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ルソーが言った一般意思っていうのはなんですか?
全体意思との違いなども簡単に教えていただけるとうれしいです。
ウィキペディアなどで見たのですが、どうも私には難しすぎてさっぱりわかりませんでした。
なんか高校の政経の授業で一般意思は代表しない、とか
なんかそんなようなことを先生が言っていたような言わなかったような、、、でもうろ覚えなので意味はわかっていません。
素人なのですがわかりやすくおしえていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

なるべく簡単に書きます。


簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特殊意志」
「特殊意志」を単純に加算していったのが「全体意志」
「一般意志」というのは、社会契約のもとに集まった、共同体の意志です。

そこでは、各個人の意志は「一般意志」にすっぽりと呑みこまれていきます。
ルソーは『社会契約論』でこう言っています。(引用は.「社会契約論」 『世界の名著 36 ルソー』所収)

-----
この社会契約のあらゆる条項は、よく理解されるならば、ただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員は、自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡すということである。それはなぜかというと、まず第一に各人はいっさいを譲り渡すので、万人にとって条件は平等となるからであり、条件が万人に平等であるなら、だれも他人の条件の負担を重くすることに関心をいだかないからである。
-----

重要なのは、「自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡す」という点。
個人は社会契約を結ぶ時点で「特殊意志」を捨て、「一般意志」に委ねるのです。

つまり、個人は個人の自由を手放し、共同体の一員となることによって初めて真に自由になれる、とルソーは考えたんです。「特殊意志」を捨てて「一般意志」のもとにみずからを従属させることで。そうすることで、人間は自己のもつ最高の可能性が発揮され、最高の自由を手に入れることができる、と。
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この回答へのお礼

ほんとうにありがとうございます。困っていました。

お礼日時:2007/07/15 11:59

>全体意思との違いなども簡単に教えていただけるとうれしいです。



全体意思とは個人の特殊意思の加算の結果(国民全員による投票結果など)

>なんか高校の政経の授業で一般意思は代表しない、とか
投票結果が全体意思であるため、代表が一般意思であるとは限らない

各個人が具体的に表明する意思にはそれぞれの立場などが反映してしまっているので、それを集計して「全体意思」にしても人民全体の利害を正しく実現できるとは限らない。全体意思と一般意思のあいだには「時にはかなり相違があるものである」

1億二千万人の投票結果はもっとも多かった特殊意思に過ぎない。
だからある程度の人数にたいしてその結果は利にならない。
しかし一般意思とは全員において利である。
全員にとって利って難しいですねえ。
そしてルソーさんはこうも言ってます。
たとえ全国民に反対されたとしても、一般意思を理解(発見)できるものならば、独裁者であってもそれで良い。
なぜなら個人は自分の利をいつも正確に理解(発見)できるとは限らないから。

つまり一般意思(全国民の共通に利害)を見極めることができる人間が納めるなら、国民の意見を一切聞かない独裁者でも良い国になるってことですね。
私も全くもってそうやと思いますが、それと同時にそんな人間がいるとは思えないし、いたとしても一般意思が理解できず特殊意思を優先したいエゴイストにクーデターかまされそうです。一般意思であるならばそのエゴイストにとっても利であるはずなんですけどね。本人にとって良いことを本人が良いと感じるかどうかは別問題。親と子の関係に似てますね。
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Q「自然法」と「自然権」の違いをおしえてください。

「自然法」と「自然権」の違いが、いまいちよくわかりません。すっきり単純明快な説明をお願いいたします。

Aベストアンサー

>ホッブズの考えでは、自然権=生命、自由、財産のなのではないでしょうか?

正確には、ホッブズの場合は、「生命・自由・財産を保持する権利」=自然権です。生命・自由・財産=自然法です。

で、ホッブズの場合は、世の中の資源は限られているので、各人は自分の自然権を行使すれば、他者の自然権を侵害しなければならないと考えたのです。これが「万人の万人にたいする闘争」というやつです。つまり、ホッブズの場合、自然法と自然権は矛盾するのです。各人が自然権を行使することによって、他者の自然法が侵害されるからです。

そこで、社会契約をむすび、各人が自然権を放棄して、一人の支配者に自然権を委ねるのです。この支配者をリヴァイアサンというのです。つまり、自然法を守るために、自然権を放棄せよというのがホッブズです。

Qカントの定言命法について。

私は今、大学で倫理学を取っており、そのテストで2つの問題が出るのですが、どのように答えていいのか全然わからず、行き詰っている状態です。できれば、皆さんに教えていただければと思い、質問してみることにしました。
その問題が以下のような問題です。

(1)カントの定言命法に基づいて、「果たすつもりのない約束をしてはならない」という道徳的な主張を擁護する

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答案では、結論を導くための基盤となる主張を必ず明記してその主張に基づいて議論をしてください。

つまり、してはいけないことと、してもかまわないことを判定するための基準を明記したうえで、問題文中の「~すること」がその「~してはいけないこと」の基準に当てはまることを論証してください。

「~の方が効用がが大きいので」と書くだけでは不十分であり、これに加えて「なぜ~の方が効用が大きくなるのか」も書かなければいけません。     という問題です。

どなたか、わかる方がいらっしゃいましたら、ご回答をよろしくお願いいたしますm(__)m

私は今、大学で倫理学を取っており、そのテストで2つの問題が出るのですが、どのように答えていいのか全然わからず、行き詰っている状態です。できれば、皆さんに教えていただければと思い、質問してみることにしました。
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(1)カントの定言命法に基づいて、「果たすつもりのない約束をしてはならない」という道徳的な主張を擁護する

(2)功利主義の立場に立って、「果たすつもりのない約束をしてはならない」という道徳的な主張を擁護する

答案では、結論を導くための...続きを読む

Aベストアンサー

> 基礎的な部分からあまり理解できていません

答えを書いちゃう方が簡単なんだけど、がんばってヒントだけになるように書いてみます。

まずね、カントと功利主義というのは、社会規範(=わたしたちが生きていく社会のルール)を決めるときのよりどころとなる大きな二本の柱です(もうひとつ、社会契約論というのがありますが、これはちょっと性格がちがうので、ここでは置いておきます)。

たとえばカントはこんな「殺人者の問いかけ」という例を考えています。

殺人者に追われている人が、あなたの家に駆け込んできて、「わたしは家に帰った、と言ってください」とあなたに頼む。そうして、家とは反対の方角に逃げたとします。
つぎに殺人者がやってくる。「やつはどっちへ行った?」と聞く。
あなたは考えます。もし正直に言ったら、この殺人者は彼を見つけてしまうだろう。しかも、彼がやってきた方角を考えると、黙っていたら、おそらく逃げた方向へ彼もまた向かうであろう。

さて、あなたはどうすべきか?

カントだったらこう考えるでしょう。

・人間は誰もがいつでもかならず従える規則に従うべきである。
 ↓
・ここでウソをついたら、「人はウソをつくべきである」という規則に自分は従ったことになる。
 ↓
・この規則が普遍的な規則として採用されるだろうか?
人びとは「ウソをつくべきである」という規則に従うことはできない。なぜならそれは自己論駁的だからである。そうなると、人びとは互いに信じ合うことができなくなってしまう。
 ↓
・ゆえに、わたしはウソをつくべきではない。

このように考えていくのが義務論の考え方です。

さて、功利主義の考え方は、そうではありません。

「いかなる行動を取れば、関係する全員にとって幸福マイナス不幸の差は最大になるのか?」

これに基準づけて考えます。
功利主義者の主張は大変簡単、ともいえます。ある行動が正しいか間違いかを判断する場合、その行動がより多くの幸福を生み出すか、あるいは不幸を生み出すかによって判断すべきなのです。

ですから、先のカントの「殺人者の問いかけ」であれば、
「ウソをつく」ことによって「彼を逃がすことができる」というふうに考えることができる。
つまり「よくないこと」(ウソをつくこと)を補って余りあるよい結果(彼の命が助かるということ)がもたらされることが予測されることが、人助けのためにウソをつく行為を正当化する根拠となります。

もちろん、功利主義の問題点とか、さらにそれを功利主義者はどうとらえているのかとか、深くほりさげていけばいろいろあるのですが、とりあえずはここらへんで大丈夫かと思います。

> 「果たすつもりのない約束をしてはならない」

というのが書きにくかったら、カントの「殺人者の問いかけ」のように、具体的な場面を考えればいい。
ほんとうは会うつもりもない相手に対して、いついつに会おうね、と約束するとか、返すつもりもないのに、いつまでには返すから、といってお金を借りるとか、そんなふうに具体的な事例を、先にあげたような論理の流れに従って書いていけば大丈夫です。
がんばってね。

> 基礎的な部分からあまり理解できていません

答えを書いちゃう方が簡単なんだけど、がんばってヒントだけになるように書いてみます。

まずね、カントと功利主義というのは、社会規範(=わたしたちが生きていく社会のルール)を決めるときのよりどころとなる大きな二本の柱です(もうひとつ、社会契約論というのがありますが、これはちょっと性格がちがうので、ここでは置いておきます)。

たとえばカントはこんな「殺人者の問いかけ」という例を考えています。

殺人者に追われている人が、あなたの...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q社会契約論とは

社会契約論の意味がよく分かりません。理解できるように説明をお願いします。

Aベストアンサー

そんな難しいことではありません。

人は自由であるべきですが、本当になんのしがらみもなく自由にしたらどうなるでしょう。お前の物は俺のもの、俺のものは俺のもの、というような論理がはびこって、バトルロイヤル状態になると考えることができます。
これでは平穏な暮らしなど望むべくもありません。だから、自分の持っている自由のある部分をを国家にゆだね、そのかわりに国家が社会の秩序をつくる(平穏な暮らしを守る)という「契約」を結ぶことにするのです。
これが社会契約です。

別に生まれたときに契約書にサインしたわけではありませんが、その共同体の庇護を受けている場合、自動的に社会契約をむすんでいる、と考えるのだと思います。
いずれにしても、この社会契約説に基づいて多くの国の憲法は作られています。なぜ国家は個人の自由を制限する(例えば、逮捕したり、監獄にぶち込んだり)できるのか、どうして国家の法律を個人に適用することを強要できるのか、という理論的な基礎になっているのです。

ちろみに、これは「契約」ですから、国家が契約を破ったら、その国家を転覆することは正当なことなんですよ。

そんな難しいことではありません。

人は自由であるべきですが、本当になんのしがらみもなく自由にしたらどうなるでしょう。お前の物は俺のもの、俺のものは俺のもの、というような論理がはびこって、バトルロイヤル状態になると考えることができます。
これでは平穏な暮らしなど望むべくもありません。だから、自分の持っている自由のある部分をを国家にゆだね、そのかわりに国家が社会の秩序をつくる(平穏な暮らしを守る)という「契約」を結ぶことにするのです。
これが社会契約です。

別に生まれたときに契...続きを読む

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q慣習法 判例法 が分らず困っております。

政治経済を勉強しているのですが政治の分野で分らない部分があるので質問しようとおもいましたがカテゴリーの中になかったのでこのカテゴリーに質問さして頂きます。


法には自然法と実定法があって
実定法には成分法と不文法があり
不文法には慣習法 と 判例法などがあるようですがこの慣習法と判例法がうまくイメージできません。

ネット検索で「慣習法 例」「判例法 例」で探してもでてきませんし

この2つを自分にもわかるようにできれば具体的な例も交えて教えていただけませんでしょうか?

Aベストアンサー

専門家ではありませんが、法律は嫌いでは無いので今までに読んだ事例を脚色して、例を書きます
・慣習法
『弁護始末記 17』(http://www.npb.go.jp/ja/books/mokuroku/_380301.html)という書籍にでてきたのですが、「こさがり」と言う慣習があります。これは、地方によって意味合いが異なるとはおもいますが、邪魔な草や枝を刈る行為のことです。
さて、ある村に住むAは山林を持っておりました。その山林に隣接する畑をBが所有しており、Bは慣習に従い、畑に接する山林の下草を刈り、枝を取り除いておったのです。しかし、突然の病でBは死亡し、よそから来た娘婿のCが畑を相続したことが問題の発端です。
Cが畑を相続した数年後、Aが山林を見に行くと、畑が山林まで広がっています。AはCに文句を言いましたが、Cは『親父が生きていた時から、俺は毎年この位置まで土地を使用してきた。今まで畑として使わなかったのは、お宅の山にある木が邪魔をして、日が当たらない為だ。ここまでが俺の土地だ!「こさがり」って何なんだよ。イチャモン付けるな』となり、民事訴訟へ発展。色々有って、A側の代理人となった弁護士は『こさがり』についての文献等を提出する事で、「こさがり」という慣習は存在し、民法の時効取得より優先されるとなったのです。

・判例法
米国の司法小説を読むと、判事は『この答弁の根拠は何処かの判例ですか』と問い、弁護士や検事は「××州▲裁判所●●事件です」と答えている場面があります。つまり過去に出された判例を踏襲し、同類の事件に対する判決は同じようにしていくのです。
日本でも殺人事件が起きると、『死刑を求刑する場合には、最高裁判例が適用され・・・と言う事は、今回の事件においては、条件に当てはまらないが、』このような解説等を読んだ事御座いませんか?

専門家ではありませんが、法律は嫌いでは無いので今までに読んだ事例を脚色して、例を書きます
・慣習法
『弁護始末記 17』(http://www.npb.go.jp/ja/books/mokuroku/_380301.html)という書籍にでてきたのですが、「こさがり」と言う慣習があります。これは、地方によって意味合いが異なるとはおもいますが、邪魔な草や枝を刈る行為のことです。
さて、ある村に住むAは山林を持っておりました。その山林に隣接する畑をBが所有しており、Bは慣習に従い、畑に接する山林の下草を刈り、枝を取り除いておった...続きを読む

Qホッブスについて

ホッブスの秩序に対する考え方を教えてください!!あとリバイアサンとは何のことを指すのでしょうか?大至急お願いします!!

Aベストアンサー

ホッブスの思想は、自然状態(国家が成立する以前の束縛及び規制のない状態)
に生きる人間は知性以外は動物と変わらず、しかもなまじ知恵がある事により
欲望を無限大に膨張させ、それにより恒久的に闘争を行なうというもので、
この事を彼は、「万人の万人に対する戦い」、「人間は人間に対して狼である」
と表現しています。 この状態では個々人の差がさほどないため、隙を突けば
最弱が最強に取って代わる事が可能であるため、勝者が決まらず恒久的に闘争
が続く。
 その点ではみな平等でありますが、人々は永久に「孤独、貧困、不快、殺伐
そして短命」という人生を送る事になるとホッブスは言っている。
 そしてホッブスは、この恒久的な闘争を収拾するためには人間相互の契約に
より国家が成立する事が必要であるが、人間の欲望は無限大に膨張するため、
社会を成り立たせている契約を破る者が必然的に現れ、その事によって社会が
維持出来なくなり再び人間は自然状態に逆戻りしてしまう、それを防ぐためには
国家が絶大な「力」を持つしかないという結論を出しています。
 リヴァイアサンとは彼が以上のような事を述べた著書であり、元々は聖書に
登場する、神々すら恐れ逃げるという最強の怪物の事です。 そして、彼は
必要悪である国家権力をリヴァイアサンにたとえ、自然状態をビヒーモス
(同じく聖書に登場する大怪獣)にたとえ、ビヒーモスの出現による国家の
崩壊をふせぐためにはリヴァイアサンを強くする必要があるとしているのです。
 ただし、ホッブスの思想は絶対主義を支えようとするものであり、結局世界を
変えるに至らなかったというのも重要です。

ホッブスの思想は、自然状態(国家が成立する以前の束縛及び規制のない状態)
に生きる人間は知性以外は動物と変わらず、しかもなまじ知恵がある事により
欲望を無限大に膨張させ、それにより恒久的に闘争を行なうというもので、
この事を彼は、「万人の万人に対する戦い」、「人間は人間に対して狼である」
と表現しています。 この状態では個々人の差がさほどないため、隙を突けば
最弱が最強に取って代わる事が可能であるため、勝者が決まらず恒久的に闘争
が続く。
 その点ではみな平等でありますが...続きを読む

Q主権国家と国民国家の違いって?

国際政治について勉強しているのですが、この2つの概念の違いがよくわかりません。

何か、概念的な違いはあるのでしょうか?

Aベストアンサー

主権国家というのは、「主権」つまり「政府が自分の力で自分の国を統治し独立的な権利を行使できるような国」のことを意味します。つまり外国に支配されていない、占領されていない、属国になっていない国のことですね。
国民国家というのはnation-stateといって、ネーション=国民が国の基本にある国です。フランス人の共和国であるフランスなどのように、たいていのヨーロッパの国は、国民国家です。しかし帝国のように皇帝などがいろいろな民族や国民を封建的に支配しているような国はあてはまりませんし、バチカンのような「宗教」でなりたっている国もあてはまりません。平安時代や武家社会の日本は、あてはまりません。ソ連も、いろいろな民族の連邦でなりたっていたので、国民国家ではありません。
でも、国民国家でないこうした帝国や封建的国家や連邦国家も、政府が外国の支配を受けていなくて国際社会からみとめられていれば、主権国家といえます。

Qカントの考える自由

カントは義務に基づいた行為(道徳性をもった行為)をしなければならないとした。
もし義務を果たせなかったとしても
「果たすべきだったのに果たせなかった」と良心の呵責を感じる。
そしてそのとき自分は義務に従うことができたという自由を自覚する。
人間としてどういう風に行為すべきかと神剣に道徳法則に直面して
初めて自由の存在を知る。

・「義務に従うことができたという自由を自覚する。」

・「道徳法則に直面して初めて自由の存在を知る。」

この「自由」の意味がよくわかりません。道徳法則という束縛(?)の中で
自由を知るとはどういうことなんでしょうか?

Aベストアンサー

「自由」という言葉を辞書で引いてみると
1.自分の思い通りにできること
2.拘束がないこと
大きく分けて、このふたつの意味があげられていると思います。

一般に、自分がしたいからする、というのは、自由意志に基づく行動である、と考えられています。
けれども、ほんとうにそうなのか。
感情や気分というものは、そのときどきの情況に左右されるのではないか。

さっきまで出かけようと思っていたのに、雨が降っているのに気がついたとたん、出かけたくなくなってしまう。
ある本を読もうと思っていたのに、友だちから「良くなかったよ」と聞かされたとたん、読む気が失せてしまう。
日常ではよくあることです。

カントは、道徳的な行為の規則を作ろうと考えていました。
いつ、いかなるときであっても、世界中の誰でも従わざるを得ない、そのような規則です。

普段ならそれでよくても、道徳的な行為しようとするときに、こうした「自分が~したい」という気持ちは邪魔になります。
ですからカントは「性向に依存したもの」として退けたのです。

一方、しなければならないからする、というのは、どうでしょう。

明日試験だから、勉強しなければならない。
約束してしまったから、行かなければならない。
ここにはどこにも自由など存在しません。
こうした自分以外の要請から起こす行為を、カントは「他律」としてやはり退けます。
道徳的な規則の根拠を、こうした他からの強制に求めるのは間違いである、と考えたのです。

ならば、どのような規則ならば、誰もがすすんで従うことができるのか。
すすんで従うことが、喜びになるような規則は存在するのか。

人間と動物を分けるものは何か、というと、それは理性である、とカントは考えました。
動物は本能に支配されて生きている。
けれども人間は、理性を持つことで、本能から自由になっている。
カントのいう「自由」の中味はそれです。
自らの内側にある理性に従って生きることこそが、人間だけに与えられた自由である、と。

本能や欲望や欲求に惑わされず、理性の声に耳を傾ける。すると、自分が何をしなければならないか、ということが、おのずと明らかになってくるはずだ。
これが、カントの言う「義務」なのです。

どのような行動を自分がとらなければならないのか。
何をしなければならないのか。

このように自分に問いかけることによって初めて、人間は本能や欲望や欲求から自由になることができ、しなければならない、と、自分の理性が命じる行動をとることこそが、真に自由になることである、とカントは考えたのです。

こうしたことは『人倫の形而上学の基礎づけ』(岩波文庫その他)
という本の中にあります。
カントの中では比較的読みやすい本ですので、もっと詳しいことがお知りになりたければ、ご一読ください。

「自由」という言葉を辞書で引いてみると
1.自分の思い通りにできること
2.拘束がないこと
大きく分けて、このふたつの意味があげられていると思います。

一般に、自分がしたいからする、というのは、自由意志に基づく行動である、と考えられています。
けれども、ほんとうにそうなのか。
感情や気分というものは、そのときどきの情況に左右されるのではないか。

さっきまで出かけようと思っていたのに、雨が降っているのに気がついたとたん、出かけたくなくなってしまう。
ある本を読もうと思っ...続きを読む


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