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いつもお世話様です。
戦後、62年が経ち日本が列強と戦争していた大事な事実をあまり思い出すことなく暮らしております。
学校では大した歴史は教えてもらえず、自分なりにいろいろ勉強しました。
勉強する前は「あんな大国と戦争して日本は勝てると思てたんやろか」なんて漠然と考えていました。
ハルノートを突きつけられ、生きるか死ぬかの選択であったと理解していますが、ここで疑問が生じます。
大東亜共栄圏の大義名分の下、列強による植民地支配から逃れるために日本は立ち上がります。結果、アジア諸国の独立に繋がったとも考えます。  ですが、敗戦後アメリカは親切でした。GHQは日本を復興させます。  勿論、日本人の努力・朝鮮戦争の恩恵もありますが。
私はよく友人などに「明治維新が少しでも遅れていたらロシアの植民地になっていたんちゃう?」なんて話しますが・・もし、日本がハルノートを突きつけられた時、和平を選択していたら日本の運命はどうなっていたのでしょうか?
実際は大東亜戦争を戦ったのですから考え得る想像になりますが・・どうかご意見お聞かせ下さい!よろしくお願いします。

A 回答 (18件中11~18件)

そもそもアメリカは「ヨーロッパの大戦に参加したかった」のです。

当時はイギリスとドイツが戦争中でしたから。ただし宣戦布告もされて居らず、「対外戦への不参戦」を公約に掲げていたルーズヴェルトとしてはこちらから仕掛ける事も出来ず、指を銜えて見ているしかなかったのです。

イギリスへの協力を実現する為には、三国同盟国からの「宣戦布告が必要」だったのです。その為、満蒙の利権と絡めて日本を窮地に追いやり、「日本から宣戦を布告させる」方法をとったのです。ハルノート以前から様々な圧力がかかっており、ハルノートはいわば「最後通牒」でしかなかったのです。勿論「これを呑んだとしても、更なるハルノートが提示されるだけ」です。対米開戦は「日本の選んだ道ではない」のですから。

ちなみに「対米開戦を決定した御前会議」は12月1日との史料は見ましたが、ハルノート以前に確証するモノはあるのでしょうか(勿論、それ以前に、対米開戦の「可能性を検討する事」は当然あり得るでしょうけど)?
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。
私はドイツに追い詰められたイギリスがアメリカにヨーロッパ戦線に加わってもらいたかったのかと考えておりました。
対米戦は、ぺリー来航以来の宿命だったと思います。
日露戦争で満州の東清鉄道の利権を勝ち取った日本でしたが経済的に困窮していた為、資金の見通しを立て難くアメリカの事業家ハリマンの資金提供に依存しようとしましたが、小村寿太郎の猛反対にあい、断念しました。日本・アメリカは、この利権を巡り・・本当の対立が始まったのかも知れませんが。

お礼日時:2007/07/26 00:18

日本が開戦を決断したのは、諸説ありますが11月5日の御前会議です。

ハル・ノートが突きつけられた時点(日本時間11月27日)で、真珠湾攻撃のため、すでに機動部隊はヒトカップ湾を出航(11月26日)していました。
もしも日本が和平を選択し、機動部隊を呼び戻した場合、日本は中華民国から撤兵(ハル・ノートの条件)しますので、大量の石油を消費する必要もなくなり、二次大戦特需で高度成長できたかもしれませんが、軍によって和平を潰される可能性の方が、はるかに高いでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど!
的確なお答えありがとうございます。
私はずっと不思議でした。
大東亜戦争の後、高度成長を成した日本が何故、アジアに侵出したのか!国民を食べさせるため仕方なく侵出したのなら戦後も今日の様な経済発展はないのでは?と言う風に。。。
明治維新以降、軍の力が大きくどうにもならなかった。そして、原爆が広島に投下され、「降伏しなければ又、原爆を投下する」というアメリカの勧告も国民には知らせず、軍部は突き進んだ。原爆を投下したアメリカはさることながら日本の軍部にも責任があるな。と新たな発見にもなりました。

お礼日時:2007/07/25 21:46

もし、政府が軍部の反対を押し切ってハルノートを受諾していたならば、恐らく軍部による大規模なクーデターが発生し政府は転覆、軍事政権が樹立されるか、最悪の場合内戦状態になっていたと思います。


それでなくとも、226や515、10月事件、3月事件など当時はクーデター未遂事件が頻発しておりましたので、ハルノート受諾による大規模クーデターは確実に起こっていたと思われます。

これを恐れた為、日本政府は真珠湾攻撃をするしか道はなくなったのです。
逆に言えば、それを見越した上でのハルノートだった、ともいえます。
アメリカ恐るべし。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
アメリカ・・恐るべし!〔笑〕
イギリスのチャーチルにそそのかされたせいかと考えたりしていましたが日露戦争終焉直後から日本は仮想敵国でありオレンヂ計画がありましたね。
その頃の日本はルーズベルトに感謝していました。
正に、原住民をアメリカ大陸から追い出し、黒人を奴隷として開拓させた国だけのことはあります。世界が同じようだったかも知れませんが。
そして現在の日本も又、アメリカ恐るべしだと私は考えます。

お礼日時:2007/07/25 19:14

私見ですが、ハルノートは日本にその内容を飲ませることが目的だったのではなく日本に開戦を決意させるのが目的だったのではないでしょうか。


アメリカも自国から日本に仕掛けるのは国民感情など対処しなければならない問題が多かったはずが、日本に先制攻撃させることで大義名分を得たかったのではないかと思います。
だから、仮にハルノートを受け入れてもその後さらに過酷な要求を押し付けられて最終的には開戦せざるを得なくなっていたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速にありがとうございます。
要するに黄色人種のくせに列強と肩を並べ、その上、アジアに勢力を広めて行った日本を何としても潰したかった。
悲しい現実です。

お礼日時:2007/07/25 19:17

ハルノートには石油の供給再開のことは書いておらず、日本政府は中国、インドシナから軍隊等を撤収せよ。

というような内容だったと思います。
受け入れて撤収してしまえば、資源のない日本はより生活が苦しくなり
ほうぼうで内乱が起こるでしょうね。
なにより、軍隊も意味がなさなくなり、外国に侵略されることも考えられます。
外交能力がないのか、軍部が暴走したのが悪いのかはわかりませんがハルノートを突きつけられた以上、戦争するしかなかったのでしょうね。
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この回答へのお礼

ハルノートは日露戦争以降の日本の東アジアで構築した権益や領土の返還と軍の撤退、軍事同盟の破棄だったと記憶しています。
たくさんの兵の血で造った利権です。
到底、無理な話ですね。
ご意見、感謝します。

お礼日時:2007/07/25 19:24

「米英討つべし」という国民感情論(大手新聞に煽られ過ぎたのも背景にありますが)もあり、開戦しなければ政府は政体を維持できなかったでしょう。


それにハルノートには、日本が到底飲めないであろう条件を意図的に盛り込んだものであり、決して受け入れなかったでしょう。
大東亜戦争が始まる前から、列強に肩を並べたくて必死に軍拡して中国をはじめとするアジア方面への侵略を常に狙ってきた日本。
なので、たとえこの戦争がなくてもまたどこかで口実を作っては戦争を始めたでしょう。
たいした力もなく慢心が日本中を覆っていましたから、一回手ひどく殴られなければ、目が覚めなかったのではないでしょうか?(軍民合せて300万の死者を出さなければいけませんでした。 涙)
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この回答へのお礼

あの戦争は無謀なようにも思いますがいろんな意味で重要で大切な避けて通れない戦争であったと再認識しました。
貴重なご意見ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/25 19:27

私は開戦が遅くなっただけだろうと考えています。


当時の世界情勢を鑑みると、仮に妥協し受け入れても、妥協部分を修正要求したり、さらなる要求を突きつけてさらに日本を窮地に追い込ませたでしょうから。

また、ハルノートを提示された時点で海軍航空部隊は鹿児島湾にて真珠湾攻撃の訓練をしていました。

あと、アメリカが日本に親切にしたのはまったくの政治的な思惑からです。日本はアメリカのカーテンにするためです。
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この回答へのお礼

OSCAR-さんのご意見にもアメリカ恐るべし!と、感じてしまいます。
アメリカから押し付けられた憲法9条を未だ守ろうとする動きが悲しいです。
日米安保は必要でしょうが自国を守るのはアメリカ?ぞっとします。
話が反れましたがすみません。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/25 19:32

ハルノートを突きつけられて、和平を選択したら日本は滅んでいたでしょう。


世界中から馬鹿にされ、戦争を仕掛けられていたでしょうね。
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この回答へのお礼

戦い・・あるのみだったことが、皆様のご意見頂戴してよく理解出来ました。
世界って怖いですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/25 19:35

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