかに重要ではないのか。
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この回答へのお礼

哲学が資本主義でも共産主義でもない もっと人々が充実して生き甲斐のある社会の思想を生み出さなければ

経済学も政治も何も出来ないでいますよ。

お礼日時:2016/08/24 14:24

そうか、学問として哲学やって、そして現場に出で人を救わないと!戦地の前線、難民、飢餓に苦しむ人々、水無し、服無し、家無し、医療無し

、家族無し、干ばつ地帯、裸足でいる人々がいる現場に行って救わないと!学問や言葉、書物だけなら誰でも簡単に表現できる!人を救うなら恵まれた日本でとやかく言う事よりも、これら世界に行ってもっと行動で示すべきだろ!哲学で人を救うとはこういう事が出来ないと、まずもって哲学は二の次となる!語るに容易い学問となる!口だけではダメ!学問だけでもダメ!世界を歩き回って行動出来ないと!
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この回答へのお礼

ありがとう

私病気で世界を歩き回れないんですよ

目標としては国連改革、宗教改革、世論改革、政治改革、哲学改革です。

プロと遣り取りしたいです。

お礼日時:2016/08/24 10:55

>皆さんは哲学が人間を救うと思いますか?



ここの常連さんをみれば一目瞭然。

>何の為に哲学をやっているのですか?

ここの常連さんをみれば一目瞭然。
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この回答へのお礼

うーむ 成る程。そうなんですかねえ。

お礼日時:2016/08/24 10:45

私は、「哲学」に無知なので、良くこの欄を拝見しますが、それでもやはり「哲学」が


よくわからないで、います。

私の正直な感想は、NO1さんの、「哲学じゃ腹いっぱいにならんし、病気もなおらん。」に
結構近い。

ハルさんは、自動車の例を提示されていますが、自動車は、それを使えば、商売が出来、
「飯の種」を生み出せます。
詰まり、結果として、「腹の足し」になる、と言う事です。

例えば、「人類を不条理から救う」という目的があるなら、当然、「外部への働きかけ」が
必要に思います。

「人間のために哲学をやっている」なら、その効果を得ようとすれば、大きく外部に
働きかけをしないと、一般の人には、気が付いてもらえません。

そういう意味では、「個人で、哲学を追及する」或いは「この欄で哲学を追及する」事が、
人類を救う意味で、どれだけの価値があるのだろう、と思います。

よく「神」についての課題が提出されますが、叱責を覚悟でいえば、神が居ようが、居まいが、
そんな事が、何の役にたつのだろうと、思ってしまいます。

すみません。
ハルさんに甘えて、好き勝手を申しました。
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この回答へのお礼

Thank you

外部というのは? 大学とかの哲学界でしょうか? それとも一般の人々でしょうか?

それとも国連とか? 或いは本を書いて売るのでしょうか?

本は書きましたが売れませんでした。大学の哲学科などは本を送りましたが反応なし

大学の教授に話そうとしましたが「私の専門はトインビーです あなたは?」

「私は自分で考えました」「それでは話になりませんねえ」です。

大学の哲学なんてドイツ語でも読んでるんじゃないでしょうか?

国連に書いてみたいですねえ でも日本語じゃ駄目でしょうねえ。

英訳する自信はないですねえ。一般の人々に分かるでしょうか?

誰かに話したいですねえ 確かに。

神を信じるか信じないかは思想信条の自由です。

居ると思う人の心には共同精神として居るでしょうけど

いないと思う人にとってはどこを探しても居ないでしょうね。

髪は霊者ですから^^

お礼日時:2016/08/23 20:25

大なり小なりの差はありますが、哲学は人類を救っています。





例えば西洋哲学者フーゴー・グロチウスの思想。


フーゴー・グロチウスは、1625年に戦争のもたらす惨禍を少しずつでも和らげようと「戦争と平和の法」を提唱した人です。


人間社会において争いは永遠に無くならないかもしれないが、根絶する努力は絶えず必要である。人間社会の悲惨な現象の一つである戦争においても守らなければならない掟があり、一つ一つ努力を積み重ねていくことで悲惨な現象を少しずつ取り除こうとする思想がその出発点です。

グロチウスの重要な問題提起である「戦争状態と平和状態を厳格に区別せよ」は、いまだに重要です。戦いの終わりとは、戦った両者が和解する儀式によってなしえる。講和条約が締結された時点で勝者と敗者は存在せず、過去の怨念から離れて友好に戻るのが、国家間の常態である。というものです。

「戦争と平和、味方と敵と中立、戦闘員と非戦闘員の区別が存在する」とは最も確立された国際法と言われていますが、この確立もグロチウスの貢献が大きいです。



しかし、現実の国際社会は理想からはまだまだ程遠い状態です。
ただ、グロチウスの哲学がなければ、その価値観すら生まれていないかもしれません。


例えば、アサド政権は、現在でもアレッポに樽爆弾を無差別に落としています。これはグロチウスが提唱した一つ、「戦闘員と非戦闘員を区別せよ」に反する行為です。アサド政権も問題ですが、国際社会は非難だけして見て見ぬふりをし、グロチウスの理想からほど遠い状況であるのは間違いありません。しかし、そのアサド政権の行為が「悪」となっている現在だからこそ、アサド政権は非難されているのです。少なくとも、その行為が「悪」という世界と、「悪でも善でもない」という世界では雲泥の差があります。



現在もグロチウスの理想とは程遠いのですが、グロチウスの哲学お陰で、それの行為が「悪」という価値観が人類に芽生えた事は、哲学は人類を救っていると言えます。
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この回答へのお礼

Thank you

グロチウスという哲学者が1625年頃にそういう事を言ったのですね。

これは役に立っていますねえ。非戦闘員という言葉はよく聞きますねえ。

しかし私は内閣各部と民主党、共産党に

「戦争は殺人に他ならない、国連に戦争自体を禁止する決議案を出してくれ・・・」と

意見受付に投稿しました。

個人ならば殺人など許してる国があるのでしょうか?

世界中でオリンピックをやりながら 他国人だから殺していいと言う

野蛮な外交手段がまかり通るのは許せません。

戦争だから殺していいと空爆で無差別に殺す国の目を覚ましたいものです。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/08/23 19:37

哲学じゃ腹いっぱいにならんし、病気もなおらん。

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この回答へのお礼

車じゃ腹一杯にならんし 病気も治らん 従って車は要らんという理屈でしょうか?

お礼日時:2016/08/23 19:15

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