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総武線各駅停車に乗っていると、両国駅の各駅停車のホームの北側に、
おんぼろのプラットフォームを見つけました。
柱には青い地にオレンジ色の囲み線があって「りょうごく」と書かれています。
このホームって実際にいつまで使用されていたんですか?
使用されていたとしたら、どんな電車が走っていたんですか?

A 回答 (6件)

>昔は総武線快速の終点は両国駅だったんですか?


だって,そんなに昔から東京駅に地下5階のホームがあったと思われますか?
……と書きましたが,かなりの読者にとっては,生まれる前から総武快速線は地下の東京駅に入っているんですね。失礼しました。
私も年かなあ。(^^)

両国は房総方面に向かう特急・急行の始発駅として,長いこと千葉県へのターミナルになっていました。
ところが,1972年7月15日,錦糸町~東京間の地下総武線が開通すると,特急はほとんど東京駅始発になってしまいました。
(このとき開業した馬喰町駅は「日本一低いところにある駅」としてずいぶん話題になっていました。現在は青函トンネルの開通でその地位を譲りましたが。)
しかし,当時はまだ急行がたくさん走っていて,こちらは基本的に両国始発でした。
手元に73年8月の時刻表がありますが,これをみると,総武本線の銚子行き急行「犬吠」7往復のうち5往復が両国始発・終着(残り2往復は両国通過,秋葉原停車,新宿発着)。
内房線で行って外房線で帰ってくる急行「みさき」は4本が両国発着(1本は新宿)。
その逆回りの急行「なぎさ」は3本が両国,2本が新宿発着。
(当時,すでに特急は車両の向きの関係で,内房・外房線にまたがった運転はできず,すべて安房鴨川を境に分かれて運転していましたが,急行はまだ房総半島一周が行なわれていました)
これらの列車が発着していたのが地平ホームです。

その後,82年11月15日の大規模なダイヤ改正(上越新幹線開業)に伴い,房総急行は全て特急になり,両国始発は「すいごう」「あやめ」「さざなみ」のごく一部を残すのみとなりました。
そして,最後まで残っていた「あやめ」1往復も,91年3月16日のダイヤ改正で東京発着になり,定期旅客列車はこのホームから姿を消してしまいました。

なお,いわゆる両国新聞列車の記事を掲示板で見つけました(参考URLから入って,134番の記事)ので,参考までに。

なにせ昔のことですので,間違っていたらごめんなさい(きっと,もっと詳しい人が直してくれるでしょう)。

参考URL:http://bbs8.otd.co.jp/mokuzouekisha/bbs_plain?ba …

この回答への補足

>>昔は総武線快速の終点は両国駅だったんですか?
>だって,そんなに昔から東京駅に地下5階のホームがあったと思われますか?

わたしは転勤でこっちに来たのが数年前で、総武線沿線に引っ越してきたのが今年なので・・・。
詳しい説明ありがとうございます。

東京駅の総武快速線ホームは、成田新幹線を引くために建設したという話を聞いたことがあるんですが、それは本当なんでしょうか。そう言えば、横須賀線は横浜から品川の間は、一部が東海道新幹線と並行あるいはその下を走っているような気がしますので、やっぱり元々は新幹線のために作られたと言う話が本当のような気がします。ご存知でしたら教えてください。

補足日時:2002/07/21 08:47
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もう、多くの方が書いていますが、昔の総武本線の始発ホームです。



もともと、総武線の前身の明治時代の総武鉄道は両国が起点でした。
お茶の水まで伸びたのは結構後の話です。

で、千葉よりも東京よりは電車、千葉より先は汽車だったのですが、
これを気動車に変えたときに両国始発の気動車急行が2種類運転され
それの始発駅として長い間使われていました。

一つは、犬吠、水郷で、一緒に連結した列車が
鹿島方面行き水郷、成田経由銚子行き水郷、
八日市場経由銚子行き水郷に別れます。

もう一つは内海、外海(うちうみ、そとうみ)で、
内海で出発すると、千倉~安房鴨川間を各駅停車で運転して
こんどはそのまま外海で戻ってきます。
(もちろん逆もあり)

これが長い間運転されていたのですが、その起点となっていたのが
この両国駅でした。
ですから、今でも両国駅には燃料補給用の配管の残骸があります。

後に、地下駅が開業し、特急が出来たときに
両国駅には快速線の駅を作るのが難しいと言う事になって
両国は特急通過、錦糸町は急行特急停車(昔は急行も通過)となり、
両国駅は急激に寂れてしまいました。

なお、成田新幹線用の東京駅は、京葉線の東京駅です。
成田空港---東京 の弾丸列車として考えられていたため
トンネルは広くつくられていますが、同時に、東京よりも西には
延ばせない場所に駅が設置されています。
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こんにちは!


補足回答になってしまいますが、113系の新聞輸送列車は4両+4両の8両編成で、4両のそれぞれの両国寄りのクハに新聞を積み込みます。(1両まるごと)
両国~千葉は停まりません。ダイヤが変わっていなければ
内房線のホームに入線し、後ろの4両を切り放します。
ここはあいまいですが、確か黒砂信号場(稲毛~千葉)まで折り返し、
また戻って千葉の外房線のホームにつけます。
内房・外房共に、別に待機している4両編成と連結、8両編成となってそれぞれ安房鴨川行きとなります。
(それぞれ最後部1両は締切扱い)
自分はまだクモユニ143が走っていた頃に、ずっと内房線の様子を取材したことがあります。その頃とは少し違うのかも知れませんが、ご参考までに。
八幡宿(千葉から4つめ)から降ろし始め、大体は快速停車駅に降ろして行きます。受取人はキヨスクのおばちゃんだったり、新聞屋さんだったりします。
木更津では大量に降ろし、君津から先は、駅員配置駅に降ろして行きます。
館山でまた大量に降ろし、終点安房鴨川に到着。
当時は内房線の方が早く安房鴨川に着いたのですが、
外房線回りの方にも、安房鴨川で降ろす荷物がありました。
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はっきりとした時期は覚えておりませんが、私の記憶ですと10年くらい前まで房総方面へ行く一部の特急列車の発着場として使われていました。

しかし、利用客からすると不便なため、両国発着の全ての列車は東京駅の地下ホームへ変更となりました。
今でも使われています。といっても旅客用ではなく新聞の積み込み用です。
午後2時前後(だったと思います)に普通の電車(総武線快速電車)が止まっているのを先月見ました。積み込み作業までは確認しませんでしたが。
以前積み込み専用の荷物電車があったのですが、この電車は数年前に廃車になってしまい、一般の旅客用が使われています。確か最後尾の一部を仕切って乗せているように思います。
あとは臨時列車で使われると思います。

この回答への補足

ありがとうございます。ご指摘のとおり、今でも昼に新聞運搬用として使われているようですね。ということは、快速停車駅のホームに荷物が下ろされ、そこから各駅停車で各駅に配布されているのでしょうか。
なんか意味深な路線なんですね、総武線快速って。

補足日時:2002/07/21 08:53
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両国駅を通勤で使っている者ですが,最近は午後5時過ぎになると宴会列車が停車しています。


臨時列車の発着に使われているみたいですね。

この回答への補足

それにしては、ひどい状態ですよね・・・。

補足日時:2002/07/20 22:34
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東京駅の地下ホームができるまで、総武線の発着に使っていたのがご指摘のホームです。

地平ホームと呼ばれています
いつまで使っていたか失念しましたが、普通の総武線の電車(クリームと青のやつ)が発着していました。

臨時列車の発着としては昨年に1度使われたようです。

この回答への補足

ということは、昔は総武線快速の終点は両国駅だったんですか?
あそこから先は線路ないですよね・・・。

補足日時:2002/07/20 22:33
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